Episode7.発覚
「敵についての説明は一通り終わったが……疲れたか? 少し休憩がてら隠れ家を案内しよう」
「あ、はい」
イグニスが立ち上がったのを見計らってシンシアも腰を上げる。
紙に書かれたことを見るためにずっと前屈姿勢だったからか、背中と腰が痛かった。
先に進むと、先ほど通ったのと全く同じ、鉄の扉が2枚あった。横開きのそれをイグニスは両手であける。
「あの、この部屋ってなんだか特徴的ですよね。なんでこんな構造なんですか?」
「ん? ああ、これは俺たちが来る前からあった乗り物なんだ。うちの科学者によると昔はこれが地下をはしっていたらしい。来る途中に鉄の長い棒が敷かれてただろ、あれの上をこの巨大な乗り物の車輪が滑っていたんだ」
「こ、これが乗り物?! きょ、巨大な馬車みたいなものですか? な、なにが引っ張ってるんですか? これかなり重いですよね?」
声を上擦らせて矢継ぎ早に尋ねると、イグニスがおかしそうに吹き出した。
何故笑われたのか見当もつかないシンシアはびしっと固まってイグニスの笑顔を凝視する。
明るいところで見ると彼の顔はとても整っている。オニキスのような漆黒の黒髪は短いけれどさらさらだし、濃い赤の瞳も涼やかだ。彼の無表情は冷たい印象を与えるけれど、笑うと一気に雰囲気が和らぐ。物語に出てくる王子様ってこんな顔じゃなかったっけ、と思ったところでシンシアは我に返った。――何こっぱずかしいこと考えてるんだ私は!
「あ、あの、何かおかしなこと言いましたか?」
「くくっ、いや、あんた本当に興味あること聞く時はすっげー目輝かせるんだなって思って。一瞬犬耳と尻尾が見えた」
「な゛っ! い、いけませんか! 気になるでしょ普通!」
「別に悪いとはいってねぇよ。好奇心が強いのはいいことだ。……そうだな、俺も詳しくは知らんが少なくとも引っ張って動かすものじゃないらしい。動かし方が分かれば移動式隠れ家なんていう面白いもんになるのにな」
「それは確かに面白そう……あれ、こっちの部屋は全然雰囲気が違うんですね」
「ああ、手前2部屋が会議室、その次の2部屋が調理場と倉庫、その奥の8部屋が寝室その他だ。ここの部屋と次の部屋は座椅子が邪魔だったんで外した」
イグニスが案内したのは調理場と呼ばれた部屋だった。といっても高めの長テーブルに石焼き釜、バケツに入った水が何杯もあるだけの簡易的なものだ。
部屋の半分ほど奥には座椅子が残ってあり、低めのテーブルがその前に設置されている。多分食事をするところなのだろう。
調理場と食事処には10数人の人たちがいて、いずれもイグニスに会釈してはシンシアを興味深げに凝視した。
「隊長、その子が例の……。まだ目が赤くないんですねぃ」
「ああ、噛まれる前に助けたからな。だが記憶操作されてないってことはまず間違いなくジョーカーだ」
「ほぉぉ、その子もうちに来るんですかい? うちはもうジョーカー様3人もいるじゃないですかぁ」
「この地区は吸血鬼の数が多いからな……ジョーカーは3人でも4人でも足りないくらいだ」
「へぇ、戦えねぇあっしにはそこら辺はよくわかりませんなぁ。ま、精々バケモン共をぶっ殺してくだせぇよ」
一番手前にいた男がねっとりとした声でイグニスに問いかける。最後の言葉がなんだか嫌みっぽく聞こえたが……。
ひょこひょこと不思議な動作で男が調理しに戻ると、イグニスは再び歩き出しながら小声で話しかけた。
「彼は最近足を悪くして戦闘員から除外されたんだ。今は慣れない厨房の手伝いをやっている。戦う意欲はあるのに戦えない彼も辛いものがあるんだろう。お前にも嫌みを言ってくると思うが、気にしないように」
「戦闘員から外された……ここには吸血鬼と戦わない人もいるんですか?」
「当然だろう。女子供老人は隠れ家に残り、寝食の世話や武器の整備、負傷者の治療などを担当してくれている。彼らは非戦闘員だが、我々が万全の状態で戦えるよう全力を尽くしてくれているんだ」
そうまっすぐな目で言うイグニスはどこか誇らしげだ。
戦える人間は戦い、戦えない人間は戦う人達を隠れ家でサポートする。それって……。
「なんだか、家族みたいですね」
「家族……くくっ、253人の家族か。俺もずいぶん大所帯だな」
「えっ、この隠れ家そんなに人がいるんですか?! ど、どこに!」
「お前な、時間を考えろ。ほとんど全員奥で寝てるよ。ここに残ってんのは朝の仕込みをするやつらだ」
「そ、そっか……」
全員寝てる、と言われ反射的に声を小さくする。ああ、でもあの厚い鉄扉で仕切られてるんだからほとんど聞こえないか……。
もう深夜を回っている時間帯だろうに、眠気は全く来ない。色々なことが起こりすぎて身体が興奮しているのだろう。
「だから今日は次の部屋までだ。それが終わったらさっきの部屋に戻って説明の続きをする。それとももう寝るか?」
「いえ、まだまだ気になることがあるので説明してください」
「わかった。はぁ……ま、朝は回らないようにしないとな」
「す、すみません」
自分の目が冴えているとはいえ、イグニスがそうとは限らない。しょんぼりと俯くシンシアの頭をイグニスは軽く撫でた。
次に案内された部屋には人2人分が歩けるスペースを残して木箱が積み上げられていた。中身を聞くと、ほとんどが保存のきく食料だという。確かに253人もの人が身を寄せて生活するのだから、食料は大量にあってしかるべきだ。
色々なものがあるからか、他の部屋よりもにおいが気になる。奥まで一応見た後は引き返そうと思い足を早めたら、奥の方の扉から誰かが出てきた。
「ひっ……ば、化け物!」
なんだこの皮がたるんだ生き物は! 咄嗟に人ならざるものと判断したシンシアは自身の剣に手をかけて警戒態勢に入った。
自分の背の3分の2ほどもある体長、くぼんだ瞳に真っ白な眉と髪、顔中の皺、乾ききった細い手足、前歯のない口……ん? あれ……?
