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前世を思い出したわがまま姫に精霊姫は荷が重い  作者: 星河雷雨


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第95話 再出発



 「俺は普通科を辞める」


 二週間ぶり、いつも通りに皆で集まった昼休みの図書館で、いつも通りの落ち着いた口調でジルベルトが言った。

 

 ジルベルトの表情がいつもと違う。太陽を隠していた雲が晴れたかのような、同じ顔のはずなのに、印象が全く違う。

 いつもよりも力強くこちらを見つめる瞳が、金色に輝いている。


「普通科を辞めて、騎士科へ移る」


 ジルベルトの言葉を聞き、フィーラは微笑む。


 剣をとって戦ったと聞いた時から、ジルベルトの中で、何かが動き出そうとしていることは感じていた。それがジルベルトにとって良い兆候か悪い兆候かはわからなかったが、今のジルベルトの顔を見たら、そんな心配は杞憂だったことがわかる。


「フィーラ。今の俺では、本当に護りたいものは護れない。時間はかかるだろうが、俺はもう騎士になることを迷ったりはしない」


「ジルベルト……」


 騎士になどなりたくない。そう言ったときのジルベルトは、とても苦しそうだった。


 ああ、本当にジルベルトは騎士になりたかったのだ。だからこそ、こんなにも苦しんでいるのだと、フィーラのほうが悲しくなってしまった。

 だが、今のジルベルトに苦しみの色は見て取れない。


「クレメンス。俺はもう昼休みにこの図書館へは来られないだろう。一人にして悪いな」


 図書館から一番遠いのが、騎士科だ。それに、騎士科の生徒は休み時間も訓練をしていることが多いそうなので、図書館を使う頻度は他の科よりも極端に少ない。


――ジルベルトも遅れを取り戻さなきゃいけないんだから、休み時間に図書館まで来ている暇はないでしょうしね。


「……気にするな。だが、たまには俺の話に付き合ってくれ。俺がそちらに会いに行くから」


「ああ……」


 いつもジルベルトと話をしていたのだ。クレメンスはきっと寂しいだろう。それに、ジルベルトが抜けたら女子二人の中にクレメンス一人だ。


――違和感はないと思うのだけれどね……。


「それと、エルザ。俺も聖騎士を目指すことになった。すでに推薦は貰った」


「えっ? なんで? いつの間に? 誰に推薦もらったのさ」


 エルザが大きく目を見開き、ジルベルトを問いただす。いまにも掴みかからんばかりだ。

 

 聖騎士になりたいと言っていたのはエルザの方が先だ。なのに、ジルベルトに先を越されてしまったのだから、それは焦るだろう。


「以前からカーティスさんに打診されていた」


「嘘! ずるい!」


 エルザが両手の拳を握り締め、中空をだんだんと叩く振りをする。


「ずるくないだろ」


 そんなエルザをジルベルトが呆れたように見る。


「……う、くそ! 私だってすぐにそっちに行ってやるからな! 見てろよ!」


「……口が悪いぞ」


「ふふ。二人とも、楽しそうね」


「フィーラ! 私だってすぐに、聖騎士候補になってやる」


「ええ、そうね。エルならきっとなれるわ」


「本気だからね!」


「わかっているわよ」


 本音を言えば、エルザには危険なことをしてほしくはなかった。けれど、ジルベルトやテッドは応援できてもエルザのことは応援できないなど、そんなのは不公平だ。


 もし、これから先エルザに何かあったら、きっとフィーラは涙が枯れるほどに泣くだろう。なぜ反対しなかったのかと、後悔するだろう。だが、フィーラの後悔など、エルザの人生にとって何の効力も発揮しはしないのだ。

 

 大切なのは、エルザが後悔しないこと。あのときなぜ挑戦しなかったのかと、人生の最後にエルザが悔やむとしたら、それこそが避けなければならないことなのだ。


 だったらフィーラは、大切な友人たちがいつも健やかでいられるようにと祈ろう。その人の幸せな未来を信じよう。


 いつだって、フィーラには祈ることしかできない。そのひとの人生を決めるのは、フィーラではない、その人自身なのだから――。











「何しに来た」

 

 寮の部屋で静養するエリオットの元に訪れたテッドは、扉を開けて迎え入れたエリオットの元気そうな姿にほっと胸をなでおろした。

 

 魔との闘いから三週間以上たっても、エリオットは訓練に出てきていなかった。もっと早くに来れば良かったのだが、テッドが見舞いになど行けばエリオットを刺激してしまいそうで、なかなか来る勇気が持てなかったのだ。


「ああ……ええと、もう三週間以上訓練に出てこないし……その。……見舞いを」


「余計なお世話だ」


 すぐさま切って捨てられたテッドは、しかしいつも通りのエリオットの態度に知らず微笑んでいた。


「……何を笑っている」


「いえ、すみません……。元気そうで良かったなと」


「……入れ」


 てっきりこのまま追い返されるかと思っていただけに、エリオットの言葉は意外だった。


「……失礼します」


 エリオットの部屋はこざっぱりとしており、すべてが綺麗に整えられていた。騎士科の寮の部屋は、普通科に比べて狭い。騎士科の生徒は休日もほとんど部屋にはいないため狭くても何ら不都合はないのだが、高位貴族の子息たちなどは、最初のうちは文句を言うのだと、騎士科の教師が嘆いていたのを聞いたことがある。


