第199話 礎
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オリヴィアの話を聞き終えたヘンドリックスは、目を閉じ、腕を組んで考える。ようやく何もかもが終わったと思っていた矢先、とんだことが起きてしまった。
すでに精霊姫の引継ぎはなされている。もしフィーラがまだ精霊姫を継がぬうちにこの事実が発覚したのなら、無理やりにでもフィーラを外すこともできたかもしれない。しかしフィーラはすでにこの世界の礎たる存在になってしまった。
精霊姫は王族に勝る権限と身分を持っている。それは誰よりもこの世界の人間のために尽くしているからこそのものなのだ。
精霊姫とは、誰よりも尊く、誰よりも責任のある存在。オリヴィアならば良かったという話ではない。しかし、フィーラはまだ成人したての少女なのだ。
「……魔として生きていく方法ならば、フィーラ様が犠牲になる必要はございません。それでは駄目ですか。精霊王が消える前に、ほかに良い方法が見つかるかもしれません」
「でもそれではどんな影響がでるかはわからないわ。あの人は大丈夫だと言っていたけれど、精霊王が消えることはきっと精霊の世界に少なくない影響を与えるわ」
「けれど何もないかもしれない」
「ヘンドリックス。世界というものはとても複雑に構成されているの。あらゆる要素が互いに影響し合い、支え合っている。たったひとつの種が消えてしまうだけで、その世界が壊れてしまうことだってありうることなのよ。精霊王はその名のとおり、精霊たちの王のような存在よ。精霊王はすべての精霊と繋がっている。その存在がいなくなることで、本当にほかの精霊達に影響がないとは断言出来ないわ」
「精霊の世界と人間の世界は異なります。それでもですか?」
「たしかに、精霊の世界と人間の世界は別々に存在しているし、その構成もまったく違うかもしれない。でも互いに行き来できて関わり合うことができる世界は、それを含めて、すでにひとつの世界であると言ってしまってもいいのではないかしら? 精霊の世界と人間の世界は互いに影響しあっているわ。だからあの人も自らを犠牲にしてまで人間の世界を救おうとしたのよ」
「精霊王様のお気持ちはわかりませんね。そのような重大なこと……せめて歴代の精霊姫にはお話になるべきでしょう」
「言えば、私たち人間に負担がかかるからよ。今回フィーラちゃんが自分が器となると言い出さなければ、あの人は何も言わずに両方の世界のために自らを犠牲にしたでしょうね」
「……それにしても……すべてが予定調和だったとは。最初から話してくれていれば、もう少し事は小さく済んだかもしれません」
ヘンドリックスの脳裏には、あのとき、泣きながらフィーラの名を呼んだステラの姿が今でも残っている。
同じ世界から来た、同じ年ごろの少女たち。どうしてこうも運命が違えてしまったのか。リディアスたちも精霊王の力さえなかったら、あのような馬鹿な真似はしなかっただろうに。
なまじそれが出来る力を手に入れてしまったのが不幸だったのだともいえる。
「だいぶ振り回されちゃったけれど……それでも、精霊王は私たち人間と、精霊のために嘘をついていたことだけは確かよ、ヘンドリックス。それ以外のことはあくまで人間側の都合で引き起こされたことだわ。すべて人間が欲のために引き起こしたことよ」
オリヴィアの必死の瞳を見て、オリヴィアはヘンドリックスが精霊王を非難することを恐れているのだと悟る。
オリヴィアがそのことを恐れる気持ちはヘンドリックスにもわかる。すべてを聞いたヘンドリックスも、いまこの世界に存在する精霊王が、今まで仕えて来たカナリヤではないという事実に完全には納得できていない。否、理屈も理由もわかるのだが、それと気持ちは別物だ。
ヘンドリックスでさえそうなのだから、長年カナリヤと過ごしてきたオリヴィアの気持ちはいかばかりか。それでもすでにオリヴィアは今の精霊王を精霊王と認めているのだ。
「……精霊王様を非難するつもりも、糾弾するつもりも、俺にはありません。あのお方の吐いてきた嘘は、オリヴィア様の言う通り、きっと私たちのためのものでもあるのでしょうから」
精霊王が自らを犠牲にしなければならないほどに、人の世界を救うことは難しいのだ。人の力が精霊王にとって助けになるとは思えない。もしかしたら精霊王は、人が絶望をしないようにと、気を使ってくれたのかもしれない。
と同時に、あるいはただ精霊王個人のための嘘であった可能性もあるのではないだろうかと、ヘンドリックスは思っている。たとえば、精霊姫を犠牲にしたくない。その想いが、精霊王に本当のことを言わせることを阻んだのではないかと。
精霊は一度契約をした人間からは死ぬまで離れないといわれているが、代替わりをする精霊姫という存在がいる以上、それは確実なものではない。だが、多くの精霊は契約をした人間が死ぬまで傍にいるということも間違ってはいない。
そもそも人間の人生など、精霊にとっては瞬きにも等しい刹那の時間なのだ。よほど契約者に愛想をつかしたということでもない限り、最期までそばにいるというのはその通りなのだろう。
