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星を巡る竜  作者: 夢想紬
第二章
52/227

24 幻想の町

「へえ、やるじゃないか……あんた、治癒術士辞めても良い嫁になるよ……」

「そ、そうですか!?」


 ハンナが作業の手を止め、横で手際よく料理を手伝い始めたリーザを見て褒めると、リーザは嬉しそうに照れた。


「なんだい、満更でもなさそうだねえ……いい男が居るんだね?」

「いえっ、そういうんじゃないんですけど……気になってる方は居ます……」


 そんなリーザの姿に、ハンナはニンマリとした笑みを浮かべると、リーザは赤くなる顔を慌てて隠す様に俯き加減で答えた。


「ふ~ん、さっきの人間族の坊やかい……」

「えっ!? ど、どうして……」


 いきなり図星を突かれて、驚くリーザ。


「そりゃ分かるさ、普通は気になる人って言うだろ? あんたさっき、気になってる方って言ったじゃないのさ、だったらリュウ様って呼んでたあの坊やしか居ないだろ?」

「あ……」


 その理由を告げられて、本当だ、とリーザは自分でも気づかなかった言葉使いの違いに、また赤面した。


「何だい、何だい、ちょっとは良い女になったかと思ったら、あんな坊やに……まだまだだねえ……」

「う……そ、そうは言いますけど、リュウ様はヴォルフの群れを――」


 やれやれと肩を竦めてお手上げのポーズを取るハンナに、リーザは実例を以ってリュウの強さを聞かせようとするが、そんな時に厨房奥の扉がノックされた。


「おや、追加の食材かね……」


 そう言うとハンナは奥へ向かい、扉を開いた。

 ハンナが厨房の片隅を指差しながら何やら話すと、大きな箱を抱えた二人の男が入って来て、指定された場所へ向かう。


 リーザは慣れた手つきで料理を続けながら、その様子を眺めていた。


 男達はハンナと雑談を交わしながら、次々に箱を積み上げていく。

 ベストの前を留めず、ただだらしなくベストを羽織っている一人の男が、箱を積み終えて扉に向かおうとした時、男のベストが大きくはだけ、リーザの視線はその胸に釘付けになった。

 正確にはその胸に彫られた獣の入れ墨に、である。

 と同時に、男もリーザの視線に気付いたのか、扉に向かいながらリーザを見る。


 視線が合いそうになって、リーザは慌てて視線を外し、料理に集中する。

 いや、集中しているつもりなだけで、その慣れた手つきは無様に震え、料理をしているフリをしているだけだ。

 だがその甲斐あってか、男はリーザの髪から僅かに覗く横顔を見ただけで、扉へと消えて行った。


「相変わらず大した食材は手に入らないねぇ……リーザ? あんたどうしたんだい、真っ青じゃないか!?」


 食材の搬入を終えて戻って来たハンナは、先程と変わらぬ様に立っているリーザが、真っ青になって震えているのに気付き、駆け寄った。


「さっきの……人……や、闇の……獣……入れ墨……私、み、見たの……」


 リーザはハンナを見て、懸命に言葉を伝えようとするが、動悸が激しく唇が震えて途切れ途切れにしか言葉が出てこない。


「リーザ、しっかりおし! 仕方ない……よっと、ほれ、こっちにおいで!」


 リーザを叱咤するも、このままでは埒が明かない、とハンナは床の取っ手に手を掛け、力強く引っ張る。

 すると床板の一部が開いて階段が現れ、ハンナはリーザの手を引いて階段を降り始めた。

 ある程度階段を降りたハンナは、階段脇の紐を引く。

 すると今度は開かれた床が紐で引かれ、パタンと音を立てて閉じ、辺りは真っ暗になった。


「灯れ」


 暗闇の中でハンナの声がすると、辺りがぼうっと明るさを取り戻した。

 ハンナが手に持つ魔光石が光を放っているのだ。


 魔光石とは、光の魔法を封じ込めてあり、その命じる内容によって明るさを変えられる、魔人族にとっての懐中電灯みたいな物だ。

 ただ、その明るさが明るい程、消費する魔力が大きくなり、使用時間が短くなってしまう。


「あ、あの、ハンナさん……」

「今は問答してる場合じゃないよ。ほら、しっかり付いて来るんだよ!」


 明かりが灯った事で僅かに心に余裕ができたリーザは、ハンナがどういうつもりで自分を連れて地下に降りるのかを聞こうとしたが、ハンナの迫力に負けて言われた通りに後を付いて行く。


