本番前⑤
1.蜥蜴は龍に昇れず、子猫は虎に至れず
越後、上杉家。
将軍から届いた上洛命令についての評定を終えた景勝はその足で厠に駆け込み、
「う……おぇええええええええええええええええ!!!!」
盛大に吐き出していた。
叔母である謙信と違い酒は嗜まぬ男なので当然、二日酔いとかそういうあれではない。ストレスによる嘔吐だ。
「……遂に……遂に動くか」
長慶曰く、草薙の剣を受け取れるのは櫛灘の姫が心から信を置く者だけだと言う。
であれば将軍と当代の姫はそういう仲である可能性が高い。
ゆえに不都合な真実を知る者達――今川、北条、武田、上杉、毛利、朝倉、大友、一向宗、守人の一族。
八俣遠呂智の力を受け取った者、或いはその存在を知る者を一人残らず殺すつもりなのだ。
全ては姫の、愛する者の安寧を守るために。将軍の椅子を簒奪したのもそのためだ――と景勝は考えている。
当然、真実は違う。しかし、カールの敵対者達は皆、多少の差異はあれども大体景勝と同じようなことを考えている。
八俣遠呂智の来歴を知り、その圧倒的な力に触れたせいで八俣遠呂智を殺すという発想が根本的に抜け落ちているのだ。
帝がカールを認めたのも触れてはならぬ禁忌に触れた者らを殺せる存在だからだと思っている。
その程度で帝が異人を将軍として認めるのか? 晴明を動かせば殺せずとも力を受け取った者を封印出来るのでは?
そんな疑問もないではないが、上手くやったのだろうとしか考えていない。
先にも述べたが八俣遠呂智に抗うという考えがハナから存在せず、自分の尺度でしかものを測れないからだ。
とは言えそれを愚かと、臆病と謗ることは出来まい。人知及ばぬ超常の存在に膝を屈し頭を垂れることは決して恥ではないのだから。
むしろ、カールや信長のように反骨心を剥き出しにする方がおかしいのだ。
――――まあ、そんなだから後手後手に回ってしまうわけだが。
話を戻そう。すっかり勘違いしている景勝からすれば今回の上洛命令は宣戦布告以外の何ものでもなかった。
帝に認められ将軍になったからとて何でも出来るわけではない。
いきなり他国に戦争を仕掛ければ、如何な将軍とて民の不興を買う。
ゆえに最低限の名分として上洛命令を出したのだ。
従わないなら幕府に叛意ありとでも難癖をつけ、従うなら呼び寄せてザクリ。
後者は危険が伴うがフォローは出来なくもない。
などと考えているため景勝は当然、出向くつもりはない。
神の視点では致命的な悪手なのだが、神の力を授かっただけの人間にそれが分かるはずもなく……。
「上等だ。裏で貴様も準備を整えていたのだろうが、それはこちらも同じこと」
将軍包囲網――水面下での密約は既に済んでいる。
盟主を務めるのは本願寺顕如。
京に一番近く、民心を集めるのが一番上手いからだ。
機を見て顕如が帝を利用し、葦原の侵略を目論むカールを糾弾する檄文を大々的に発する手筈となっている。
表立って帝に反逆するのはマズイとは言え、ちょっとそれは無理がないか? 帝を馬鹿にしてね?
