39 魔王
日の光差す白亜の廊下を、精悍な顔つきをした男がカツカツと革のブーツを鳴らしながら颯爽と歩いている。
ただその眉間には皺が寄り、機嫌は良く無さそうな四十代半ばの男。
漆黒のマントを靡かせてやや大股で歩くその姿は、どうやら急いでいる様だ。
その後ろから、フォーマルに仕上げた革のジャケットとズボンに身を包んだ初老の男が、叫びながら駆け寄って行く。
「陛下! お待ち下さい! 陛下!」
そう声を上げて駆け寄る男は精悍な顔立ちながら髪の半分程が白く、顔に刻まれた深い皺は、その男の苦労を物語っているかの様だ。
だが陛下と呼び止められた人物はその歩みを止めず、廊下の終わりに近い扉の前でようやくその足を止め、マントを翻して振り返り、一喝する。
「待てぬ! 人間族如きにこれ以上、好き勝手させてなるものか!」
この人物こそが魔人族数十万人を統べる魔王、ジーグ・レガルト・アデリアその人であった。
「しかしですな、陛下……何もお一人で行かれなくても――」
「分かっておる! だからこうして、此処に来たのであろうが!」
ようやく追い付いた初老の男が汗を拭きながら言い募るのを遮って、ジーグは声を張り上げながら、すぐ傍の扉に両手を掛けて押し開く。
ジーグが入ったのは、質素ながらも小綺麗にされた五メートル四方の部屋。
部屋の隅にはゆったりとくつろげるテーブルセット等が置かれているが、中央には何もなく、魔王の来訪を分かっていたかの様に十二名もの男女が六名ずつ、やや中央を空けて二列縦隊で整列していた。
彼らは魔王に仕える王属魔導士であり、ここは彼らの詰め所であった。
因みに奥には更に広い部屋があり、彼らの鍛錬の場となっている。
「皆、状況は把握しておるな?」
「はっ、陛下。我ら全員、準備は出来ております」
ジーグの問いに、左列手前の男が答える。
彼らは魔王が部屋に入った時から、一度たりとも頭を下げない。
これは如何なる有事の際であろうと変わる事は無く、敬愛する魔王の言葉に即応する為であり、逸早く魔王を守るべく異変を察知し対応する為だ。
「カリス、飛翔の風は習得できたか?」
ジーグは魔導士達を見渡し、左列の一番奥に立つまだあどけなさの残る顔立ちの少年に声を掛ける。
「い、いえ……まだです……」
カリスと呼ばれた少年は緊張したのか僅かに顔を赤くし、俯き気味に答えた。
「そうか……精進せよ。では、オウル以下六名は余と共に来るが良い」
「はっ!」
カリスの返事に頷くジーグは、右列の六名に同行を命じる。
「ブレア、後を任せる」
「お任せを!」
「では、行くぞ!」
そしてジーグは左列手前の王属主席魔導士であるブレアに一声掛けると、右列の六名を連れて部屋を出る。
「陛下! どうか、無茶はなさいませぬよう! クリフ様、お気を付けて!」
ジーグ達が詰め所を出て廊下の端に向かうと、外で待っていた初老の男が追従しながら悲鳴に似た声を掛ける。
「無用な心配だ、ギーファ。茶でも飲んで待っておれ」
「爺、大丈夫だ! 行って来る!」
ジーグは廊下の端のガラス張りの扉を押し開けると、面倒臭そうに答えながら町が一望できる石造りのテラスへと足を踏み入れ、それに続く魔導士達の最後尾の青年が初老の男に笑顔で答えた。
その青年は王属魔導士ではなく、第一王子のクリフ・レガルト・アデリアである。
そして詰め所でジーグにカリスと呼ばれた少年は、カリス・レガルト・アデリア、アデリア王家の第二王子であった。
二人はやがての王国の担い手として、今は王属魔導士の下で魔法の腕を磨いているのだ。
ジーグがテラスからふわりと浮き上がり、そのまま滑る様に東へと飛翔する。
すると次々に魔導士達が、魔王の後に続く。
