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前世を思い出したわがまま姫に精霊姫は荷が重い  作者: 星河雷雨


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第87話 また逃げられました。



「あいつ……なぜあれ以来攻撃をしてこないんだ?」


 エルザに手をひかれ、フィーラは息を切らせながら走っていた。自分では体力があるほうだと思っていたが、とんでもない勘違いだった。


――苦しいわ……。まだ二百メートルくらいしか走っていないのに……。うう、所詮わたくしも深窓のお嬢様なのだわ……。


 フィーラはすでにいっぱいいっぱいなのに、エルザは走りながら話しをしてもなお余裕の態度だ。


「エル……ちょっと、わたくし、もう、限界かも……」


「体力ないな、フィー。今度特訓してあげるよ」


「……よろしく、お願いします……」


 このまま逃げ切れるかと思っていた矢先、フィーラたちの行く先に黒い瘴気が放たれた。


「フィー!」


 エルザがフィーラを引き寄せ、抱えるようにして地面に転がる。転がった勢いのまま二人は左右に離れた。


「あいつ……ただ追っかけたり急に襲ってきたり、何なんだ!」


――エルザの言う通り……彼は何がしたいのかしら? すぐさまわたくし達を殺す気はないようだけど……逃がす気もないみたいね……。


「おい! 何がしたいんだ君は!」


 魔に憑かれた人間に問うたところで、答えが返ってくる可能性は低い。だが、フィーラもあえて問いただしたエルザと同じ気持ちだった。


「お前……お前は…お前などに……」


「私に負けたのが、魔に憑かれるほど悔しかったのか! 技術も精神も鍛練が足りていないぞ!」


「エル、煽ってどうするの⁉」


「お前……お前……いや……違う。そう……」






『……お前じゃない』






「なっ……」



 聞いたことのある声だった。それはフィーラが生まれてはじめて対峙した魔。生まれてはじめて、自分では制御できない恐怖を感じたあの時の――。


「……あなた、あの時の……」

 

『覚えていたか……』


「……忘れられるわけないわ」


『それは光栄だ』


「……どうして、あなたは祓われたんじゃ……」


『そう簡単に祓われはしない』


「……そんな……だとしても、どうしてまた……」


『お前に会いに来た』


「……わたくしに?……わたくしを消すと言っていたのに?」


『消すとは言っていない。あの時は消しておくべきだったと思ったが……今は、消さなくて良かったと思っている』


――何? 何だか、この間と感じが違うわ……。


「……フィー、魔が話している……」


 エルザはあのときのジークフリートと同様、茫然としながら魔を見つめている。


「エル……」


「君は、あの魔と知り合いなの? いや、知り合いという言い方は変か……」


「デュ・リエールのときに現れた魔と、同じ魔みたいなの……」


「……あのときの魔は祓われたと聞いていたけど……」


 ぽかんとした表情でエルザが口を開いている。


「……わたくしもそう思っていたわ」


「……よし、本人に聞いてみよう。ねえ、君? 話が出来るなら、ちょっと聞きたいんだけど……」


 意を決したらしいエルザが魔に向かって話しかけた。


――ええ⁉ エル……ちょっと、いえ、かなりびっくりだわ……。普通に話しかけちゃうのね……。おかげで震えが止まったけれど……。



『お前に用はない』



「あれ? もしかして私振られた?」


「言ってる場合ではないわよ、エル!」


「うん。どうやらあの魔はフィーにご執心のようだね……魔まで魅了するなんて、さすがフィーだ」


「もう! 何をお兄様みたいなことを言っているのよ!」


 二人で言い合いをしていると、アーロンの身体から再び黒い靄が噴出した。


「え? 何で急に……」


 アーロンの姿を借りた魔が、また剣を振りかぶる。だが、剣を向けている相手はフィーラではなくエルザだった。


『ああ……お前の関心がわたし以外に向くのは、何やら面白くないな』


「えっ……ちょっと⁉ ……エル‼」


 アーロンの鍛えられた身体が、剣を振りぬく。




――ダメ……当たる!



