第29話 聖騎士寮
「良いこでちゅね~? 可愛いでちゅね~?」
額に真一文の傷跡がある強面の男が相好を崩し、小さな白い子猫と対峙している。
男は、男の言葉に対し「みゃ~」と返事をする子猫を、太い指二本を使い、器用に撫でていた。
男の手のひらでは、子猫の頭を撫でるには大きすぎるのだ。言葉遣いに関して指摘する者は、周囲で見守る人間の中には誰もいない。
ここは精霊姫が住む大聖堂と同じ敷地内にある聖騎士寮だ。
筆頭騎士と上級精霊士のほとんどは大聖堂に住むが、一般の聖騎士と精霊士は、それぞれ敷地内にある寮で寝泊まりをしており、職務のあるときだけ、大聖堂へと赴くのだ。
「何だ? どうしたんだヘンドリックス団長は? 気持ち悪いな」
朱色に近い橙色の髪に、煙水晶ような眼をした男―カーティスが近くにいた男に尋ねる。
「ディランさんが子猫を連れてきたんですよ」
尋ねられた男は作業の手を止め、カーティスを見上げた。柔らかな砂色の髪と少し眠そうに見える、髪と同じ色の瞳が、男をおっとりとした性格に見せている。
「ディランが?」
「ええ。それにしても、お久しぶりですね、カーティスさん。学園の教師は今日はお休みですか?」
カーティスが学園の聖騎士候補の指導官となってから、すでに二週間は経っている。普段は学園の教師寮で寝泊まりしているが、休みの際にはこうして寮へと戻って来ていた。
「ああ。今日明日は、通常の騎士科の実習があるから、俺は休みなんだ」
「大変ですね~。どうですか? 見込みのある騎士はいましたか?」
カーティスは頭の中で、受け持つ生徒の顔を思い浮かべる。
騎士科に在籍する生徒はそのほとんどが、卒業後それぞれの国の近衛騎士となる。その中に、今回聖騎士候補として在籍する者は十五人。
少ない様に思えるが、精霊との相性もあるため、それほど多くの者を候補としてもしょうがないのだ。精霊との相性が一番重要ともいえるため、場合によっては、聖騎士候補以外の騎士科の生徒から、選ばれる場合もないとはいえない。
「ん~、二三、いるかな?」
「ダメじゃないですか。予定の空は六人ですよ?」
今期必要な聖騎士は六人。精霊姫選定があるため一気に六人もの募集をかけることになったが、普段は数年に一度程度、それも一、二名しか募集していない。
「俺に言うなよ。ま、まだ二年以上あるしな、その間に何とかなるだろ。それにしても、ディランが子猫を拾ってきたのか?」
カーティスはいつも飄々とした同僚の顔を思い浮かべた。奴は自分から厄介ごとに手を出すような人間ではない。
「いえ。何か、女の子から猫を託されたとか……」
「は? ディランが女からの貰い物を受け取ったのか?」
「貰い物って……猫は物じゃないですよ?」
男は眉を潜め、子どもに諭すような口調でカーティスを窘める。
「そういうことを言っているんじゃないだろ! あのディランだぞ? 女からの貢ぎ物は絶対に受け取らない、あのディランが!」
「貰い物ではないですって。託されたそうです」
「同じだろ!」
「そうですか?」
男はいまいち納得できずに首を傾げる。貰うと託されるでは意味合いが全然違うように思えるのだが、カーティスにとってはそうではないらしい。
「お前……お前はまだディランのことを分かっていないな。あいつは気の向かないことには指一本だって動かさない男だぞ?」
「そんなこともないんじゃ……」
それは言い過ぎというものではないだろうか。男はディランの事を少し気の毒に思った。
「そうなんだって! そのディランが女からの頼み事を引き受けた……これは事情聴取だな」
カーティスはそう言うと、さっと長い髪を翻し、部屋を出て行った。
「意外と物見高いんだよな、あの人……」
普段「神秘的」だの、「落ち着いた色気が素敵」だのと言われている男の裏の顔を、ぜひとも女性たちに見せてやりたい。残された男はそう思った。
さらに、男の後方では、未だにヘンドリックスが子猫をなでながらニヤニヤしている。
