Episode14.化け物の片鱗
残酷な描写あり。ご注意ください。
「お待ちかねの味見ターイム!」
ぱちぱちぱちと、屋敷の豪華な部屋に一人の拍手が虚しく響いた。ふざけた声音にイグニスは目の前の伯爵をぶん殴ってやりたい衝動に駆られたが、両手首を折られ念入りに縛られている今の状態では不可能だった。
レジスタンスからの救援はおそらく期待できない。伯爵の屋敷は他の吸血鬼の屋敷とは少し外れたところにあったが、騒ぎが起これば他の吸血鬼が駆けつけられる距離だった。そんなところに、レジスタンスが突入できるはずがない。
伯爵の隙を突いて殺すにしたって同じことだ。もたもたして外に騒ぎがバレでもしたら他の吸血鬼の餌食になる。
イグニスが助かるには、一人でここを切り抜けること、20分以内に屋敷を出ることの二つの条件をクリアする必要がある。
両手が使えず、武器もない状態で? 絶望的な状況に、イグニスは思わず笑ってしまった。
これは本気で、自害を検討した方が良いかもしれない。
「んー? なにが可笑しいのかな、ジョーカー君」
「別に……あんた、新参者なんだろ? その割には良い屋敷持ってるじゃねぇか」
「あ、ここ? ここはねぇ、俺よりも弱い同族が住んでた屋敷なんだ。貸してーって言ったら貸してくれた」
「嘘吐け。どうせ殺したか、無理矢理明け渡させたんだろ」
「殺すなんてそんな物騒なことしないよ。掟で同族殺しは厳禁ってなってるしね。僕たちは人間に比べて数が少ないから、助け合いが大事なんだよー。君が刺した地方の雑魚くんにも餌場の情報をあげたでしょ?」
「……胸糞悪いなお前。で? 結局どうやって前の吸血鬼を追い出したんだ?」
「そりゃあ勿論……ってダメダメ。君もしかして時間稼ぎをしようとしてる?」
イグニスの意図を悟った伯爵は、一瞬困った顔つきになると、今度は慈愛たっぷりに微笑んでみせた。
同族すら簡単に見捨てるこの吸血鬼に慈愛なんてものがあるはずがない。その満面の笑みは気味悪いものにしか映らなかった。
「いくら時間を稼いだって君の仲間は助けに来ないよ。そういうところ結構ドライだよね。まぁ、だから100年も存続できるんだろうけど」
「……んなこと百も承知だ」
確かにこれは時間稼ぎだったが、仲間を待つためではない。
自分一人でいかにしてこの場を切り抜けるか、頭の中で策を立てるためだ。
「そう? でも悲しまないでいい。君は僕に味見をされた後、フェルナンド様に作り替えてもらう。ぜーんぶ忘れて第二の人生。それも次の君は支配層だ。きっと期待できると思うよ?」
「へぇ、そりゃ楽しそうだな。もう臭い飯も食わなくってすむし、熱い風呂にも入り放題。ビクビク隠れて暮らすレジスタンスとは天と地の差だ。で? そういうお貴族様の暮らしに憧れて転向した俺の友達は何人いるんだ?」
「んふふー。こんな状況でも情報収集頑張っちゃう君には感服するねー。でもそれは君にも言えませーん。だぁいじょうぶ。皆幸せに暮らしてるよー」
案外口が堅い伯爵にイグニスは舌打ちをした。確かにこの状況下で洗脳されたジョーカーの数を知っても、持ち帰れる自信はなかったが。
この豪勢な部屋の中には伯爵とクリーチャー5匹がそろい踏みしている。イグニスのすぐ後ろに1匹、吸血鬼の後ろに2匹、窓のそばに1匹、扉の横に1匹……分散しているのが厄介だ。
イグニスがクリーチャーに目を配っているのが分かったのか、伯爵は笑顔を崩すことなく問いかける。
「君の能力でどうにかできると思ってる?」
「…………」
「知ってるよ。対クリーチャーなら最強だよね、発火念力って。元が木偶人形だから、燃える燃える。君に木偶人形燃やされてムカついてる吸血鬼って結構いるんだよ? 僕もそんなことされたら、死なない程度に痛めつけちゃうかなぁ」
ここまで自分の武器を知られるのはかなり不味いのではないか、と思わないでもないが、イグニスの特殊能力は隠すには派手すぎる。
こんな風ににやにやと「全部分かってる」という顔をされるのは心底癪だが、今更だろう。
イグニスの特殊能力――発火念力は、視界に映るものであれば何にでも火を付けることができる能力だ。
ただし単に火を点けるだけであるので、例えば目の前の吸血鬼一匹まるごと燃やすのであればそれなりの燃料がいる。例えば油や酒を全身に浴びせるか、あるいは火薬をぶつけて吹っ飛ばすか。……要するにこの能力は、対吸血鬼になると条件が難しすぎてあまり役に立たない。
