天下統一②
1.再会
迅速を尊ぶ信長は急いで準備を終わらせ岐阜を出立。大軍を率いて浅井長政が治める北近江へと雪崩れ込んだ。
浅井は包囲網以前から朝倉と盟を結んでいるのだが居たのは浅井軍だけ。
混乱から立ち直れていない朝倉がそれどころじゃねえと援軍を拒んだのだ。
それどころじゃないのは浅井も同じだが、立場的には朝倉が上で強くは言えず単独で織田を迎え撃つこととなった。
浅井も理解しているのだ。朝倉が浅井を壁にすることで少しでも時を稼ごうとしていることを。
家中からは降伏すべきとの声も上がり浅井は織田軍に同行しているカールに使者を出したのだが、
『一族郎党皆殺しな』
これである。受け入れられるわけがない。
だがカールの要求は当然である。帝を殺し新たな帝を立てようとして朝敵認定された家に寛大な処置などあり得ない。
浅井は真実を知らなかったのだろうが利があると見て包囲網に参加した時点で何をされても文句は言えない。
甘い顔を見せれば逆にこちらの正当性が揺らいでしまう。
浅井家を存続させたいなら織田軍が侵攻を始める前に家を二つに割るべきだった。
内乱を起こして自分で始末をつければまあ、大幅に領土は削られても家は残った。
その決断を下し侵攻前に実行出来るだけの能力があり、尚且つ信が置ける相手であると判断したならカールも味方に引き入れようとしただろう。
だが結果はこの通り。浅井は間に合わなかった。
織田軍を迎え撃つことを決めた長政は自ら陣頭に立ち野戦を挑んだ。
数で劣る以上、守戦に専念するべきなのだが守っていても状況は悪くなる一方。打って出るしかなかったのだ。
だが悲しいかな。野戦を選んだことで浅井軍は鉄砲の餌食になってしまった。
訓練はさせていたが初の実戦投入。相応の不手際はあったがその効果は大なり。
自ら鉄砲隊を指揮していた信長はその場で踊り出すほどだ。
だが信長とて浮かれてばかりではない。鉄砲の実戦での使用感を確かめられたと判断するや即座に次の手を打った。
『浅井親子を始めとする首脳陣はさておき、兵の投降は許そう。悪いようにはせん』
そう触れを出すや兵達はこぞって降り始めた。
既に朝敵認定されてしまい、逃げ場がないと思ったから戦っていただけ。
許されると言うのなら降服しない理由はない。
浅井方は兵の離散を止めることが出来なかった。
兵を脅し付けて止めようとしても、そんなことをすれば更に数は増えるし何もしなければ流れは止められない。
最早これまでと長政は将兵をまとめて近江を脱出、越前へと逃れた。
信長は次の一戦で朝倉ごとまとめて潰すつもりで敢えてそれを見逃す。
さて、ここで一旦別の場所にスポットを当てよう。
「私に客、ですか?」
御所に残り訓練をしていた庵は客人が訪ねて来たという言葉に目を丸くする。
幼い頃に葦原を飛び出した庵を知る者は大概が敵だ。
小さな世界で生きていたので友人も居ないし、親しい者は皆死んでしまった。
そんな自分に客? と首を傾げる庵に幽羅は言う。
「会って損はないと思いますよ?」
「はぁ……そういうことなら……」
庵が了解すると幽羅は転移で客人を庭先へと招いた。
片腕と片目のない、浮浪者と見紛うような小汚い翁。
庵は一瞬、困惑するも直ぐにその顔は驚愕へと染まった。
「――――爺や?」
「お久しゅう御座います。お嬢様」
「あぁ……ああ……! 生きて……生きていたんですね……」
「お嬢様こそ、よくぞ……よくぞ御無事で……!!」
ぽろぽろと零れ出す涙。
自分を愛してくれた者は皆、死んでしまったと思っていた。
違った。生きていた。生きていてくれた。感極まる庵に翁も堪え切れず涙を流し始める。
「……」
その様子を少し離れた場所で見守っていたティーツは隣で姿を消している明美に視線をやる。
櫛灘の家に仕えていた者であの年齢ならば、明美も知っているかもしれない。
万が一があってはいけないから確認を取ったのだ。
明美はしばしの沈黙の末、口を開く。
「…………覚えのある顔だよ。随分と草臥れちまってるがな」
「ほうか」
ティーツもそれ以上は聞かなかった。
事情があったとは言え明美を冷遇していた者の一人だ。
真実を知った今、恨みはないだろうがそれでも複雑な心境だろうと気を遣ったのだ。
「あの、爺やが生きていたのなら……」
翁は凶衛襲撃の際は所用で出かけ難を逃れたが葦原から逃亡する際、囮になって死んだと思っていた。
ならば他にも身を挺して自分を逃がしてくれた者らが生きているのでは?
