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前世を思い出したわがまま姫に精霊姫は荷が重い  作者: 星河雷雨


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第90話 事実と真実




 久しぶりに見た弟は、比喩でも何でもなく、その身に炎を纏っていた。



「兄さん……」


 

 つらそうに、悲しそうに、それでもヴァルターのことを兄と呼んでくれた弟は、昔と変わらぬ才能で、瞬く間に魔を祓ってしまった。


 驚いたが、納得もした。ジルベルトの剣の才能はヴァルターを遥かに凌ぐ。精霊の力を与えられたなら、魔を祓うことすらジルベルトには容易いのだと。


 何を話せばいいのか。そもそも話をさせてもらえるのか。ヴァルターが逡巡しているうちに弟が目の前で倒れた。

 崩れ行く弟を、おそらく友人だろう男が地面に着く前に支える。


「ジルベルト! おい、ジルベルト!」


 心から弟を案じてくれているのが、彼の声音からわかった。


「大丈夫だよ……きっと疲労が極限まで来たんだろう」


 弟の友人に声をかけたのは、先ほどまでヴァルターと一緒に戦っていた男――ルーカスだ。

 

 いつも整えられている髪は乱れ、変装のために用意した騎士科の制服はいたるところが切り裂かれている。おそらく自分も同じようなものなのだろうが、有体に言ってぼろぼろだ。


 ルーカスがヴァルターを振り返り、口を開いた。


「おい、ヴァルター。君の弟だろ。功労者を労わってやれよ」


 ルーカスの言葉に、ヴァルターは自分が弟に助けられたのだと今更ながらに気づく。


 ヴァルターは跪き、眠る弟の頭に手を置く。そして昔よくしていたように、力いっぱい弟の頭をかきまぜた。


「……よくやった。ジルベルト」


「ま、聞こえてはいないだろうけどね」


 ルーカスの言葉が耳に届いたが、眠っているからこそできたのだ。聞こえていないとわかっていたからこそ、声をかけられたのだ。

 もし弟の瞳が開いていたら、ヴァルターはきっと言葉を交わすことすらできなかっただろう。


 なぜなら弟は、父とヴァルターを嫌っているのだから――。


  


                  





――ヴァルターには弟が二人、弟二人の間に妹が一人いる。



 上の弟アーノルドは、ヴァルターよりも剣の才能があり、優秀で、器用で、すこしずる賢い。

 

 妹のヴィオレッタは、賢く、気が強く、繊細で、優しい。


 下の弟のジルベルトは、素直で、明るく、聡明で、上の弟よりも、剣の才能があった――。




 ヴァルター達の父、ライオネルは剣鬼と呼ばれる近衛騎士団の団長で、三兄弟はそんな父の背中を追って育った。

 幼い頃から剣の修行に励み、強さを求めた。剣の才こそがすべてであり、己の存在意義を強さにのみ求めていた。


 賢い妹が、そんな三兄弟を冷めた目で見ていたことには気づいていたが、それでも、三人は剣の修行に明け暮れた。



 強さのみを求めることの間違に気づいたのは、もう取返しがつかなくなってからだった。


 誰かが気づくべきだった。そして、それは長男であるヴァルターの役目だったのに――。


 

 だんだんとアーノルドが壊れていくことに気づきもせずに、決定的な傷をジルベルトに負わせてしまった。



 上の弟のアーノルドは、兄弟の中の誰よりも、強さにこだわった。ヴァルターとアーノルドは三歳差だったが、アーノルドとジルベルトは六歳の差がある。


 ジルベルトが九歳の時、アーノルドが十五歳の時にそれは起こった。アーノルドはちょうど、今のジルベルトと同じ年だった。


 ジルベルトに稽古をつけていたアーノルドが、ジルベルトに負けた。アーノルドは本気ではなかったかもしれない。だが、それはアーノルドにとって、あってはならないことだった。


 最初の頃は、アーノルドも半信半疑だったのだろう。それ以降も何度かジルベルトに稽古をつける場面が見受けられた。

 だが、何度もジルベルトと剣を交えるうちに、アーノルドは気づいてしまったのだ。ジルベルトの才が、己の才を凌ぐということに。


 たった九歳のジルベルトが、その時点ですでに、アーノルドの才を超えていた。それに最初に気づいたのがアーノルドでなければ、悲劇は防げたのかもしれない。父やヴァルターが気づいていたら、未来はまた違っていたのかもしれない。