「に、人間……?」
「く、くくっ、ば、化け物、化け物って……!」
隣でイグニスが腹を抱えて爆笑している。そんな笑い方もできるんですねイグニスさん、とシンシアの冷静な心が突っ込んだ。さっきのイケメンな笑い方の方がシンシアは好きだった。
人間(……らしきもの)はひどく遅い足取りでイグニス達の方まで歩いてくると、妙に大きな声で喋り始めた。
「イグニィス! おかえりぃ! 無事だったかぁい?」
声から判断するに、女性の方らしい。近くで見れば確かに人間の面影が見える。……っていう言いぐさはあまりに失礼か。
しかしなんだこの皺の数は。一体幾つ年を重ねればこんなに皺を刻めるんだ。50歳以上の人間をほぼ見たことがないシンシアは、目の前の“老女”にひたすら驚いていた。
「たぁいへんな任務だったってねぇ。もうわたしゃ心配で心配で、眠れなかったよ!」
「心配してくれてありがとう! 俺は怪我一つしなかったよ!」
老女に負けず劣らずの声量で返すイグニス。一文字一文字区切って読む様は、耳がよく聞こえない人に聞かせる話し方だ。
そうか、耳がよく聞こえないのか。じゃあさっきの化け物云々も聞かれていなかったかもしれない。シンシアはこっそり胸を撫で下ろした。
老女はイグニスの言葉にうんうんと頷くと、シンシアに目を向けてきた。
「こっちが保護した子かい? うん、うん、中々の別嬪さんじゃないかい! 女の子を連れてくるのは初めてだねぇ。イグニスもそろそろ嫁をもらわんとね、いい歳なんだから!」
「何言ってんだ母さん。そういうのじゃないから。そもそもこいつは男の子だからね」
「かっ、母さん?!」
シンシアは驚きのあまり、自分が男に間違われていることに気付くのを忘れた。
このしわくちゃ人間がイグニスの母? に、似てない。いやもう似てる似てないの話じゃない。
シンシア自身も晩年の子だったから、自分が17の時父が51だった。だがイグニスはどう見ても20代。この老人、相当年を食っているように見えて実は50代そこそこ? それとも超晩年になってから産んだ子がイグニス?! 50歳ギリギリの時の子供とか……なんという熟年ラブ!
頭の中であれこれ推測してひとりきゃあきゃあやっているシンシアをよそに、老女とイグニスの間では新たな誤解がうまれていた。
「まっ、義母さんなんて! お前どこまでやっちゃったんだい? しかし堅物でちぃとも女の子に興味がなかったお前がねぇ……。もうじき孫の顔が見れるかねぇ!」
「ちょっ……まてまてまて! こいつとは今日あったばかりっ、というかな、こいつは男なんだって! ほら胸だってこの通り……」
50歳という熟年夫婦のベッド事情にまで推測を膨らまして顔を赤くしていたシンシアの、小ぶりな胸にイグニスの手が伸びた。
「まったい――――ん?」
少し緩やかな服を着れば完全に隠しきれる、小さな、しかし一応の柔らかさがある胸を、確かめるよう揉んだ。
「ま」
老女は両頬に手のひらを押し当てて乙女のように顔を赤くした。
「――――」
シンシアは、いつもの癖で、身体を大きくうねらせた。
固く握った右の拳と共に。
バレるパターンの王道っちゃ王道ですよね。
胸へのお触りか、お風呂でばったりか、どっちかにしようと思ってました。




