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地獄のエスコート

でもどっちが本当の地獄に行くのか。


 ベルナは笑いをかみ殺しながら、なんとか顔を引き締めた。少し油断するとまた笑ってしまいそうである。

 憂鬱そうなアルベルティーナは、陸に打ち上げられた魚のような目をしている。

 最上級ドレスやアクセサリーに、一度として目を輝かせないどころか、見れば見るほど淀んでいく。

 本人はそれほど大きな声を出したつもりがなくとも「気持ち悪い」「趣味が悪い」のストレートな拒絶の後に、これを着ないと家族に会えないという脅しをされていると漏らしてしまっている。

 ただでさえ可哀想な王太女像が出来上がっているアルベルティーナが、その稀代の美貌を曇らせながら言えば周囲の想像力は天井知らずのパワーを発揮する。

 しかも、プレゼントの送り元に常識を疑うと言う忠告付き。


(ダナティア伯爵はこれを切欠に、懇意であると示すつもりだったのでしょうけれど真逆の結果になるわね)


 サプライズプレゼントは失敗である。

 王宮の噂好きの雀たちはあっという間に噂を広めるだろう。

 そもそも最近まで乱暴な勘違い男につきまとわれていた女性が、異性に対して拒絶的になるなんて珍しいことでもない。

 騎士がダナティア伯爵に、アルベルティーナからのメッセージを伝えたらそれも後押しになる。


(我が姫君は全くそんなつもりはないというのが、末恐ろしいわね)


 ダナティア伯爵の好意や、結婚への意欲は露骨だ。何とかして囲い込もうとしている。

 だが、アルベルティーナは歯牙にもかけていない。むしろ、距離を置きたがっているし今回だってダメ出しの嵐だ。

 思った反応を得られなかったダナティア伯爵は機嫌を損ねるだろう。

 今回のドレスもアクセサリーも間違いなく大枚をはたいたはずだ。

 ベルナがアルベルティーナの装いを検分していると、そのドレスの傍でなにやらごそごそしている緑の何かが二匹いた。

 アルベルティーナは先ほどのやり取りで疲れてティータイムである。ぼんやりと紅茶を見ている。


「んんっ! 殿下、そちらのペットを移動してもよろしいでしょうか?」


「え? ああ、チャッピーとハニー。いつの間に……あら? お口が動いているわ。何か食べているの?」


 ベルナが声を掛けると、ようやく二匹に気づいたアルベルティーナが首を傾げた。

 しかし、その呟きに顔色を変えたのはベルナだけではない。部屋中のメイドがお仕着せを翻し、走る。悲鳴を上げてチャッピーを捕まえ、逃げるハニーを追いかける。


「何をもぐもぐしているんですか! ぺーっ! ぺっしなさい! ぺっ!」


「ぎゃー! ピアス? イヤリング? 金具が分裂してるー!」


「ドレスは!? ドレスは無事!?」


「チャッピー!? ハニー!? どっちでもいいから返しなさい! お口に入れたのを出しなさい!」


「誰かお菓子持ってきて! 甘いものを渡せば吐き出すから!」


 阿鼻叫喚である。

 何とかハニー(アルベルティーナによる判別)から奪い返したが、それはクッキーと混ざり合い千々になった何かだった。

 舞踏会は午前中から行われる――正直、今すぐ着替えないと無理だ。直す時間はないから、アクセサリーはいくつか諦めなくてはならない。

 細いリボンがいくつも装飾されているから、調整や着付けに時間がかかる。しかも、このドレスは腰の細さが重要。コルセットもきっちり締めなくてはいけないデザインだ。

 重厚なドレスだから、それに合わせたヘアセットも大事だし――普段、アルベルティーナが着ないドレスだからメイクもいつもと変える必要がある。

 リテイク決定だと項垂れるベルナたちなど知らぬ二匹。歯にアクセサリーの残骸が挟まったのか、ぺっぺっと吐き散らす。ウォレス産の高級絨毯に食べかすと一緒に散らばる。

 ついでとばかりに、テーブルクロスとアルベルティーナの喪服の裾も汚していた。


(……とりあえず、このドングリトカゲ一回吊るす!)


 その怨嗟は、ベルナだけでなくヴァユの離宮のメイドにも共通する叫びだった。





 ドレスのコルセットと大体の着付けはアンナがやってくれて、最後の調整はメイド総出でやる形になりました。

 だって背中の傷跡を見られるのは嫌だもの。

 幸い露出が控えめなデザインで良かった……。

 わたくしは言葉にはしなかったけれど、皆は汲み取ってくれました。

 ですが、問題が一つ。


「……どうでしょう、アルベル様」


「その、正直言ってきついです」


「コルセットはそういうものですので、我慢していただかないと……」


「いえ、ウェストは平気ですが……胸が」


 すごくきつい。フリルで装飾多めでぱっと見た感じでは分かりにくいですが、ぱっつぱつに布地が引っ張られています。腰の部分の布は問題なしです。

 ですが、余っているわけではない。調整という名の誤魔化しも難しい。

 しーん、と部屋に気まずい沈黙がおります。

 コンラッド・ダナティア! 一体誰のサイズに合わせてドレスを作ったの!?

