第82話 再び、遭遇しました。
時間が経つのが速すぎる……。更新遅くてすみません。
エルザとアーロン、試合を終えた二人が観覧席へと戻ってきた。
「フィー」
額に汗を浮かべたエルザが、笑顔でフィーラに近寄る。
「エル! お疲れ様。格好良かったわ」
――本当に恰好良かったわ。わたくしもあんな風に動けたらどれだけ爽快なのかしら?
「ありがとう、フィー」
上機嫌なエルザとは反対に、対戦相手のアーロンの表情は暗く、かなり落ち込んでいるのが傍目にもわかる。
「……殿下。ご期待に添えず申し訳ありません」
アーロンがサミュエルに頭を下げる。お遊びとはいえ、王太子であるサミュエルに請われて模擬戦にでるのは、やはり騎士にとっては名誉なことなのだろう。
エルザに敗れたことで、アーロンはサミュエルの期待を裏切ってしまったと思ったのかもしれない。
「気にするな。なかなか面白い試合だった。しかし想定していたより早く終わったな」
サミュエルの言葉に、アーロンの肩が跳ねた。サミュエルにそのつもりはないだろうが、アーロンは責められたように感じたのかも知れない。
「少し間を開けるか。次の試合は十五分後にしよう」
門限まではまだ二時間近くある。サミュエルの言う通り、エルザとアーロンの試合が早く終わったため時間に余裕があった。
「あの……すみません、殿下。もう少し時間を貰っても? 少し汗をかいてしまって……」
エルザがためらいがちにサミュエルに声をかける。さすがのエルザも、他国の王太子であるサミュエルには殊勝な態度だ。
「ああ、構わない。……そうだな、二十分……いや三十分以内には戻れるか?」
「はい! ありがとうございます。十分です」
サミュエルに礼を言った後、エルザがフィーラに小走りで近づいて来た。
「フィー、私はちょっと向こうで着替えてくるよ」
エルザがフィーラに身を寄せ、少し離れた位置にある闘技場の控室がある方角を見ながら小声で囁く。
控室は闘技場の裏手側にあるため、ここからは見えない。しかし三十分もあれば、着替えて戻ってくることは十分に可能だろう。
三十分は長いと異論が出るかと思ったが、会場中の観覧者たちも各々話が盛り上がっているようだし、特に今回の模擬戦の目玉は次のテッドとエリオットの試合だ。
――待つ時間も楽しみのひとつよね。
「わたくしも行くわ、エル。見張り役として」
「頼もしいね。じゃあ、お願いしようかな」
ベンチに置いてあったエルザの私物が入った袋を持ち、フィーラたちは控室に向かって歩きだした。
小さな小屋といった風情の控室の中には、フィーラたち以外は誰もいない。
闘技場は騎士科内に何か所かあって、一番小さいこの闘技場が今日は貸し切りとなっている。
――王族が三人もいるのだもの、否とは言えないわよね。普段からあまり使われていない闘技場だと聞いたし、それほど支障はないと思うけれど……。
この控室も床に埃がたまっている。あまり使用されていないのは明白だ。
「いやあ、まいった。ジーク以外と手合わせしたのは久しぶりだったけど、やっぱり緊張感が違うね。ちょっと動いただけでこれだけ汗をかくなんて、昔はなかったのになぁ。鍛え直さないと」
エルザは長い黒髪をリボンでしばり、手早く布で背中の汗を拭き、あっという間に着替えてしまった。
――エル、一人で着替えるの慣れているわね……。
「一応着替えを持ってきておいて良かったよ。汗だくの服を着たままなんて、気持ち悪い。……さて、着替えも終わったし、早く戻ろうか。テッドさんの試合が始まっちゃう」
「そうね」
――わたくし、テッドが戦うのって初めて見るのよね。護衛はしてもらっていたけれど、護衛が戦うような危険な目には合わなかったし。
テッドもあの若さで公爵家の護衛団に入れたのだ。強いということを疑ったことはないが、テッドの朗らかな印象から、フィーラにはテッドが戦う姿というものがあまり想像できなかった。
控室を出て闘技場へ戻ろうとするフィーラたちの前に、男が立ちふさがった。
剣を持つその男は、灰色の髪に茶色の瞳。さきほどエルザと対戦をしたアーロンだ。
「君さ……。私が着替えに来たことくらい察しが付くだろ? 無粋だよ。何か用?」
エルザがフィーラを背に庇う。たとえエルザがこちらで着替えをしていることを知らなかったにしても、今のアーロンは、エルザがフィーラを背に隠すほどには異様な雰囲気を出していた。
――周りの空気が淀んでいるように重く感じるわね……。先ほどの試合の結果に文句を言いに来たのかしら?
エルザの手を取ったアーロンだったが、心底納得したわけではないだろう。
「……お前などに……女などに……俺が負けるわけがない」
アーロンのつぶやいた言葉に、エルザがため息をつく。やはり、先ほどの試合に納得がいかないようだ。
「そうはいっても、負けたのは事実なんだから仕方ないよね?」
エルザの言うとおり、どんな負け方をしようと負けは負けだ。背中を狙ったと言っても、不意打ちというわけではないし、戦場において敵の性別は関係ない。エルザが女性だということで油断したのだとしたら、それはやはりアーロン自身の落ち度だ。
「お前などに……お前などに……。女のくせに、剣を握るなど……」
アーロンはエルザの言葉などまるで聞こえていないかのように、一心に地面を見つめながらエルザを否定する言葉をつぶやいている。
「……エル」
フィーラはエルザを見上げる。アーロンの言うことは、もちろん言いがかりだ。けれど、その言葉にエルザが傷つかないか心配だった。
「埒が明かないな。女がどうのこうの言う前に、君が男らしくないぞ」
「……お前などに!」
アーロンの身体から黒い靄が立ち上がる。それを目にしたフィーラの脳裏に、デュ・リエールでの光景が思い浮かんだ。
――嘘でしょ……。あれって……。
「エル! アーロンは魔に憑かれているわ! ここから逃げなくちゃ」
「魔に? なにを言っているの、フィー」
「黒い靄! 黒い靄が見えるでしょ⁉」
「靄?」
怪訝そうに眉を顰め、眼をすがめてアーロンを見るエルザを見て、フィーラはエルザには黒い靄が見えていないのだと知る。
――エルにも見えていないの? 同じ精霊姫候補だから見えると思っていたのに……。
「エル! わたくし、一度魔に憑かれた人間を見たことがあるのよ! 彼は魔に憑かれているわ! 早くここから逃げましょう!」
「わかった」
フィーラの剣幕に、エルザはフィーラの言っていることが真実だと判断したらしい。
フィーラ達がアーロンを回避して逃げるべく方向を変えようとしたとき、低く、穏やかな、聞きなれた声が聞こえた。
「……おい。フィーラ、エルザ。そろそろテッドさんの試合が始まるぞ」
陽光に輝く銀色の髪。フィーラとエルザを呼びに来たクレメンスがそこにいた。
「クレメンス! 来ては駄目!」
フィーラの声に反応するかのように、アーロンの身体から黒い靄が噴出する。
アーロンは上半身を捻って斜めに構え、剣の柄を握り締めた。
「あれか、靄って……」
噴出する靄の量が増えたことで、ようやくエルザの眼も靄を捉えたらしい。
アーロンが斜めに剣を振り上げると、振り切った剣先からフィーラたちに向かって黒い瘴気が飛び出した。