皆が無詠唱で空中に躍り出る中、クリフだけが「飛翔の風」と一言呟き、皆の後を追う。
空中を翔ける七人を、侍従のギーファが一人テラスで見守っている。
「はぁ……行ってしまわれた……心配無用と言われましても、いつもどこかしらお怪我をされてお戻りになられては、しない訳にはいきませんぞ……陛下……」
愚痴とも取れる内容だが、普段の血気逸ったジーグの無茶な行動を脳裏に浮かべて呟くギーファ。
彼は、今日こそは陛下が傷一つ無く帰られます様に、と天に祈りつつ、やれやれと肩を落とすのだった。
戦闘の気配が収まった事で、リーザ達はエンバを先頭にして城壁の外へとやって来ていた。
「あ……車両が……」
アイスの悲しそうな声の先には、自分達をここまで運んでくれた車両が、大木に激突して大破していた。
そしてその付近に敵と思われる男が二名、無残な姿で転がっていた。
「居た、リュウ様だ……ご無事の様だ……」
そう遠くない木々の中にリュウの気配を感知したエンバが告げると、皆一様に安堵の吐息を漏らし、リュウの下へと向かう。
その時、リュウは木の根元に座る泣き止んだ男と話していた。
「マーベル王国?」
「ああ……そこに本隊の拠点があって、そこの鉱山に転移装置がある……」
リュウは、唯一生き残った男から情報を聞き出そうとしていたが、組織の末端でしかない男は大した情報を持っていなかった。
リュウは落胆するも、本隊の拠点に行けば行方不明のロダ少佐とドクターゼムに関する情報が得られるのでは、と考えていた。
そしてそこまでならば、この男を連れ帰ってもいいか、と思い始めていた。
「リュウ様! 良かった……」
「みんな……一応、済みましたよ。ただ……少し厄介な事になった、かな……」
そこにエンバを先頭に皆がやって来て、リュウは危機が去った事を伝えるが、生き残りの男をちらりと見て、ばつが悪そうな表情になった。
「ッ! 人間族! な、何故、生かしているのですか!?」
「リュウ様! どういう事ですか!?」
生き残った男に気付いたエンバとリズが声を荒げ、リュウはやっぱりな……と思うものの、そのままにする訳にもいかず、とりあえず二人を宥める事にする。
「まぁまぁ、落ち着いて。息ピッタリだなぁ……さすが、ガット夫妻!」
「う……」
リュウの緊張してない様子とその言葉に、二人の勢いが止まる。
エンバの後ろに半分隠れるリズの顔が赤くなっている。
「リュウ様……何か理由があるのですね?」
勢いを殺されたリズ達に代わって、今度はリーザがリュウに問い掛けるが、理由は分からなくとも理解しよう、というその姿勢に嬉しくなるリュウ。
「さすがリーザさんは……何だあれ……」
なのでリュウは歯の浮く様なセリフを言おうとするが、リーザの遥か後方、しかも上空に複数の人が浮いているのを発見して、間の抜けた声を漏らすのだった。
「余が出るまでも無かったか……既に追い詰めておるわ……」
五名の魔導士と王子を引き連れ空を翔けるジーグは、数名の魔人族が人間族を追い詰めているのを発見し、口元に笑みを浮かべた。
だが更に接近して木の陰に座る人間族を見つけると、その笑みを潜める。
「仲間を守っておるのか、笑止な……余が引導を渡してくれる!」
リーザ達から釈明を求められるリュウは、魔人族に追い詰められて仲間を庇って抵抗する人間族に見えなくもない、というか、ジーグにはそう見えていた。
「陛下! 我らにお任せを! どんな奇策が有るやも知れません!」
「ならぬ! 奴は余が仕留める! お前達はあの勇敢な者達を守ってやれ!」
オウルと呼ばれた魔導士がジーグの背後から忠告を発するが、ジーグはそれを聞き入れず、リーザ達の保護を命じると右手をリュウに向ける。
