141.影狼狩り
名もなき男、通称マニは恐れおののいていた。
ルクティア教会所属の裏工作員13番。それが彼に与えられた名前であり、番号。影狼隊とも呼ばれる。
教会の威光を広く世界に知らしめるため、時には賄賂で懐柔し、時には奇跡を捏造し、時には手を血で汚してでも人々を教会に従わせてきた。
すべては偉大なる光の神ルクティアのため。
マニは狂信的なまでに神を信奉していた。
神の名を広めるためには教会も必須。
自分は今まで正しいことしてきたと信じ切っていた。
そう、今までは。
空が赤く染まる夕暮れ時。
王都を囲む外壁の門を出たところで、ローブを深く被ったマニは亜空間を呆然と眺めていた。
一見、やせ細ったみすぼらしい男なので、誰も気には留めない。
「なんだ……あれは……」
裏の仕事をしてきた男だけに、直感していた。
――やばい、あれはやばい。
見たことのない、巨大な黒い立方体。
自分には無関係のはずだが、嫌な予感が止まらない。
グレートボアをタイラントボアにする薬を渡しただけであり、この黒い立方体には一切関係がないはずだった。
でも悪い可能性を感じずにはいられなかった。
本来ならタイラントボアを倒したヨアネスを出迎えて、偉業を称えるだけだった。
そして教皇国がヨアネスを勇者に任命する。
あとは魔王っぽいものを捏造すれば、フォルティス王国は勇者の偉業を認めざるを得ず、ヨアネスが次期国王になるだろう。
王位継承権は失ったとはいえ、王家の血筋なのは間違いないのだから。
教会の威光に従わず、勝手なことばかりする今のフォルティスを頭から改革できる。
そんな簡単な仕事のはずだった。
観察を終えたマニは、急いで宿泊している宿へ向かった。
粗末な個室に入ると、隠してあったバッグから水晶玉を取り出す。
それを使って本国へ連絡を取った。
透明な水晶玉の中に、禿げあがった老人の顔が映る。痩せているが狡猾な表情をしている。
司教として高い地位を表す紫のローブを着ていた。
「どうしたのです? 13番。予定にはまだ早いはずですが」
「異変が起きました。どうか神の御言葉でお導きください」
「なにがあったのです?」
「巨大な、見上げるほどに巨大な黒い立方体が現れました」
「はぁ? 意味が分かりませんね? ……何か関係があるのでしょうか?」
「……勘です。嫌な予感がします。薬が関係しているかもしれません」
「それだけでは、どうにもなりませんね……しかし裏工作が発覚したら厄介です。バレそうなら証拠隠滅を優先しなさい」
「それが……ヨアネス王子と薬は、その立方体の中でして……冒険者たちの話を聞いたところでは、亜空間とやらになっているそうです」
「なんですって! ――原因はわかりませんが、作戦は失敗したと考えた方が妥当でしょう。できる範囲で証拠隠滅したら、すぐに本国へ戻りなさい」
「わかりました。――ルクティア神に栄光あれ!」
マニが目を血走らせて叫んだが、司教はうざったそうに顔をしかめた。ただし手の動きだけは信者に施しを与えるかのように、円形の印を切る。
それから水晶玉の映像は途切れた。
マニはすぐに荷物をまとめ上げると宿を引き払った。
騎士団詰め所近くの酒場に入ると飲食をしながら聞き耳を立てる。
騎士たちがよく利用している酒場なので、世間話程度だが最速で情報が手に入る。
ヨアネスと薬を処分できるかどうか状況を確認してから逃げる予定だった。
皆の関心事はやはり突然現れた亜空間。
人々が自説を開陳しつつも、休憩に来た騎士には現場の状況を尋ねる。
マニはちびちびと酒をなめるように飲みつつ、話を確かめた。
――と。
時間が過ぎて、すっかり日が暮れた頃。
マニは、亜空間が人の手ではどうにもできそうにないと結論づけた。
もうヨアネスと薬の後始末は諦めて逃げようと考えた。
その時、店の入り口に二人組の男女が現れた。
一人は冒険者風の男。もう一人は修道服を着た女。
協会関係者の出現にマニは緊張した。
内心を悟られないように冷静を装いつつ、何気なく視線を逸らして酒を飲む。
同じルクティア教とはいえ、フォルティス王国の信者は教会本部の威光に従わない異端。
マニにとっては敵に等しかった。
しかし今はことを荒立てる状況ではなかった。
荷物を手元に引き寄せつつ、そ知らぬふりで帰り支度をする。
ところが、修道服を着た女がマニを指さした。
男がうなずいてまっすぐにマニへ向かってくる。
マニはコップを持ってテーブル席から立ち上がると、まるで酒のお替りでも貰いに行くように店の奥へと向かう。
その背に冒険者の声が飛んだ。
「マニだろう? 待て」
マニは待たずに、無言で走り出した。瞬時に最高の速度となる。枯れ枝のような体躯からは想像もつかない速さ。
開けっ放しの扉を通って厨房へ行く。店の人たちが騒いだが無視して駆け抜けた。
裏口へ出て細い路地へ入って、さらに駆ける。
マニは走りながらチラッと振り返る。
二人組の姿は見えない。耳を澄ませても走る音もしない。
追って来ていない様子だった。
闇に紛れて走ることにかけては得意中の得意。
……もう追いつけはしないだろう。
そう考えたマニは緊張が少し緩んだ。
しかし同時に疑問も湧き出た。
――だが、どうしてわかった? しかも姿だけでなく、名前まで知られているとは!
何の証拠も残してこなかったはずだ。一体どうやって見分けたんだ!?