聖騎士という職は、女性たちの憧れの的だ。騎士としての実力に加え、精霊の加護を持ち、なおかつ、狙ったわけではないのだろうが、在籍する騎士のほとんどが、ある程度女性受けする顔をしているため、近づいて来る女性は後を絶たない。しかし、その中の誰もが、純粋な思いでいるとは限らないのだ。
聖騎士を利用し、精霊姫に近づこうとする不届きものがまったくいないわけではない。
信仰の的である精霊姫だったが、その権威が効かない存在も、世の中には存在するのだ。
聖騎士である以上、ディランに限らず、近づいて来る女性に対し慎重にならざるを得ないのは、致し方ないことだった。
「実は独身率高いんだよな……。聖騎士って」
ぽつりと男が呟いた事柄は、一部の人間には、かなり切実な問題だったりした。
「ディラン! いるか⁉」
どんどんっ、とディランがいるであろう部屋の扉を叩くと、一拍置いて、中から返事が返って来た。
「カーティス……何の用だ?」
「話がある」
「俺はない」
「いや、お前、開けろって。久しぶりに仲間が訪ねて来たんだぞ? というかな? ここは俺の部屋でもあるだろ!」
独身の聖騎士は大聖堂の敷地内にある寮で暮らしている。寮の部屋は原則二人部屋であるため、同部屋の人間と警護に当たることが多い。カーティスの同室者はディランだ。
「まだ学園に行ってから二週間も経っていないと思ったけど?」
「あの子猫どうしたんだよ」
これでは埒が明かないと思い、カーティスはディランの言葉は無視し、単刀直入に切り出した。
「……拾った」
「クリードは女の子から託されたって言ってたぞ?」
しばらく無言が続いた後、部屋の扉が開かれた。扉の奥からは、心底面倒くさそうな顔をしたディランが顔を覗かせている。カーティスは扉に手をかけ、無理やり開き部屋の中に押し入る。
「女って誰だ?」
「それを聞いてどうするんだ?」
「ただ、知りたいだけだ。お前を動かした女のことを」
「……知らない」
「は?」
「名前は聞かなかった」
「……お前。何で聞かないんだよ!」
「聞いてどうする? 意味ないだろ?」
「そりゃ、どこかに誘いでもすればいいだろが」
「何で?」
「何でって……お前、その女のこと気に入ったんじゃないのかよ?」
「女じゃない。女の子だ」
「は?」
「まだ子どもだ」
「……もしかして、こないだ俺の代わりに学園に行った時か?」
「そう」
予想外の答えに、カーティスはそのまま固まった。
「それは……」
「……聖騎士候補の訓練のあと、少し学園内の中庭で休んでいたんだ。そしたら、張っていた網にその子の声が掛かった」
「へえ……お前の網に掛かったのか?」
「そう、それで少し注意してたんだ。そしたら、どうにも雲行きが怪しくなって……」
「何かあったのか?」
あの学園内でよほどの事は起きないと思うが、しかし年頃の男女の集まるところだ、絶対に何事もないとは言い切れない。
「どうも登った木から降りられなくなったらしい」
「はあ? 木から降りられないって……まさか登ったのか?」
「ああ。怪我をした子猫を木から降ろそうとしたらしい」
「はあ。それはまた……お転婆だな」
「誰か別の相手に助けに行かせても良かったんだが、その子、助けを呼ぶために大声で叫ぼうとしたから……」
「あはは……網に引っ掛かった状態で叫ばれたら、たまったものじゃないな。それにしても、木に登ったり、大声で叫ぼうとしたり、もしかしてその子平民か?」
「いや、あれはどう見ても良いところのお嬢様だ」
「良いところのお嬢様がそんなことするか?」
「だいぶ変わった子だったからな」
「……お前が言うなら相当だろうな」
「その子を木から降ろして、成り行きで寮まで送って行ったんだ。その時、猫をどうしようという話になって」
「で、お前が預かったのか」
「寮生活で猫は飼えないだろ?」
「まあ、そうだな。で?」
「何?」
「どこの寮だった?」
「……光星寮だ」
「……精霊姫候補か。なるほど。もしかしたら、俺たちが仕えることになるお姫様かも知れないってことだな」
「どうだかな。相当変わった子だぞ? 選ばれると思うか?」
「言っちゃあ何だが、オリヴィア様だって変わったお方だぞ?」