そして無詠唱で右手から氷の槍を次々と放ちながら、リュウへと突撃する。
「うお!?」
ぽかーんと空を翔ける人達を見ていたリュウは、突然の攻撃を咄嗟に躱した。
「みんな、伏せろっ!」
だが、次々に放たれる攻撃に、声を上げて防御態勢に入った。
背後からの攻撃とリュウの指示に、リーザ達は混乱しつつもその場に伏せる。
「人間族め、生意気な! ならば!」
自身の魔法が躱されただけでなく、次々と弾かれるのを見て、ジーグは腰から剣を抜き、そのままの速度で斬り掛かった。
「ちょ!? 待って! 待って!」
『ご主人様っ!』
魔法が止んだと思ったら今度は空中から斬り掛かられて、リュウは慌てながらも剣を躱し、咄嗟にミルクが盾を形成した事でそれを使って剣を弾く。
その間に地上に降り立った魔導士達が、伏せるリーザ達を避難させている。
「やるな、人間! だが、これならどうだ!」
「ッ!」
尽く剣を弾かれるジーグは、一気に踏み込むと横薙ぎに剣を振るった。
リュウは後方に剣を躱すものの、その剣が呆然と座り込むエルナダ兵を狙ったものだと気付くと、咄嗟に足を奔らせる。
ギィンという鈍い音と共に剣が蹴り上げられ、エルナダ兵の頭上を通過する剣は、その背後の大木に半ばまで埋まった。
「ぬうっ!」
「このっ!」
咄嗟に剣を手放し後方に逃れるジーグと、つい熱くなり反撃するリュウ。
そしてリュウの反撃スピードは、如何に魔王であろうと逃げる事は叶わない。
「リュウ様! ダメです!」
「魔王様!」
リュウに襲い掛かる相手が、敬愛する魔王様だと分かったリーザが咄嗟に声を上げ、魔王の危機に魔導士の一人がやはり声を上げた。
「えっ!? 魔王!?」
それらの声に驚くリュウの反射速度が攻撃モーションにブレーキを掛け、リュウはジーグの目の前で無防備な姿で止まってしまった。
そして飛び退りながら放ったジーグの魔法をまともに食らってしまう。
「リュウっ!」
炎というよりは爆発に近いそれはリュウの姿を掻き消してしまい、アイスが思わず叫ぶ。
が、煙が晴れて現れたのは、ちょっぴり黒く煤けた無傷のリュウ。
「何っ!? 不死身か!?」
それにはさすがのジーグも驚きを隠せぬ様子で、動きが止まっている。
一方のリュウは、額に青筋を浮かべて口元を引きつらせるものの、皆に背を向けてスタスタと大木へと向かう。
「さっきから……待てっちゅーとるだろーがぁぁぁ!」
そして憤懣やるかたない叫びと共にリュウの見事な右ストレートが放たれ、大木が一撃で轟音を上げてへし折られる。
それで一先ずスッキリしたのか、くるりと皆の方へ振り向くリュウが見たものは、魔王様を筆頭にあんぐりと口を開けて固まる魔人族の面々。
それに加えてアイスとエルナダ軍の男も同じ顔をしている。
『す、凄いですぅ……』
『あ~ん、痺れますぅ……』
そしてミルクは人工細胞のスペックを凌駕している主人に驚愕し、ココアは完全にうっとりしていた。
「魔王様! 覚えていらっしゃいますか? オーグルトのリーザです!」
そんな中、誰よりも早く動いたのはリーザだった。
彼女は叫びながらジーグの下に駆け寄ると、その足元に跪いた。
「む、リーザ・アメットであるな! 覚えておるぞ!」
リーザに声を掛けられ、ジーグはその美しい顔をすぐに思い出した。
それは五年前の評議会だったか、飛びぬけた美人が居ると思ったジーグなのだ。
リーザ程の美貌を持つ者は、魔都でもそうはいない為である。
「ありがとうございます、魔王様。どうか聞いて下さい……この方は、敵ではありません!」
リーザはにっこり微笑んで静かにジーグに話し掛けると、リュウの下に歩み寄ってその身でリュウを庇い、これまでの経緯を話し始めるのだった。




