第79話 近衛騎士
一話投稿します。
白を基調とした大理石が幾何学的な紋様を描く床を、コツコツと音を立てながら一人の男が歩いている。丁寧に磨かれた床は、鏡のように、歩く男の姿を映していた。
短い黒髪に、鋭い青い瞳。近衛騎士の制服を着た男は、目的地の扉の前に立ち一呼吸してから扉を叩いた。
すぐに返ってきた中からの招きに応じて、男は扉を開けて部屋へと入る。
「お待たせしてしまい申し訳ありません。サミュエル殿下」
遅れたことを詫び膝を折るが、「堅苦しい」というサミュエルの言葉で男はすぐにまた体を起こした。
「呼びだしとは珍しい。一体どうされましたか?」
「ああ、ちょっと学園で面白いことがあってな」
執務机に座るサミュエルのすぐ隣では、侍従がお行儀よくサミュエルの指示を待っている。そんな侍従にサミュエルが目配せをすると、侍従はヴァルターに一礼をして部屋から出て行ってしまった。
確か、サミュエルの侍従もサミュエルと一緒に学園へと通っていたはずだ。サミュエルに合わせて彼も王宮へと戻ってきたのだろう。
基本、学園に通う生徒は寮で生活をするが、王太子としての業務をこなすため、サミュエルは頻繁に王宮へと戻ってきていた。
学園に在籍する王族は、どの国の者も時折国へと戻っている。それを可能とするのが学園と聖五か国、それぞれの王宮へと続く転移門だ。
精霊の力を借りて稼働するこの転移門は、王族以外でも申請すれば一般の生徒も使用ができるし、有事の際には避難経路ともなる。
「学園で?」
「明後日、騎士科の生徒を交えて模擬戦をすることになった。……ああ、もちろん俺は出場しない。ロイドの集める手数と、俺の集める手数で行う、ほんの遊びだ。だが、お前も騎士科は懐かしいだろう? 今度俺の護衛がてら一緒に見に来たらどうだ?」
「私はすでに卒業した身ですが……」
「申請すれば大丈夫だ。知っているだろう?」
「……」
「セルトナー家のリーディアも一緒だ。ルーカスも連れて行こうと思っている。お前も来い、ヴァルター」
「……承知しました」
――セルトナー家のリーディア。
サミュエルの口から出た名前に、ヴァルターは愛らしい令嬢の姿を思い浮かべる。
メルディア公爵家の娘であるフィーラとの婚約話が白紙へと戻ってから、次の婚約者候補として最有力視されているのがリーディアだった。
そのリーディアの兄であるルーカスは、ヴァルターの同僚でもある。だが、決して仲が良いというわけではない。
公爵家という身分ゆえ、階級はルーカスの方がヴァルターよりも上だったが、実力は自他ともにヴァルターが上だと認めている。
そのことも原因のひとつとなっているが、そもそも寡黙なヴァルターと、雄弁なルーカスとでは性格が合わなかった。ゆえに、お互い必要以上に近づこうとはしない。
リーディアを連れ立つからルーカスも、というのはまだわかる。だが、ヴァルターを連れていく意味とは何か。考えられることは、騎士科の生徒の引き抜きだ。
騎士科から優秀な学生を、将来を見越して引き抜くことはどこの国の騎士団でも行っている。そのため、騎士団の者が学園へと視察へ入ることはままあることだった。時には普段通りの相手を観察するため、身分を隠して行くこともあった。
ルーカスだけではなくヴァルターを連れていくということは、サミュエルにはよほど推薦したい学生がいるのだと考えることが出来る。
侯爵家の出身であるヴァルターは、家格では公爵家であるルーカスには適わない。だがヴァルターの家は剣の名門だ。
ヴァルターも、若くして新人騎士の教育を任されている将来有望な騎士だったし、サミュエルの覚えも、今のところめでたい。
だからこそ、サミュエルは今回の模擬戦にヴァルターを連れて行こうとするのかも知れない。
「――ああ。ついでに騎士科の生徒で誰か二人、紹介してくれないか。一人はもう決まっているがあと二人がまだ見つからない」
「……悠長ですね。明後日なのでしょう?」
「条件はあちらも一緒だ。あちらはすでに二人までは決まっているようだが……」
「……てっきり、近衛騎士に推薦したい学生がいるのかと思いました」
「ああ、いる。だがうちの近衛騎士にはならないかも知れないが」
「国が違いますか?」
「いや。だがどちらになろうとも、この国には有益なことだ」
サミュエルの言葉にヴァルターはひとつの事実に思い至る。
現在、この国の学園では精霊姫の選定が行われている。それだけではなく、聖騎士、精霊士に至るまで、候補としてこの学園に集まっているのだ。
この国出身だが、近衛騎士にはならないかも知れない。
サミュエルのどちらになろうともという言葉は、その学生には選択肢が二つあることを示している。
もちろん、騎士科を出たとはいえ、必ずしも国所属の騎士になるとは限らない。だが、多くの騎士科の学生は、国の騎士団へと入ることを目標としている。
国所属の騎士よりも有益な選択肢。それはサミュエルが推薦しようとしている者は、聖騎士候補だということになる。
「相手は聖騎士候補ですか?」
「……一人は、な」
「一人は……ではもう一人は?」
「当日確かめろ。ヴァルター」
サミュエルがヴァルターを見て笑う。
幼い頃から知っているサミュエルが、最近とみに父親である国王に似てきていることを、頼もしくも複雑な感情でヴァルターは見つめた。