その代わり対クリーチャー相手にならかなり使い勝手の良い能力だといえる。クリーチャー自体が木でできているので炎の回りが早く、特に何もせずとも燃えるからだ。もちろん水をかぶせられれば消化されるが。
「クリーチャー全部を燃やせたとして、僕を倒せる? 万全の状態ならともかく、武器取られて腕折られて縄と鎖で縛られて……僕が君なら大人しく投降して吸血鬼の側につくよ」
「そりゃそうだろ、お前ならな。――だが俺はお前じゃない。お前みたいな臆病な奴とは違うんだよ」
「……はぁ?」
伯爵の声が今までになく低くなった。イグニスは唇の端をあげて更にたたみかける。
いいぞ。挑発して、こいつを怒らせろ。この男の性格なら怒ればおそらく、血の吸い過ぎという“事故”に見せかけてイグニスを殺そうとするはずだ。多くの血を飲めば、きっと――。
「レジスタンスなんて人間の集まりだぞ。そんなか弱い存在に対して、随分と警戒するじゃないか。この間は10日も待ったのか? 万全の状態じゃ敵わないと思ったわけか、臆病だな。今回も今回で、7日も使ってやったことといえば、仲間を囮にして俺の背後を狙うこと。情けないな。何故正面から向かってこなかった。ああ、そうか。お前実は自分に自信がないんだろ」
「……なにわけわかんないこと言ってんの」
「自分の実力で俺たちに敵うか自信がなかったから奇襲という方法に出た。仲間を簡単に見捨てて見下した物言いをするのは、そうすることでしかちっぽけな自尊心を保てないからだ。悲しいもんだな。そこまでビクビク警戒されると可哀想になってくる。俺らはそう強い化け物でもないんだから、そんな怯えずに堂々と……」
「――――黙れよ」
「ぐっ……」
片手で首を絞められイグニスは言葉を詰まらせる。普通の人間であれば首の骨が折れててもおかしくない握力だ。下手な挑発文句だったが相手の理性を奪うには十分だったらしい。
伯爵は「どいつもこいつも」「まるで分かってない」「僕は臆病なんかじゃない」「こうしてジョーカーを捕まえることだってできた」「他の奴らがバカなんだ」「僕は臆病なんかじゃない」とブツブツ念仏のように唱えると、急にキレた顔に引きつった笑みを浮かべた。
「お腹減ったな。ぺこぺこだ。空腹で空腹で、力加減間違えても仕方ないよね。うん。こんなやつが吸血鬼側に回るとか死んでもやだし。第二の人生なんて送らせてたまるか。あーもうむかつく。あーもう、あー」
「ぐ、ぁ、……っ、……が」
まずい、怒らせすぎてこのまま絞め殺されるか? イグニスはぎりぎりと締まる首に藻掻きながら伯爵を凝視した。
伯爵がにぃ、と不気味に笑むと、彼の瞳が赤色に変わり、口からは鋭い牙がのぞいた。吸血の合図だ。どうやらちゃんと血を吸ってくれるらしい。
イグニスが覚悟を決めて息を止めた、と同時に首と右肩の付け根部分に強烈な痛みが走る。
「――――ぃ」
牙から毒が流れ込む。噛まれた部分から細胞が攻撃され、死にかける。皮膚の舌を氷が滑っているような感覚。死にかけた細胞が抗い、回復していく。熱が生まれる。氷が滑った後を焼き鏝が踏み荒らしていく。吐き気がする。痛い。めまいが。頭痛い。壊れる。破裂する。氷。死ぬ。内臓に到達する。死にかける。冷たい。回復する。熱い。痛い。死ぬ。なんで死なない。かいふくする。しにかける。しなない。かいふくする。しにたい。しねない。かいふくする。かいふくする。かいふくする。もうやめてくれ。かいふくする。かいふくする。
――『どんな人だったのかねぇ』
「っ!!」
毒の苦痛からイグニスを救ったのは、何十年も前の母の言葉だった。最愛だった父を忘れてしまった母。父との思い出を何一つ語れず、困ったように笑った母。
イグニスの瞳から透明なしずくが一つ落ちた。――ああ、そうだ。自分はまだ死ねない。殺さなくてはならないやつがいる。やらなければならないことがある。
気を抜けば毒が生み出す死と再生の世界に引きずり込まれそうだったが、イグニスは自分の復讐心を必死に焚き付けて耐え抜いた。
今度は自分の毒が相手を殺すまで。
「……? あ、れ……? この、味……っ」
「はっ……はっ……今更、気付いたか。まぬけ」
「この味は……お前、なんで!」
ごぽり、と。
伯爵の口から大量の血が塊となって零れる。それは生物としての反射活動だった。体内に入った、致死性の毒を排出しようという。
イグニスの足下に崩れ落ち痙攣する伯爵は、まだ信じられないのか己の吐き出した血とイグニスの顔を交互に見た。
