53 帰るべき場所
湖の中央に聳える魔王城に向かって湖畔から十字に伸びる四つの橋には、それぞれ城壁から跳ね橋が下りており、一般の者でも自由に城に出入りする事ができる。
ただし一般の者が入れるのは中央に有る中庭部分と、そこから二階へと上がる階段から行ける行政区画までとなっている。
行政区画では、税金の徴収から小さな相談事まで様々な部署が用意され、町の民に寄り添った運用が成されていた。
その行政区画の端に用意された会議室の一つでは、主席行政官ロネ・オンスと次席行政官ウルト・ルース、主席司法官デルク・ロトの三人が、ハンナとリーザからネクトの町の状況を聞き取り、改善策を検討していた。
「思った以上に大変な作業になりそうですが、生活に困窮する下級ハンター達を、動員出来れば何とかなりそうですね……」
「そうだな。国庫にはまだまだ十分な資金もあるし、各町からも人手は確保できるだろう……そうすれば二年後にはある程度の形が出来るだろう。後はその都度調整していくしかなかろう……」
ウルトのほっとした様な声に、ロネが苦笑いを浮かべて同意する。
朝一番でデルクから昨夜のリュウとの会談の内容を知らされたロネは、魔王の決定とあって前向きにネクトの町の状況改善に、ウルト以下の行政官達と検討に入った。
だがハンナからネクトの町の状況を聞くにつれて生半可な対応では焼け石に水だと分かり、ロネとウルトは頭を抱えた。
中でも問題は人材の確保であったが、同席していたリーザからオーグルトで生活に困窮する下級ハンター達が居る様に、他の町からもそういう人達を募ってみたらどうかとの提案を受け、ようやく具体的な調整へと話が前に進んだのであった。
「リーザ・アメット。君がこの場に居てくれて助かった。我らだけでは専門的な人材の事ばかりで、ハンターを補充要員に充てる事など思いも付かなかった」
「全くです。職人の所の次男坊、三男坊とか、そんな事ばかり頭に浮かんで……」
ロネがリーザに感心した目を向けると、ウルトもまた同様の目を向け、ガリガリと頭を掻いた。
ロネはデルクと同年代だが、ウルトは十才以上も若く、まだ三十そこそこであり、リーザを見る目は感心しただけでは無さそうである。
「いえ、単なる思い付きです……リュウ様だったら『職人さんが統括するなら別に他で余ってる人を使えば良いじゃん?』って言いそうだなぁって思って……」
「あっはっは、リュウ坊なら言いそうだねえ。さすがリーザは良く見てるよ」
行政官のトップの二人にそんな目を向けられて、リーザが少しくすぐったそうにしながらもリュウを例えに出して謙遜すると、ハンナが笑ってうんうんと頷く。
「こ、これ! リュウ殿をリュウ坊などと――」
「あ、いえ、違うんです。リュウ様が気に入って、ハンナさんにそう呼んで欲しいと仰ったんです」
だが、そんなハンナのリュウの呼び方に驚いたロネが、ハンナを窘めようとすると、すかさずリーザが事情を説明した。
「そ、そうか……なら私がどうこう言う話では無いな……」
「それよりも長々と引き留めてしまって済みませんでした。後は我々の方で細かい話を詰めていきますので、どうぞ昼食になさって下さい」
リュウが望んだと言われてロネが納得すると、ウルトが代わってリーザ達に礼を言い、遅くなってしまった食事を勧めた。
「はい。ではこれで失礼致します」
「お役人様、どうかネクトの町をよろしくお願い致します」
そうしてリーザとハンナは会議室を後にしたが、ウルトは未だぼんやりとリーザが出て行った扉を見つめている。
「はぁ……あんな綺麗な人居るんですねぇ……あ~、リュウ殿が羨ましい……」
「馬鹿な事言ってないで、メシにするぞ。人選に各種物資の手配……やる事が山積みなんだからな。で、デルクは本当に自ら赴くのか?」
ため息混じりにリュウを羨むウルトに呆れるロネは、食事を促しつつ退室しようとするデルクに声を掛ける。
「陛下の勅命なのだ。第一陣に同行して、真っ先に陛下の意向を伝えねばならん」
「そうか。ならば第一陣の準備が出来次第、すぐに伝えよう」
「分かった、頼む」
そうしてデルクとロネは頷き合うと、肩を落とすウルトと共にそれぞれの部署へと戻って行くのだった。
遅い昼食を済ませたリーザとハンナが東階段に向かっていると、前方からジーグがやって来るところであった。
ジーグは東の端にある魔導士詰め所への用事を済ませ、戻るところだったのだ。
「会議が長引いた様だな……食事は済ませたのか?」
「はい、魔王様。これから部屋に戻るところです」
声を掛けて来たジーグに綺麗なお辞儀を返すリーザは、ジーグの表情が悩んでいる様に見えて、少し戸惑いを覚えた。
「そうか……リーザ・アメット、済まぬが少し時間をくれぬか?」
「はい、分かりました。ハンナさん、先に休んでいて下さい」
だがジーグの申し出をリーザはにこやかに承諾すると、ハンナに断りを入れて先程まで食事していた小食堂に戻り、ジーグと小さなテーブルセットに腰掛けた。
給仕の者が二人にお茶を出して恭しく頭を下げて去ると、ジーグは言い難そうに口を開く。
「その、な……もう、今後の事は考えておるのか?」
「あの、今後とはどういう……」
「明日にもリュウとアイス様は旅立とうとしておる……それについての事だ」
「はい……その、リュウ様に付いて行けたら……と、思っておりますが……」
ジーグにこの先どうするのかと問われ、リーザは途切れ途切れに答える。
