第37話 一件落着?
今夜の投稿はこれで終了です。
フィーラがしみじみと感慨にふけっているところに、ジルベルトが声をかけてきた。
「君は人が良すぎないか?」
「そうかしら?」
フィーラはジルベルトを見上げて首をかしげる。
「そうだろう? 自分に薬を盛った人間を雇おうなどと…」
「でも、ミミア様はきっと、本当は優しい人だわ」
「だが、卑怯だ。自分の身の可愛さゆえに、君を犠牲にすることを選んだ」
短い付き合いだが、ジルベルトが正義感の強い人間だということはフィーラにもわかる。だからこそ、ミミアのしたことに対して、どうしても許せない気持ちがあるのだろう。
「そうね……。でも、後悔はしていたわ。次はもう、同じ間違いは起こさないわよ、きっと」
フィーラの言葉にジルベルトはため息をついた。
「君は本当に、人が良すぎる」
「いいや、フィーは能天気なだけだ」
二人の会話を黙って聞いていたロイドが、声をあげる。
「あら? お兄様。お兄様はわたくしが優しくないとでも?」
「いいや? フィーは優しいよ?でも能天気で楽観的だ。世の中の人間は、君ほど純粋でも優しくもないんだ。それがわかっていない」
「いいえ、お兄様。たとえそうだとしても……わたくしが変われたのだもの。誰もが変われる可能性はあるわ」
「それが能天気だというんだ……」
フィーラの言葉に、ロイドがため息をつく。
「ねえ。さっきから二人ともため息をついているけれど、ため息ってひとつつくごとに幸せがひとつ逃げるのよ?」
実際はそんなこともないらしいばかりか、体にとっては良いことらしいのだが、やはりフィーラとしてはため息をつくと幸せが逃げてしまうような気がするのだ。それはやはり、ため息をつく行為が、辛気臭く思えてしまうからだろうか。
――あと、呆れられたり、怒られているような気がするのよね。実際そうなのだろうけれど…。
「そんなことははじめて聞いたな。なんの書物で読んだんだ?」
フィーラの言葉に本好きのジルベルトが食いついてきた。
――うっ。……出典を聞かれると困るわね……。
「読んだんじゃないわ……。誰かが言っていたような……」
「気にするなジルベルト。フィーは昔から独自の感性と法則で生きているんだ」
「はぁ……」
――昔から…? そうだったのかしら? 自分では良く分からないわね。
「それよりもお兄様。伯爵家の馬鹿息子の件、学園側はどうなさるのかしら?」
身分に関わらず、令嬢に薬を盛ったこと自体が許されざる行為だ。
しかも、フィーラは未だ特別クラスに在籍している。表向きは、ニコラスは精霊姫候補に害をなした不届き者だ。
「あの女の証言と、精霊を使った査問審査で十分だろう。逃げ場はない」
「メルディア公爵家は動かない。で、良いのですわよね?」
「……父には知らせてあるけれど、フィーはそれを望まないだろう?」
「そうですわね……。伯爵家を追求するなら、男爵家もしなければならなくなります。それをすれば、後々伯爵家から男爵家への風当たりが強くなるかもしれないわ」
「フィーが望むなら伯爵家をつぶすという手もあるよ?」
ロイドがとても良い笑顔で恐ろしい提案をする。やはりそう簡単に許す気はないらしい。
「……いいえ、そこまでは。結局、わたくしは眠らされただけですもの」
「まったく……。フィーは眠らされただけというけれど、君が薬を盛られたこと自体、本来あってはならないことなんだよ? この学園には侍女も護衛も連れてこられない。その代わりに、学園側の警邏や使用人がその役割をする。なのに君は薬を盛られた。もし、メルディア家の侍女や護衛がついていたなら、きっとこんな事態にはならなかったよ。たとえ君が、あの女から薬の盛られた食べ物を受け取ったとしても、護衛がいれば、あの女の言動から不審を感じ取れただろうし、侍女がいれば、君は一人でいるときに意識を失わずに済んだ」
ロイドの言うことはもっともだ。国内外の貴族の子息子女が集う学園で、今回の事件は起こった。王族も通うこの学園で、生徒が生徒を害するなどとは思わなかったとは、学園側は口が裂けても言えないはず。そして、その対策もしていてしかるべきなのだ。
「何かひっかかる……」
ロイドがぽつりと漏らした言葉に、フィーラも、ジルベルトも同意するように目くばせする。
まだ、ただの生徒であるフィーラたちが考え得ることに、トーランドやカーティスが思い至らないはずがない。なのに、彼らはそのことについては何も言わなかった。そんなそぶりさえ、フィーラたちの前では見せていない。
「はあ……。僕もまだ一学生でしかないということか」
「お兄様……」
「心配しないで、フィー。何があっても僕が守るから」
