本番前④
1.上洛命令
色々話したいことがあるので九月一日、二条御所に集合な。
金が勿体ねえ! って場合は当主と最低限の護衛だけでも可。
その金すら惜しいって貧乏さんは上洛は良いので内政頑張ってください。
by カール・YA・ベルンシュタイン。
そんなふざけた上洛命令が全国の大名に届けられる。
困惑する者、危機感を抱く者、ようやくかと胸躍らせる者、付き合ってられねえと無視する者、その反応は様々だった。
だがそれなりの器を持つ者らは皆、気付いていた。
――――この日を境に葦原は大きく動く、と。
美濃、織田家。
書状を受け取った信長は喜色満面。家臣らの目を気にすることもなく浮かれていた。
「……殿、再度御確認致しますが本当によろしいので?」
上洛命令に従うということは幕府の下に就くということ。
天下に覇を唱えると言っていたのは信長だ。本当にそれで良いのか?
臣下を代表してそう問うたのは織田家最強の武将、柴田勝家。
「おうとも。これで良いのだ」
「ならば天下は諦めると……」
「なわけがなかろう。やり方こそ当初の予定とは異なるが、諦めるなどとは一言も言っておらん」
「……? 幕府を――将軍を傀儡にする、と?」
「いいや? 幕臣として忠実に務めを果たすつもりだ」
信長は家臣らには殆ど何も伝えていない。
八俣遠呂智関連のことを差し引いても、教えているのは将軍と秘密裏に接触したということだけだ。
供として京に同行した秀吉や利家も何一つ知らない。
だがそれは家臣を軽んじているわけではない。彼らの目を試しているのだ。
「おれは殿下の矛となりその命の下、天下統一に向け邁進する所存よ」
どよめきが更に広がる。
幕臣として――将軍の手足となって天下を統一する? つまり実権は幕府に?
それは、
「……信長様は将軍を天下を託すに足る御方と認めた?」
「いや待て。諦めるとは言っておらなんだし――もしや、信長様が嫁入りして?」
元々、織田家の次期当主は信長の直系ではない。
かつて謀反を起こした信勝と斎藤家より輿入れした帰蝶の子を次代に据えるというのは周知されていた。
となると信長は完全にフリー。足利に嫁入りするというのも考えられぬことではない。
が、
「ぶっぶー、どれも不正解だ。誰ぞおれの考えが分かる者は居らんのか?
猿、お前はどうだ? おれと竹千代の話は聞いておったのだし他の者よりは真実に近づけるのではないか?」
末席に座っていた小柄な猿顔の男、木下秀吉に話を振る。
コイツなら大体は読めていそうだし、推測を披露するという体で皆に理解させられると思ったからだ。
ちなみに聞いていたのは前田利家も同じだが、こっちはぼけーっと間抜け面を晒しているので論外だ。
恐らくは可愛い嫁さんのことを考えているのだろう。
「信長様は将軍様と秘密裏に盟を結んでいたのでは? 実際、桶狭間で誘いをかけられたと言っていましたし」
何故そこで桶狭間? とざわめく。
「義元の首を獲ったのはおれではなく殿下よ。その時はまだ将軍でも何でもないただの異人だったがな。
で、その首を代価に話し合いの席を設けたいと言われおれはそれを承諾したのだ」
続けよ、と信長は先を促した。
何らかの密約を。それぐらいは他の家臣も思いついてはいた。いたのだが、それならば余計に信長の発言の意味が分からなくなる。
なので同盟というのも違うかなと考え直したのだが信長から明かされた情報でますます更に困惑が増してしまった。
「その条件の一つに“全てが終わってから”信長様に天下をお譲りするというのがあったのではないかと」
「おいおい猿、貴様何を言っておるのだ? それに何の意味がある?」
織田家――と言うより信長は家を継いだ時から、いや継ぐ以前から自らの手による天下統一を考えていた。
確かに将軍と盟を結べば、その名は役に立つ。
今現在、天下の諸大名を従えるほどの力はないが将軍の名は決して軽いものではなく、使う者が使えば良い道具になるだろう。
将軍を傀儡にして利用すると言うのならこのやり方にも筋は通る。
だが信長は忠臣として将軍の手足となり、動くと言った。つまり実権はあちら側にあるということになる。
先ほど誰かが口にした将軍が天下を託すに値する人間だからという推測なら、まあこれにも納得がいく。
しかし、後々天下を譲ると言うのならば意味が分からなくなってしまう。
一時実権を完全に譲り渡して天下を統一したら返してもらう? それに何の意味がある?