 エリオットもそうだったのだろうかと想像したテッドは、あまりにもその姿が容易に想像できたことに、内心で苦笑していた。


「僕を笑いにでも来たのか?」


「え? え、いや、そんなことは……!」


「結局お前との勝負も曖昧なまま終わり、助けに入ったはずなのに瘴気の一撃で気を失ってしまった。これで騎士などと、誰が認めてくれるものか。僕だって自分で自分が不甲斐ない」


 エリオットは眉根を寄せ、悔しそうに気持ちを吐露する。だが、テッドはそうは思わない。


「……そんなことはない」


「何だ? 僕をなぐさめようと言うのか? お前が?」


 まるで青い炎のように苛烈なエリオットの瞳が、テッドの瞳を捉える。


「違う! お前……いや、君は俺よりもずっと騎士に近い」


「お前よりも弱いのにか?」


 エリオットの言葉に、テッドは驚き、眼を見開く。知らず口も開いていた。これまで一度も、エリオットの口から負けを認めるような言葉が出てきたことはなかったからだ。


「口が開いているぞ。そんなに驚いたか? 僕が負けを認めたのが」


 何も言えないテッドに、エリオットが言葉を続ける。


「お前のほうが僕より強いことなど、とっくに理解している。ただ、それを認めるのが醜態をさらすよりも嫌だっただけだ」


「それは……どういう」


 意味なのかと。問うたテッドを、エリオットは睨みつける。


「お前のその態度が気に入らない。聖騎士を目指していたわけじゃない、声をかけられたから、成り行きでここにいる。そんなお前の態度が、僕は死ぬほど気に入らない」


「そんなことは……!」


「違うか? だが、僕にはそう見えた。……僕はずっと聖騎士になりたかった。だが、僕に聖騎士からの声はかからなかった。国の近衛騎士に推薦を貰い、ようやく聖騎士候補になれたんだ。実際、聖騎士に選ばれるには近衛騎士からの推薦よりも、聖騎士からの推薦のほうが有利だ。だから僕は誰よりも強くならなくちゃいけない。負けを認めてはいけないと思ったんだ」


 エリオットの瞳からは、炎のような激しさが消え失せている。かわりに現れたのは諦念だ。


「だが、そうやって意地を張り続けることが間違いだということも、本当はわかっていた。カーティス先生の言う通りだ。己と敵の力量を見極められなければ、己だけでなく仲間まで危険にさらしてしまう。何よりも、精霊姫を危険にさらしてしまうかもしれないんだ」


「でも君は……本当は分かっていたと言ったじゃないか。それは力量を見極めていたことになるだろう」


「わかっていても、それを認められなければ意味がない。いざというときに、その意地が顔を出さないとは言えない。心の底から納得しなければ、瞬時に相手を信頼した行動などとれはしない。……また、相手も僕を信頼してくれない」


 今度は悲しそうに瞳を伏せるエリオットに、テッドは小さく溜息をついた。


「……何だ。呆れたのか?」


「ええ、まあ。多少」


 テッドの返答に、エリオットが顔を歪める。


「君は、自分で思っているよりも弱くはないし、いざというときには、嫌っている相手でも有益とみれば手を取り合うことが出来る。それに、皆多かれ少なかれ君のような葛藤は抱えているよ。君はごちゃごちゃと考えすぎだ。まあ、話を聞くまでこんなに色々複雑に考えているとは思わなかったけど……」


 正直にいえば、テッドはエリオットのことを典型的な直情型だと思っていた。今もごちゃごちゃ考えているとは言ったが、己の心情と、それが現実に与える影響も、ちゃんと理解できている。


「お前……! お前は僕のことを知らないだろうが!」


「だてに曲者揃いの護衛団で働いていたわけじゃないんですよ。……でもあの時の君は、そんな俺よりも早く動いた。……いや、そうじゃない。俺はジークフリート様に言われるまで、君が動いた理由すら分からなかった。あのとき、もっとも危険に晒されていた三人のうち、二人は、精霊姫候補だった。聖騎士は精霊姫を命を賭して護らなければならない。ようするに、聖騎士は精霊姫の護衛だ。護衛として働いていたくせに……俺にはその認識が足りなかった。そもそも君は、あの二人が精霊姫候補だから動いたわけでもないだろう。助けを必要としていた者たちだったから、君はあの時三人の元へ走ったんだ。あの時君は、正確に状況を判断して動いた。君は正しい。君はあの場にいた誰よりも、騎士だ」