と思うかもしれないが、学のない民草ならば問題なく騙せるだろう。それだけの手管が顕如にはある。
「磐石の包囲網。逃れられると思うなよ」
西からは大友、毛利が。
東からは上杉、朝倉、浅井、六角、今川、武田、北条が。
一向宗を始めとするあちこちに存在する寺社勢力も各地で蜂起し攻め入ることになっている。
幕府にこれだけの連合軍と真っ向からぶつかるほどの力はない。
多少は粘るだろうが連合軍の勝利は揺るがない――と、景勝は確信している。
「…………この力は誰にも、誰にも奪わせん……!!」
その瞳は醜く縦に裂けていた。
甲斐、武田家。
評定を終えた勝頼は自室に引っ込み偽装を解除し、大きく息を吐いた。
「ふぅ……ようやく一息つけそうだ」
義元戦死の報せを受けてから眠れない夜が続いていた。
だが、今夜からは違う。
上杉とも将軍討伐までは休戦協定も締結し、将軍包囲網はほぼ完成した。後は顕如の号令を待つだけ。
その日が来るまではゆっくり眠れると勝頼は頬を綻ばせる。
「草薙の男。随分と肝を冷やされたが、それも直にしまいだ」
景勝同様――いや、八俣遠呂智の力を受け取った者は皆、そうだ。
死そのものより死によって与えられた力が失われることを恐れている。
それゆえに草薙の男カール・ベルンシュタインを決して許容出来ない。
死によって力が失われるという意味では同じく八俣遠呂智の力を受け取った者達も敵と言えば敵だが、カールほどの嫌悪はない。
彼らは本能的に理解しているのだ。同種の力を持つ者に殺された場合はまだ救いがあることを。
カールに殺された場合はそこで力は完全に失われその魂は散華するだけだが、同種の力を持つ者に殺された場合はその先がある。
大いなる力の根源――つまりは八俣遠呂智に魂を取り込まれるのだ。
それは救いなのか? 一般的な感性で言えばとても救いにはならないが骨の髄まで邪神に魅入られた者達にとっては救いなのだ。
もっとも、当人にその自覚はないのだが。
ともあれ自覚はなくとも無意識下ではすっかり取り込まれているのは揺ぎ無い事実だ。
時折、理屈で考えると首を傾げてしまう行動に出るのがその証拠である。
具体的に言うなら勝頼と景勝が義元の上洛を見過ごしたことなどがそれだ。
家臣らに自分達を認めさせるという理由を始めとして理性的な判断も幾つか含まれてはいた。
義元用の布石も幾らか用意はしていた。
いたのだが、最終的に義元そっちのけで川中島で殺しあったのは本能によるもの。
共に邪神の力に魅入られた者同士、殺し合えども力を奪われることはない、八俣遠呂智から引き離そうとはしまいと無意識に理解していたのだ。
「奴を殺し櫛灘の姫を始末すれば……ふ、ふふふ」
ここで庵を始末するという発想が出てくるあたり、どうしようもない。
混沌を望んでいるのならまだしも大名としてこれからもやっていくつもりなのだから最低限のセーフティは必要だろう。
この有様で八俣遠呂智の力を利用しているだけと思っているのだから救えない。
総合的に見て八俣遠呂智の力を受け取った者は、それ以前よりも確実に劣化している。
ただの人間として生きていた頃なら普通に気付けたことも簡単に見落としてしまうほどに。
力を注ぎ込み過ぎればアダムのように狂ってしまうが、ある意味ではそっちの方が厄介かもしれない。
それが分かっているから長慶は義輝を守るため良い塩梅で馬鹿になるよう注ぎ込む力を調整したのだ。
とは言えその恩恵を受ける長慶も義輝も既に居らず、巡り巡ってカールの利になっているのだから人生とは不思議なものだ。
「――――我が世の春は近い」
そうほくそ笑む勝頼の瞳は醜く縦に裂けていた。
2.あぶくたったにえたった
「案の定ですわ。こっちに合わせて決起集会をやるようで」
「露骨だねえ。いやまあ、そうなるだろうとは思ってたけどね」
「あちこちから門徒が石山に集結しとるようで……これはえらいことになりそうですわ」
「そうだなあ」
自分の……っつか八俣遠呂智のそれを御仏の加護として見せびらかす集会は定期的に開いてるようだが今回のは規模が違う。
これまで顕如の奇跡を目にしたことがない各地の門徒もそれを見せ付けられる。
初見の連中が良い起爆剤となってさぞや集会は盛り上がるだろう。
そうやって場を温めた上で俺を糾弾し、大々的に宣戦布告ってのが連中の流れだ。
こりゃあ大変なことになりそうだ――アイツらがな。
「あぶくたった にえたった♪」
「にえたか どうだか 食べてみよう♪」
俺の視線の先。庭では庵と明美、ティーツ、ニセイメイが童歌を歌っている。
鬼ごっこの開始の合図になる歌だったかな? 帝国でもスラムのガキどもとやってた記憶がある。
クソ可愛いロリの庵はともかく大の大人が歌ってる光景は……こう、何というかキツイものがあるわ。
庵の特訓に鬼ごっこを取り入れてるらしいけど、大人連中が歌う必要は皆無だろ。
「そういやさ。お前はどうやって諜報活動やってんの?」
松永姉弟やジェットストリーム三好は分かるよ。
アイツらってか守人の一族は忍者的な側面も持ってるからな。
じゃあ幽羅は? コイツは別に諜報が専門ってわけじゃないが久秀らが取りこぼした情報を拾って来たりもするしな。
どうやってんだ?
