第84話 護りたいもの
ご無沙汰しておりました。
「……ちょっと待ってくれ。嘘だろ……」
テッドの慌てた声に、全員が振り返る。するとそこには騎士科の制服を着た一人の男が立っていた。
明らかに様子がおかしい。先ほどの魔に憑かれた生徒のように力なく頭を垂れ、その場に立ち尽くしている。しばらくそうしていたかと思うと、男はゆっくりと顔をあげ虚ろな瞳を晒した。
その顔を見た瞬間、テッドの瞳が見開かれる
「まさか……イアンか?」
テッドの口から男の名前が出た。
「……知り合いか?」
ジークフリートがテッドに確認をとる。目の前の男は騎士科の制服を着ているのだから、テッドと面識があるのは当然だ。それに普通の騎士科の学生と聖騎士候補の制服は区別されていない。
テッドの知り合いか否か。それをジークフリートが知ったところで何をどうすることも出来ないが、心構えだけはしておきたかったのだ。
「……彼も俺と同じ聖騎士候補です」
「聖騎士候補……」
まさかという思いと、やはりという思いとがジークフリートの心の中にないまぜになって浮かんでくる。騎士科の生徒というだけでも問題なのに、今度は聖騎士候補とは。
「何ということだ……」
「……イアン。おい……」
テッドが男の様子を確認しながら、恐る恐るといった体で近づいていく。
「イアン……」
先ほどまで定まらなかった視線がテッドを捉えた。
テッドの声に反応するかのように、イアンはテッドめがけて剣を振った。その剣をテッドは己の剣で受ける。だが、力では競り負けているようだ。
「くっそ……!」
テッドは身体全体を捻り、イアンの剣から逃げる。イアンの剣はそのまま地面まで到達した。明らかにテッドを殺そうとしている。
「イアン! こっちだ」
そう言うとテッドは反対方向へと走り出した。ジークフリートたちから距離を取ろうとしたのだろう。イアンはテッドの思惑どおり、テッドを追いかけていく。
一瞬遅れて、ジルベルトも走り出した。今度は先ほどのテッドのように、結界に阻まれたりはしない。
「ジルベルト君⁉」
ジルベルトはジークフリートの声にも振り返らずに、そのままテッドの後を追っていく。
「大丈夫なのか……? 彼は」
「恐らく……テッド君の足手まといになることはないだろう」
ジークフリートの答えに、ロイドがわずかに瞳を大きくする。ジークフリートは人物の過大評価をしない。ロイドはそのことを知っているため、驚いたのだろう。
「……やっぱり、彼も剣を扱うのか」
「知っていたか?」
「コア家はティアベルトの忠臣だぞ。知らないわけがない。……だた、三男が剣を辞めたということしか僕は知らなかったが……続けていたのか」
「いや……エルザから聞いた話では、ここ数年はおそらく剣を握ってもいないだろうな」
「おい……。さっき大丈夫だと言っただろ?」
「ああ、それは大丈夫だ。今の自分の実力がどの程度のものなのか、それを読み間違えるような人間ではないということだ。……恐らくな」
「そうだった……お前意外にも僕と同じく、最終的には勘に頼る人間だったな」
「勘は経験則に基づき発揮されるものだからな。捨てたものじゃない」
「ま、そうだな。それよりも、あいつ。イアンと言ったか。……明らかにテッドを狙っていたな」
「魔は心の隙を狙う……か。ともに学ぶ仲間とは言え、彼には何かしらテッド君に対しての葛藤があったのかも知れないな」
テッドもそのことに思い至ったから、ジークフリートたちと距離を取ったのだろう。イアンが狙っているのがテッドだけなら、ジークフリート達をテッドから引き離すことで時間を稼ぐことが出来る。
だが、テッドのおかげでジークフリートたちはひとまず魔の攻撃におびえなくともよくなったが、安心するまでには至らない。
今、この場には魔に憑かれた人間が二人もいる。しかも結界に阻まれ、あちらとこちらで連携をとることもできない。
「どうなっているんだ。同時に二体、それに、なぜ結界を……」
ロイドが顎に手を当て唸る。王宮もそうなのだが、これまで魔が学園にでたことはなかったはずだ。
「先ほどから試しているが、俺の守護精霊を大聖堂へと飛ばすことができない」
「……妨害されているのか」
「そのようだな。しばらく前にカーティス先生も呼んだんだが……まだ来ないところを見ると、その連絡もどこかで弾かれた可能性はあるかもな」
