24 消滅
ヨルグヘイムが高笑いしたのを見て、リュウは最後の命令を発した。
一刻も早く主人の命を救いたいミルクの想いは主人の体を一筋の光に変え、指先を鋭利に強化したココアはその勢いのまま右手をヨルグヘイムの背後から突き込んだ。
そして正確無比なココアの突きは、ヨルグヘイムの三つのコアを掴み取っていた。
「う……ぐ……」
ブルブルと震える手で、突き出た拳に触れようとするヨルグヘイム。
だがその前に拳は引き抜かれ、ヨルグヘイムの手は空を切った。
そしてぽっかりと空いたヨルグヘイムの胸と背中から、白い霧の様なものが漏れ出し始める。
「や、やった……のか?」
『今、手の中に三つの玉があります! 恐らくこれがコアかと!』
腕を抜いた勢いのまま、数歩下がって警戒するミルクとココア。
リュウは一か八かの突撃がまさかこんなにあっさりと決まるとは思わず、半信半疑でポツリと呟き、ココアは興奮した声で答える。
「馬鹿な……こんな……ネズミ如きに……」
霧が溢れ出す程に、その輪郭がぼやけていくヨルグヘイム。
檻の中から真紅の竜の姿でアインダークが、大窓からエルシャンドラとアイスが、そしてヨルグヘイムのすぐ後ろでリュウ達が、霧となって霞んでいくヨルグヘイムを驚愕の表情で見つめていた。
「ぐあっ!? な……何が……あぐぅぅぅ!」
突然、体の制御をミルクに任せ痛覚が消失しているはずのリュウが苦しみ出す。
右手に生じる耐えられない痛みが握っている三つのコアのせいだと感じたリュウはココアに拳を開いてコアを捨てさせようとするが、ココアが開いた拳にコアが無い。
「があっ! な、何で……中に……」
『ココア!』
『ダメ! 姉さま、コアを止められない! 触れられないの!』
右手首が中から燃える様な痛みに、リュウはどうする事もできないでいた。
それどころか、激しい痛みは肩へと移動しているのだ。
リュウはヨルグヘイムから奪った三つのコアが、腕の中を移動しているのだと理解せざるを得なかった。
そしてその進行を食い止めようとしたココアは、コアに人工細胞が近寄れない事に困惑していた。
その時、リュウの前に立ち込めていた霧がリュウに襲い掛かった。
『そのコアは渡さぬ!』
強烈な思念がその場に居た全員に聞こえる。
が、リュウは苦痛でそれどころでは無く、霧に覆われる。
「ああああああっ!」
『ご主人様っ!』
全身を焼け付く様な痛みに襲われ、絶叫するリュウ。
困惑するミルクが呼び掛けるその時、リュウを光が包み込む。
「アイス! 結界を!」
「は、はい! 母さま!」
エルシャンドラがリュウを霧から守る為に大窓から竜力を操り、アイスは力を掻き集めて必死に羽ばたき、結界のスイッチを切ると力尽きて床に落ちた。
『おのれ! よくも!』
霧はエルシャンドラの光に弾かれるとリュウに纏わりつくのを諦めたのか、大空洞の天井に開いた穴へと集まり、外へと向かって行く。
「リュウ!」
「ヨ、ヨルグ……ヘイムを……」
結界が解除されて駆け寄るアインダークに、リュウは脂汗を垂らしながらも何とか言葉を絞り出した。
霧になったとは言え、それがヨルグヘイムなのは明白だ。
リュウはこのまま放置すればヨルグヘイムが復活するのではないかと思ったのだ。
「任せよ! エルシャ!」
アインダークは、リュウの言わんとするところを正確に捉えていた。
アインダークにしてみても、ヨルグヘイムの現在の状態は星巡竜にはあり得ない事から、星巡竜を屠れる未知の脅威と認識する以外に無い。
そしてそんな存在を許すアインダークではない。
アインダークはリュウに頷き、霧を追って穴へと飛び込む。
「アイス、リュウ、すぐに戻ります。それまで頑張るのですよ!」
そう言ってエルシャンドラも大窓を飛び出し、アインダークの後に続く。