 突然の出来事に、とっさにフィーラは目を閉じ、一瞬ののち、恐る恐る目を開けた。辺りは静まり返ってはいるが、しかし……。


「間に合ったな……」


 目の前には、エルザを背に庇うカーティスがいた。


 カーティスが持つ剣には、爆ぜる炎が纏わり付いている。パチパチと燃えているのは、先ほど放たれた瘴気だろうか。


「……カーティスせんせえ……」


 ほっとするあまり、フィーラは体から力が抜け情けない声を出してしまった。それでも、もつれる足を懸命に動かしフィーラはエルザに駆け寄る。


「エル!」


 フィーラは茫然とするエルザを力いっぱい抱きしめた。


「エル……良かった。良かった……」


「フィー……」


 フィーラを抱きしめ返すエルザの身体は細かく震えている。フィーラも怖かった。以前とは様子が変わったように思われた魔だったが、エルザを躊躇なく殺そうとする様に以前感じた圧倒的な恐怖が呼び起こされた。


「……アーロン」


 自らが受け持つ生徒の名を、カーティスが呼ぶ。だが、名を呼ばれたアーロンに反応はない。


 カーティスも異変を感じたのか、アーロンに向かって一歩踏み出した。そしてもう一歩、カーティスが足を踏み出そうとした瞬間、アーロンがその場に倒れる。


「アーロン!」


 カーティスがアーロンに駆け寄った。慎重に手をかざし、様子を見ているらしい。


――もしかして……またいなくなったの? それなら……アーロン様は助かるんじゃ……。


「カーティス先生……すでに魔はアーロン様から離れたのでは?」


「魔が離れる? 通常、一度ついた人間から魔が離れることはない」


「では……今のアーロン様の状態は……」


「離れることはない……のが常識だったんだがな……」


 アーロンを仰向けにしたカーティスが首を傾げる。フィーラもアーロンの様子を見ようと覗き込む。顔色も悪く意識も失っているようだが、魔に憑かれていたときのような、禍々しさは感じられない。


「どういうことなんだ……。一体何があった?」


 カーティスがフィーラとエルザに問う。フィーラはエルザと顔を見合わせた。一体どう答えたものか。ありのまま、見たままを言えばいいのだろうが、あの魔のことをどう説明すればいいのかがわからない。


 祓われたと思っていた魔が、再び目の前に現れた。それは、聖騎士の任務が失敗したということになりはしまいか。


 フィーラが口を開きかけた矢先、遠くから己とエルザの名を呼ぶ声が聞こえて来た。


「あの声……ジークとクレメンスだ!」



「エルザ! フィーラ嬢!」


「フィーラ! エルザ!」


 ジークフリートとクレメンスが駆け寄ってくる。


「ジーク⁉」


「クレメンス!」


「無事だったんだね! さすがクレメンス!」


 駆け寄ってきたクレメンスをエルザが抱きしめた。


「……おい! エルザ」


「ああ、ごめんごめん。嬉しくてつい」


「クレメンス、ありがとう。あなたのおかげで助かったわ」


「……いや。精霊が発動するような事態にならなくて良かった」


 クレメンスがほっとしたように、緊張に強張っていた表情を崩した。


「カーティス先生が間に合ったからね。もし間に合わなかったら私は死んでいたかも知れない」


 エルザの言葉にジークフリートが気色ばむ。


「何だって! 怪我はないのか⁉」


「大丈夫だよ。間に合ったって言ったでしょ?」


「君たち二人は……本当に心臓に悪い」


 ジークフリートが額に手を当て、大きく息を吐く。


「え? わたくしも?」


 なぜ今の話の下りでフィーラまで巻き込まれるのか。


「お前たち……再会を喜んでいる場合じゃないだろ。さっさと、さっきの話の続きを聞かせてくれ」


 カーティスに促されて、エルザが先ほどの話を続ける。


「彼が魔に憑かれていたのは確かだよ。ちゃんとこの目で瘴気を見た。先生だって、見たでしょ?」


 精霊は只人には見えないが、魔に憑かれた生物からでる瘴気は見ることが出来る。それは肉体を通して魔の力が発現するからだろうと言われていた。


「確かにな……。だが、腑に落ちない」


「それを私たちに言われても困るよ」


「……先生。デュ・リエールの日に起ったことは、先生もご存じですか?」


「ああ。現場には行けなかったが、あとから知った」


「……その時に現れた魔が、また現れました」


「何⁉ そんな馬鹿な……。あの時の魔はちゃんと祓われたはずだ。うちの精鋭が三人も行ったんだぞ?」


「はい……。わたくしもそう聞いていました。ですが、本人から聞いたのです。自分が祓われるはずがないと」


「……本人から? 君は魔と話をしたとでもいうつもりか?」


「私も話したよ、先生。……振られたけど」


 どことなく寂し気な表情でエルザがいう。


――そこ引っ張るのね、エル……。まさか本気でショックを受けてはいないわよね……?