守護精霊の緊急連絡先はいくつか設定されている。一番は大聖堂、二番に近場に聖騎士がいる場合はその聖騎士、本当に命の危険がある場合はその二つに連絡を入れながらも、守護対象が望む相手の元に飛ぶ場合もあった。
「まいったな……もしや結界により隔離されたか?」
なぜ、結界を張る必要があったのか。結界とは、敵の侵入を防ぎ、結界の中にいる者を護るためのものだ。あるいは、結界の中にいる者を外に出さないため。
学園における結界の用途は、言わずもがな前者だ。では、魔が張った結界は一体、何のためのものなのか。
おそらく、それも前者だろう。護られる対象は魔自身だろうが、ジークフリート達を敵と仮定してあの魔は結界を張ったのだ。己の邪魔をさせないために。
「魔に憑かれても、人によっては憑かれた者の意識がある程度残る場合があると聞いたことがある。だからと言って、身体の主導権はあくまで魔にあるが……。憑かれた相手は騎士科の生徒だ。敵と相対する場合の戦略として、結界という方法を取った可能性があるのか……?」
「あるかもな……ただ、どの魔にもそれが可能となると、今後は魔に対する認識を改めなければならない」
魔に憑かれた生物は、まるでそれが本能だとでもいうように目の前の存在を敵と認識し、それを屠ろうとする。しかし、その行動は大抵が直情型の攻撃手法であり、敵に対して戦術的な行動をとったりはしない。
だが、今回の魔はおそらくそれをやっている。
「まるで魔と人間の模擬戦のようだな……」
ロイドが何気なくつぶやいた言葉に、ジークフリートは戦慄した。
この場に二体もの魔がでたということは、どこかに三体目が出ていないとは言い切れない。ここでは結界で分かたれた区域にそれぞれ魔が出現している。場所別ということで考えると、今、ジークフリート達は、三か所に分かれている。
サミュエル達のいる区域、ジークフリート達のいる区域、そしてもう一つ、フィーラ達のいる区域。
三か所にそれぞれ、一体ずつ魔があてがわれたとしたら――。
あてがわれた。そのような物言いを考えた自分をジークフリートは心の中で笑う。まるで誰かの意思の元、魔が現われたかのような表現だ。
だが、あの時の魔ならば、それは可能かもしれない――。
フィーラが次代の精霊姫だということを知っているのは、この場ではジークフリートだけだ。しかし精霊王との約束がある以上、そのことを口に出すわけにはいかない。
「フィーラ嬢を探さなくては……」
王宮の時もそうだったが、通常は強い結界が張られている場所に、魔はやすやすと出現した。この学園も、精霊姫の選定が行われている現在は王宮並みかそれ以上の結界が張られているはずなのだ。
しかし、今また、魔はジークフリート達の前に出現している。結界に穴があるのか、あるいは魔の力が結界を破るほどに強くなっているのか。
どちらにしろ、どこであろうと魔が現われる可能性があるのなら、フィーラ達のいる場所が安全などと軽々しく考えることは出来ない。
「ロイド……俺はエルザとフィーラ嬢、クレメンス君を探しに行ってくる。……三人が帰ってこないことに魔が関係していないとは言い切れない」
ジークフリートの推測に、ロイドも険しい表情で頷く。
「僕も一緒に行く」
「お前は残れ。俺には守護精霊が付いているから大丈夫だ」
「……ではせめてクリスを連れていけ」
「駄目だ。それではお前が丸腰だ。大丈夫、確認をしてくるだけだ。無事だったら、その場で事態が鎮静化するまでやり過ごせばいい」
「もし、お前の推測が当たっていたらどうする?」
「そのときのことはそのとき考えればいい」
ジークフリートはそれでも何かを言おうとするロイドを残し、控室へと向かった。
「エルザ! フィーラ嬢!」
控室のある小屋に来たジークフリートは三人の姿が見えないことに不安を覚えた。
「三人ともどこに行ったんだ……!」
精霊士候補であるクレメンスや剣の腕の立つエルザがついているのだ。こちらにも魔の影響があったとしても最悪の事態にはならないだろうが、その二人だけでは心もとないのも事実。
三人の姿を探すジークフリートは、しばらく進んだ先で地面に倒れているクレメンスを見つけた。
「クレメンス君!」
ジークフリートはクレメンスに駆け寄り、助け起こす。
「おい! 大丈夫か!」
ジークフリートの呼びかけに、クレメンスが目を覚ました。
「……殿下。……俺はどうして」