 言っても仕方のないことだとはわかっている。それはすでに過去の出来事だ。だがどうしても、そう思わずにはいられない。


 その時点では、まだアーノルドの方が強かった。剣の技術は才能がすべてではない。アーノルドが、ジルベルトの前に居続けることも出来たかも知れないのに。その未来を放棄したのはアーノルド自身だ。


 どうしても、己に勝るジルベルトの才が許せなかったアーノルドは、ジルベルトに楔を打ち付けた。



 ある日、父とヴァルターの見ている前でジルベルトと稽古をしたアーノルドは、巧みにジルベルトを誘導し、己の腕を破壊させた。


 不幸な事故。アーノルドの計画では、それで片付くはずだったのだろう。いや、実際に、その不幸な事故は周囲に知れ渡り、アーノルドは才能があったのに不幸な事故により騎士への道を閉ざされた悲劇の男として、自らの誇りを傷つけることなく、逃げることに成功した。


 だが、父の目は誤魔化せなかった。ヴァルターは偶然、アーノルドのゆがんだ口元を見て気づいてしまった。


 そのあと、騎士を目指すのを辞めると宣言したアーノルドに、父は勘当を突き付けた。


 恥を知れ。父がそうアーノルドを罵ったときの、アーノルドとジルベルトの対照的な顔が忘れられない。


 醜くゆがんだ笑顔を晒すアーノルドと、悲しみと絶望で顔をゆがませるジルベルト。


 ヴァルターはあの日までまったくアーノルドの心境の変化に気づいていなかった。だが父はずっと気づいていたのだ。

 ヴァルターがあの日初めて知った、アーノルドの本性にも、ジルベルトの才能にも。



 アーノルドは、自分が兄の腕を、夢を壊したと、そうジルベルトに思わせることで、ジルベルトから騎士になる道を奪ったのだ。


 もう二度と、ジルベルトが剣を握れないように。ジルベルトの才能をひっそりと埋もれさせるように。


 そしてアーノルドの思惑は成功した。ジルベルトはこの六年、剣を一度も握っていなかったはずだ。学園に入学するも、騎士科には進まず、普通科を選択した。


 だが今日。ジルベルトの運命はまた動き出した。どうかそれが良き兆しであるようにと、ヴァルターは祈るばかりだ。




 



  




 熱に火照る身体のだるさに、ジルベルトの口からうめき声がもれる。


 そうすると、冷やりとした何かが身体中を覆い、いつのまにか熱が吸い取られていく。それの繰り返しだった。

 そうやって、ようやく身体中の熱がひいてくると、今度は痛みが襲ってきた。


 特にひどいのは手の平で、じんじんと、手の平全体が鼓動を打つように痛む。その痛みに、ジルベルトははじめて剣ダコができたときの痛みを思い出した。


 薄っすらと意識を取り戻してから完全に目が覚めるまでの時間は、さまざまな痛みと苦しみがジルベルトを襲った。

 すぐに己の身体が酷い状態だということには気づいたが、なぜそうなったかは、思い出せなかった。

 

 ただ、襲い来る熱と痛みに耐えながら、昔のことを思い出していた。


 特に印象的だったのは、兄弟三人がまだ仲の良かった頃、男兄弟の中、女一人だった姉が、剣の特訓をするジルベルト達を羨ましそうに見ていた光景だ。



――良いわね、あんたたちは。わたしも男に生まれたかったわ。



 そう言った姉に、兄弟三人、それぞれ別の答えを返した。



 長兄のヴァルターは、すまん。となぜか謝っていた。


 次兄のアーノルドは、どうしようもないだろ。と言った。


 ジルベルトは、一緒にやろうよ。と姉を誘った。



 それぞれ異なる返事をした俺たちに、あのとき姉は何と言ったのだったか――。








「起きたか」



 聞きなれない硬質な、だが、よく通る低い声。


 少しだけ、誰かの声に似ている。そう思っていると、眩い金髪に翠玉の瞳が、ジルベルトの視界に入った。

 それが誰かを認識した途端、急速に意識が覚醒していった。


「サミュエル殿下……!」


 起き上がろうとして寝台に手をついたジルベルトは、あまりの痛みにそのまままた寝台の上に倒れこんだ。


「おい。無理をするな」


「俺は……どうしてここに?」


「まだ思い出せないか。お前は魔と戦い、見事魔を祓った。それも二体もな」


「魔を祓った……?」


 サミュエルの言葉を聞き、しばらく茫然としていたジルベルトだったが、自分が何をしたのかようやく思い出し、大きく目を見開き、口元を手で隠した。


「……大丈夫か?」


「……っ大丈夫です。すみません」


 こみ上げた吐き気をどうにかやり過ごし、ジルベルトはゆっくりとした長い息を吐いた。


 戦っている最中は大丈夫だったのに、今になって、己のしたことの重大さが圧し掛かってきた。

 

