第58話 絶望
誤字報告ありがとうございますm(__)m 一話投稿します。
あの声はフィーラにしか聞こえていなかったということなのだろうか。
フィーラはマークスが授業で言っていたことを思い出した。
魔に意思はない。
魔というものは、光に対しての闇、正義に対しての悪。人間と同じような意思や感情は持ち合わせておらず、ただ純粋な力としてのみ存在するもの。そう教わったはず。
だが、先ほどフィーラと話した男は明らかにサルディナとは別の意思を持っていた。
意思がないはずの魔が意思を持つ。それが意味することをフィーラは知らない。だが、そのことに思い至った瞬間、全身に鳥肌が立った。
魔は精霊と同じように、ながきにわたり研究されている。だが、実は精霊よりも分かっている部分が少ない存在なのだ。
「お嬢さん、さっきの男というのは?」
黒髪の男がフィーラに訪ねる。
「皆さまが到着する前、わたくしは魔と話をしました」
「話⁉」
「ええ。恐らく男性…だったと。サルディナ様の声に重なるようにして、男性の声が聞こえて来たのです」
「…魔に憑かれた者と会話が成立すること自体、普通じゃないが―それが男だったというのか?」
「…サルディナ様の意思ではないように思われましたわ」
「…」
黒髪の男は、そのまま何かを考える様に黙り込んでしまった。
―…分からないことばかりだわ。けれど今考えている時間はない。どうにかして、またあの男、いえ、魔と話がしたい。
「フィーラ嬢…」
フィーラは心配そうにこちらを見つめるジークフリートの視線を振り払い、サルディナに向かってまた声を荒げた。
「ねえ!先ほどのあなた!もう一度わたくしと話をしてちょうだい!」
「ねえ!お願い!出てきて!」
「…お嬢さん、気持ちは分かるが、もう諦めるんだ」
黒髪の男が痛ましいものを見る様にフィーラを見つめる。フィーラの行動は、周りから見たら自棄になっているとしか思えないだろう。もしかしたら、その通りなのかもしれない。
しかし、
「いいえ。諦められません」
フィーラは男の目を見つめ、はっきりと言い返す。
「いい加減にするんだ!こうしている間にも、どのような影響が周囲に出ているかわからないんだぞ!」
大柄な男の恫喝に、フィーラの体が一瞬びくりと跳ねる。
男の言う通りかもしれない。あの魔が通常の魔と違うということは、それだけで、周囲に与える影響も通常のものとは異なる可能性がある。
けれど、ここで諦めるわけにはいかない。前世の記憶があるフィーラにとって、いくら魔を祓うためとはいえ、一人の少女を犠牲にするなど、決してあってはならない選択だ。
―この世界は、前の世界とは違う。それは分かっているわ。でも、それでも…。
「ねえ、お願い!わたくしと話をして!」
何度も大声で叫んでいるフィーラの声は、すでに掠れてきていた。
「…おいディラン。お嬢さんを遠くへ連れていけ」
黒髪の男の言葉に、ディランが動いた。
「…ダメです」
フィーラはディランを見つめながら、頭を横に振る。力づくでこの場から離されたなら、もうフィーラに出来ることなど何もない。
「…悪い」
ディランの答えに、フィーラは絶望する。もうどうすることも出来ないのだろうか。
あの魔が普通と違うということは、聖騎士たちもすでに気が付いている。しかし、直接あの男の声を聞いたのはフィーラだけなのだ。もし、またあの男が出てくれば、サルディナが助かる可能性だってあるかもしれないのに。
ジークフリートは、あの魔がフィーラに興味を持っていると言った。もし自分がこの場からいなくなったら、サルディナの助かる可能性はなくなってしまうかもしれない。
「…お願い。お願い。誰か…サルディナ様を助けて…」
絶望感、無力感に、堪えていた涙があふれてくる。
ディランがフィーラに手を伸ばし、瞬きをする間に、フィーラを肩に担ぎあげた。
「放してください!」
ディランはフィーラの言葉を無視し、ジークフリートに話しかける。
「あんたは…フォルディオスの王族か。すまないが、自分で立てるか?」
「…ああ。大丈夫だ。来てくれて助かった」
「…あんたも無事なんだな。守護精霊が守ったか?」
「いや…。私よりも、王太子であるサミュエル殿下の精霊の方が強いはずなんだが…」
「…。今から二人を安全圏に届ける。そのあとは、このお嬢さんを頼む」
「ああ」
「嫌よ!わたくしは行かないわ!」
「フィーラ嬢、我儘を言うものじゃない」
ジークフリートが幼子を叱る様にフィーラを窘める。
我儘…これはフィーラの我儘なのだろうか。サルディナの命を諦めたくない。ただそれだけなのに。
「ジークフリート様…お願いです。わたくしはこの場に残らなくては…」
「悪いが、フィーラ嬢。いくら王族といえども、この場で私に決定権はないんだ」
「そんな…」
「…行くぞ」
ディランが告げると、来た時と同様、不思議な音が周囲に響いた。
「まって、あの魔は普通の魔じゃないのよ!」
「分かっている」
「だったら、もしかしたらサルディナ様が助かる可能性も…」
「あの魔が普通の魔ではなかったとしても、交渉に応じるとは思えない」
ディランの言葉は、どうあがいてもサルディナを助けることは出来ない。そう言っているようにフィーラには聞こえた。
「ダメ…ダメよ…誰か!」
誰かなどいない。分かっていてなお、フィーラは叫ばずにはいられなかった。この場にいる誰もが、サルディナの命を諦めている。ならば、せめて自分だけは…。
フィーラは大きく息を吸い、もう一度叫ぼうと口を開いた。だが、なぜか声がでてこない。
次の瞬間、一瞬の閃光がフィーラの瞳を射し、フィーラはそのまま意識を失った。




