第73話 鉢合わせました
一話投稿します。
刃物がぶつかり合う硬質な音が耳朶を打つたびに、全身がぞくりと震える。
――前世では真剣で戦う人たちなんて、実際に見たことなかったものね。
エルザの希望で騎士科の訓練を見に来ていたフィーラ達だったが、実はフィーラも騎士科の訓練を見るのは楽しみにしていた。
以前は特になんとも思っていなかったのだが、今のフィーラは純粋に、前世ではあまり馴染みのなかった騎士という存在に対しての興味があった。
――まあ、それを言ってしまえば、実際はこの世界すべてが興味の対象なのだけれどね。
王族も貴族も騎士も、前世のフィーラの身近にはいなかった。ましてや精霊や魔など、物語の中でしか存在しないものだった。
前世を思い出してからこちら、自分のことに精いっぱいで、ゆっくりとこの世界を堪能する余裕がフィーラにはなかった。
サルディナの一件以来、フィーラは自身の在り方について、よく考えようになっていた。
補欠とはいえ、今のフィーラは精霊姫候補として学園に在籍している。では精霊姫候補として己にできることとは何なのか。
フィーラには特に秀でた才能などはない。すこしばかり優秀とはいえ、この学園を卒業したら、きっとどこかへ嫁ぎ、平凡な人生を送ることになるだろう。
平凡な人生がダメだと言っているわけではないのだ。それはとても得難いものだということを、フィーラはちゃんと知っている。
あまりよく覚えてはいないが、前世、フィーラが亡くなったのは老衰ではない。
死は突然訪れる。それは理解している。だが、魔に憑かれたサルディナの死を、フィーラは受け入れることが出来なかった。あまりにも理不尽だと思ってしまった。
精霊や魔が存在するこの世界では、魔に憑かれた末の死も、きっと数ある死のうちのひとつなのだろう。
ほかの死はよくて、魔に憑かれた末の死だけがダメなどということは、きっとその想いこそが理不尽なのだ。
だが、やはり防げるものなら防ぎたい。その手立てのひとつとなるのが精霊姫だというのなら、フィーラは以前のように、精霊姫になるのをただ避けようとすることは自分のエゴではないかと思うようになった。
――だからといって、以前のようにわたくしが精霊姫に相応しいなどとは思わないし、積極的にやりたいとはやっぱり思わないけれど……候補でありながらそのための努力をしないのも、違うのではないかと思ってしまったのよね。
フィーラが精霊姫に選ばれることは、きっとない。けれど、精霊や魔について知ることは無駄なことではないはずだ。
――今度、図書館で勉強してみましょう。
「おっ、そこだ! ……おい、退くな!……あーあ。ダメだな、あの彼は」
エルザの興奮した声に、フィーラは意識を引き戻された。
「……そうか? 厳しくないか?」
「あそこで退いちゃ、敵が踏み込んでくるに決まってる」
「そこまで悪くはない気がするが……むしろあれは相手が悪かったのではないか?」
「そんなことない。私だって踏み込むよ」
エルザとクレメンス、ジークフリートは騎士たちの訓練を見て、談義をしているようだ。
フィーラなどは剣の何が分かるわけでもないので、ただ興奮しながら見ているだけなのだが。
「いかがですか? フィーラお嬢様?」
隣に立つテッドが、フィーラに気を使って話しかけてくれる。
「すごいわね! とても面白いわ。うちの護衛団の訓練もあんな感じなのかしら?」
「ええと、……そうですね。……あんな感じです」
テッドが周囲を見渡してから、おずおずと答えた。
「フィー。メルディア公爵家の護衛団の訓練はもっとすごいよ?」
聞きなれた美声に、フィーラは慌てて後ろを振り返った。
「お兄様!」
「ロイド様!」
いつの間にか後ろにはロイドと、ロイドのさらに後ろにクリスが立っていた。
ロイドの侍従であるクリスもこの学園に通っているが、学園内では侍従としての仕事よりも学生としての責務を優先させているため、フィーラもこれまであまり会うことがなかった。
ロイドも学園にいる間は、クリスに侍従としての役割は求めていない。クリスは伯爵家出身であり、将来的には公爵家当主となるロイドの侍従となるため、どのみち学園に通うのは必然だったのだ。
「なんだか久しぶりね、クリス」
「そうでございますね。私もいつもロイド様のお傍にいるわけではありませんので、なかなかお会いできずに残念です」
クリスは艶のある黒髪に灰色の瞳のなかなかの美青年だ。ただしロイドの傍にいてもあまり見劣りしていないことを考慮すると、実はなかなかどころではない美青年なのかもしれない。
以前のフィーラはクリスとはあまり話さなかった。常にロイドの傍にいたため、お互いの視界には入ってはいたが、それだけだ。
だが、今では家に帰るたびに何かしら話をする程度には仲良くなっている。
「ロイド、よくここが分かったな」
剣術談義から離れたジークフリートが、ロイドに話しかける。
そんなジークフリートを、ロイドは不貞腐れたようにねめつけた。
「ジーク……なんでここに来ることを僕に黙ってた?」
「……別に黙っていたわけではない。お前は騎士科の訓練になど興味はないだろう?」
「今日のことだけじゃない。最近お前はよく僕に言わずにフィーに会いに行くよな?」
「別にお前の許可をとる必要はないだろう」
ロイドもジークフリートもお互い笑顔だが、その間には緊張感が漂っている。
――あら? もしかしてお兄様とジークフリート様、喧嘩でもしているのかしら? 確かに、最近はジークフリート様お一人でわたくしのところに来ることが多くなっていたけれど……もしかして、お兄様拗ねてるの?