最初から自分達だけで一から十までやれば良いだけではないか。
将軍の名を利用しない以上、苦労も増えるが織田独力で成し遂げられたのならば見返りは大きい。
途上で幕府と将軍も潰すことになるだろうが、信長はその程度の汚名を厭う器ではない。
旧態を嫌い、新しきを好む信長ならばそちらを選ぶのが自然だろう。
家臣らの疑問は尤もだが、
「違う。違うのですよ勝家様。某が申す全てが終わったらと言うのは天下を統一し終えたらという意味ではありません」
「何?」
「恐らく将軍様と信長様にとって天下統一とは前哨戦なのです。天下を平らげた後に待つ戦いこそが御二人にとっての本番」
「な……」
話を聞いていた以上、それぐらいは予想もつくだろうと信長は周囲を手で制し秀吉の言葉に耳を傾ける。
「式典で遠目に見ただけですが、見ただけでも分かりました。
将軍様は信長様と同じ天下を統一するに足る器の持ち主に御座います。
仮に独力で天下を目指していたのなら時間はかかるでしょうが、最終的にはあの御方が覇者となられていたでしょう。
器は互角で織田の強みである金も短~中期的な面ではあちらが上のようですし。あ、誤解しないで頂きたいのですが信長様が将軍様に劣るという意味ではありませんよ?」
「分かっておる」
やり合えば負けるのは自分だというのは信長自身も認めるところだ。
何せこっちは普通の大名で、あっちは名目上とは言え武家の頂点で中央は完全にとはいかずとも抑えている。
スタート地点が違うのだ。ぶつかり合えばこちらは簒奪者の汚名は避けられず、あちらは正当性を掲げられる。
これは大きい。悪い奴を叩くという名分を使えば他の大名も動き易く、提示される報酬如何によっては喜び勇んで織田を叩くだろう。
「それより、何故資金面であちらが上だと思った?」
長慶の基盤をそっくりそのまま受け継いだのでカールが相応に金を持っているというのは誰でも分かる。
だが信長――というより織田家も負けてはいない。
織田家は銭の力を重視している。祖父の頃からそうだ。
津島を押さえて水運を始めとする様々な商いに手を出しているお陰で織田は潤沢な金を持っている。
明確にこちらが劣るということはないのに何故、あちらが上などと思ったのか。
「先の美濃平定ですよ」
「ほう」
「織田家伝統の成金戦法によるゴリ押しで斎藤家を降し美濃を平定したわけですが」
「成金戦法て。いやまあ、その通りなんだが」
「どうにも変だな、と」
曰く、あそこまで金を注ぎ込まずとも時間をかければ美濃平定は成ったはず。
相応に時間はかかっただろうが急ぐ必要はなかった。
なのにジャブジャブと金を注ぎ込んでゴリ押したのが引っ掛かっていたのだと言う。
「考えられるのは某らには与り知らぬ理由で美濃平定を急がねばならなかったか」
そもそも織田の金ではなかったからか。
「で、ちょいと調べてみましたところ資金の流れがどうにもおかしい。
ならばあの金は一体どこから? 信長様が個人的に手に入れたのだとしたらどこで?」
そう考えると答えは一つ。
「将軍様かなー、と」
「……その通りだ。随分な量の黄金を貰った。だがそれが根拠か?」
「ええまあ。まさか貰った金を一度に全部注ぎ込んだわけではありますまい。
信長様はそこまで無計画な御方ではありませんし、ならばまだ残りがあるはずです。
使用した分から譲渡された金の量を推察。で、将軍様もまさか全財産を投資したわけではないでしょうし……」
資産は最低でもこれぐらいはある、とあたりをつけたのだろう。
そしてその額は織田家の現在の資産を上回るものだと判断した。
「三好にそれだけの金があればもっと勢力は拡大していたでしょうから、恐らくは将軍様の個人資産」
「だから短~中期的には、か」
「はい。こちらは継続的に金が入って来ますからね。まあ向こうも経済基盤がないわけではないので一概には言えませんが」
「…………お前、本当に出来る奴だな」
美濃攻略の不透明な金の流れは誰かが気付くだろうとわざと残したヒントではあった。
が、結局気付いたのは秀吉だけ。
どうやら家中の金に対する認識で及第点を超えているのは秀吉だけのようだと信長は嘆息する。
「ああすまん。随分と話が逸れてしまったな。戻してくれ」
「あ、はい。えーっとどこまでお話したでしょうか?」
