第23話 上手くいかない
「あの、マークス先生。わたくし本当にこのクラスにいても良いのでしょうか?」
フィーラは授業で使った資料を両手いっぱいに抱えながら、隣を歩くマークスに問いかけた。
フィーラが特別クラスに配置されてから、すでに一週間が経っていた。
当初、すぐに間違いが判明すると思っていたフィーラは、特別クラスのまま初日を終えそうになった段階で、このままでは少々まずいのではと思い、教室を出ていこうとするマークスを呼び止めた。
「ああ~、そうだね。それでも、教会からの返事がこないことには、学園側としても勝手に君を別のクラスに移動させるわけにはいかないんだ」
フィーラに事情を聞いたマークスは、すぐに教会へと問い合わせをしてくれたらしい。しかし、教会からの返事は現在に至るまで来ていない。フィーラが候補を外れたことは、教会を通じて知らされたため教会側が把握していない筈はないのだが。
「ですが、本来ならわたくしは普通科クラスの生徒です。特別クラスとは受ける授業が異なりますわ」
フィーラはずり落ちそうになる資料を抱えなおしながら、マークスに訴えた。この資料はマークスが精霊学の授業で使ったものだ。フィーラはマークスと話をするために、授業の終わったあと、こうしてマークスの手伝いをしていた。
「確かに、君の言う通りだ。けれど、特別クラスといえども、候補生に特化した授業だけを行っているわけではないよ。この精霊学の座学も、どの科でも行うものだ。実戦は別だけれどね。それに、君の成績なら遅れて普通科に入ったとしても充分授業に間に合うだろう」
心配ないよと、にこにこと笑うマークスが悪いわけではないのだが、そういうことではないのだ。
もちろん授業に対する心配もないわけではないが、マークスの言う通り、フィーラの成績は上位に入る。例え後れをとっても挽回する実力は十分持っているのだから、そこはそれほど心配する必要はないだろう。
だが、人間関係はそうはいかない。すでに初日の顔合わせから一週間。このクラスを見ていても、大体仲の良いメンバーはすでに決まってきている。それは普通科クラスとて同じだろう。
そこへ突然、悪い噂のあるフィーラが移動したとしても、友人を作ることはおろか、クラスの輪の中に入ることさえ難しいかも知れないのだ。
――ああ、なんでこう上手くいかないのかしら。
フィーラとて、すでに仲良くなったクレメンスやリディアスと離れるのは心細い。だが、すでに候補者ではない己がこのままこのクラスにいる意味も見いだせないのだ。
――確かに、煌びやかな世界を見てやろうとは思っていたけれど、それは期間限定だと思っていたからだわ。
足元の覚束ない現状では、フィーラは授業に対する気構えも、友人たちに対する気持ちもどっちつかずのまま過ごさなければならない。
――たとえクラスが変わったとしても、クレメンスとはすでに友達だと思っているし、リディアス殿下も会えば会話くらいしてくれるかも知れないけれど。
抱えていた資料をマークスの研究室の机の上に置きながら、フィーラは我知らずため息をついていた。最近では滅多に出なくなったため息ではあるが、時折、自分でも意図せずため息が出てしまうこともあった。
そんなフィーラの様子を気の毒に思ったのか、マークスが良いことを教えようと言ってきた。
「良いこと……ですか?」
「ああ。メルディア嬢。君にとっておきの素敵な場所を紹介するよ」
「素敵な場所?」
「そう。とっておきの場所だ。きっと君の沈んだ気持ちも浮上するよ」
そう言うとマークスは形の良い唇に指を当て、艶めかしくフィーラに微笑んだ。
「あ~ん、もう。いないじゃない。ここにいるはずなのに……どこにいったのよ~」
学園内の中庭を、少女が何かを探して歩き回っている。亜麻色の髪に空色の瞳の美少女―ステラだ。
「やだもうっ。ここで猫を助けないとカーティスに会えないじゃないっ」
