第43話 楔
「…すでに調べているのでしょう?」
「すまないな。気を悪くしないでくれ」
カーティスが眉を下げ、困ったように笑う。
「気を悪くしてはいません。知っている人間はとうに知っています。うちも、メルディア公爵家ほどではありませんが、結構有名ですから」
コア侯爵家は騎士の名門。
コア侯爵家は、代々騎士として生きることを一族の男に課している。
ジルベルトも物心ついたころから、すでに剣を握っていた。
コア侯爵家から出た騎士は、その多くが近衛騎士となっている。
ティアベルト王国近衛騎士団。
近衛騎士団は王族専用の騎士団。実力者揃いの精鋭たちだ。民を守る騎士団とは、また別のものだ。
そしてここ数十年、代々の近衛騎士団長は、すべてコア侯爵家の者が務めていた。
父も祖父も曾祖父も、三代にわたり皆、侯爵家当主と同時に騎士団長を務めてきたのだ。
「上のお兄さんも、近衛騎士だそうだな」
「はい」
「でも下のお兄さんは文官」
「…はい」
「そして、君も騎士科には行かなかった」
「…」
ジルベルトはそのまま押し黙る。
「…何でこんな話をしたかというとだな」
カーティスが片手でガシャガシャと頭を掻きむしる。
「…君に、聖騎士になる気はないかと、問いたかったからだ」
カーティスの言葉に、ジルベルトは驚きを顕わにする。
「…どうして俺に?」
確かに、ジルベルトはコアの名を持っている。しかし、現在普通科に在籍している者に、何故声をかけるのか。
「君は騎士の訓練を受けているだろう?」
「…はい」
「姿勢が良いし、動きが機敏だ」
「…それだけで、ですか?」
「あとは…目かな?剣を扱う人間ってのは、やっぱり目が違うんだよ。というか、それ、ただのガラスだろ?」
「…」
カーティスがジルベルトの眼鏡を指さす。
今まで気づかれたことはなかったが、確かにジルベルトのしている眼鏡は度が入っていない。
「とにかく、俺は君を聖騎士に押したい」
「なぜ…」
「まあ、理由は色々あるけど…一番はあのお嬢さんが、君を信頼しているからか?」
「フィーラのことですか?」
「ああ」
「何故、彼女が俺を信頼していることが、俺を聖騎士に押す理由になるんですか?」
先ほどまでの覇気のない態度とは違い、今のジルベルトの目にはカーティスの真意を探ろうとする鋭い光が浮かんでいる。
「あのお嬢さんは精霊姫候補だ」
「まだ候補にすぎません」
ジルベルトはカーティス言葉に、にべもなく答える。
「なあ。…今回の事件。あれ、どう思う?」
カーティスはジルベルトの反応などまるで気にしていないかのように、話を続ける。
「…あそこまで簡単に、精霊姫候補である彼女に危害がくわえられたのは少々不可思議です」
「そうだな。…学園の警備上詳しいことは言えないが…とある人物が危害を加えようと思い立ち行動に移した段階で、警戒できる目がこの学園には存在しているはずなんだ。なのに、今回の事件はその目を掻い潜って起きた」
「それは…」
ジルベルトは言葉もない。それは要するに、学園の警備を司るその目が機能していないか、相手の力量がその目を上回ったかのどちらかということになる。
今回の犯人であるニコラスは、到底そのような人物とは思えない。ならば、答えはその目が機能していないという、一択になる。
「こんなことは言いたくないが…この学園は今、次代の精霊姫を安心して任せられるほど、安全なところではないということだ」
またもや、二人の間に沈黙が下りる。だが、今度はすぐにその沈黙は破られた。
「俺はあの子を精霊姫にしたい」
「…どういうことですか?」
なぜ、一聖騎士であるカーティスが、フィーラを精霊姫に推すのか。そもそも精霊姫の選定に、聖騎士が関与する余地などあるのか。
「…うーん。詳しいことは言えないんだけどな…彼女が精霊姫になってくれないと俺が困る…、と、おい!睨むな。別に彼女を利用するつもりじゃないからな?」
カーティスの目をしばらく見つめていたジルベルトだったが、嘘はついていないと判断した。あるいは、上手く隠しているのかもしれないが。
しかし、
「俺は騎士にはなりません」
「…なぜか聞いても?」
「…」
「…まあ、無理強いするつもりはないしな。気が変わったら、言ってくれればいい。君なら、騎士としての訓練は大体終わっているだろうから、あとは精霊との相性だけだ」
「…俺は…」
「今、答えを出すな」
ジルベルトが返答しようとしたのをカーティスが遮る。
「今、決めるな。これから先、君の考えが変わることもある。自分を縛る鎖を、自らかけることはない」
カーティスは、ジルベルトがどう答えるか分かっているのだろう。ジルベルトは、カーティスの誘いを断るつもりだ。
だから、彼は今答えるなと言ったのだろう。
カーティスの言う通り、もし、今答えを出してしまったら、ジルベルトはきっと、今後騎士に戻りたいと思っても、自らの言葉に縛られ、その気持ちを素直に認めることは出来ないだろう。
「今は、そういった道があることだけ知っていてくれればいい」
ジルベルトは、己の手のひらを見つめた。もう何年も剣を握っていない手のひらは、それでも随所に、過去に作った剣ダコのあとが見て取れる。
もう二度と、剣を握ることはないと思っていたのに。今、ジルベルトの心は揺らいでいた。