『ご主人様っ! もう限界です! 修復に入ります! ココアも修復を!』
『はい!』
「ううっぐ……コア……取ってくれ……」
霧を追ってアインダークとエルシャンドラが天井の穴に消えたのを見て、ミルクが負傷の治療に能力のほとんどを費やし、ココアもそれに倣う。
だが未だミルクに体の制御を預けて感覚が無いはずなのに一向に激痛が収まらず、リュウはコアの除去を願う。
『無理なんです! 人工細胞でコアに触れられません!』
「マ……ジか……よ……」
三つのコアはリュウの肩を通過し、胸へと向かっていた。
ミルクは修復優先度の低い箇所から人工細胞を集めてコアを堰き止めようとしたが、油に弾かれる水の様にコアが近寄ると人工細胞が逃げてしまい、その進行を止められなかった。
そうこうしている間に、三つのコアはリュウの胸の中心に到達してしまった。
「ぐあぁぁっ! コ、ココアっ! 抉り出せぇっ!」
『できませんっ! そんな事したら死にますっ!』
先程までとは比較にならない強烈な痛みに滝の様な汗を流すリュウは、体の制御をミルクに任せている為にのたうち回る事も出来ず、ココアにコアの排除を命じる。
ココアはその滅茶苦茶な命令にリュウがそれ程までに苦しいのだと理解はしたが、当然そんな命令を実行する訳にはいかず、拒否するしかなかった。
そしてミルクは苦しむ主人を何とか楽にしようと、人工細胞を無理矢理コアに集中させた。
その行為に人工細胞はコアを覆う様に集まるがコアに接触する事は出来ず、三つのコアを中心に浮かべる人工細胞の球体が形成されてしまった。
「う……何だ? 急にだいぶ楽になったぞ……」
『本当ですか!? ご主人様!』
「ああ……マジで楽になってきた……」
『よ、良かった! 本当に良かったですぅ!』
『姉さま、やりましたね!』
『ありがとう、ココア!』
ミルクの措置が功を奏したのか先程の痛みが随分と緩和され、リュウは驚くと共に心底安堵する。
ミルクとココアも明らかに様子が良くなった主人を見て、その声色が明るいものに変わっていく。
だがそれも束の間、先程よりも大きな揺れが大空洞を揺るがし、天井がパラパラと崩れ始めた。
「ま、まずい! ミルク! アイスの下に出来るだけ急いでくれ!」
『は、はい!』
「走れよ、ミルク!」
『む、無茶言わないで下さい!』
『ご主人様、自重して下さい! 姉さまだってギリギリなんです!』
大空洞の天井が崩落し始める中、リュウは一人観測室で倒れているだろうアイスを想い、ミルクに指示を飛ばす。
腹部を筆頭に、緊急を要する箇所へ優先的に人工細胞を使うミルクとココア。
当然、砕けた肋骨など痛みは有っても緊急性の低い損傷は後回しだ。
それでも現在の主人の損傷具合は明らかに人工細胞が不足しており、いつ予想外の箇所から出血するかも分からない状況だった。
そんな薄氷を踏む様な心境のミルクに、痛みから解放された主人の無茶振りが炸裂し、ミルクは既に半泣きだった。
それでもミルクはココアと協力し、主人の体に負担をかけない様に進んで行く。
だが大空洞の揺れは激しさを増し、遂に本格的に天井が崩れ始める。
再び激しく揺れ始めた研究施設の地下通路で、ロダ少佐とドクターゼムは天井から落ちるパネルを避け、移動を余儀なくされていた。
「ドクター、大丈夫ですか? もうすぐです!」
「こんな状況じゃ、どこに逃げても変わらん気がするがの……」
「まぁ、そう言わずに。こちらです」
ブツブツ言うドクターゼムを宥めつつロダ少佐が誘導した場所は、ヨルグヘイムが設置した転移装置のある場所だった。
確かにここであれば簡単に天井が崩れる様には見えないし、崩れてきても階段下に入れば少なくとも天井の直撃は避けられる。
