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前世を思い出したわがまま姫に精霊姫は荷が重い  作者: 星河雷雨


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第94話 現在と未来



魔と対峙したときよりも、今のほうがよほど怖い。もう一度、今度は父の腕を壊してしまうのではないかと思うと足が鉛になったかのように重く感じて仕方がなかった。


「ジルベルト、今、動かないなら……お前には騎士になる資格はない」


 父の言葉を聞き、嫌だ、とジルベルトの心が悲鳴を上げた。


 あれほど騎士になどなりたくないと思っていたのに、父からの否定の言葉に自分でも驚く程に抵抗があった。


 なんてことはない。ジルベルト自身は今まで誰からも騎士になる資格がないなどと言われたことはなかったのだ。


 ジルベルトは、ライオネルに向かって剣を構えた。


 ライオネルが、ジルベルトを見据え、剣を前に突き出す。


 何年も剣から離れていたジルベルトと、現役の近衛騎士団長のライオネルではやる前から結果は見えている。それでも、ライオネルの言う通りここで止めたら、ジルベルトは本当に騎士になる資格がなくなってしまう。


 誰に何を言われるよりも、ジルベルト自身が、騎士を志すことを許せなくなってしまう。そしたら今度こそ、もう二度と、ジルベルトは剣を握ることができなくなるだろう。


 それだけは嫌だ、と。そう思えたことが嬉しかった。何年も自分の心に嘘をつき続けて来たのだと、ジルベルトは今日初めて自覚した。



 目の前に立つ父に、隙などない。がむしゃらにぶつかっていくことしか、今のジルベルトには出来ない。

 それでもせめて、今のジルベルトの全力を――。



 距離を詰めると同時に、ジルベルトがライオネルに剣を振るうが、ライオネルはその剣を片手で薙ぎ払う。

 剣を通して腕に伝わってくる衝撃に、柄を握る指が緩んでしまった。腕全体に広がる痺れをどうにかやり過ごし、すぐさまジルベルトは強く剣を握り直す。


 ジルベルトの剣とライオネルの剣が何度もぶつかり合う。


 ジルベルトにとってはどこまでも重い攻撃なのに、それでもライオネルがまるで本気を出していないことが、その表情、全体から発せられる気配でわかってしまった。

 

 打ち合う時間が長引くほどに、次第にジルベルトの腕はライオネルの剣戟に耐えるのが難しくなっていく。

 

 腕が限界を迎え剣を落としてしまう前にライオネルに最後の一撃を加えようと、ジルベルトが姿勢を低くする。だが、そのジルベルトの肩めがけてライオネルの剣が振り下ろされた。



「父さん‼」



 ヴァルターがライオネルに制止をかける。


 ジルベルトの肩に触れるすれすれのところで、ライオネルの剣は止まった。



「それ以上は……。ジルベルトはまだ傷が癒えきっていないんだ」


「わかっている。だが、それを抜きにしてもひどいもんだ。これから取り戻すのは大変だぞ。……普通ならな」


 ライオネルとヴァルターが何かを言っているが、己の心音と呼吸が煩くてジルベルトにはよく聞こえない。

 ただ、己が負けたのだということはわかった。これでは父に何も言うことが出来ない。


「大丈夫か? ジルベルト」


 ヴァルターがジルベルトを覗き込む。だんだんと心音も呼吸も落ち着いてきた。どうにか倒れずにいられるのは、意地ゆえだ。


「ジルベルト、特別に聞いてやる。言いたいことを言ってみろ」


 父の言葉に、ジルベルトは唇を噛みしめる。涙が滲んでくるのを、必死で押しとどめた。


 父にも甘やかされている。


 これまでも、どうしようもないくらい、ジルベルトは周囲に甘やかされてきたのだ。


 怪我をしたのは、ジルベルトではない。アーノルドだ。騎士に相応しくないと言われたのも、騎士への道を絶たれたのも、ジルベルトではない。


 なのに、ジルベルトは勝手に傷つき、勝手に剣をやめて、勝手に自分を諦めたのだ。


 そのことに気づいてもなお、ジルベルトの口からは、父に対する非難の言葉が溢れて来た。


「なんで……父さんは兄さんを見捨てたんだ!……なんで兄さんを勘当するなんて言ったんだ! なんで兄さんに……」


 恥を知れなどと言ったのか。その言葉を言う前に、ライオネルがジルベルトの言葉を受け、反論する。


「確かに、あの時は感情のままにあいつを勘当すると言ってしまったが、俺はあいつを見捨てたつもりはない」


 ライオネルの言葉に、ジルベルトはほぞを噛む。今更それを言うのか。本気でそう思っているのか。


「何を今更……恥を知れと、言ったじゃないか! 騎士への夢を絶たれた兄さんに……!」


 ジルベルトがライオネルの言葉に噛みつく。



「ジルベルト……アーノルドは、わざとお前に斬られたんだ」


 ライオネルの代わりにヴァルターがジルベルトに答えた。ヴァルターの言葉は、ジルベルトに衝撃を与えた。


 騎士を目指していた兄が、致命傷になるだろう攻撃をわざと受けたなど到底考えられることではない。下手をすれば腕を切断されていたかもしれないのだ。


「そんな……嘘だ! なぜ、そんなことをする必要がある! 兄さんは騎士になるのが夢だったんだ!」


「……そうだな。アーノルドは騎士になりたがっていた。誰よりも強く、才能のある騎士に……。だからこそだ。だからこそ、お前に敵わないと悟ったときに、アーノルドは自分の腕もろとも、お前の才能まで潰そうとした。敬愛する兄が自分のせいで騎士への道をとざされたとしたら、ジルベルト、お前はきっと、自らも騎士への道を諦めるだろう。実際そうなった。アーノルドはそれを見越したうえで、騎士への道を自ら閉ざすことで、お前の騎士への道をも同時に閉ざしたんだ」


