第55話 再会
今夜は一話投稿します。
サルディナの体から黒い靄が噴出したその瞬間、ジークフリートがフィーラの体に覆いかぶさった。
「ジークフリート様!」
黒い靄が、生き物のように会場内を這って広がっていく。それはまるで、バケツの水をまき散らかしたかのように、サルディナを中心として円を描き広がっていった。
あっという間に会場の隅々にまで満ちた靄は、それ以上広まることはなく、会場を満たしたまま揺蕩っている。
「ジークフリート様!」
黒い靄の動きが止まったのを頃合いとみて、フィーラはもう一度、自分を守ろうと覆いかぶさっているジークフリートの名前を呼ぶ。
「…ああ。フィーラ嬢。…大丈夫だ」
「…良かった」
ジークフリートの声を聴き、フィーラはほっと息を吐く。
ジークフリートがゆっくりとフィーラから体を離す。起き上がったフィーラは会場内を見まわし、その惨状に息を飲んだ。
会場内にいる者は、フィーラとジークフリートを除き、すべて倒れこんでいる。いや、そうではない。噴き出した靄の中心にいたサルディナも、一人その場に佇んでいた。
「何だ…これは?」
ジークフリートが周囲とサルディナの様子を見て、つぶやいた。
サルディナは焦点の合っていない目を見開き、瞬き一つしていない。その異様な光景に、フィーラも思考が停止したまま、何の言葉も出てこない。
しかし、サルディナの傍に倒れているロイドの姿を認めた瞬間、止まっていた思考が動き出した。
「お兄様!」
フィーラの声に反応し、サルディナがゆっくりとこちらを振り向いた。
『…何だ。お前。動けるのか』
それはサルディナであって、サルディナではなかった。
女性と男性、両方の声が重なるように響いてくる。言語の同じ主音声と副音声を同時に聞いているような感じだ。
今のサルディナは、おそらく魔に憑かれた状態とみていいだろう。
しかし、魔が意思を持って喋るとは、今まで聞いたことがない。魔に憑かれた者は、たいていが人としての自我を失い、まるで獣のようになるという。だが、サルディナの場合は明らかに様相が異なる。
隣のジークフリートを見ても、驚きに目を見開いていた。
『この瘴気の中でも動けるとは、大したものだ。しかも、その男にまで結界を張ったのか』
「…何を、言っているの?」
『ああ、自分でも分かっていないのか。どうするべきか…。今はまだ弱い。今のうちに消しておくか…?』
消しておく。
魔が放ったその言葉に、フィーラの血の気は引き、体が震え始める。
サルディナの紅玉の瞳に映ったフィーラの姿は、まるで血に染まっているかのように赤い。
「…フィーラ嬢。今、私の守護精霊を介して、大聖堂へ連絡を入れた…すぐに聖騎士が来るはずだ…」
ジークフリートがフィーラの耳の近く、囁くように告げる。
「…あれが魔であれ、精霊であれ、好奇心が強い性質は同じはずだ。聖騎士が連絡を受けて到着するまで、さすがに数分はかかるだろう。どうにか話をして時間を稼げないか…」
「…時間を…?」
あれを相手に、時間を稼げというのか。
「…ああ。どうやら彼女は君に興味を持っているようだ。ほんの数分で構わない…」
フィーラは無意識に唾を飲み込む。
「…やってみます…」
『話はついたか?』
サルディナに憑いた魔が、フィーラに問う。
「…ええ。もしかして、わたくしたちが話終わるのを待っていてくれたのかしら?」
フィーラは腹に力を籠め、声の震えを少しでも抑えようとする。
『そうだな。そこの男の精霊が動いただろう。大聖堂へ連絡を入れたのだろうと思ってな。久しぶりに、聖騎士と手合わせするのも悪くない』
「…どういうこと?聖騎士と戦ったことがあるというの?」
『そうだ』
「…あなたは、一体何者なの?」
ここまで自我のはっきりとした魔など、本当にいるのだろうか。不可思議な男の態度に、いつの間にかフィーラの震えは治まっていた。
『わたしが何者か…か。お前たちの言葉を借りれば、わたしは魔という存在になるのだろう』
「本当は違うということ?」
『人間というものは、一方向からしか物事を見ない。すべてではないが、そういった者が多い。お前と、そこの男は別のようだがな』
魔は、サルディナの首を斜めに傾げる。相変わらず瞬きのひとつもしていない様は、サルディナが美しいだけに、なおのこと異様に映る。
「…サルディナ様は無事なの?」
『さあな。体は無事だろうが…精神は分からんな。この娘はそこまで強くはない』
「そんな…。…どうしてサルディナ様を」
『この娘が望んだからだ』
「サルディナ様があなたを望んだというの?」
『そうだ。正確には、望んだのはわたしではなく、力だが』
「力…?」
『そうだ』
「力っていったい…」
ふいに、キーンとした超音波のような音がフィーラの耳に届いた。
「…来たぞ」
聖騎士の来訪を、ジークフリートが告げる。
音が止み、フィーラの目の前数メートル先に、風が巻き起こる。
その風によって、フィーラの周りに先ほどまで充満していた靄が取り払われた。
そして聞こえてきた聞き覚えのある声。
「また君か、お嬢さん」
しばらくシリアス?が続きます。




