第35話 取り調べです
今夜の投稿はこれで終了です。
「そういうな。物を貰っておきながらそれに対する礼をしないなど、貴族ではありえない。君も貴族の端くれなら分かるだろう? ミミア・カダット男爵令嬢」
ここで逃がすわけにはいかない。そう思っていたときに、すぐ後ろから聞こえてきた澄んだ声音に、フィーラはほっと胸を撫でおろす。反対に、名前を言い当てられたミミアは、可哀そうなほどに、目に見えて震え出した。
「ジルベルト、あまりいじめないで」
怯える少女の姿にたまらなくなり、フィーラはつい、自分の味方をしてくれている友人に対し、非難めいた視線を投げかけてしまう。
「……っ、いじめてない」
ジルベルトはハアっとため息をついて場所を変えようと提案した。
「さて、ミミア・カダット君だったかな? いったいどういった理由で、僕の可愛いフィーに薬なんて盛ったのかな?理由を聞かせてくれる?」
フィーラたちは保健室に集っていた。目の前には、微笑みの貴公子の名に相応しい笑顔を振りまくロイドが、椅子に座って膝を組んでいる。その横には、トーランドとカーティスが。奥の机では、椅子に座ったメリンダが、肘をついて面白そうにこちらを見ていた。
可哀そうに、ミミアはすでに気絶寸前だ。メルディア公爵家の名はこの国では有名だ。もちろん、他国の貴族の間でも。そのメルディア家を敵に回したことを理解して、男爵家であるミミアが平常心でいられるわけがない。
「あ……あの……、あの……あ……」
ミミアは一生懸命喋ろうとするが、震えで歯が嚙み合わないらしく、あの、あの、と繰り返す言葉の合間に歯がカチカチと鳴っている。
フィーラは見ていられなかった。日本で言えば、ミミアはまだ高校生になりたての子どもだ。
「お兄様、もう少し優しくしてあげてください」
フィーラはロイドを軽くねめつけるように見上げる。
「何を言っているんだいフィー? 僕はすごく優しくしているよ? だって、脅していないし、殴ってもいないじゃないか」
なんてことを言うのだ。兄は本当に公爵家の生まれなのだろうか、疑ってしまう。
「何てことを言うのお兄様! ミミア様が気絶してしまいます!」
フィーラはぐらつくミミアの後ろに回り、その小さな身体を支えた。
「薬を盛られて気を失ったのは君だろう? 何を言っているんだ」
そんなフィーラの様子に、隣にいたジルベルトが呆れた声を上げる。
「そうですが……。ねえ、ミミア様。あなたからはわたくしに対する憎しみが感じられないわ。何か……やむにやまれぬ事情があるのではない?」
フィーラの言葉に、先ほどまで怯えるだけだったミミアは、大きく目を見開き、ボロボロと涙をこぼし始めた。
「も……申し訳ありません。メルディア様……。わ、私……頼まれて……」
息を整えたミミアは、ゆっくりと事のいきさつを話し始めた。
どうやらミミアは寄り親であるソーン伯爵家の息子、ニコラスに頼まれ、フィーラに薬を盛ったらしい。理由は、フィーラを手に入れたいから。
学園に入って、フィーラに一目惚れをしたその息子は、どうしても己より身分の高いフィーラが欲しくて、一計を案じた。
「……昔から、横暴な方なんです。ニコラス様は。欲しいものは何でも手に入れないと気が済まなくて。でも伯爵家から名門の公爵家に縁談の申し入れなんてできない。だから、学園にいるうちに既成事実を作るとおっしゃって…」
「そんな理由で……その寄り親の貴族の息子は、あなたを利用したの?」
フィーラは目の前で真っ青になり震えているミミアを見て眉をひそめた。
「屑だな、そいつは」
ジルベルトが吐き捨てるようにいう。
「何てことだ……学園でそんな計画が行われようとしていたなんて」
今まで黙って話を聞いていたトーランドが頭を抱える。
精霊姫を狙ったものではなかったが、高位貴族、それも公爵家の令嬢に薬を盛った末、襲おうとするなど前代未聞だ。
