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前世を思い出したわがまま姫に精霊姫は荷が重い  作者: 星河雷雨


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第195話 不穏



 学園の研究室で、サーシャは己の手の平を見つめていた。


 トーランドが精霊教会へと戻ってから、トーランドが使っていた研究室は普段は鍵が掛けられている。だがサーシャとクレメンスは次の使用者が決まるまではという条件つきで、特別に許可を貰い時々この研究室を使っていた。


「やっぱりおかしい……」


 サーシャの精霊がサーシャに対し何の反応も示さないのだ。


 精霊がサーシャの意図を理解しないことは今までもあったが、何の反応もないような今回のようなことは初めてだ。


「……まったく反応がないのか?」


 隣に座るクレメンスが、サーシャの手の平を見つめる。クレメンスはいまやサーシャにとって同じ志を持つ大切な仲間だ。

 

 二人は卒業まで学園に残ることになったが、学園の外では教師をやめ精霊教会へと戻ったトーランドに師事している。


「……うん。クレメンスの精霊は?」


 サーシャの言葉に、クレメンスが目を瞑り己の精霊に語りかける。


「……反応はするけれど、いつもより鈍いな。声が何かに遮断されているような感じだ」


 眉を顰めるクレメンスに、サーシャの顔色が悪くなる。


「ねえ、聞こえる?」


 もう一度己の手の平へと語り掛けるサーシャだったが、やはり何の反応もない。今度はクレメンスのように目を瞑り、己の精霊へと語り掛けてみるが、結果は同じだった。


「やっぱり……反応しない。私、ちょっとフィーラに会ってくる」


 どうにも嫌な予感を覚えたサーシャは急いで大聖堂へと面会の申請を出した。







「サーシャ、久しぶりね!」


 サーシャからの面会依頼と聞いて、フィーラはすぐさま取次を許可した。フィーラがサーシャと会うのは久しぶりだ。サーシャは学園の制服を着たまま、大聖堂へと来ていた。制服を着なくなってまだ数週間しかたっていないが、すでに懐かしい。


「あら? 様になってきたじゃない、その恰好」


「そうかしら?」


 サーシャの言葉を受けて、フィーラが自分の着ている服を見下ろす。白を基調に金の帯が入った聖職者を思い起こさせるような服だ。一般的なドレスとは趣が異なっている。


 オリヴィアがこの服を着ているのは見たことがなかったため、不思議に思い聞いてみたら、フィーラのために特注したのだという答えが返ってきた。


 どういうことか聞いてみると、ゲームでのビジュアルを決める時、精霊姫の着る服には二つの案が出ていたようだ。オリヴィアとしてはこの服の方が好きだったが、決定したのはもうひとつの方だった。

 