「まさか……そんな。あの三人が揃っていて魔を取り逃がすのも信じられないが……魔と話しただと? 魔に憑かれた人間ならまだわかるが……有り得ないだろ」


「あの魔は普通の魔ではなかったと、そう聞いています」


「……普通の魔ではない?……そう聞いたのか? 聖騎士に?」


「私が聞いたのは、ジークフリート様からですが……」


 その場で意識を失ってしまったフィーラは直接聖騎士の話を聞いたわけではない。フィーラから名指しされたジークフリートに、カーティスの視線が突き刺さる。


「……私は聖騎士から聞きました」


 ジークフリートの言葉を聞いたカーティスは、そのまま考え込んでしまった。


 カーティスはしばらくそうしていたかと思うと、一度目を瞑り、すぐにゆっくりと瞼をあげた。


「わかった。……その話はここまでだ。君たち二人はこのまますぐに光星寮へ戻す。今この学園で一番強力な結界が張ってある場所はあそこだからな」


「え? 寮へですか?」


「私たちだけ? それに魔はもういなくなったのに?」


「魔はまだいる。闘技場でも魔に憑かれた者が二人出たんだ」


「複数の魔が同時に……」

 

 つぶやくエルザの声もさすがに強張っている。


「しかも……大聖堂へと連絡が取れない」


「そんな……どうして」


「さあな。わからないことだらけだ。幸いにも、この学園内での通信と上級精霊ほどの力があれば結界を通ることが出来るようだから、メリンダと学園内にいる精霊士に、他の学生たちを避難させてもらっている。今のところ、結界が張られているのはおそらく学園全体とここの闘技場だけだろう」


「……闘技場に魔がでたということは……今、他の方たちは?」


 カーティスがこちらに来ている以上、闘技場の魔と対峙しているのは誰なのか。


「一体はサミュエル殿下の護衛騎士が二人戦っているようだな。……もう一体は、騎士科の学生の誰か……おそらくテッドだろう」


「そんな……では今すぐにでも、先生はそちらに戻ってください!」


「だが……」


「私たちは大丈夫だよ! ……いや、フィーは連れて行って。私は残るから!」


「エル! 何を言っている。君も寮へ戻れ!」


「忘れているようだが、君も精霊姫候補だ。王族も大事だが、精霊姫になりうる存在は、王族にも勝る」


 ジークフリートとカーティス両者に諭されたエルザは、しかし諦めるつもりはないようだった。


「でも、私は戦える! 自分の身は自分で護るよ!」


 エルザは一歩も引く気はないようだが、フィーラとてこのまま自分だけが安全な場所へ行く気にはならない。まだ闘技場には皆が残っているのだ。


 瘴気に当てられたロイドが倒れる瞬間を見た際には、全身の血が凍り付くような恐怖を味わった。また同じ思いをするのは嫌だが、見ていないところで何かがあってもそれはそれで嫌だ。


 だから、フィーラも抵抗を試みる。


「……カーティス先生。寮は本当に安全ですか?」


 フィーラの言葉に、皆がフィーラに注目する。


「前回、魔は王宮に出ました。そして今回は、この学園に。どちらも警備は厳重なはず。しかも、この場には先生がいたのです。聖騎士である先生が。……わたくしは寮へ戻ることが安全だとは思えません。むしろ、先生がいらして、ほかの聖騎士候補や近衛騎士の方がいるこの場に残るほうが安全なのでは?」


 フィーラが言っていることは詭弁だ。ここにいたとしても安全かどうかなど分からない。カーティスがいるのに魔がでたということは、聖騎士の存在が魔にとっての抑止力にはなっていないということなのだから。

 けれど、離れた場所から大切な人を心配しながら気をもんでいるよりも、同じ場所にいたほうが幾分かはましだ。


「それを言われるとな……。君の言う通り、この学園内で確実に安全と言える場所はないのかも知れない。……まったく、自分が不甲斐ない。そんなことにも気が回らないとは……」


「いいえ、先生。先生が危険なこの場からわたくしたちを逃がそうとするのは当然ですわ。先ほどああは言いましたが、今、魔がいるこの場所よりは、寮の方が安全なのはわかりきっています。これはわたくしの我儘です。エル同様、兄や友人たちを残して自分だけが安全圏に行くのが嫌なだけなのです」


「……まったく。まいったな」


 どうやらカーティスは本気で迷っているようだ。もしも、本当に寮へ戻ることが一番安全だというのなら、フィーラたちの言うことなど聞かずに、力尽くでも寮へと戻すだろう。それをしないということは、フィーラの言ったことはあながち間違ってはいないということだ。


「わかった。だが、絶対に勝手な行動はしないでくれ。そこの君。いくら戦えると言っても、魔には精霊の力しか効かない。精霊士候補でも聖騎士候補もない君では、時間稼ぎは出来ても、魔を祓うことはできない」


「わかっ……わかりました」


「では、戻るぞ。このままアーロンも連れていく」


 六人の周りの空間が、ゆらゆらと揺らめく陽炎のようにゆがむ。ぐにゃりと大きく、景色がねじ曲がったと思った次の瞬間には、フィーラ達は闘技場へと戻っていた。



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