現精霊姫として名高いオリヴィアは、実際にオリヴィアを知る者とそうでない者との間での実像の乖離が激しい。
「まあ……否定はしない」
「しかし、なるほど……精霊姫候補か。ということは、お前はその子を選んだんだな」
「そんなことは考えていなかったよ」
「じゃあ、その子じゃない他の子を選ぶか?」
「……そもそも、選ぶのは俺たちじゃないだろう?」
「だが、俺たちの意志は精霊に影響する」
カーティスの言葉にディランは無言だ。それは肯定しているも同然だろう。カーティスは肩甲骨近くまである長い髪をかき上げながら、「そっちはどうなんだ?」とディランに聞いた。
ディランは一度大きくため息をついてから「……かなり気に入ったらしい」と言った。
「だが、俺の意志が精霊に影響力があるのは認めるけど、それだけで決まるわけじゃないだろう?」
「話を逸らすな。お前だってその子を気に入ったんだろうが。でなければ、このまま聖騎士を続けるだなんて言わないだろう?」
「別に話を逸らしているわけじゃない。そもそも俺が彼女を気に入ったがどうかなんて、たいした意味はないだろう? それに辞めないとは言っていない。危なっかしい子だったから、せめて結果がでるまでは保留にしようと思っただけだ」
「ふーん、で? それは彼女が選ばれればお前は辞めないって意味か?」
「……そういうわけじゃない」
「そういう意味に聞こえたんだがな」
「……」
ディランはこれ以上カーティスの問いに答える気はないようだ。長い付き合いであるため、この男のことはここにいる誰よりも分かっている。
オリヴィアの退任とともに、聖騎士を辞めると言っていたこの男が、その考えを改めてくれたのなら、カーティスとしてはその少女には感謝してもしきれない。
オリヴィアはカーティスとディランにとって、恩人だ。
もともとカーティスもディランも、オリヴィアを護るためにこの聖騎士団へと入った。そのため、オリヴィアがいないのならここに残る理由もないと、ディランは思っているのだ。
カーティスにもその思いがないわけではない。しかし、そう短くもない月日をここで過ごし、仲間と呼べる者たちとも出会った。オリヴィアがいなくなった後も、新しい精霊姫はやってくる。そして仲間たちは、その新しい精霊姫に仕えるのだ。
そして、オリヴィアに仕えていた筆頭騎士たちは、筆頭から降り、その内の六人がここを辞めていく。
精霊姫になれる人間が、低俗な人格の持ち主とは思っていない。しかし、新しい精霊姫、筆頭騎士、そして新人の聖騎士という、新しい顔ぶれが揃う中、残された者たちは少なからず苦労をするだろう。それを思うと、カーティスはディランのように、心のままに、ここを辞めるとは口には出せなかった。
ディランも、そのことがわかっていないわけではない。しかし、ディランはカーティスよりも、よほど自由を好み、束縛を嫌う性質だ。心に不満を抱えたままでは、自分の力を出し切り精霊姫を護ることは出来ない。それが分かっている。だからこそ、残るよりも、辞める方を選んだのだろう。
カーティスもそこは考えた。次代の精霊姫を、果たして、自分は命を賭して守る気になれるのだろうかと。だが、それも結局、その時が来てみないと分からない。
だから、もしカーティスが辞めるとしたら、新しい精霊姫が決まって、周囲が安定したその時だと思っている。もちろん、その頃にはまた違った気持ちでいるかも知れない。
ただ、その時に、隣にこの男の姿がないのは妙な気分だ、そう思っていた。だから、
「まあ、お前が残ると決めてくれたのなら、それでいいさ」
カーティスの言葉に対し、何かを言いかけたディランを無視して、久しぶりに己の硬い寝台へと寝転がる。
カーティスは祝杯を上げたいほどに、浮かれた己の気持ちを自覚していたが、この男にそのことを悟られるのはまったく面白くなかった。
とにかく、当座の目標は決まった。ディランを引き留めるために、その少女を精霊姫へと押し上げる。学園に戻ったら、さっそく件の少女に接触しようと、カーティスは決めた。