 階段を降り、その先に有る扉を潜ると、そこは下り坂の通路になっていた。

 リーザはいつの間にか、ハンナに背中を押される様にして、通路を下っていた。


「あの、ハンナさん、ど、どうして下へ逃げるんですか? それに、他のみんなにも知らせないと……」

「いいから、おいき。他のみんなは、あたしに任せておきな」


 通路の終わりに有る扉を前にリーザは振り返ってハンナに尋ねてみるが、ハンナはリーザに先を促し、他の仲間への連絡を請け負うのみだ。


「で、でも……」


 逃げる理由を話してくれないハンナに、リーザは不安を覚えた。

 覚えたが、問い詰める事ができない。

 もしも……そう考えると恐ろしくて言葉がまるで出てこないのだ。


 そうしてリーザが迷う内にも、ハンナによって押される様に扉は開かれ、リーザは扉を潜ってしまっていた。

 そして、同じく扉を潜ったハンナは、その背にした扉を閉じる。


 ギィィと軋みを立てた扉がバタンと閉じられた瞬間、リーザの体に震えが走る。


「どうして扉を閉めるんですか? み、みんなに知らせてくれるんじゃ……」


 恐る恐る、震える声でハンナに尋ねるリーザの目に、じわりと涙が溜まっていく。


「リーザ。五年前、あんたはあんな目に遭ったのに、よく立ち直ったよ。そして、心根の優しいとっても良い子だよ」


 リーザの問いを無視して、ハンナは昔を思い出す様に優しい声で話し始めた。


「でも、馬鹿な子だよ……三年前に会いに来てくれた時も言ったろう? もうここに来てはいけないと……なのに、あんたって子は……馬鹿な子だ……」


 そして、悲しみに満ちた声で、警告に気付かなかったリーザを憐れんだ。

 「闇の獣」がこの町で生活している、そんな情報が洩れてはこの町は破滅だ。

 それを阻止する為ならば、例え娘の様に思っている者であっても、見逃す訳にはいかないのだ。


「そんな……嘘……ハ、ハンナさん? ど、どう……して……」


 これ以上溜められない涙がリーザの頬を伝う。

 ついさっき脳裏をかすめた信じたくない想像が、現実のものになろうとしている、それが今のリーザには信じられない。


「十五年前、大きな飢饉があったのさ。魔都も他の町も皆、自分達を守る事で必死だった。その中でも小さく貧しいこの町は最悪だった――」


 リーザの涙を見て、ハンナがポツリポツリと話し始める。


 そのほとんどを山と森で覆われた、大陸「人の地」の西側半分を占める魔人族領。

 山脈を避けて作られた街道は、大陸北西端の魔都から南下し、大陸南西端で大きく曲がると、北東に伸びて大陸を東西に分ける中央山脈に消えていく。

 中央山脈の中央、大陸のほぼ中心に位置する場所は切り立った断崖になっており、そこに人間族の領土と繋がる唯一の街道が通っているからだ。


 魔人族と人間族の争いが終わり、互いに不干渉となって久しい両者ではあるが、脅威を事前に察知する為に、街道に町が作られた。

 およそ二週間の行程という間隔で作られた町であるが、大陸南西部の土地は農耕に適さず、ネクトの町に移り住んだ人々の生活は容易では無かった。

 だが、ネクトの町は北と東を繋ぐ要所であった為、魔都は可能な限り援助した。


 しかし、十五年前に起こった飢饉により、それぞれの町は自分達の生活の維持で精一杯となり、辺境のネクトは多数の死者を出した。

 そんな状況を見かねた者達が、生きる為という大義名分の下に、街道を通る者を襲い、略奪された物資を受け取った町はそれを黙認してしまう。

 そして、それに味を占めた者達は、飢饉が去っても略奪を止める事は無く、発覚を恐れる町は事件の隠蔽に手を染めていく。

 こうして大陸南西の地に神出鬼没な「闇の獣」が誕生し、現在まで猛威を振るっているのであった。


「五年前、あんたは運が良かったのさ。あんたが逃げたから始末しろと、すぐにあたしの所にも連絡が来たさ。だけどその時、宿にはバナンザに帰還する一団が居てね、その規模の大きさに「闇の獣」も手出し出来なかったんだよ……」