そして精霊は契約をした人間に親しみを持つ。それはおそらく精霊王であっても変わらない。なぜ精霊王が歴代の精霊姫にその事実を知らせず、密かに己を二つに分けてまでこの人の世を救おうとしたのか。なぜ精霊王として人と関わるカナリヤに記憶を残さなかったのか。ヘンドリックスには想像がついた。
それはやはり、精霊姫を犠牲にしないためだったのだろう。もしこの世界が崩壊しつつあることを人間が知ったとして、そしてその崩壊を防ぐために精霊王がその身を犠牲にすることを知ったとして、はたして多くの人間はそのことに納得しただろうか。おそらくはしなかったのではないかと、ヘンドリックスは推測する。
精霊姫はこの世界で唯一、絶対の存在だ。だがその存在は、精霊王がいてこそのもの。精霊姫と精霊王、どちらがより尊いかと聞かれれば、多くの人間は精霊王と答えるだろう。そして精霊姫を犠牲とすることを承諾したに違いない。
あるいは今回のフィーラのように、精霊姫自らその役割を買って出たかもしれない。おそらく、精霊王はそれを良しとはしなかったのだ。
もしそれができていれば、世界の崩壊はここまで進まなかったのかもしれない。だからこそ、精霊王も「自分が招いたこと」であると言ったのだ。
だがそれもまた良しと、ヘンドリックスは思っている。己のために嘘をつくなど、人間味に溢れているではないか。
聖騎士などという職務についているヘンドリックスだったが、絶対的な信仰を持っているわけではなかった。神も人も精霊も、力の差はあれど、ただ等しく存在しているだけだ。
そんな自分がかなり変わっているという自覚はあった。この心のうちを熱心な信仰を持った者などに知られてしまえば、きっとヘンドリックスは異教徒のごとき扱いを受けてしまうだろう。
「この世界に肉体を得るため、自らの生まれた世界とは距離を置き、精霊王様は、私たちのために眠りにつこうとなさっている。感謝申し上げこそすれ、非難などできるわけがありません」
「ふふ。らしくないわね、ヘンドリックス。……精霊王のことも、私のことも、怒らないのね」
きっと誰よりも打ちひしがれているだろうオリヴィアに、一体ヘンドリックスが何を言えると言うのか。生まれ変わる以前のこととはいえ、二人は同郷なのだ。おそらく、ステラ・マーチを抜かせば、この世界中で二人だけの、故郷を同じくする者。
フィーラが精霊姫となる以前から、オリヴィアがフィーラのために尽くしてきたことを、ヘンドリックスも、そしてフィーラも知っている。
この決断をしたフィーラとオリヴィア以上に、互いの苦悩を分かっている者はいないだろう。それでもそうするしかなかったから、二人はこの決断に至ったのだ。
「この世界を総べる精霊王と、世界の礎たる精霊姫に物申せる者などいやしませんよ」
「あらそう? 私は元精霊姫だけど……でもあなたは精霊王のことを絶対的な存在とは見ていないでしょう?」
「確かに、俺は神も精霊も盲目的に信じることはしません。しかしオリヴィア様とフィーラ様のことは信じています。たとえどれほど過酷な道であろうとも、お二人が選んだ道なら、それが最善です」
「それこそちょっと盲目的すぎよ? ヘンドリックス。人は誰しも間違うわ。それは私もフィーラちゃんも一緒よ」
「ですが、誰よりも間違いは少ないでしょう。なぜならあなた方お二人は、常に周囲の者たちの幸福を軸として考えている。そしてそれが自らの幸福と一致している。人として尊敬すべき方たちです」
「ほめ過ぎだわ……。カナリヤが消えてしまうのが嫌だった。その気持ちが私にあったことは事実よ。私はフィーラちゃんを止めるべきだったのかもしれない。今からでもそれは……」
伏せられたオリヴィアの瞼は震えている。止めたいという気持ちは本物だろう。だがそれをしてもどうしようもないことは、オリヴィアもわかっているはずだ。
「いいえ、オリヴィア様。もしオリヴィア様に止められたとしても、フィーラ様はきっとその言葉に頷きはしなかったでしょう。そうでなければ、最初から名乗り出たりなどなさいません。オリヴィア様……お二人は似ていらっしゃいます。もしオリヴィア様がフィーラ様のお立場だったなら、きっとお同じ事をなさったでしょう? それが最善だと確信して」
「……ありがとう。ヘンドリックス」
オリヴィアは一度きつく瞳を閉じ、開いた。その瞳にはもう迷いは浮かんでいない。
「ヘンドリックス。フィーラちゃんが戻るまでに、すべてを整えておきたいわ。手伝ってちょうだい」
ヘンドリックスは聖騎士団団長だ。そして今は一の筆頭騎士でもある。これからヘンドリックスはオリヴィアとともに、他の聖騎士や精霊士たちにこのことを知らせる役割がある。
すべての者に、知らせることはできない。そんな時間はないし、信頼のおけるものにしか話すことはできない案件だ。他の者へはすべてが終わってからの報告になるだろう。
恐らく多くの者にとっては、怒り、悲しみ、納得しかねる話だろう。しかし、その者たちを説得するのが、ヘンドリックスの役目だ。
これから、この世界すべての者たちのためにその身を捧げる精霊姫が、すこしでも穏やかな心で眠りにつくことができるように。
それはヘンドリックスの全身全霊で、なさねばならないことだ。
「仰せのままに。オリヴィア様」