「殿下が天下を獲れる器量の持ち主だというところまでだな」
ではそこから、と秀吉は咳払いをし語り始める。
「そんな御方が何故、独力で天下を目指さず信長様を味方にしようと思ったのか。
それは将軍様にとって天下統一そのものには興味がなかったからでしょう。
もし本命がそうだと言うのならば独力で覇業を成し遂げるべきですからな。
当然、苦労はありますが……しかしその分、権力はより確固たるものになりますし」
天下統一には――より正確に言うならそれによって得られる恩恵の殆どに興味がない。
しかし、天下統一は成さねばならない。だからこその信長だと秀吉は言う。
「単なる傀儡でもいかんのでしょう。実権はあくまで将軍様が握らねばならない。
恐らくは天下統一の先にある戦いで将軍様が陣頭に立つ必要があるからではないかと。
そして信長様もその必要性を認めているから事が終わるまでは明確な主従関係を結ぶことを受け入れた。
更に言うならその戦いこそが帝も御認めになられる将軍様の正当性に関わっているのでしょう」
話を聞いていた者らが息を呑む。
そして誰かが言った。天下統一という大業ですら前哨戦でしかないと言うその戦い。
葦原を一つにして、一丸となって挑まねばならぬ相手とは何者なのだと。
「某にも分かりかねます。が、その戦いに勝利することが将軍様の唯一にして絶対の目的なのは確かでしょう」
ゆえにそれが成れば天下を譲り渡すことに何の躊躇いもない。
ちらりと秀吉が信長を見る。信長は大きく頷いた。
「及第点――いや、それ以上だ。猿の語ったところで大体合っておる。見事だ猿。褒めてやろう」
将軍の懐具合や、時期尚早と考え敢えて神の存在を出さずにぼかしたこと。
推察を披露するという体で他の者に上手く説明してみせたこと。
信長が評価したのはそれらの点だ。
「勿体なき御言葉。されど某はたまさか、皆様が知らぬことを知れただけで……」
そしてこの返し。
どこを評価されたのかは分かっているだろうに、推察の部分について謙遜してみせている。
つくづく出来る奴だと思いつつ信長もその通りに話を進める。
「だとしてもだ。というか運良くと言うのなら犬千代もそうだろうが。見てみろあの間抜け面を」
全員の視線が利家に注がれる。
利家は寝ていた。秀吉の話が長過ぎたのだ。
「ま、あれは置いておくとして……納得したか権六?」
「はっ。しかし……」
「気になるわな。一体誰と、何と戦うのか――呪いだよ」
「の、呪い……?」
「この国は開闢以来、忌々しい呪いにずーっと縛り付けられておる。それを倒さねば未来はない」
守人の一族の話は聞いていたが、彼らのしていることは所詮一時凌ぎというのが信長の見解だった。
封印強化のため、何人もの姫が犠牲を強いられて来た。
中には自らの意思でこの国を守るために身を捧げた者も居たのだろうが大半違うはずだ。
人間はそこまで美しくは在れない。蓄積された無念が、怨念が、いずれ封印を食い破るだろう。
只人であればまだしも生贄にされたのは神すら封印してのける女の血族なのだから。
であれば今だ。今しかない。破格の男が草薙の剣を手にした今しかチャンスはない。
ここを逃せば葦原が破滅より逃れる可能性は潰えてしまう。
「呪いを打ち破れるのは殿下のみ。事が成ればその名は未来永劫、国が続く限り語り継がれよう」
そんな男から正式に国を譲られるのだ。
普通に天下を統一するよりも、よっぽど美味いぞと信長は笑う。
「仔細は天下統一が成った後、改めて説明するから今はこれで納得しておけ」
「はっ」
「時に信長様。書状はもう一枚あるようですが……」
「ん? おお、そう言えばそうだな」
秀吉に言われ、すっかり忘れていたもう一枚の書状を開く。
内容を検めた信長は――――
「ふ、ふふ……フハハハハハハハハ!!! 何とまあ、実に“持っている”男だよお前は!!」
俺の部下が本物の武田信玄と本物の上杉謙信だったので上手く使ってください。
書状にはそう記されていた。
感想で言われるまで100話いったの気付いていませんでした。
どうせならキリの良いとこで100話を迎えたかったのですが……まあしょうがないですね。
このような作品ですがこれからもお付き合い頂けると幸いです。




