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前世を思い出したわがまま姫に精霊姫は荷が重い  作者: 星河雷雨


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第97話 結界の穴



 「ティルフォニア学園の結界が機能していないだと?」


 骨に響くほどに低く無骨な声は、まるで歴戦の武人を思わせる。だが、彼は武人ではない。大国ティアベルトを総べる王、ジェレマイヤだ。


「……以前、私の娘が襲われたときにも申し上げましたが……全く機能していないというわけではないでしょう。だが、どこかに不備があることは確実です」


 次期宰相と名高いゲオルグは、すでに高齢の宰相に代わりその業務のほとんどを取り仕切っている。今回問題として挙がっているのは、王宮と学園に作用しているはずの結界についてだ。


「学園の結界は精霊教会に管理を任せている。そもそも結界をつくったのも教会だ。問題があるとすれば、教会のほうだろう。教会に言え」


 学園に張り巡らされる結界は、精霊教会所属の精霊士によってつくられている。大規模な結界を張れる精霊士はこの世でも片手に足りるほどだ。しかもよほど能力の高い者でないと、学園全体を取り囲むような結界をつくることはできない。

 

 必然的にその結界の管理も能力が劣る者にはできないため、結界を張った者でないと結界の補修もできないことが面倒ではあった。


「そういうわけにはいきません。精霊教会の問題であると同時に、学園側の問題でもあります」


 いくら結界の管理は教会が行っているとしても、運営が国である限り、国に責任がないなどという言い訳など通るわけがない。結界が正常に作動しているかどうか、学園側は常に見張り、不備があれば都度教会に結界の補修を申請する義務があるのだ。


 なのに、フィーラが薬を盛られた際に学園側は教会へとその旨を申告していない。フィーラの件が結界の綻びによるものかはわからないが、もし報告をせず放置したために結界の穴が広がったのだとしたら、今回の結界の不作動は学園側の怠慢に起因するともいえるのだ。


 そのすべてをわかっているだろうに、あえてその言葉を口にするジェレマイヤに、ゲオルグのこめかみが痛む。


「そういった時のために精霊教会所属の精霊士を教師として雇っているのだ」


 王座に座るジェレマイヤが、肘掛けをとんとんと指で叩く。相当に苛立っているらしい。

だが、苛立っているのはゲオルグも同じだ。


 フィーラの件、教会への報告を怠ったのは、教会から派遣されている古参の精霊士だった。


 精霊教会内部では、昔から派閥争いが絶えない。現在、精霊教会で権力を持っているのは、学園に派遣されているその古参の精霊士とは敵対派閥に所属する人物だ。


 己の小さな矜持を優先して学園内の安全管理を怠ったその精霊士は、今回の件を受けてすでに解雇されている。

 だが、それで問題が解決したわけではない。精霊教会内部には、時を経るにつれどんどんと腐敗臭が広がっている。

 今回辞めた精霊士の代わりに新しく来る精霊士も、派閥こそ違えど、中身は似たようなものだろう。

 

「もちろん。すでにその者たちには動いてもらっています。ですが、精霊教会にすべてを任せるのでは、国が学園を運営する意味がありません」


「意味がないだと? 意味ならある。精霊姫選定は常に学園を舞台に行われる。次代の精霊姫は、常にティルフォニア学園から生まれるのだ。ティアベルト王国が運営する学園からな」


 ようするに、精霊教会に対しての数少ない権威を失いたくないというだけのことだ。だが、ジェレマイヤの言うことも一理あった。


 ゲオルグとて、すべての運営を教会に任せろと言いたいわけではない。腐敗の進む精霊教会に前途ある若者たちの教育をすべて任せてしまうのは非常に危うい。

 

 そうでなくとも、貴族の世界は多少の汚濁は飲み込まなければ生きてはいけない世界なのだ。精霊教会と貴族社会との癒着が当たり前になってしまえば、王侯貴族の権威など、すぐに精霊教会に取って代わられる。


「大聖堂がティアベルトにある以上、精霊教会も、この国をないがしろにすることはありません」


「ああ。そうだろう。いくら精霊教会が図に乗っているからと言って、この世界に必要なのはあくまで精霊姫であって、精霊教会ではないのだからな。むしろあいつらがあからさまに国を敵に回すほどに馬鹿なら良かったのだろうが」