 わたくしが怒りと屈辱に項垂れていると、着替えを担当した使用人たちが頭を寄せ合って相談をはじめます。

 うう……首のごついネックレスが冷たい。寒いですわ。




 これだけ頑張ってドレスを着せたが、やはりサイズ違いは隠しきれなかった。ドレスの全容を見た時から、アンナは薄々感じていた。

 華奢だが豊満なバストを持つアルベルティーナには窮屈である。


「胸にパットは?」


「ないです。入れる隙間がありません」


 ベルナの深刻な問いかけに、アンナも心得ていると言わんばかりに首を振る。

 ドレスでは細い腰を作るためにコルセットを締めるだけでなく、胸の形を豊満に美しく見せるために詰め物をするのは普通のことだ。

 だが、アルベルティーナは持ち前のスタイルだけでもかなり良い。


「ほかに抜けるものは……」


「コルセットも薄い布製です。ドレスの生地と刺繍の関係で、下着類を抜くと肌に傷ができる恐れがありまして……」


 アルベルティーナは深窓の姫君である。その美しい玉のような肌は非常にデリケート。

 煌びやかだが硬いドレス生地で作られていた。ビジューやビーズを縫い付けた刺繍糸もかなり丈夫なものだ。裏地はあるが、素肌で長く着用すれば擦過傷ができる可能性があった。


 そもそも、補正下着なしでのドレス着用は論外である。


「背中のリボンをこれ以上緩めるのは、高貴な女性としては少々問題があります。ドレスのバランスも悪く、だらしない印象になるでしょう」


 傷跡を気にするアルベルティーナは、背中だけでなく全体的に露出を嫌う。

 それに緩め過ぎれば胸元が露になり、淑女の装いではなくなる。

 今からでも別のドレスをと一瞬頭をよぎったが、完全な盛装のドレスはまだ仕立てていないし、生半可なドレスではコンラッドが納得しないだろう。

 その時、アルベルティーナから「へくちっ」と可愛らしいくしゃみが漏れた。

 振り向いた二人の目には、腕をさするアルベルティーナ。

 同時に天啓が下りた。


「ストール、いえ、ファーです! なるべくボリュームのある毛皮を探して!」


「ふんわりと大きく見えるように淡い色や明るい色を! できれば単色ではなくある濃淡や混じりのある物を!」


 普段は密やかに火花を散らす二人だが、アルベルティーナに恥をかかせたくないというのは共通認識だった。

 幸い、今夜のアルベルティーナの緑のドレスは豪奢である。たっぷりとした毛皮のストールを巻いていても不自然ではない。贈られたドレスの小物にストールやティペットは無かった。

 舞踏会でもアルベルティーナがダンスを踊る可能性は低い。誘われても断るだろう。

 そうして何とか形になったアルベルティーナの盛装。


「お美しいです、殿下」


 若いメイドたちなんて、感極まって泣いている。その中でベルナは周りがちょっと引くくらい泣いていた。


「ありがとう。皆さんも良い働きでした」


 微笑んで労うアルベルティーナ。その笑みに翳りを感じながらも、アンナは見送るしかできない。

 使用人のアンナはパーティに出席はできない。傍に控える役目をベルナに奪われてしまったので、留守番だ。

 その時、扉が開いた。ノックもなしに開いたので、アルベルティーナの微笑が強張る。


「ああ、なんて綺麗なんだ。王太女殿下……やはり貴女にはサンディスグリーンが何より似合う」


 現れたのはコンラッドだ。アルベルティーナの姿を見て顔に喜色を滲ませながら歩み寄ってきた。

 アルベルティーナの纏う大きな毛皮のストールに疑問を抱いていないのはありがたいが、不躾な行動だ。

 美貌の微笑爆弾を食らったメイドの一部は顔を赤らめてざわめいているが、一番向けられたアルベルティーナは苦々しさを隠しきれない。

 コンラッドはアルベルティーナを見ながら、別の何かを見出そうとしている。陶然とする金色の瞳が恐ろしかった。


「では、会場までエスコートをしましょう。どうぞ、お手を」


 そう言ってどこか芝居がかった恭しい一礼とともに、手を差し出すコンラッド。

 アルベルティーナは彼を一瞥、手を一瞥、自分のドレスを一瞥して虚無の中に苛立ちを浮かべた。

 コンラッドは金糸と銀糸で刺繍が施された漆黒のジャケット。サンディスライトの飾りボタンやカフスが目についた。ベストとトラウザーズの布地がアルベルティーナのドレスと同じ――共布なのだ。

 普通ならば婚約者同士や夫婦など、親密な間柄でしかそんなことをしない。しかもアルベルティーナの髪色や瞳の色に寄せている。

 そのことに気づくと、一気に鳥肌が立つのが分かった。

 貴族はサンディスグリーンに似た深い色の緑は避ける傾向がある。それは王家の色であり、暗黙の了解だ。王宮での催しではそれが特に顕著で、余程の馬鹿か世間知らずでなければ選ばない。

 だからこそ、二人の王妃は競うように緑のドレスを好んで着用していた。

 自分はサンディスの王族だと、全身で主張していたのだ。

 外堀を埋める様子を隠すこともないコンラッドに、アルベルティーナが無意識に距離を取ろうとした。


「では、行きましょうか」


 逃げる気配に気づいたコンラッドが、手を伸ばして腕を掴むと強引にエスコートを始めた。

 アルベルティーナの地獄の始まりだった。




読んでいただきありがとうございました。

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