ロダ少佐はそこで施設の揺れをやり過ごそうと考えたのだが、ドクターゼムは中央の池に興味を引かれてしまった様だ。
「なんじゃこれは……」
「分かりません。危険じゃないですか? 近寄らない方が……」
「お!? 見ろ少佐! 池の様なのに沈まぬぞ!?」
「本当ですね、こんなに水面が揺れているのに、縁からこぼれもしない……」
ロダ少佐の心配をよそにドクターゼムは池に入り込み、少年の様にはしゃぎだす。
そんなドクターゼムに釣られてロダ少佐も池に入り、不思議そうに水面を眺めた。
「む!?」
「なんじゃ!? 足が抜けんぞ!?」
「ドクター! 掴まって下さい!」
「ぬおぉ! しょ、少佐! わしは泳げんのじゃ――」
気付いた時には遅かった。
池の周囲の三枚の石板が輝き出し、二人が再び足を抜く事は叶わなかった。
そうして転移装置は、慌てる二人を静かに飲み込んでいくのだった。
地上ではセグ大佐のレーザー攻撃が失敗に終わった後、予想外の展開を迎えていた。
研究施設の崩壊に伴い、辛くも生き残ったゼオス中将によってレジスタンスに条件付きではあるが、停戦の申し入れが成されたのだ。
その内容とは、
一、研究施設からの研究員救出の間の戦闘停止
二、戦闘停止に伴う、政府軍の移動禁止
三、レジスタンス撤退に於ける追撃禁止
以上がゼオス中将からハイム総司令に告げられた内容である。
要は研究員を全員救出するまではレジスタンスに不利益な行動は取らず、更に安全に撤退する事も認めるという訳なのだが、レジスタンスにしてみれば、ふざけるなと言いたくなる内容である。
この内容ではレジスタンスの利点は無いに等しい。
現状維持のままに見える戦闘停止は、救出活動が長引けば長引く程、敵地に留まる回復手段の無いレジスタンスに不利であるし、一見利点に見える撤退に於ける追撃禁止も二度と同じ状況など作れる訳が無く、撤退してしまえばそこで終わってしまう。
しかしこの提案が成された事で、レジスタンスの動きは止まってしまっていた。
それは何も、レジスタンスの首脳部が提案の是非を議論していたからでは無い。
最も救出現場に近かった、政府守備隊の半数が救出活動に当たったからである。
人命を救う為に数を減らした守備隊を攻撃して国政運営部を落としたとあっては、人民の為に立ち上がったというレジスタンスの根幹が崩れかねない。
だからと言ってここで撤退してしまっては、独裁政治に終止符を打てない。
そして守備隊を無視して国政運営部に向かう事は、守備隊が許さないだろう。
そういう訳で、レジスタンスはゼオス中将の提案を保留にしたまま、事実上の戦闘停止に陥っているのであった。
地上で政府軍とレジスタンスが睨み合う中、エルナ山の通信施設内の竜力貯蔵設備では、ヨルグヘイムが残った竜力を掻き集めていた。
霧状だったヨルグヘイムは、今はぼんやりとした人型となっている。
『おのれ……おのれ……』
ブツブツと呪詛を吐きながら、ヨルグヘイムは竜力を吸い上げていく。
だが肝心のコアを失い、その吸収は安定しない。
そして、その行為もここまでだ。
何故なら、アインダークとエルシャンドラの気配を感知したからだ。
『おのれ……何とか楽な女の方を食らわねば……』
ヨルグヘイムはそう呟くと、再び霧となって通信施設を出ていく。
穴を抜け、山頂に出たアインダークとエルシャンドラは、人の身のまま更に高度を上げて周囲を警戒する。
「奴の気配が分からぬ……コアを失ったせいか?」
「あの霧の状態だと、視認も難しそうですわね……」
「それにしても、戦争をしていると言うには静かだな……」
「騒がしいのは、あの大きな建物の周りだけですわね……」
空中で背中合わせになりながら、周囲を注意深く観察する二人。