期待半分不安半分で問う庵に翁はすまなさそうに言う。
「私が生きていたのは刺客が私を殺したと勘違いし放置したからなのです」
そして幕府や守人の一族の目から逃れるように山奥に一人隠れ住み再起を狙っていたと言う。
「そう、ですか」
「申し訳ありませぬ。本来なら直ぐにでもお嬢様を追って大陸に向かうべきだったのですが金もなければ身体も言うことを聞かず……」
「分かっています」
医者にかかろうと思えばそれなりに大きな町に行かねばならないがそんなことをすれば目立ってしまう。
ロクな治療も受けられないまま身を隠すことを翁は優先したのだ。
完治までに何年かかったのか。いや、そもそも完治しているのか?
怪我がもとで死ぬか飢えて死ぬかの可能性の方が高かっただろうに。
無念と苦痛の中で過ごした日々を思うと庵は涙が出そうだった。
「随分と苦労をなされたのでしょう? 私のために、ごめんなさい」
「何を仰られるか。ただ一人、異国で生きねばならなかったお嬢様に比べれば私の苦労など」
「……確かに、最初は辛かったです。でも、愛する人に出会えましたから」
はにかむ庵に翁はまたしても涙を流す。
「ところで爺やは何時どうやって私の存在を?」
「密航に必要な銭を得るため堺に出稼ぎにやって来たところ、空に映る将軍様の大立ち回りを拝見してもしやと思ったのです」
「ああ、なるほど」
明らかに八俣遠呂智の力を使っていると思われる顕如を殺した異人将軍。
将軍が葦原の人間であれば将軍職に宿る力を利用したのだろうと考えられるが、やったのは異人。
大陸に渡った庵が……という可能性が頭をよぎるのは当然だろう。
「久しぶりに山を降りてみれば驚きの連続。
怨敵足利義輝が何時の間にか死んでいるし異人が将軍になっているしでもう何が何やら」
その混乱冷めやらぬ中、夜のアレだ。老骨にはさぞ堪えたことだろう。
「それから京に向かい、しばし動向を窺っていましたがやはり確信には至らず」
「それで直接、御所へ」
「はい。まあ、このような風体ですので身元を明かしても信じてはもらえぬと思いましたが」
「幽羅さんが取り次いでくれたのですね」
知っていたのですか? と庵が目で問うと、幽羅は小さく頷いた。
「庵はんは知らんやろけどその方、事情を知る者らの間ではかなり有名な御仁やからなあ」
「何と」
「昔の話に御座いますれば。私のことなどよりお嬢様のお話を聞かせて頂けませぬか?」
「……そうですね。爺やにはそれを知る権利があります」
ふぅ、と息を吐き庵はぽつぽつと語り始めた。
最初は辛いことばかりで、ただただ心が磨り減っていくだけの日々だった。
希望なんてまるで見えなくて、その日を生きるのが精一杯。未来を望むことなど出来なかった。
これから先も良いことなんて一つもないと思っていた。
「そんな時、あの人に出会った」
カールと出会い、全てが良い方向に転がり始めたのだ。
過ぎた時間は戻らない。失ったものも戻っては来ない。
それでもカールと出会ったことで未来を望めるようになった。
「馬鹿でスケベでお調子者でだらしのない、けれど誰よりも素敵な人。私にとっての幸い。
兄様と一緒ならどんな困難もへっちゃらです。例え神様が敵に回ろうとちっとも怖くありません」
盛大に惚気を織り交ぜながら、庵は今日に至るまでの全てを語った。
その惚気ぶりは悲痛な顔で話を聞いていた翁が苦笑を浮かべるほどだ。
「良き殿方と巡り合えたようですな」
「それはもう。駄目駄目なところもありますが、私にとっては世界で一番素敵な御方です」
「ははは……しかし、そうですか。将軍様は八俣遠呂智の討伐を」
「……爺やは反対ですか?」
「いいえ。櫛灘家を縛る宿業を断ち切ることに否はありませぬ」
「なら、どうして難しい顔を?」
「我が身の至らなさを恥じていたのですよ。昔ならいざ知らず、今の私には何の力もありませぬ」
戦いに参加しても足を引っ張るだけ。
知恵で助けるにしても、カールの傍にはもう知恵者が十分揃っている。
「出来ることと言えば、肉の盾になることぐらいでしょうか」