「頼りにしています、お兄様。ですが、ご自分のことも大切にしてくださいね」
「その言葉はそのままフィーに返すよ。あまり僕を驚かせないでくれ」
「……ごめんなさい」
「ははは。仲の良い兄妹だねぇ」
「メリンダ先生!」
最初はフィーラの前で猫を被っていたメリンダだったが、フィーラなら素を出しても気にしないことが分かってからは、この調子だ。
「もう仕事はよろしいんですか?」
先ほどまで書斎に引きこもっていたメリンダに、ジルベルトが声をかける。
「ああ。もう終わったよ。薬の成分を執行局に知らせただけだしね」
執行局とは、前世でいうところの法を司る部署のことだ。
何か事件が起きた際、薬の成分分析は執行局において行われる。しかし、今回はフィーラの状態を知るために薬の特定が急がれたため、メリンダが先に成分分析を終わらせていた。
メリンダの所属は大聖堂だ。いかに厳格を旨とする執行局とて、その分析結果は信頼に値するだろう。これでニコラスの査問を急ぐことが出来る。
――まあ、普通なら、執行局に依頼が行く段階で、すでにほとんどの被害者が亡くなっているか、重篤な状態でいることが多いのよね。わたくしが盛られたのが、睡眠薬で本当に良かったわ。そして、この学園にメリンダ先生がいてくれて……。
「メリンダ先生、本当にありがとうございました」
感謝の意を込めて、メリンダに対し、フィーラは深くお辞儀をする。
「あたしは何もしてないよ。お嬢ちゃんが目覚めるのを待ってただけだ」
「いいえ。メリンダ先生がいち早く睡眠薬だということを見抜いてくださったから、きっと兄も安心できました」
「睡眠薬だと最初に見抜いたのはあたしじゃないよ」
「えっ?」
「トーランド先生だよ。あの人も精霊士なんだね。それもなかなか優秀だ」
「……トーランド先生が」
思えばあの先生には初日からお世話になっている。今度改めてお礼に行ったほうが良いだろうとフィーラが思案していると、ロイドがまた訳の分からないことを言ってきた。
「フィー、いくら優秀で少しばかり顔がいいからと言って、彼は教師だからね?」
「はい?」
最近はフィーラも、兄が何を懸念しているのか分かるようになってきた。
恐らく、恋愛はフィーラにはまだ早いとでも思っているのだろう。確かにトーランドのことは優秀だろうとは思っていたし、顔も整っていると思うし、黒髪黒目には安心感を抱く。だからといって、すぐにそこに結び付けるのはいかがなものか。
きっと、兄はフィーラがトーランドに迷惑をかけるとでも思っているのかもしれない。
「お兄様、例えわたくしがトーランド先生を好いているとしてもですわよ、先生に迷惑をかけたりなど致しませんわ」
「な…っ! フィーラ、お前はトーランド先生のことが好きなのか⁉」
「好きだなどと言っていません!」
「今言ったじゃないかっ!」
「言っていません! 好きだったとしても、と言ったんです!」
「でも、さっき…!」
「おい、坊ちゃん。そこで止めときな。こういうやりとりで、何とも思っていなかった相手を意識するなんてことになったらどうするんだい?」
メリンダの言葉に、ロイドがピタリと押し黙る。
「……それもそうですね。僕としたことが、フィーのことになると少々馬鹿になる」
「ま、お嬢ちゃんはあんたが心配しているような感じじゃないと思うけどねぇ。それより、トーランド先生もだけど、眠りこけているお嬢ちゃんを最初に見つけてくれたのはそこの坊やだろ?」
メリンダがジルベルトを顎で指し示す。急に話の的となったジルベルトは皆の視線に一瞬ひるんでから「いえ」と首を横に振った。
「俺は偶然、通りかかっただけです」
「そんなことないわ、ジルベルト。本当に見つけてくれてありがとう」
偶然だろうが何だろうが、見つけてくれたことには変わりがないのに、謙遜をするジルベルトはとても好ましく、微笑ましい。
フィーラは緩んだ顔のまま、ジルベルトの美しい金色の瞳を見つめる。
「……だから、偶然だって」
お礼を言われたことが恥ずかしいのか、ジルベルトはふっと視線を逸らし、俯いてしまった。
――ジルベルトもクレメンスも……このぐらいの年の男の子って、本当、照れ屋さんよねぇ。女の子にお礼を言われただけでも、こうだもの。
にこにことしているフィーラに、顔を赤くして俯いているジルベルト。そんな二人の様子を、ロイドが不機嫌な顔で、メリンダがにやにやした顔で見つめていた。
初投稿から今日で七日目ですが、そろそろストックが尽きそうです…。これからは不定期更新になる予定ですが、完結はさせるつもりですので気長にお付き合いいただけたら幸いです(__)