 ずっと忘れていたけれど、そのことを思い出し作ったのだそうだ。フィーラにぴったりだからだと。


「でもドレスより着易いからわたくし気に入っているの」


「確かにね。ゆったりしていて着易そう。……て、そうじゃないのよ。話したいことがあったのよ、私は」


 フィーラの服をまじまじと見つめていたサーシャが、はっとした表情で今度はフィーラの瞳を見つめてきた。真剣な面持ちのサーシャはなかなかの迫力だ。


「ど、どうしたの?」


「ねえ、精霊王様は何か言っていない? 実は私の精霊が呼びかけても反応しなくて……」


 サーシャがわずかに瞼を落とし、己の手の平を見つめる。


「精霊が?」


「私の精霊だけならいいのよ。いえ、よくはないけれど! 何か嫌な感じがして……」


「聞いてみるわ……。待ってて」


 フィーラは目を瞑り精神を集中する。目を瞑り意識を集中することでカナリヤを呼びだすことが出来るのだ。


 カナリヤとは常に意識を共有しているわけではないことが、ようやくフィーラにも実感できてきた。

 もしかしたらカナリヤ側にはまるわかりかもしれないが、少なくとも言われなければフィーラがそのことを実感することはない。


 フィーラは集中してカナリヤを呼びだそうとしたが、フィーラが呼びだす前から、すでにカナリヤの気配がすぐそばにあった。


『もう来ている』


「カナリヤ様⁉」


『今起きている事態は精霊の異常というよりはこの世界に起きた異常だ』


「……え? 今何と?」


「なになに? なんて言っているの?」


「あ……、えと。カナリヤ様。サーシャにも話が通じるようにしていただけますか?」


 フィーラの言葉に反応し、光の玉がフィーラとサーシャの目の前に現れた。そして光の玉は見る間にフィーラの姿になってしまった。


――あら? そういえば、この姿のカナリヤ様って、サーシャは見たことがないんじゃ……。


 サーシャの方を見ると、口をあんぐりと開けて固まってしまっている。


――ああ。やっぱりこうなるわよね。 


「……これって、フィーラの姿よね?」


「……ええ」


「……びっくりだわ。精霊が人間の姿になれるなんて」


――あ、そっち? ……そうよね。この世界の精霊は人間の形をとることは稀なのよね。サーシャが驚くのも無理はないわ。


 カナリヤとの以前の会話では、何度か人間の姿になったことがあると言っていた。しかしそのことが記載されている文献が皆無な以上は、やはり珍しいことなのだろう。


『これなら私の言葉が聞こえるだろう』


「あ、本当。というか……精霊王様⁉ ご機嫌麗しゅうございます!」


 サーシャが慌ててカナリヤに頭を下げる。挨拶の仕方から若干慌てているのが見て取れた。


『お前とは知らぬ仲ではない。そう固くなるな』


――そういえば、サーシャは小さな頃から大聖堂へ出入りしていたのよね。カナリヤ様とも面識があったということね。


「え! 嘘! 私は初めてお会いしたけど……」


――違ったわ……。


『オリヴィアの近くにいる者は、私も把握している。特にお前は頻繁にここへ来ていたからな』


「お、恐れ多いわ……。馬鹿なことばかりしでかしていたのに、私……」


「……何をやったの? サーシャ」


「その話はあとで!」


「そ、そうね。……この世界の異常とは何なのですか? カナリヤ様」


 そこはサーシャの言う通りだ。サーシャがしでかしたことよりも大事なことがある。


――いけないわ……。ついつられてカナリヤ様の重大発言を忘れてしまうところだったわ。


「え? 何それ」


『お前たちが言った精霊の異常とは、この世界の異常にともない起こっている』


「どういうことですか?」


『この世界が崩壊しかかっているため、精霊たちが避難を始めているんだ』


「……は?」


「……え?」


 今カナリヤはとんでもないことを口にしているが、あまりにも平静な態度であるためまるで現実感がない。聞き間違えたのかと思うくらいだ。実際、フィーラはカナリヤに聞き返していた。


「カナリヤ様……今この世界が崩壊しかかっているとおっしゃいましたか?」


『ああ。言ったな』


 やはり何でもないことのように言うカナリヤに対し、フィーラとサーシャは互いの蒼白になった顔を見合わせる。


 一瞬の後、大聖堂の一角に二人の叫び声がこだました。






                  





「……世界が崩壊しかかっている?」


 フィーラからの報告を聞き、ソファに腰を座り紅茶を飲んでいたオリヴィアが眉を顰めた。


 カナリヤからの驚くべき報告を受けたフィーラとサーシャは、急いでテレンスの家にいるオリヴィアに連絡をとった。


 今フィーラは転移門を使いやってきたオリヴィアと二人で、カナリヤの話を聞いている。カナリヤがオリヴィア以外の同席を拒んだためだ。そのため、サーシャにもヘンドリックスにも席を外して貰った。


『そうだ。この世界……人の世界は崩壊しかかっている。それに伴い、精霊がこの世界から姿を消しているのだろう。精霊がこの世界へとやって来られるのは、人間の世界がたえず精霊の世界と接点を持っているからだ。精霊は人間の世界と精霊の世界を、その接点を通して行き来している。だが、人間の世界にいる間に人間の世界が崩壊すれば、精霊の世界へ帰ることが出来なくなってしまう。その前に避難しようということだな』