そう自嘲する翁に庵は言う。
「何を言うのです。爺やは一番大事な仕事をしてくれたではありませんか」
「え」
「爺やが、皆が命を賭して生かしてくれたから私は兄様に出会えたのですよ」
そしてその出会いが櫛灘家を、葦原を縛る宿業を断つ可能性を手繰り寄せたのだ。
役立たずなんてとんでもない。大殊勲だと庵は断言する。
「…………本当に、本当に御立派になられましたなあ」
「だから爺やは安心して余生を過ごしてください。幽羅さん、爺やのことを頼んでも良いですよね?」
「はいはい。無碍な扱いをすればカールはんに殺されそうやしなあ」
「それと……」
「他にも生き残りが居るか探して欲しい、やろ? そっちもやっときますわ」
「お願いします」
皆死んだと思っていたが翁が生きていたのだ。
他にも生き残りが居るかもしれない。生きているのなら恩を返したい。
だからどうか、どうかと庵は頭を下げる。
「かまへんかまへん。うちも八俣遠呂智討伐のために力を借りるわけやさかい、持ちつ持たれつで行きましょ」
「ありがとうございます」
「だからええって言うとるのに……とりあえずうちはこれで」
苦笑しながら幽羅は去って行った。
呼べば直ぐに現れるし、頼めば大概のことはやってくれるが彼女は彼女で忙しいのだ。
「あ、そうだ。爺や、お昼はまだですよね? 一緒に……爺や?」
「申し訳ない。少しばかり考えに耽っておりました」
「何か気になることでも?」
「ああいえ、そこまで大したことではありませぬよ。ただ改めて考えると不思議なものだなと」
「?」
いずれは知らねばならぬことだが出来るだけ長く純粋に子供で居られる時間を。
その教育方針ゆえ庵には櫛灘家についてのことを知らせていなかった。
葦原を脱出する際もそう。これ以上余計な重荷を背負わせまいと翁は何も言わなかった。
だが数奇な縁を辿り庵はもう何もかもを知ってしまった。
ならば隠し立てする必要はないだろうと翁はゆっくり語りだす。
「カール様はプロシア帝国の人間だとか」
「はあ、それが?」
「実は櫛灘家は以前にも帝国から来た御仁に助けてもらったことがあるのですよ」
「何と」
「かれこれ三十年以上も前のことですが、その御方は見聞を広めるため世界各地を巡っておられたのです」
その途上で葦原を訪れ庵の祖父や祖母と出会い意気投合したのだと言う。
「当時、守人の一族からの独立を果たすためあれこれ動いておったのですが敵は中々に手強く、上手くはいっておりませんでした」
「話の流れからして帝国からやって来た御方が?」
「ええ。武にも智にも長けた御方で様々な面で我らを助けてくださったのです。独立が叶ったのもあの御方のお陰と言えるでしょう」
「それはまた……その御方の名前は何と仰るのです?」
全てが終わり帝国に帰ったらその恩人を探してみるのも良いかもしれない。
そう思って名を問うたのだが、
「レグナ――と言ってもこれは偽名ですが」
「偽名?」
「どうにもやんごとなき身分の御方だったようで」
「あぁ……だから偽名を」
「本名を知っておられるのは今は亡き先々代の御二人か我津出夢和尚ぐらいのもので」
「ガッデム和尚?」
「おや、御存知なのですか?」
「ええ……葦原に来る時の船で御一緒したのですが……」
流石に風俗ライターやってることは言えなかったらしい。
「えっと、レグナ様と和尚はどのようなご関係だったので?」
「親友です。レグナ様が葦原で最初に友誼を結んだのが和尚で、親友が力を貸すならと彼の御仁も我らに御助力くださったのです」
「なるほど。なら機会があれば和尚様に聞いてみようと思います」
言いつつ庵は明美が居るであろう場所に視線をやった。
ややこしくなるので明美のことは伏せていたが、どうしたものかと。
「庵様?」
「あー……えっと、とりあえずお昼にしましょうか」
時間はあるのだ。明美のことについては本人の意思も聞きつつゆっくり取り組んでいこうと庵は小さく息を吐いた。
レグナの名前の由来はDODです。




