第66話 マウンティングですか?
一話投稿します。
「…ねえ、見てあの方…」
「…まあ。重そうな三つ編みですこと…」
「…いやだわ、陰鬱ね…」
「…背が高くていらっしゃるのね…。わたくし、最初にお見かけした時は男性かと思いましたわ…」
「…あの方、本当に精霊姫候補なのかしら?…」
机の上に本を広げながら、フィーラは教室のざわめきに耳をすます。
休暇が明け学園に戻ったフィーラは、先日の事などまるでなかったかのように、平穏な学園生活へと戻っていた。
否、平穏な日常の中にも些細な、しかし、確実に胸を騒めかせる出来事は隠れている。
ざわざわ、ざわざわと。聞こえて来た囁きの内容に、フィーラは呆れてしまった。
――ああ、また……。
さえずる小鳥たちのように美しい声で、何と仕様もないことを言っているのか。
彼女たちの囁きは、一人の少女に向けられていた。陰口、というほどにはきつい物言いではない。
だが、ひそひそ、こそこそと囁かれる言葉たちは、聞いていて気分のいいものではなかった。
――ここは本当に精霊姫候補のいるクラスなのかしら?
何ともはや、年頃の娘たちというものはどこの世界でも、たとえどんなに高貴な身分だろうとやることは変わらないらしい。
自分たちとは異なる存在を排除しようとする心の動きは、人間の性であるともいえるのだが。
――止めてくれないかしら?…夢が壊れるわ。
深窓のご令嬢たちに少なからず夢を抱いていたフィーラにしてみれば、華やかな世界の舞台裏をのぞいてしまったような気分だ。
清く、正しく、美しく。精霊姫候補としての在り方は、実践するのはなかなかにむずかしいものだ。
フィーラは話の的となっている一人の令嬢、エルザ・クロフォードをちらりと見た。
確かに、エルザのことはフィーラも気になっていた。なぜならエルザは目立つのだ。百七十センチは優に超えているだろう長身。艶のない長い黒髪を三つ編みにして両サイドに垂らしているのだが、前髪が長い。目が見えないほどに長い。
――あれは……普通に目に悪いんじゃないかしら……?
しかし、フィーラはこのエルザには一目置いていた。どれほどクラスメイトに先ほどのような陰口もどきを叩かれても、エルザは一向に気にするそぶりを見せないのだ。
――強いのね……。まあ、ああいった陰口くらいなら、大人しくやり過ごすのが一番平和なのよね。
フィーラがじっとエルザを見つめていると、視線を感じたのか、エルザがこちらを振り向いた。その拍子にエルザの長い前髪がさらりと揺れる。奥から覗く切れ長の瞳がとても美しいことにフィーラは気が付いた。
――あら? 結構美人さんだわ。……隠していてはもったいないわね。
何とはなしにフィーラがしばらくエルザと見つめ合っていると、教室の扉が開きマークスが入ってきた。
「はい、皆おはよう。授業を始めるよ」
エルザはマークスの声を聞くとすぐに前に向き直り、何事もなかったかのように教科書を開いた。
「ねえ、あなた。いい加減にしてくれませんこと?」
昼休み、今日も図書館へ行き本を読もうと廊下を歩いていたフィーラは、苛立ちを含んだ不穏な声を聞きつけ、足を止めた。
――何か嫌な感じね。というか今の声、どこかで聞いたことあるような…。
学園の渡り廊下は庭園に面している。この庭園はフィーラのお気に入りの中庭とは違い、廊下を行き交う生徒たちの目につきやすい。そのような場所で、まさか風紀を乱す行為をするわけがないと思いたいのだが…。
フィーラはなるべく足音を立てないよう気を付けながら、渡り廊下を外れ、声のした庭園の方角へと歩みだした。
「いくらジークフリート様がお優しいからって、馴れ馴れしくし過ぎよ!」
聞こえて来た会話に知り合いの名前がでたことに、フィーラは驚く。
――ジークフリート様? ジークフリート様のお知り合いなの?
白い花が咲く低花木の向こう側から、声は聞こえてくる。フィーラはゆっくりと、その木に近づき身を隠した。声が先ほどまでより、はっきりと聞き取れる。
「ジークフリート様があなたにお優しいのは、あなたが従妹だからというだけでしてよ? まさか勘違いなどしていらっしゃらないわよね?」
「……」
「何とかおっしゃったらどうなの⁉」
声の主の言葉の端々から、問い詰めている相手に対する苛立ちが聞いてとれる。フィーラが現場を確認しようと隠れていた木から見つからないように身を乗り出すと、消炭色の髪の令嬢と背の高い黒髪の令嬢が向かい合っているのが見えた。
――あれは…エルザ様と、…確かアリシア様。おふたりともフォルディオスの精霊姫候補だわ。だからジークフリート様とお知り合いなのね。
ジークフリートはフォルディオスの第二王子だ。自国の精霊姫候補とは、それは面識があって当たり前だろう。
――しかも、さっきアリシア様は、エルザ様のことをジークフリート様の従妹とおっしゃったわ。ということは……エルザ様は王族と縁戚ということよね? そんな相手によくあんな難癖をつけられたものね、アリシア様は。
どことなく、アリシアは以前のフィーラに似ている気がする。怖いもの知らずなところなど、かつての自分を見ているようだ。
アリシアの家格をフィーラは覚えていないが、たとえアリシアが公爵家の人間だとしても、王族と縁戚関係にあたる令嬢に対してとる態度ではないだろう。
――怖いもの知らずって、文字通り、本当に怖いわよね……。こんな場面、もし当のジークフリート様に見られでもしたらどうするつもりなのかしら? 同じ学園に在籍しているのだから、あり得ないことではないのに…。
「ねえ! 何とかおっしゃったら⁉」
アリシアがエルザの肩を手荒に押したところで、フィーラは隠れていた木からあわてて飛び出した。陰口くらいなら、エルザが気にしていない限りは許容範囲と思っていたが、このままではアリシアの行為はどんどんとエスカレートしそうだ。
フィーラは一旦呼吸を整え、二人に声をかける。
「あら? お二人ともどうかなさいました?」