「それはすべての精霊が避難しだしているの?」


「……いや。わずかだが残る精霊もいる」


「それ以前に、どうして崩壊なんて……」


『わたしともう一人の精霊王が一つになったことが原因だろう』


 精霊王の言葉に、オリヴィアの肩がわずかにゆれる。そのしぐさを目の端で捕らえたフィーラは、隣に座るオリヴィアの様子を注意深く伺った。オリヴィアの重ね合わされた手は真っ白で、微かに震えている。


――オリヴィア様……?


 今日のオリヴィアはどうにも様子がおかしい。オリヴィアはこの部屋に入ってきてカナリヤの姿を目にした瞬間、大きく目を見開き、何かに動揺しているようだった。


 カナリヤがフィーラの姿をとることは、オリヴィアもすでに知っている。そのことに驚いたわけではないだろう。



『……どうした、オリヴィア』



 精霊王のその問いに、オリヴィアが何かを決意するかのように、きつく瞼を閉じる。


 そして再び現れたその瞳には、普段のカナリヤを見る時のような、親しみは浮かんではいなかった。


「……参ったわね。まさかこんな事態になるなんて」


「オリヴィア様?」


「あなたは誰なの?」


 オリヴィアの視線は、まっすぐにカナリヤに向けられている。


「え? オリヴィア様?」


 オリヴィアの言っている言葉の真意を掴みかね、フィーラは戸惑った。


「……いえ、誰かなんて聞くまでもないわね。どうしてこうなったのかしら? まさかカナリヤが取り込まれるなんて……」



『……どうしてこうなった、か。当然だな。もともと、わたしが主で、あちらが従だからだ』



 フィーラの姿から紡がれるその言葉を聞いた瞬間、フィーラの身体から一気に血の気が引く。


『どう切り出そうかと思っていたが、手間が省けた』


「……嘘。まさか……。あなた」


『そう怖がるな。お前たち二人に何かをするつもりはない』


 フィーラとオリヴィア、二人が見守る中、みるまにフィーラの姿は変じ、黒髪に青い瞳の青年の姿に切り替わる。


「どうして……。カナリヤ様は……?」


『あれはわたしの中にいる。もとより二つは同じものだ』


「……カナリヤとフィーラちゃんはあなたとカナリヤが一つになる前に契約をしているわ。あなたの意識が優勢になっているということは……今契約はどうなっているの?」


 オリヴィアは蒼褪めながらも、目の前の精霊王に対話を挑んでいる。一方のフィーラは呆気にとられたまま青年の姿をとった精霊王を見つめるばかりだ。


『わたしもフィーラと契約をしている』


「えっ⁉ い、いつですか……!」


 精霊王の言葉に我に返ったフィーラは、記憶の中を必死に探る。よもや記憶への干渉が完全には解けていなかったのだろうかと。


『お前とわたし、二人だけで話しをしたときがあっただろう。あのときわたしは、わたしに名をつけるなら、望むままに、お前にわたしの力を貸すと約束した』


「え? 確かに、その約束はしましたが……」


 そして約束どおり、この精霊王はフィーラとオリヴィアをあの空間から出してくれた。


「……一応契約にはなるわね」


 オリヴィアが額に手を当てため息をつく。


「え⁉ それだけでですか⁉」


「精霊との契約は、精霊から持ちかけた言葉に対し人間が応えることで成立するの。対価と引き換えに望むままに力を貸すという言葉は、契約の持ち掛けともとれるわね」


――ああ……やっぱり、罠が……!