「……お前がしたことは正しい。あのときお前が魔を祓わなければ、どれほどの犠牲がでていたか分からなかった。しかも、あの場には王族が三人、精霊姫候補が二人いたんだ」


 サミュエルは決して、ジルベルトを慰めるためだけに言ったわけではないだろう。サミュエルの言う通り、二体もの魔が出たあの現場でもし王族と精霊姫候補に被害が出ていたら、今頃は大騒ぎだったはずだ。


「魔に憑かれた者は助からない。たとえ本物の聖騎士が対応していたとしても、結果は同じだ。……あの二人は助からなかった」


 魔に憑かれた者と、ジルベルトは面識がない。だが、一緒に戦っていたテッドは同じ聖騎士候補、魔に憑かれた者の一人とは友人らしかった。そのことを思えば、今回魔を祓ったのがジルベルトで良かったのかも知れない。


 面識のないジルベルトですら、罪悪感に押しつぶされそうになるのだ。もし己が殺した相手が知り合い、ましてや友人だったとしたら、一体どう心に折り合いをつければいいのか。


「大丈夫です……。騎士を目指す者ならば、いずれは誰もが通る道ですから」


「……騎士を目指す、か。また騎士を目指すつもりになったのか?」


 思いもかけないサミュエルの言葉に、ジルベルトはサミュエルを見つめる。


「なぜ……それを」


「なぜとは……? なぜお前が以前騎士を目指していたことを知っているか、か? 剣の名門であるコア家に生まれて、一度とて騎士を目指さないなどと言うことは考えにくい。なぜまた騎士を目指すつもりになったことを知っているのか、ということなら、先ほど自分で言っただろう」


「あれは……」


 無意識だった。そう続けようとして、ジルベルトは言葉を止めた。無意識だったなどと言ったら、サミュエルの言うことを肯定しているも同然だ。


「目指せばいい、騎士を。それほどの才能をただ眠らせておくつもりか、お前は」


「俺は……騎士になるつもりはありません」


「強情だな……。なぜ、そこまで騎士になることを否定する」


「……」


「アーノルドの事が関係しているのか?」


「……やはり、知っていらっしゃるのですね」


「お前の父親は近衛騎士団長だぞ。それに、コア家は代々王家に忠誠を誓い、有能な騎士を輩出してきた家だ。家族の問題とはいえ、コア家の内情は国にも深く関わってくる。しかも才を誇っていたコア家の三兄弟の内、二人も剣の道を外れたんだ。王家の調査が入るに決まっているだろう」


 悪びれもせずに、サミュエルが言う。


「なら、父が兄に対して勘当を申し渡したのもご存じですか?」


「……だいぶ激高したようだな」


「……怪我を負い騎士への道を諦めた兄に、父は恥を知れと言ったんです。……弟に負けた兄に対して、恥を知れと……」


「ライオネルがか? そんな狭量な男とも思えないが……」


「俺ははっきりと、聞きました。あの言葉を聞いたときに、俺は騎士になることを辞めたんです。騎士が強さのみを求めるものならば、俺は騎士にはなれないと……傷ついた兄に、さらに追い打ちをかけるような父を、そんなあの人を騎士団長として据え置く騎士団には入りたくないと、そう思ったんです」


「本当にそうか? それが真実かどうか、お前は確かめたのか?」


 サミュエルの言葉に、ジルベルトは息を詰める。


「真実も何も……兄が俺のせいで騎士への道を絶たれたのは事実ですし、父が兄に勘当を言いつけたのも事実です」


「俺の知るライオネル・コアという男は、お前が思っているような奴じゃない。そのことについて、兄のヴァルターとは話したか?」


「……いえ」


「逃げずにちゃんと話せ。兄とも、父とも。事実が真実とは限らない」


 サミュエルの翠玉の瞳に、フィーラの青緑の瞳が重なった。


「……殿下とフィーラは、少し、似ていますね」


「……従兄妹だからな」


 そう言ったサミュエルの表情に、ジルベルトは虚を突かれた。

 

 普段の鋭い笑みとは全く違う、柔らかな笑みを、サミュエルは浮かべたのだ。その美しい表情がさらに、あの美しい少女を想起させた。


「……一度、兄と話をしてみます」


 ジルベルトの言葉に、サミュエルがいつもどおりの不敵な笑みで答えた。




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