セグ大佐に戦闘支援を頼まれていたアインダークは、周囲の静けさを訝しんだ。
エルシャンドラが見ているのは、眼下の崩壊する研究施設だ。
やがてアインダークの瞳が、自分達が出て来た穴の傍にある建物から、うっすらと霧が立ち上るのを捉えた。
「エルシャ! 奴だ、山の建物から来るぞ! 奴はエルシャの力に弾かれていた。そのまま力を纏い距離を取れ!」
「はい、あなた。でも、どうなさるつもりですの?」
「奴は得体が知れぬ。いざという時はエルシャが皆を守ってくれ」
「なるほど、分かりましたわ」
エルシャンドラはアインダークの指示通りに人の身のまま光を纏うと、その場から急速に離脱した。
それを確認し、アインダークが竜化する。
アインダークが眩い光を放ち、その光が収まると、そこには巨大な真紅の竜が出現する。
地上の誰もが、上空に顕現した真紅の竜を見上げている。
『おのれ、貴様が竜化するとはな……最後まで忌々しい奴よ……』
「ぬ!?」
間近でヨルグヘイムの声がした時、アインダークの体は霧に纏わり付かれていた。
そしてアインダークを襲う激しい痛み。
『時間は掛かるだろうが、このまま食らってやる……』
「あなた!」
「そうか……ならば、我も……容赦は……せぬ!」
霧となったヨルグヘイムが、アインダークに侵食していく。
その時、苦しむアインダークを濃紺の光が包み込んだ。
異変に気付いたエルシャンドラが得体の知れない霧状のヨルグヘイムに対し、何か解ればとアインダークごと知識の光で覆ったのだ。
だがエルシャンドラの答えを待たず、アインダークは凄まじい速さで上昇を始めた。
『無駄だ。どんなに足掻こうとも、貴様の生命の力ではどうにもできん』
上昇するアインダークの身の内からヨルグヘイムの声が響く。
「ぐぅ……何故……それを?」
『少し煽てたら貴様の子が自慢してくれたぞ、父さまの生命の力は凄いとな』
アインダークは苦痛に耐えながら、自身の力を何故ヨルグヘイムが知っているのか尋ねた。
まだアインダークらが捕らわれる前、仲間を装って近付いたヨルグヘイムは、父の自慢をするアイスからアインダークの能力を聞いていたのだ。
「ふふふ……アイスめ、可愛い子だ……」
我が子を想い目元を和らげるアインダークは、大気圏を脱し、その上昇を止めた。
『ふん……此処ならば勝てるとでも思ったのか?』
「違うな。此処で無ければ貴様を滅ぼせぬのだ。この力は強大過ぎる故にな」
嘲る様なヨルグヘイムの問いに対してアインダークはその思い違いを正すと、その真紅の体を黒く染めていく。
『貴様! いや、だが、破壊の力ではこの俺は倒せん!』
ヨルグヘイムは今更ながら、アインダークが二つのコアを有していた事を思い出していた。
だがアインダークの体の色を見て、自身が有していたのと同じ黒のコア、破壊の力では自身が滅ぶはずもないと断言する。
「もう一つ訂正してやろう。これは破壊の力ではないぞ」
そう言うアインダークの体の色は、黒より更に深みを増していく。
『戯言を……』
「最後に愚かな貴様に教えてやろう、漆黒のコア、滅びの力をな!」
アインダークから、まさに漆黒の闇が放射される。
その様は、宇宙空間に突然現れたブラックホールの如し。
呑まれた存在の一切を消滅させる滅びの力。
『! がぁっ! き……きさ……ま……』
アインダークの身の内に完全に入り込んでいたヨルグヘイムは、そこから脱出する事も出来ず、そのまま拍子抜けする程にあっさりと消滅した。
「この力が無ければどうなっていたか……こんな奴が居たとはな……」
呟きながら、真紅の光に身を包むアインダークの体の色は、漆黒から真紅へと変化していく。
そうしてその体が完全に真紅の色を取り戻すと、アインダークは地上へ向けて翼を打つのだった。