『お前に名を付けられたときは、まだ分身をわたしに戻してはいなかった。お前に名を呼ばせたときには、分身を元に戻したあとだった。それで分身を縛っていた契約を完全に切ることが出来たのだ』


 分身とはおそらくデュ・リエールに出た魔のことを言っているのだろう。


「……カナリヤは知っていたの? 元に戻ればあなたの意識が優勢になるということを……」


『知らなかっただろう。だが今は理解し、受け入れている。元よりわたしとあれはひとつの存在だ。お前のこともよく覚えている。オリヴィア』


「……あなたが主で、カナリヤが従と言ったわね。一体どういうこと? そのことと関係しているの?」


 オリヴィアに問われた青年の姿をした精霊王は、まるで人間のようにフィーラとオリヴィアの座るソファの対面に腰を下ろした。


『わたしたちが二つに分かれたときの力と記憶の配分だ』


「……なぜ、精霊王たるカナリヤではなく、魔になるであろうあなたに力を多く残したの? それに……力はまだしも記憶は消えてしまうでしょう?」


『力が必要だったのはこの世界に空いた穴を塞ぐためだ』


「……この世界の、穴?」


「この世界とは、人間の世界ということですか? ……カナリヤ様とあなたが分れたのが穴を塞ぐためだというのなら、では先ほどの、あなたたちが一つになったために世界が崩壊しかかっているという話は、嘘ということですか?」


『……そうともいえるし、そうでないともいえる。穴を塞いでいたわたしが精霊王に戻ったことで、この世界の崩壊が進んだことは事実だ。もともとこの世界の崩壊を防ぐため、あるいは遅らせるために、わたしたちは二つに分かれ、穴を塞ぐ役割をもったわたしに力を多く配分した』


「二つにわかれたのは、魔と人を護るためじゃなかったのね」


『同じことだ。この世界が崩壊すれば、人も、人の世に落ちた精霊も、消えてなくなる』


「……どうして穴なんて。いつそんなことに……」


『最初からだ』


「最初から? どういうこと?」


『今のこの精霊と人の領域が交わる世界がどうやってできたのか、お前たちは知っているか?』


 精霊王の問いかけに、フィーラとオリヴィアは顔を見合わせる。


――前世の世界にあったゲームの世界の設定だから……なんて答えじゃなさそうね。


「いいえ」


 オリヴィアが精霊王の問いに答える。


『最初、二つの世界は単独で存在していた。時折触れ合うことはあったが、それも一瞬のことだ。しかしある時触れ合ったまま離れなくなってしまった。何かの拍子で絡み合ってしまったのだな』


「時折、異なる世界同士が触れ合うことがあると、カナリヤも言っていたわね」


『そうだ。大抵は一瞬の触れあいで済むのだが……恐らく、人の世界に綻びがあったことが原因だろう。そのうち離れていくと思っていたから放っておいたのだが、なかなかに長い年月を共に過ごすことになってしまった』


「もともと単独で存在していた世界同士が絡み合ってしまった……そこから精霊が人の世界に来ることができるようになったというわけね」


『そうだ。精霊は好奇心が旺盛だからな。すぐに絡まり合った箇所から人の世に出向くものたちが現れた。そして限りある生と未知の死に魅了された』


 精霊王が語る話は、まるで神話の世界だ。


『人という種が生まれると、それはさらに顕著となった。最初はその関りさえも放っておいたが、多くの同胞が人の世に関わるようになれば、わたしもただ見ているだけというわけにもいかなくなる。それに……わたしにも興味が湧いたのだ。人の世に出向いた精霊の見聞きしたものは、わたしにも伝わる。人の世と関わるようになってから、精霊全体に進化とも呼べる現象がおきた。わたし以外曖昧だったはずの意識が多く生まれ、そのことによってまたわたしの意識も変化した』


「精霊は人と関わることによって成長する……」


 オリヴィアの囁いたその言葉の意味を、フィーラは元からある意識が成長する程度の話だと思っていた。それがまさか意識というものを無から発生させるほどの影響力だったとは。


『人の持つ感情や想いは、精霊にはなかったものだからな』


「それで……穴というのは、もしかしてその絡み合った箇所になんらかの問題が起こったということ?」


『そうだ。絡み合っていた世界同士が人の世界の綻びが広まったことによって、また離れようとしている』


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