実際に事が成っていた場合、死者がでていたかもしれない事案だ。娘を汚された公爵家が、相手の男とその家族を許すはずがない。
「その馬鹿男はそんな計画が上手くいくと本気で思っていたのか? 信じがたいな」
ロイドはすでに笑顔を浮かべていない。口調もいつものくだけたものではなくなっている。
「でも、一体どこでわたくしを襲うつもりだったの? 図書館はいつも少なからず人がいるわ。わたくし、昼休みは大体一人でいるからどこかで誘拐でもするつもりだったの?」
フィーラの問いに、ミミアは何かを言いたげに口を動かし、しかし、それをこらえる様に下を向いた。
「もしかして……あなたが何か、助けてくれたのかしら?」
フィーラの言葉に、ミミアはハッとした表情で顔を上げた。その瞳には、驚愕とも期待とも取れる光が浮かんでいる。
「そうなのね? ミミア様。説明してもらえる?」
最初は言いにくそうにしていたミミアだったが、やがて意を決したのだろう、小さな声で話しはじめた。
「……ニコラス様には、メルディア様に薬を盛ったあと、人気のない場所へ誘い出すようにと言われていました。薬が効くのには少し時間がかかるから……でも、私出来なくて……。ニコラス様のしていることは間違っているから……」
「だが、お前はフィーラに薬を盛った。そして今日も、そのつもりだったのだろう? どうせ止めるなら薬を盛ること自体止めれば良かったんだ。伯爵家の馬鹿息子が襲わずとも、意識を手放した令嬢に対して、よからぬ行動をする輩がいるかも知れないとは想像出来なかったのか?」
「……それは……」
ロイドの追及に、ミミアは唇を噛み俯く。組み合わされた両手は真っ白になるほど握り締められ、小刻みに震えている。今のロイドは恐ろしいまでの美貌に隠すことなく怒りを顕わにしているため、とにかく迫力があるのだ。
「お兄様。男爵家が伯爵家に逆らうのは、容易なことではありませんわ」
まだ中学生くらいの年齢のミミアが大人を含めた大勢の人間に、それも自分よりも高位の貴族しかいない状況で囲まれ、追及されている場面に、フィーラはついミミアの味方をしてしまう。
「だが、馬鹿息子とこの女が敵に回そうとしていたのは公爵家だ。伯爵家どころじゃない。それがわかっていれば、馬鹿息子の馬鹿な言動に付き合ったりなどしないだろうに。結局この女もその馬鹿息子と同じということだ」
いつもフィーラの前ではくだけた口調のロイドだが、今の口調は仕事をしている時の父ゲオルグにそっくりだ。
ロイドは今、当主代理としてここにいるのだ。わかっている。だが、それでもフィーラはロイドに言い募る。
「お兄様。確かにミミア様のしたことは簡単に許してよいことではありません。わたくしだから良かったものの、ほかのご令嬢でしたらどうなっていたか分かりませんもの。ですが、元凶はミミア様ではないことも確か。ここでミミア様を責めていてもはじまりませんわ」
「……フィーラ。君だから良かったものの、とは何だ。君とほかのご令嬢にどのような差がある? 君に何かあったら、メルディア公爵家は一族挙げて元凶を排除するぞ?」
「まあ、お兄様。たとえわたくしが意識を失って廊下で寝ていたとしても、誰も手を出したりなんかしませんわ。心配してくださる方もいるとは思いますが、さもありなんと思われるのが関の山ですわ」
「……そんなわけないだろう。君は自分を何だと思っているんだ」
「ふふ。癇癪持ちの我儘姫かしら?」
名前からして、床に寝転がって手足をばたつかせるくらいは、しそうではないか。
「……何を笑っているんだフィーラ。まったく君は……」
ロイドの顔からは怒りが消えているし、口調もいつもの砕けたものに戻っている。ロイドも大分頭に血が上っていたのだろう。いつものロイドに戻ってくれたことにフィーラはほっと息をついた。
――もう大丈夫。お兄様はいつものお兄様に戻っているわ。