 矢継ぎ早に言い切ったテッドの言葉を、エリオットはその間、ただ茫然として聞いていた。


「……護衛も騎士も強さがすべてじゃない、と俺は思う。今の時点で、より聖騎士に相応しいのは俺じゃなくて君だ」


 エリオットはまだ一言もしゃべらない。怒っているわけではなさそうだが、こうも何もいわずただじっと見つめられると、さすがに居心地が悪い。


「……ああ、と。すみません。もう帰ります」


 これ以上、テッドがエリオットに言えることはない。そもそもテッドの言葉がエリオットに響くとは限らない。

 だが、これだけは言っておかなくては……。



「……あの、待ってますから」



 何を、とは言わず、エリオットの返事も待たず、テッドは部屋を後にした。









 扉を閉めてテッドが出て行ったあと、エリオットはようやくのろのろと動き始めた。


 テッドの前では強がっていたが、瘴気をまともに浴びた身体は三週間以上たった今も、まだ本調子ではない。寝台に腰を下ろそうとすると、脇腹が刺すように痛んだ。


「……くそっ! ……やっぱり僕はあいつに敵わないじゃないか」


 エリオットがようやく認められた敗北を、テッドはあっさりと認めてしまった。 


「聖騎士に……なれるのか? 僕は」


 幼い頃から憧れていた聖騎士。声をかけられなかったことで、一度は諦めようとした道だ。


 だが、諦められなかった。意地になっていた。それはテッドに対してだけじゃない。自分

に声をかけなかった聖騎士という存在に対しても、どこかでいじけた気持ちを持っていた。

 見返してやると。心のどこかでそう思っていた。


「魔に憑かれていたのは、僕だったかもしれない……」


 きっと魔に憑かれたあの二人も、心の内に隙があった。満たされない何かがあった。エリオットと同じだ。同じように、悩み、苦しんでいたのかもしれない。


 聖騎士になるということは、あのように魔に憑かれた者たちごと、葬り去るということだ。


 今回、あの魔に憑かれた二人を倒したのは、コア家の人間だときいた。現在は普通科に在籍しているが、近々騎士科に編入してくるようだ。カーティスの推薦を貰い、聖騎士候補としてやってくるらしい。現在騎士科はその噂で持ち切りだ。


「今の時点で聖騎士にもっとも近いのはそいつか……」


 以前のエリオットなら、きっとまたその男を敵視したかもしれない。コア家という剣の名門に生まれた、才能ある剣士。普通科に在籍していながら、聖騎士に見出され、候補へと推薦された特別な人間。


 あがいて、もがいて、どうにか聖騎士候補に食らいついたエリオットからすれば、そいつのすべてが腹立たしい。

 だが、その想いが間違いだということは、たった今学んだばかりだ。


 相手の力量を見極めるよりも、ずっと大事なことがある。


 エリオットは、テッドよりも誰よりも、実は己のことを見下していたのだ。取るに足らない人間だと、決めつけていたのだ。自分を一番、信頼していなかったのだ。


 瘴気を喰らった際に湧き出た、エリオットの本当の気持ち。


 それは、「これでもう、諦められる」だった。


 だから、訓練にも出なかった。怪我を理由に、聖騎士候補から外れようとすら思っていた。


 だが、テッドの言葉を聞き、今日また新たな気持ちがエリオットの中に生まれた。


「今度こそ、諦めない」


 あまりの己の身勝手さに、エリオットは思わず笑ってしまった。テッドの言う通り。エリオットは考えすぎていたのだ。


 考える前に動けばいい。少なくとも、聖騎士候補に食い込んだ時のエリオットは、動機はどうあれ、ただ一点を目指し行動していた。


 ただ、己を動かす動機が間違っていたから、途中で止まらざるをえなくなってしまったのだ。力尽きてしまったのだ。当たり前だ。エリオットは心の奥では、自分が聖騎士に相応しいなどとは思っていなかったのだから。いつの間にか、ただ誰かを見返すためだけに走っていた。


 だが、相応しいかどうかなどもう考えない。エリオットはそこを目指すしかないのだ。


「僕は聖騎士を目指す。それ以外、もう考えない」


 他人のことなど気にしない。テッドはエリオットよりも強い。その事実は変わらない。今度来るコア家の男も、確実にエリオットよりも強いだろう。


 だが、それがどうしたと言うのだ。そいつらの存在は、エリオットが聖騎士を目指すこととはまったく関係がない。


 エリオットは私服を脱ぎ、騎士科の訓練服に着替えた。


 今訓練棟へ行けば、きっとテッドもそこにいる。エリオットの体調は最悪だが、今日が一番負ける気がしない。


 他人のことを気にすることはやめたが、競うのをやめるつもりはない。強い相手と剣を交えることは、剣士の喜びだ。


「待ってろよ、テッド。いつか必ず、僕が負かしてやる」


 きっとテッドはいつのものようにうんざりした顔をするのだろう。その表情を思いうかべるだけで、自然とエリオットの口元が綻んだ。



これで騎士編(?)は一応終わりです。ここまでお付き合いくださった方ありがとうございます。章立てしとけば良かったですね……。小説自体がこんなに長くなるとは思いもせず……。

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