「術つっても、デカイとこはそれ専用の防諜もしてるだろうし」
力の殆どをニセイメイに渡し、ニセイメイはその力の全てを朝廷の守護に回している。
言い方は悪いが残り滓みてえな状態の幽羅じゃ……ねえ?
「カールはんは妙なとこで頭固いわぁ」
「?」
「確かにどこも対策はしとりますけど、それはあくまで葦原固有の術だけ」
「あ」
そうか。そういやコイツ、帝国で活動してたんだったな。
「ってことは魔法か?」
「まあ魔法も使えんことはないけど、主に使っとんのは寄生タイプの魔法生物ですわ」
「寄生タイプ……」
曰く、かつて帝国で起きた内乱の際、諜報用に生み出されたものだとか。
機能はシンプルに盗撮、盗聴だけだが気付かれ難いという強みもあってかなり猛威をふるったのだとか。
とは言えクラシックもクラシック。魔法技術で劣る他国でもとっくのとうに対策が立てられて今じゃ使われていないらしい。
だが、
「鎖国状態の葦原では通用する、か」
「そういうことですわ」
異国の知識、技術ってもののアドバンテージはホントに大きいな。
とは言え、それも永遠ってわけじゃない。賢い連中は些細な違和感から原因に気付いてそれを研究し対策を立てるだろう。
何なら独自に異国の技術を進化させるってこともあり得る。
アドバンテージが有効な内に押せ押せで行くのがベストないしはベターってとこか。
「ま、それでも数に限りはありますし人間の間諜の方がええ時もありますよって」
「分かってる。そこまで頼りにするつもりはねえ」
寄生生物を使うのは確かに安全だろう。
が、人間だからこそ出来ることも確かに存在する。
分かり易い例を挙げるなら俺だな。久秀を篭絡出来たのは俺が人間だったからだ。
感情を攻めて攻めて篭絡し味方にすることで俺は戦力と情報の二つを手に入れた。
これは寄生生物には出来ないことだ。
「ぜぇ……はぁ……はぁ……」
ふと見れば庵が肩で息をしていた。
ニセイメイの式神を強化してそれを操りティーツらを捕まえるのが特訓の目的だが……そう簡単にはいかないようだ。
そこまで広くはない庭の中とは言え相手が相手だ。
ティーツと明美は生粋の肉体派で、ニセイメイもスペックを制限してるとは言え万能超人臭いしなあ。
「ちなみにありゃ、何を鍛えてんの?」
「他人を強化するって感覚を養うのと、力の制御ですわ」
幽羅が語るところによるとあの式神は力と思念を送れば動く半自動的なものではないらしい。
力を注ぎ込み、注いだ力を緻密に制御して操作するタイプのものなのだとか。
「あれを片手間で動かせるようになれば術師としてはまあまあ、やるんとちゃいます?」
「なるほど。庵の才能はどんな感じなん?」
「悪くはないですけど……ちょっと思い切りが……」
ああ、それはねえ。
生真面目なタイプだからな。どーん! と行ってバーン! とはいかんだろう。
つっても、一長一短だわな。
思い切りが足りないのは慎重さと言い換えることも出来るし、大胆さは時に軽率にもなり得る。
「庵、一回休憩挟むぞ」
「い、いえ大丈夫です。もう一回、もう一回お願いします」
明美の言葉を跳ね除け、やる気を滾らせる庵。
俺としては無理はして欲しくないんだが……止められんわな。
庵が頑張ってるのは俺の役に立ちたいからだ。
一族の宿命に俺を巻き込んだって負い目があるから、下手に俺が何か言っても逆効果だろう。
まあやばそうなら無理にでも止めるけどな。
「あぶくたった にえたった♪」
再度、歌が始まる。
やっぱり庵はともかく他はキツイが、まあそれは置いといてだ。
(あぶくたった、にえたった――ね。煮ても焼いても美味くはならん屑どもだが、俺もさっさと食わないとなあ)
むしゃむしゃむしゃってね。
これで“本番前”は終わりになります。
次の話からカールが本格的に動き出します。