マニは知らなかった。
リリシアの探知と指眼鏡をもってすれば、チート級の発見率になることを。
マニは後ろに注意を払いつつ路地をさらに走った。
次第に王都を囲む高い外壁が見えてくる。
門は閉まっているはずなので、壁を超えるつもり。
ただの壁を超えるぐらい、マニにとってはたやすい仕事だった。
ところが路地の終わりかけのところで真上から大きな影が襲い掛かった。
「うわっ!」
マニは咄嗟に身をよじったが肩口に重い衝撃が走る。
見れば路地の出口に真っ白い犬がいた。ただの犬ではなく、馬車ほどもある大きさ。
驚き戸惑っている隙をつかれてしまい、犬は地面を蹴ってのしかかってくる。
巨体のせいで路地の横幅いっぱいになっており、マニには逃げ場がなかった。
地面に押し倒されて、巨大な前足で押さえつけられた。
犬の背から可愛らしい少女の声が聞こえる。
「アレクさま~、こっちこっち」
マニは眼前の犬の顔に恐怖していた。鋭い牙の並んだ巨大な口。
白い毛かと思いきや、よく見れば銀光を発している。
「犬じゃない――フェンリル――ッ!」
フェンリルが唸りながら訂正する。
「聖獣ホワイトファングだ」
「嘘だ、フェンリ――」
「ホワイトファングだ」
「フェン――ぐえっ」
フェンリルは前足に体重をかけて男の言葉を遮った。
しかし力が強すぎたのか、マニは意識を失ってしまう。
一見、死んだように見えた。
もふもふの背中にいるテティが咎める声を上げる。
「あー! なにやってんのさー、殺したらダメじゃん!」
「ふふん、何を言う。我がそのようなミスをするとでも? ちゃんと手加減は心得ておる。荒事は得意なのでな」
「生きてるんだ。じゃあいいや」
話しているとアレクとリリシアが傍へ着た。
「フェンリル、テティ、うまくやったな。お手柄だ」
「えへへ~、がんばったよ。アレクさまっ」「おさは上に乗っていただけだがな」
「なにさー、可愛いってだけで存在する価値があるんだからっ」
「まあまあ二人とも。よくやってくれたよ。さあ、連れて行こう」
「はーい」「わかった――む?」
重々しく答えたフェンリルだったが、なぜか一歩も動こうとしなかった。
もふもふした背中に乗るテティが首を傾げる。
「どうしたの、フェンリル?」
「……路地に挟まって動けん」
「それでよく『荒事は得意だ、ふふん』なんて言えたよね」
「うぐっ! おさよ、言ってくれるな」
フェンリルは恥ずかしそうに耳をぺたっと伏せてしょげかえった。
その様子がおかしくて、アレクたちは思わず笑った。
◇ ◇ ◇
夜の王都。
王都の北に位置するお城の中を、俺はリリシアを連れて歩いていた。
ふかふかの絨毯を靴裏に感じる。
これから王様と会う予定だった。
俺は広い廊下を歩きながら顔をしかめる。
「しかし困ったな」
「ですね。偶然とは言え、亜空間なんてものができてしまうとは思いませんでした」
「いや、そっちじゃない。たぶん勇者に戻れと言われるはずだ」
「え? どうしてでしょう?」
「亜空間には食料がないそうだからな。獣を倒しても霧みたいに消えるらしい。だから一刻も早く助け出さないといけない」
「はい、そうです?」
「ルクティア教皇国に行ってラーナの宝珠をもらう必要があるが……普通の手続きでやりとりすると時間がかかる。偉い人にあって話を伝えて宝珠の受け取りを了承してもらう必要がある」
俺が顔をしかめたまま言うと、リリシアが目を丸くして驚きの声を上げた。
「――ああ、なるほど! 普通の手段では返事をもらえるのに早くても一週間はかかりますね」
「しかも教皇国はフォルティスをよく思っていない。陰謀を仕掛けてくるぐらいだ。のらりくらりと返事を遅らせてくるかもしれない」
「亜空間は教皇側の仕業ではありますが、肝心の物的証拠は亜空間の中ですものね。むしろ宝珠を渡さなければ決定的証拠がいつまでたっても手に入らないので責任を追及されない、まであります。――それで勇者に?」
「そう。勇者なら相手が王や貴族であってもアポなしでいきなり会うことができる。もし魔王退治で至急相談する必要が出たときに、のんびり面会の手続きをしてるわけにはいかないからな。勇者の特権の一つだ」
「なるほど……早急に事態を解決するには勇者に復帰してもらうのが一番ですね……ご主人様は乗り気じゃない様子ですが」
「やりたくないな。魔王を倒さなくちゃいけなくなるし、リリシアとも別れることになってしまう」
俺はため息とともに言った。
魔王がいないならまだしも、すでに会ってしまってる。
リリシアも悲しそうに整った顔を曇らせた。
「何か良い方法はないのでしょうか……」
「今はまったく思いつかないな。なんとか誤魔化せる方法はないか、考えてみるよ」
「はい、わたくしも考えますわ」
リリシアがしなやかな指先で、俺の手を握ってきた。
無言のまま、思いを込めて握り返すしかなかった。
そうして話しているうちに城の奥にある目的の部屋へと着いていた。
王様は謁見の間ではなく別の部屋にいたのだった。
俺はノックして来訪を告げた。
遅くなってすみません、久々の更新です! 50万字突破ヽ(・∀・)ノ
そして明日、7月15日に2巻が発売されます!
大幅改稿した上に、書き下ろし短編「勇者の弟子」も掲載!
イラストも素晴らしいです! ぜひ紙でも電書でも、お買い求めください!
詳しくは、割烹にて。ラフもあり。
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/483280/blogkey/2826147/
次話は近日更新
→142.亜空間対策会議