ステラはきょろきょろと周囲を見渡し、ときおり「猫ちゃ~ん」と声を上げながら、周囲の草むらや物陰を探している。
「どうしよう…。もうっ! 何で上手くいかないのよっ! クレメンスとリディアスはフィーラと仲良くなっちゃうし、サミュエルはあまりわたしに興味がないようだし……」
ステラは一人の少女のことを思い浮かべた。
豊かに波打ち光を弾く美しい髪に、不思議な色合いの宝石のような輝きを持つ瞳。女神と言われても納得できるほどの完璧な姿態に、柔らかくも澄んだ声音は、天上の楽器を思わせた。
前世も今世も含めて、今まで見てきた人間の中で、一等美しい少女。
フィーラのことは、よく知っていた。メルディア家の我儘姫の名は、この国に来てすぐに耳に入って来たし、それだけではなく、ステラにはフィーラについての予備知識があった。
ステラは前世の記憶を持っている。前世の記憶が蘇ったのは、現在の義父に出会った時だ。
平民として花屋を営む両親の下平穏に暮らしていたステラは、ある日突然家にやってきた貴族の男に引き合わされた。
男の話は実に不思議なものだった。
ある日、町をお忍びで散策中に従者や護衛とはぐれた男は、柄の悪い者たちに囲まれてしまった。どうにか逃げ出したが、はぐれた場所からは遠のき、恥ずかしながら、自分がどこにいるのかまったくわからなくなってしまったらしい。ようするに迷子だ。
男が困り果てていると、目の前に、小さな光の塊が現れた。精霊だ。この世界の大多数の人々は、特殊な目を持つ精霊士を別にすれば、普段精霊を視認することはない。
それは精霊が人間の眼から、己の存在を隠しているからだ。もし精霊が見えたときは、精霊の意志でその人間の前に姿を現したということ。それはとても名誉なことで、精霊を見たことのある人間は幸運を手にすると言われていた。
男の目の前に現れた精霊は、まるで男を導くように目の前で旋回し、ひとつの方角に進んでいった。ゆっくりと、男の歩みに合わせて点滅を繰り返しながら、精霊は男を先導し続けた。
どれほど歩いたのか、気付けば男は見覚えのある場所に戻って来ていた。そこでははぐれてしまった護衛と従者が、必死で男を探していた。精霊は道に迷っていた自分を助けてくれたのだ。そう思った男は、精霊に話しかけた。
「精霊様、ありがとうございます。何かお礼をさせてください。自分に出来ることは、何かないでしょうか?」と。
精霊は男に応えるようにチカチカと強く点滅した。そして、先ほどと同じように、「ついてこい」と言わんばかりに、男の目の前で旋回し、男を案内した。
そうして今度は護衛と従者を引き連れて精霊のあとをついていった男は、ステラの両親が営む花屋に辿り着いたのだ。
そこで、男は店番をするステラを見た。花屋の娘は色とりどりの花に囲まれ、笑顔で客の対応をしていた。亜麻色の美しい髪に、空を切り取ったかのような鮮やかな瞳。誰もが心を奪われるだろうその娘の笑顔を見て、男は精霊の意図を悟ったらしい。
この娘を精霊姫の候補とするように。そう精霊は言っているのだと。
男は娘の両親へ先ほどの話を聞かせた。そして提案をした。どうか娘さんを自分の養子とすることを許してほしいと。
精霊姫の候補となることは、このうえない名誉だ。ステラの両親にしてもそのこと自体に否やはなかった。ただ、自分たちの娘を、貴族とはいえまったくの他人へと渡すことに抵抗があった。
しかし相手は貴族。男は無体をするようには見えなかったが、絶対安心とは言い切れない。何しろ初めて会った人物なのだ。考えた末、両親はステラに話をすることに決めた。
両親としては、娘にはずっとそばにいて欲しい気持ちはあった。しかし、もし本当に精霊姫の候補となれるならば、一介の平民としてこれほど名誉なこともない。娘の将来にも、必ずや役に立つ。何より、娘の人生は娘のものなのだ。
両親の立ち合いのもと、ステラは男から事情を聞いた。
そして思い出したのだ。前世の記憶を。