 ハンナが何かを諦めたかの様に、「闇の獣」と町の共生関係を暴露する。

 だがリーザはその話を聞いて、ハンナに情状酌量の余地が有ると考えた。

 極度の怯えが、ハンナと争いたくない想いが、正常な判断を狂わせ、稚拙な解決策に縋ったのだ。


「じゃ、じゃあ、ハンナさんは闇の獣じゃ無いんですよね? ただ、町の人で……し、仕方なく手伝わさせられていただけなんですよね? だったら――」

「はん、あたし達がどれだけの死体を処分してきたと思ってるんだい……仕方なく手伝ったと言った所で、魔王様が許すなんて事は有り得ないのさ……」


 何とか事情を説明してハンナの罪を軽くしてもらおう――

 そんなリーザの思い描く甘い幻想は、吐き捨てるかの様なハンナの言葉に無残にも砕け散る。

 そうなった事で、現実に引き戻されたリーザは、説得は無駄なのだと思い知る。

 だからリーザは腰のナイフを抜くが、悲しくて悲しくて涙が止まらない。


「そんな……いえ、分かりました。ハ、ハンナさん、そこをどいて下さい。私は本気です……」

「リーザ、あたしを殺せるのかい? そんな震えた手でさ……」


 涙を流しながらも両手でナイフを握りしめるリーザを見て、ハンナはリーザが戦う事など出来ないと見抜いていた。

 あれは構えているのではない、少しでも震えを抑えようとしているのだ、と。


「こ、殺したくないっ! ハンナさんの真実がどうでも、私にとってハンナさんは、恩人なんですっ! だ、だから、せめてそこをどいて下さいっ!」


 涙でくしゃくしゃになった顔で、リーザは叫ぶ。

 ハンナの真実を知っても、リーザがハンナを大好きだった事に偽りなどない。


「この期に及んでもあんたって子は……」


 過酷な人生を歩んできたハンナにとって、未だナイフを振るわずにいるリーザは、反吐が出る程甘いと言わざるを得ない。

 だが、それが自分を傷付けたくないからなのだと思うと、ハンナの胸にも来るものがあった。

 そんなハンナの耳が、複数の足音をリーザの背後に捉えた。


「けど……ちょっと遅かった様だねぇ……」


 ハンナの言葉を理解するよりも早く、リーザの耳にも足音が聞こえる。


「ひっ! こ、来ないでっ! お、お願いだから、来ないでぇぇぇっ!」


 喉が引き攣れる音を漏らしながらリーザは振り返ると、やって来る男達に向けて叫ぶ。

 無言のまま近づいて来る男達に、震えながらもナイフを構えるリーザ。

 そのナイフがピタリと止まる。

 ハンナが背後からリーザをそっと抱きしめ、ナイフを持つリーザの手に自分の手をそっと重ねたからだ。

 そしてリーザの耳元で優しく囁く。


「リーザ、お止し。せめて辛くても悲しくても……生きておくれ……」


 囁かれた瞬間、リーザを絶望が満たし、ナイフがぽとりと落ちた。

 両脇にやってきた男達がリーザの腕をそれぞれ抱えると、ハンナはそっとその身を離した。


「ハン……ナ……さん……あ……あぁぁぁぁ……うわぁぁぁぁ……」


 両腕を抱えられたリーザは首だけを回しハンナを見る。

 ハンナの泣きそうな顔に、リーザは辛うじて名前を口にしたが、その後はまるで子供の様に泣き出していた。


 リーザが泣き出すのを見計らったかの様に、男達は歩き出す。

 力無く引きずられながらリーザが連れて行かれる。

 ハンナはリーザの泣き声が聞こえなくなるまで、その場に留まっていた。


「本当に馬鹿な子だよ……リーザ……いや、人の事は言えないねぇ……」


 最後にポツリと呟くと、ハンナは来た道を戻らず、別の通路へと姿を消した。

思った以上に暗い終わりになってしまった…。

次回はもっとかも…(笑)


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