先ほどまで意識を失っていたクレメンスは、はっきりと状況を把握できていないようだ。
「フィーラ嬢とエルザは⁉ どこに行った」
フィーラとエルザ、二人の名前を聞いたクレメンスは意識を失う前のことをはっきりと思い出したらしい。その表情に、焦りが見て取れる。
「殿下! 対戦相手側のアーロンという奴、……魔に憑かれました」
「……くそ! やはりか」
イアン同様、アーロンも聖騎士候補だ。精霊を迎え入れ、魔と戦うはずの聖騎士候補が二人も魔に憑かれるとは。
「フィーラとエルザに俺の精霊をつけましたが、どこまで持つか……」
「……よくやった、クレメンス君。君は自分の精霊を追えるか?」
「……はい。精霊を二人につけたといっても、俺との繋がりは絶っていません。位置の確認は出来ると思います」
「そうか、では今すぐやってくれ」
ジークフリートの言葉に、クレメンスが頷き目を瞑った。精霊の居場所を特定するため、集中しているのだろう。
「……ここからそう遠くない場所に二人はいます。けれど闘技場とは反対方向だ……」
「二人は無事なんだな?」
「はい。大丈夫です。ですがあまり悠長にしてもいられません。アーロンは魔に憑かれながらもちゃんと剣技を繰り出していました。……動物に憑いた魔よりも人間に憑いた魔の方が厄介だとは習いましたが、その通りですね……」
「しかも魔に憑かれたのが騎士とは……本当になんて厄介な」
魔に憑かれた生物は、ほとんどの場合は身体能力が向上する。
それは魔の力が相乗しているからとも、普段は生存本能によって無意識に抑制されている力を、魔によって身体の限界まで引き出されるからともいわれている。
生物が魔に憑かれた場合、魔もろとも消滅させざるを得ない場合がほとんどだが、運よく魔だけを祓うことが出来ても本来の限界を超え駆動された身体は、すでに使い物にはならない場合が多いのだ。
だが、普段から身体を鍛えている騎士ならばどうだろう。どこまで魔に体を侵されたかも関係してくるのだろうが、普通の人間よりは助かる可能性は高くなりはしないだろうか。
しかし同時に、通常よりも強い個体になることは必至であるため闘う側にも相応の対処が求められる。
下手を打つと相打ちなどという危険性も出てくるかも知れない。
「……いや。魔と対峙する者たちは常に命がけか」
安全圏にいるとつい忘れてしまいがちだが、魔と戦うということは、常に死と隣り合わせなのだ。
聖騎士であっても、騎士同様命を落とす者はいる。
「ジークフリート殿下……俺たちだけであいつに対抗するのは無理です。応援を……」
「ああ、わかっている。しかし、大聖堂とは今連絡が取れない状態だ。それに、闘技場にも魔がでている。しかも二体だ。向こうは向こうで手一杯だろう。一応カーティス先生の元へは精霊を飛ばしたが、使ったのは分身だ。このような状況では無事辿り着けたかはわからない」
「二体⁉ そんな……それに、どうして大聖堂と連絡が……」
「……クレメンス君。君、一人で歩けるか?」
「え? ……はい。大丈夫です」
「今から私は二人の元へ向かう。私の精霊と君の精霊との情報共有は出来るか?」
「殿下、俺も行けます!」
「だが……」
「……俺の精霊は護りと癒しは得意なんです。彼女たちは精霊姫候補です。護れる確率が上がるなら、俺もいたほうがいい」
「……わかった」
もし、彼女たちの元に魔がいた場合、ジークフリートとクレメンスの命の保証はできない。
通常ならば――。
だが、フィーラは次代の精霊姫だ。彼女に危険が迫っているのなら、精霊王がそのままにしておくわけはない。
これはただのジークフリートの希望に過ぎないのかもしれない。だが、たとえ精霊王の助けが見込めなくとも、あの二人を死なせるわけにはいかないのだ。
大切な従妹と、大切な友人の妹。
おそらく、ジークフリートが己の命よりも大切だと思う二人の女性――。
助けを待った方が良いのかもしれない。護身術程度の剣の技量しか持たないジークフリートと、精霊士、しかもまだ候補であるクレメンスが駆け付けたとして、どれほどの力になるのかはわからない。
結果的には、クレメンスをジークフリートの我儘に付き合わせることになってしまうが……。
「……あの二人は、大切な友人なんです。絶対に、護って見せる」
クレメンスもきっとジークフリートと同じ気持ちだろう。クレメンスの表情から己と同じ思いを感じ、ジークフリートは口元を緩ませた。