「ジーク。……僕に何か隠してないか?」
「……ない」
ロイドの問いに、ジークフリートは視線を逸らし、歯切れの悪い返答をする。
そんなジークフリートの態度をみて、ロイドが大きく息を吐きだした。
「その態度……あると言っているようなものじゃないか。僕にも言えないことか?」
「……すまない」
「……仕方ない。だが、あまりフィーに構うな」
「それは無理だな」
即答するジークフリートに、ロイドのこめかみがピクリと反応する。
「おい、そういう意味じゃない」
「わかっている。……フィーに関係あるのか?」
「ロイド、私はこれでも精霊姫選定に関わる王族だ。友人の君にも言えないことはある」
「ふうん。王族が精霊姫選定にね……」
――あら? 精霊姫の選定にはたとえ王族だったとしても関われないのではなかったかしら?
「わかった。それはもういい。それよりも……」
ロイドはジークフリートとの会話を切り上げ、フィーラのそばにいるテッドに向き直る。
「テッド・バーク」
「っはい!」
「何で君がここにいるのかな?」
「え、ええと、あの…」
ロイドに見つめられたテッドは蛇に睨まれた蛙のように身をすくめた。
「お兄様……わたくしたちがテッドに会いに来たのですよ?」
会いに来た相手がいるのは当たり前ではないか。
だが、フィーラの言葉に、ロイドは目を見開いている。どうやら衝撃を受けたようだ。
「フィー。君、どうして……」
「どうして、とは?」
「何で護衛騎士に会いに来るんだ!」
「護衛騎士だからではないですか。いわば身内ですよ?」
「身内……!」
「? はい。今は聖騎士候補として学園に来ていますが、テッドはもともとうちの護衛団所属ですし、万が一聖騎士に選ばれなかったときは、またうちで働いてくれると言っているのです。立派な身内ではないですか」
「……!」
フィーラの言葉にロイドは言葉もないらしい。
ロイドは礼儀には多少うるさいが、身分にこだわる性格ではなかったはずだ。公爵家の使用人にも慕われていた。まさか使用人に会いに来たのが気に入らないというわけではないと思うのだが。
「……ロイド、お前。さすがに妹離れが出来ていなさすぎだぞ」
フィーラとロイドの一連のやり取りを見ていたジークフリートが呆れたように言った。
「……うるさい、ジーク」
衝撃を受けてしばらく固まっていたロイドだったが、ジークフリートの言葉に反応し、子どものような反撃の言葉を口にする。
「まあ、フィーは可愛いし、綺麗だし。お兄さんの心配もわかるよ」
うんうん、とエルザが腕を組み頷く。
エルザの言葉に、またもやロイドの表情が固まった。
「……フィー?……君、今、フィーと言ったのかい?」
「え?」
「ロイド、落ち着け。こいつは違う」
ジークフリートがエルザの肩をひき、ロイドから離す。
――え? もしやお兄様もエルのこと男性だと思ってるの?