「何だよ……それ。俺の才能なんて、兄さんに比べたら……」


「……お前はまだ幼かった。自分では分かっていなかったんだろうが、お前は確かに、アーノルドよりも才能があった」


 ライオネルの言葉に、ジルベルトが言葉をなくす。


「ジルベルト……アーノルドは弱い。剣の腕ではない。あいつは心が弱かった。いくら剣が強くとも、アーノルドの心の弱さは騎士としては致命的だ。剣の才など、騎士として生きるには些細なことだ。アーノルドにはそれが分からなかった。ヴァルターはアーノルドに剣の才では劣っても、アーノルドとは比べ物にならんほどに心が強い。……アーノルドは勘違いしていたようだが、俺はもともと、アーノルドでも、お前でもなく、俺の跡を継ぐのは、ヴァルターだと思っていた」


 ヴァルターが強いということに、ジルベルトも異存はない。ヴァルターは強い。心も、剣も。

 だが、アーノルドは、優しかった。いつもジルベルトの相手をしてくれた。


「兄さんは……俺に優しかった」


「ああ、そうだな。お前に負けるまで、あいつはお前を自分より下だと思っていたから」


「……兄さんは、俺のせいで……」


 理由はどうあれ、結局はジルベルトのせいで、アーノルドは騎士にはなれなかったのだ。


「違う、ジルベルト。すべてあいつの弱さのせいだ。自分より才能のある奴が出てきたからといって騎士になることを諦めるような人間は、もとより騎士の世界ではやっていけない」


 ライオネルの言うことを頭では理解している。だが、ライオネルの言葉を受け入れてしまえば、アーノルドには騎士になる資格がないということも、受け入れることになってしまう。


「ジルベルト……。小さなころから、アーノルドは俺よりも才能があった。だが俺は、そんなあいつを誇りこそすれ、そのために騎士を目指すことを辞めようとは思わなかった。アーノルドや、お前のような才が己にあったらと、まったく思わなかったといえば嘘になる。だが、すべての騎士が誰よりも強くある必要はないんだ。強さに固執していたら、大切なものを見失う」


 泣き崩れるジルベルトの肩を、ヴァルターが両手で包む。


「アーノルドの人生を、お前が背負う必要はない。反対に、お前の人生もアーノルドに背負わせるな。お前が騎士を目指さない理由を、アーノルドのせいにするな。本当にあいつのことを思うなら、あいつの思い通りになどなってやるな」


 ジルベルトがヴァルターを見つめる。ヴァルターの青い瞳が濡れて見えるのは、きっとジルベルトの気のせいではない。


 たった数時間前まで、理解できないと思っていたヴァルター。完璧だと思っていたアーノルド。

 結局、自分は己の見たい兄たちの姿しか見ていなかったのだ。


「……ジルベルト。今、お前が護りたいものは何だ。どうすれば、それを護ることができるのか考えろ」


「兄さん、俺は……」


 ジルベルトが護りたいもの。剣が好きだという気持ち。そしてジルベルトにとって、大切な人たちだ。


「常に考え続けろ。何のために騎士になるのか。誰のために剣を振るうのか」


 






 家を出る当日の朝、ジルベルトは姉であるヴィオレッタに、あのとき、何と言ったのか聞いた。剣を習う三兄弟を羨ましいと言った姉に、三兄弟がそれぞれ違う答えを返したときのことを。



「え? 覚えてないわよ、そんな昔のこと」


「……」


「覚えていないならきっと私の答えはたいしたことではないのよ。重要なのはあなたたちそれぞれの答えなんじゃない?」


 ヴィオレッタにそう言われ、ジルベルトは考える。


 あのときの自分の言葉。ジルベルトは一緒にやろうよと姉を誘った。ジルベルトにとって剣の訓練はとても楽しく、出来ないなどと言っている姉のことを勿体ないと思ったのだ。やればいいのに、と。なぜ出来ないなどと決めつけているのか、と。


 あの頃、ジルベルトはただ剣を振るうことが楽しくて仕方なかった。魔と闘っている時、その心の奥底に、湧き上がる歓喜はなかったか。


「……姉さん。俺はやっぱり、剣が好きみたいだ」


「そんなの知ってるわ」


「ふ……そうか」


 笑うジルベルトを見て、ヴィオレッタもまた笑った。いつかアーノルドとも同じように一緒に笑いたい。

 そのためには、ジルベルトはアーノルドの呪縛から抜け出さなくてはならないのだ。



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