第8話 今日はお祝いです
フィーラがいなくなった書斎で、ゲオルグとコンラッドは今後の事を話し合っていた。
「コンラッド、至急謁見の願い出を王宮へ。それが終わったら、屋敷内の使用人すべてに夕食時に食堂へ集まるよう通達。あとは料理長にいつもより多めに、そうだな……使用人全員に行きわたるぐらいの豪勢な料理を作るよう言ってくれ、今日は祝いだと」
さらさらとペンを走らせながらコンラッドに指示を飛ばすゲオルグは、普段の様子からは考えられぬほどに機嫌が良かった。しかし、それはコンラッドとて同じだ。
「内容は、王太子妃候補の辞退の件でよろしいですか」
主へと確認をとるために放たれたコンラッドの声が、いつもより少しだけ弾んでいるように聞こえるのは、ゲオルグの気のせいではないだろう。
「もちろんだ」
コンラッドの手のひらが淡く光り、光の玉が浮かび上がる。その玉に向かってコンラッドが先ほどゲオルグに確認した事柄を話しかけると、光の玉は何度か点滅し、またコンラッドの手のひらへと沈んでいった。
「フィーと向こうの気が変わらないうちに話を付けてしまおう」
ゲオルグにとってその光景は見慣れたもので、特段注視するほどのものではないようだ。
「そうですね。それがいいです。しかし旦那様。お嬢様が候補から外れたというのに祝いなどと言ったら、料理長にどう思われるか」
「ん? ああ、そうか。マルクはフィーのファンだったね」
「ええ。お嬢様の舌には感服すると、常々申しておりますからね」
大抵の者にとってのフィーラは、単なる癇癪持ちの我儘娘であったが、ごく一部の人間には可愛いじゃじゃ馬娘として認識されていた。
恐らく相性もあったのだろうが、フィーラの我儘は心を許した人間に対しては、多少抑えられていた傾向があった。そのため、きつい言葉の裏に隠された本当の心に気付く人間も存在した。
それが、ゲオルグであり、コンラッドであり、料理長のマルクであった。
もっともマルクに対しては料理の味や見栄えに対して、普通の精神の人間であったなら、自ら仕事を辞しかねないほどには散々文句をつけてはいたのだ。
しかし、マルクに限っては何故かそれが良い方向へと働き、マルクは今ではフィーラの味覚やセンスに対し、並々ならぬ尊敬の念を抱いてしまうほどになっていた。
「そうか。じゃあ、そこは上手いこと言っておいてくれ。まあ、王太子妃候補の辞退の件は、マルクも賛成じゃないのかな?」
ゲオルグが意味ありげに口の端を上げる。
「ええ、それはもちろんそうでしょう」
コンラッドも同様に、さもありなんと言った体でほほ笑んだ。
「そうだろう? 可愛いフィーを王家になぞ、渡してなるものか」
「不敬では? 旦那様」
「構わないさ。王太子殿下はフィーの真実の姿に気付かず、どうやら毛嫌いしているようじゃないか。そんな男に可愛い娘をやりたいなどと、思う親がいるか?」
「もっともでございますね」
フィーラは確かに癇癪持ちで我儘で、人当たりがきつい。だが、フィーラ自身は相手を嫌ってそのような態度をとっているわけではないのだ。ただ、純粋に、思ったことを言い、己の心に従って行動しているだけ。
それはそれでどうなのだと思わないでもないのだが、真実はどうあれ、フィーラほどの身分となれば、事実、それは許されてしまうことなのだ。
実際、フィーラは以前の自分のことをとんでもない我儘癇癪娘であったと思っているのだが、ほかの令嬢とて、屋敷の中ではフィーラと似たり寄ったり、むしろより陰険な手段を用いて使用人をいじめていたりする。
しかし、外面は良いため、人の口には上りにくい。むしろ誰に対しても裏表なくきつく接するフィーラは、ある意味純粋であると言えなくもない。
ゲオルグもコンラッドもそう言った令嬢たちの事情を見知っているからこそ、そして、コンラッドの精霊がフィーラに対して常に好意的だったこともあり、フィーラに対しては、つい採点が甘くなってしまっていた。そして二人ともそれを自覚している。
ゲオルグの侍従であり、精霊士でもあるコンラッドだが、その事実をフィーラは知らない。
どれほどフィーラが我儘三昧だとしても、精霊は真に性根の悪い人間を嫌う傾向にあるため、コンラッドもゲオルグも、コンラッドの精霊に嫌われないフィーラに対しては、フィーラや周りが思うよりも楽観視していた。
だが、そういった事情を省いたとしても、メルディア家にとってフィーラは唯一の女児で、ゲオルグにとっては愛する妻の忘れ形見であり、コンラッドにとっても赤ん坊の頃から見守って来た年の離れた妹のような存在なのだ。そんなフィーラが良い方向へ変わってくれたことに、喜ばない筈がない。
「さあ、はやく王家に絶縁状……もとい婚約辞退の書状を出さなくては。コンラッド、これから王宮へと向かう。馬車の用意を」
「承知しました」
ゲオルグもコンラッドも常になくやる気に満ち満ちていた。
今夜の投稿はこれで終了です。