「お兄様、エルは女性ですわよ?」
「分かっているよ、そんなこと」
「「「「え?」」」」
ジークフリートとエルザ、ついでにクリスとテッドが同時に声をあげた。ちなみにクレメンスはロイドが現われてから、賢くもずっと無言を貫いている。
「何を驚いているんだ? 見たらわかるだろ?」
「お兄様……!」
フィーラは尊敬のまなざしで己の兄を見つめた。
――さすがです! と言いたいところだけど、それではエルに失礼な気がするので言えないわね。
「なら、何に怒ったんだ?」
「……何か気に食わない」
「子どもか、お前は」
「お前こそ、たとえ僕が彼女を男だと思っていたとしても、だ。手を出すとでも思ったのか?」
「……条件反射だ」
ロイドはともかくとして、エルザを初めてみた人間は、やはりエルザを男性と判じるものが圧倒的に多い。
エルザは髪や肌の艶など男性にしては美しすぎるのだが、れっきとした男性であるクレメンスがとても美少女なので、クレメンスを知っている相手などは特に、エルザのことを男性だといわれても、皆疑問を持たない傾向にあるとフィーラは思っている。
あるいは、女性が男性の恰好などするはずがないという己のなかにある常識が、エルザの女性らしい部分にあえて気づかせないようにしているのかもしれない。
――お兄様はクレメンスを知らなかったし、何事に対してもあまり偏見を持たないからすぐにエルが女性だと分かったのかしら? ……そうだわ。クレメンスと……あと、エルのことも、まだちゃんとテッドに紹介していなかったわね。
フィーラはまだテッドにすら、二人のことをちゃんと紹介していなかったことを思いだした。
「お兄様、クリス、テッド。あらためてわたくしの友人を紹介させてくださいませ。こちらが精霊姫候補のエルザ・クロフォード様、そしてこちらが精霊士候補のクレメンス・ダートリー様ですわ。お二人にはいつも本当にお世話になっておりますの」
「初めまして、ロイド様。フィーの友人のエルザ・クロフォードです」
「クレメンス・ダートリーです。……よろしくお願いします」
フィーラの紹介を受けて、二人がそれぞれ挨拶をする。
「ああ。僕はロイド・デル・メルディア。こっちは……」
「クリス・ランテットです。学園外ではロイド様の侍従をしております」
ロイドとクリスのあとに続いて、テッドも挨拶をする。
「……テッド・バークです。あの、どうぞよろしくお願いします」
「ちなみにエルザは私の母方の従妹だ」
「……どうりで。似ていると思った」
ロイドがエルザとジークフリートを見比べて納得した、といった表情で頷く。
「で、全員で何をしにテッド・バークに会いに来たんだ?」
「何をしに……と言われても」
もともとテッドに会いに来たのはフィーラだけで、他三人はただのフィーラのつきそいだ。何をしに、と言われると返答に困る。
フィーラはただ、テッドと他愛もない話をしにきただけなのだ。
フィーラが答えにもたついていると、エルザがロイドの問いに答えた。
「私は、騎士科の訓練が見たかったんだ。クレメンスは友人だから誘ったんだよ」
「騎士科を?」
「そう。偵察。今後のためにね」
「偵察?」
エルザの言葉にロイドが眉を顰める。女性のエルザが騎士科の偵察といっても、普通は素直に納得できないだろう。
「俺は二人のつきそいだ」
ロイドの気を逸らすかのように、ジークフリートが声をあげる。
「お前は……まあいい。フィーの護衛としては丁度いい。少しは剣も扱えるしな」
「おい。王族を護衛扱いするな」
「実際そんなものじゃないのか? 今のお前は」
「……」
ロイドの言葉に、ジークフリートが押し黙る。
ジークフリートがフィーラとエルザのために騎士科についてきてくれたのは事実なのだ。
――お兄様、やっぱりジークフリート様に誘われなかったのが面白くないのかしら? 仲が良いわね。……ちょっと子どもみたいだけど。
フィーラがロイドとジークフリートのやりとりを微笑ましく眺めていると、なにやら周囲が急にざわつき始めた。
声のするほうを見ると、フィーラたちと同じく、制服姿の集団が目に入った。
「……あれ、サミュエル殿下じゃないか?」
クレメンスの言葉に、フィーラが目を凝らして金髪のサミュエルと思しき人物を見る。
確かに、クレメンスの言う通り、あれはサミュエルだ。
――どうしてサミュエルがここに? 王族として騎士科の激励にでも来たのかしら? でも連れている人数が多いわね……。
王族が国の施設を訪問することはよくあることだ。サミュエルも入学前にすでに何度か学園に来ているはずだ。
こちらの視線に気づいたサミュエルたちが、フィーラたちの元へとやってきた。
だんだんと近づいて来る集団の中に、フィーラは見知った顔を見つける。
――ステラ様……。と、リーディア様。
ステラがサミュエルと一緒にいるのはすでに見慣れていたが、そこにリーディアが加わっているところははじめて見た。
だが、一緒にいる人物たちの中で知っているのはこの三人だけだ。あとの三人には見覚えがない。
クリーム色の髪に、紅茶色の瞳の男性。濃い蜂蜜色の髪に、菫色の瞳の男性――この人は肌が少し濃い色彩をしている。南国の血が入っているのだろう。あとは、金髪の巻き毛に青い瞳の男性――。
――あっ! この人……この間テッドに絡んでいた人だわ!
名前は確か……エリオットと言っただろうか。
――どうしてサミュエルと……?