 ジェレマイヤは冷たい暗緑色の瞳をゲオルグに向ける。


「この国に大聖堂が建てられたのは精霊王の意思だ。精霊王によって選ばれたのが、このティアベルト王国。精霊教会など、精霊姫の権力に群がるこざかしい人間をまとめるためだけに作られたただの管理組織だ。それをあたかも組織自体に価値があるなどと思いあがるとは……」


 ジェレマイヤの肘掛けを叩く指の力が強くなる。瞳はすがめられ、今のジェレマイヤとジェレマイヤに対応するゲオルグの姿を誰かが見ていたら、ゲオルグの進退を心配したことだろう。

 だが、ジェレマイヤが苛立っているのはゲオルグに対してではない。あくまで精霊教会に対してだ。

 そして、珍しくも、ゲオルグもジェレマイヤと同じ気持ちだった。


「最初はきっと、そうではなかったのでしょう……ですが、あなたのお気持ちはよくわかりますとも。ここ最近の精霊教会の言動には、私も感じ入るものがあります」


 特に精教司であるフェスタ家のルディウスなどは、まるで自分が王であるかのように振舞っていると聞いている。


 精霊教会において汚職がここまで進んだのも、ルディウス・フェスタが精教司となってからだ。


「そうであろうな。お前の娘は最たる被害者とも言える。候補を外され、またそれを撤回され、学園で不埒者に襲われかけ、デュ・リエールでは魔とも遭遇した。そして今回もまた……」


「娘のこともありますが、問題はやはり結界です。王宮のみならず学園の結界にまで不備があるとは……最早、精霊教会は正常に機能していないと考えた方が良いでしょう」


 むしろ今までが精霊教会に頼り過ぎていたのかもしれない。常人の眼で知覚できない事柄に関して精霊教会に頼るほかはなかったにしても、国側はいざそれが機能しなくなったときのことを常に考えておかなければならなかったのだ。


「あの組織が正常に機能していないのは昔からだ。しかも精霊教会は無駄に力があるから始末に負えん。自分たちが思いあがっていることすら、自覚してはいないのだろうな」


 ジェレマイヤの言葉に、ゲオルグは同意を示さない。ただ、ひたとジェレマイヤの瞳を見つめるのみだ。


「……そんな目で見るな、ゲオルグ。お前は王家もそうだと言いたいのだろう」


「まさか、そのような……」


 否定しつつも、ゲオルグの声は固い。


「フィーラの扱いに関しては、申し訳なかったと思っている。長い間、サミュエルの婚約者候補としてしばりつけてしまった。それに……ネフィリアのこともな」


「……もう過ぎたことです」


 王家から降嫁してきたフィーラの母ネフィリアは、ジェレマイヤの異母妹にあたる。ゲオルグもネフィリアとは幼馴染にあたり、ジェレマイヤを含め幼い頃からともに遊び、学んでいた。

 

 ネフィリアがゲオルグの元に来たのは、最初から決められていたことではない。子ども同士の口約束ならしていたが、それはあくまでも非公式のものだ。

 

 実際はネフィリアの婚約が破談となったため、事情を知り、なおかつ身内でもあるゲオルグに白羽の矢が立っただけ。そしてその婚約から破談までには王家が深く関わっている。


「そうか……。それは良かった。ゲオルグ、今後もよき臣下として王家を支えてくれ」


 ジェレマイヤはゲオルグのことを忠臣とは言わない。王家と公爵家、二つを天秤にかけられた時、ゲオルグが選ぶのは王家ではなく公爵家だということを、ジェレマイヤは知っている。

 公爵家とは、ゲオルグにとって家族を指している。決して爵位のことではない。いざというとき、ゲオルグは王家よりも家族を取ることをジェレマイヤは知っているのだ。


「……承知いたしました」


 そして、ジェレマイヤがそれを知っていることを、ゲオルグも知っている。だから、ゲオルグも何の気兼ねもなく仮初の笑顔をジェレマイヤに向けることができた。


 幼馴染である二人は、互いのことを誰よりも知り尽くしている。その関係性は時に有益で、時に非常に厄介だ。互いの嘘がすぐにばれてしまう。

 だがそれでいいのだ。互いに探り合い、牽制し合うことで、結局は互いが暴走しないための見張りとなる。 

 そうやって二人は今日までやってきた。そして、それはきっとこれからも変わらない。


 否、そうであることを二人ともに願っているのだ。


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