「迷っておるのか?」
「い、いえ……ただ先程の会議で、宿屋の後継者が居ない間はハンナさんが戻って宿屋を取り仕切る事が決まってしまいまして……」
その彼女らしくない答え方にジーグが静かに問うと、リーザはその理由を話した。
「なるほど。そなたはハンナとも別れたくはないのだな?」
「ハンナさんは私の大切な恩人なのです。ハンナさんが居なければ、私はリュウ様が訪れるあの日まで、ずっと闇の獣の慰み者だったかも知れません……」
そしてリーザは、ハンナが如何に自分にとって大切な存在であるかを語る。
「そうであったか……済まぬ事を聞いた。だが、それならば尚の事リュウと行くのは止した方が良いのではないか?」
「……」
予想だにしなかったリーザの過去を聞いて、ジーグは驚くと共に、昨夜のリュウの行動に納得も出来た。
リュウがハンナを大切に思うリーザの気持ちを理解しているならば、リュウとてリーザが残っても文句は言うまい、そう思うジーグだが、リーザはきゅっと唇を噛んで俯いてしまった。
「リュウはこれから戦いに身を投じる事となるのだ。相手は我らでは到底歯が立たぬ武器と戦力を有しておると聞いた……ならば、如何に優れた治癒術士であろうとも、そなたはリュウの足枷になるのではないか?」
それでも敢えてジーグは、リーザがリュウと行動する事での懸念を口にする。
ジーグは五年前にやって来た美しい少女を良く覚えていた。
それは、その美貌もさることながら、その少女が明るく聡明であったからだ。
そしてその少女は更に美しく理知的な女性に成長していた。
そんな優秀な人材を、万が一にも失う様な事にはしたくなかったのだ。
「わ、分かってはいるんです……アイス様やミルク様、ココア様がいらっしゃれば私の居場所は無いのかも知れないと……でも、あ、愛してしまったんです……」
リーザは俯いたまま、自身もどこかで不安に感じていた心の内を明かした。
だが、それでもリュウと一緒に居たいと思う心をどうにも出来ず、膝の上で固く握り締めた拳の上に大粒の涙を落した。
「ふむ、それは構わぬ……むしろ喜ばしい事だ。だが一緒に付いて行く事だけが人を愛する事ではあるまい? リュウの帰るべき場所を作ってやる事もまた、愛する者へしてやれる事なのではないか、と余は思うのだがな……」
「帰るべき場所……」
そんなリーザを見るジーグの目はいつになく優しい。
リュウ達との縁が切れない様にとの自身の願望も含まれていたが、ジーグの言葉はリーザの迷える心に一筋の道を示した様で、リーザはポツリと呟いた。
「いや、まぁ、奴はいずれこの星を去るやも知れぬのだが……んんっ、それでも帰るべき場所があれば、決して無意味な事ではあるまいよ……」
自分らしくないお節介に照れたのか、余計な事を口走ってしまうジーグは、慌てて咳払いで誤魔化すと再びリーザに優しく語り掛ける。
「ありがとうございます、魔王様……よく……考えてみます……」
そんなジーグに涙を拭いながらリーザは席を立つと、深々と頭を下げた。
「うむ。考えた結果がどうであれ、これ以上は余も口は挟まぬ……それではな」
ジーグは座ったまま大きく頷くと、退室して行くリーザを見送った。
「ふぅ、慣れぬ事はするものではないな……リュウに恨まれねば良いのだが……」
ジーグは大きく息を吐くと、独り言ちながらティーカップに手を伸ばす。
そして、茶を一息に飲み干すと国王の顔に戻り、優雅にマントを翻して小食堂を後にするのだった。
リーザが部屋に戻るとハンナの姿は無く、リーザは隣の部屋へと向かった。
だが隣の部屋にはリュウが居るはずで、リーザの足取りは重い。
今、リュウ様の顔を見たらきっと泣いてしまう……そう思ったリーザは足を止め、胸に手を当てて数度、深呼吸を繰り返す。
「おや、早かったねぇ……何だったんだい? 魔王様の話は……」
意を決して扉を開くリーザであったがリュウは居らず、ハンナが床に座ってボスを撫でていた。
ボスの背にはミルクがうつ伏せでモフモフを堪能している。
「え、ええ……その話はまた後で……それよりミルク様、リュウ様は?」
リュウの不在にほっと安堵するリーザであったが、ちょっと席を外してるだけかも知れない、と幸せ満喫中のミルクに尋ねた。
「お疲れ様です、リーザさん。ご主人様は気分転換してくると言って、出て行かれましたよ?」
「そ、そうなのですね……ではアイス様も?」
「いえ、アイス様はリズさんとエンバさんと一緒に町へ出てお買い物です。ココアが一緒に付いて行ってますので、連絡ならすぐに取れますよ?」
「そうなんですね……あの、私達も中庭に下りませんか? ボスも連れて……」
「そうですね、ご主人様もいつ戻るか分からないし……行きましょうか。ボス、人を驚かせちゃダメだからね?」
「バウッ」
自分達以外は当分帰って来ないのだと分かったリーザの提案を、断る理由も無いミルクとハンナはボスを連れて部屋を出る。
そして最後に部屋を出たリーザは、扉を閉めながら深く吐息を漏らす。
リーザはリュウと顔を合わせるまでに、気持ちを整理する時間が欲しかったのだ。
「ボス! ほら、お庭に行きますよ~」
少し廊下を先に行った所で、ミルクが立ち止まったボスに声を掛ける。
だが、振り返ってリーザを見るボスは動かない。
リーザが自分の命を恩人だと理解しているボスは、リーザから何かを嗅ぎ取ったのか、リーザが自分の下へとやって来るまで、じっと心配そうに見守るのであった。