「なん、で、吸血鬼の血と同じ、味……っ」
「はっ、さぁな。効果だけじゃなく味も同じなのか? 生憎飲んだことはないんでね」
「そ、うか……人間じゃ、ないな、お前……ジョーカーは……っ」
――『あんた、人間じゃない』
――『その通り、そいつらは人間じゃない』
シンシアに初めて会ったときの会話を、どうして今思い出すのだろう。あれは、確かに吸血鬼に向けて言ったものだったのに。
人間じゃ、ない。吸血鬼も――ジョーカーも。
ああ、また化け物の片鱗を見つけてしまった。
「燃えろ!」
主人である吸血鬼が倒れたことで、クリーチャーが一斉に敵を排除しようと動き出す。
その動きを読んでいたイグニスは目の前の2体を凝視し、発火念力を使った。目の奥で一瞬火花が散りこめかみ部分が熱くなる。
ぼっ、と音を立てて2体の胸から直径1メートルほどの火が上がり、木の肌を伝って全身を包んでいった。
それを最後までみることはできなかった。イグニスの背後にいたクリーチャーが彼の目を危険と判断し、鋭い爪で顔面を切り裂こうとしたからだ。
イグニスは縛られた身体を捻るようにして後ろを振り向く。
クリーチャーの爪がイグニスの右目にあたり、容赦なく抉った。
「ぐっ、ああああああっ!!」
脳髄を焦がす痛みに怯むことなく振り返りきったイグニスは、残った左目で件のクリーチャーを捉え、発火させた。
炎に包まれながらも攻撃しようとするそれを、唯一自由になる足で思い切り蹴り飛ばした。
窓まで吹っ飛び垂れ下がっていたカーテンに火が移っていく。
イグニスから一番距離があったドアと窓のクリーチャー2体は、イグニスに攻撃する前に目で捉えられ、火だるまになった。
片目になったことで多少対象捕捉を誤り部屋に数カ所小火を作ってしまったこと以外は、イグニスの計画通りだ。
「はぁ……はぁ……くっそ、痛ぇな……」
計算外なのは、思った以上に牙の毒が強烈で歩くことすらままならないこと。能力の使いすぎもあってこのまま燃える部屋で昏倒しそうだ。
吸血鬼やクリーチャーと一緒に火葬か、それはさすがに嫌だな。無理に唇を引きつらせて笑ったイグニスは、縛られたまま立ち上がりふらふらと窓へ近づいた。
他の痛みですっかり忘れていたが、手首を折られていた。動く度に縄や鎖が折れた部分にあたり鈍く痛む。
ああ、それよりも今は窓だ。どうやって、開けようか。
手、使えねぇし、な。
「あー……くそ」
冷たい窓に額を押し当て、身体を支える。支えきれず、ずるずると膝から崩れ落ちた。
吸血鬼も、クリーチャーも、倒したのに。窓が開けられずに燃え死ぬとか、バカじゃねぇのか。我ながらアホみたいな最期だ。
「誰か、助けにきてくんねぇかな……」
「だれもこないっていったでしょ」
声に驚いて振り向けば、背後に立っていたのは伯爵だった。美麗な顔を歪な笑みにゆがめ、口から血を垂れ流している。両目の焦点が少しも合ってない様子は、完全に狂人のそれだった。
毒が効いていないわけではない。挑発して、奴を死に追いやるほど飲ませたはずだ。……飲まなかったのか?
ああ、そうか。イグニスは嘲笑った。
「ひよったか、お前」
結局コイツは最後の最後まで、プライドなんてものはなかった。慎重に慎重を期して、イグニスの血を少ししか飲まなかったのだ。
慎重で、狡猾で、とても臆病な吸血鬼の爪が、イグニスの首へと伸ばされた。
更新遅れました。代わりといってはなんですが、いつもよりボリューミーです。
今回はイグニスVS伯爵の攻防。イグニスさん両手首折られて右目抉られて毒食らって……満身創痍ですね。13話目にして準主役がピンチ! 展開早い気がする。
割と前からお気づきかもしれませんが、Episode6~8の説明回でシンシアには伏せられていたことが今回の章はちょこちょこ出てきます。
例えば吸血鬼にとって同族の血は猛毒であること(Episode12)とか、ジョーカーは眠らなくても生きられる(Episode10)とか、ジョーカーの血は吸血鬼の血と同じ味・効能である(Episode13)とか。
これは説明回で説明するの忘れたのではなく、意図的にシンシアに隠されていたことです。まだまだあります。特にジョーカーはブラックボックスです。
次回はヒーローは遅れて参上する、シンシア一行が奮闘します。多分。
クリーチャーは全部燃やしたし、後は瀕死の吸血鬼一人なんだよなぁ。なんというか、救出しがいがなさそう。もうイグニス自力で脱出しろよ、這ってでも。




