第194話 希望
「君もステラ・マーチもいない……か」
部屋から出た後ディランが呟いた言葉は、リディアスが言ったものだ。
運命を狂わせたと思っている二人に、もう会えない。それはもし、リディアスが償いをしたいと思っているとしたら、絶望的なものと捉えても仕方ないことなのかも知れない。
「……面会は許されているわ」
「また来るつもりか?」
「……そう頻繁じゃなければ……いいのではないかしら」
そうはいいつつも、おそらく反対されるだろうことはわかっていたため、フィーラの口調も自然と弱くなる。
「やめとけ」
案の定ディランは否定の言葉を口にした。
「でも……」
「妙な噂が立てば、双方困ることになるぞ。それより……ステラ・マーチ。あの子に贈り物をしたんだって?」
「……ええ。ステラ様はすでにマーチ伯爵家からは除籍されています。王宮で過ごすには色々物入りだと思って」
「君は人が良いな……。彼女に精霊士の道を示したんだろう? だが、フィーラ。もしかしたらあの子も………」
そこまで言って何故かディランは言葉をきった。
「あの子も? 何?」
「……いや。なんでもない」
いつもはずけずけと物を言うくせに、今日のディランは歯切れが悪い。
――まあ、ステラ様を精霊士にという意見には、他の人からも反対意見はあったものね……。
それでも、ステラの行く先が少しでも良いものとなるように、そのためにフィーラとしては出来るだけのことをしたいのだ。ステラもフィーラやオリヴィアと同じ世界の仲間なのだから。
ステラは悩んでいた。リーディアたち同様、本来ならステラとて罰せられる対象だ。それなのにステラが受けた罰はとても軽いものだった。伯爵家からの除名と精霊姫候補としての経歴の削除、学園の退学のみだ。
ステラ自身が操られていたこと、実際にはステラ自身は何も実行していないことが考慮された。
学園を退学となったステラは、現在お目付けの意味もあり、ティアベルトの王宮へと滞在している。常に数人の近衛騎士に遠くから見張られてはいるが、それ以外は比較的自由に行動することが許されている。
しかも侍女もついているのだ。感じの良い子で、ステラの身の上は知っているはずだが、そのことには触れないでくれている。
こんなに恵まれていていいのだろうかと。ほかの者たちの境遇を想い、ステラはため息をついた。
リーディアは残りの命が少ないことが精霊によって確認され、斬首を免れ牢に入れられるだけで済んだ。
しかし牢は貴人専用のものではない。公爵令嬢として生きて来たリーディアではその劣悪な環境でどこまで持つかはわからないだろう。
ウォルクには特にお咎めはなかった。ウォルクは単にリディアスに従っていただけだし、ステラ同様直接的には何もしていなかったためだ。
ただ将来重要な役職につくことは不可能に近いだろう。咎めはなかったといっても、今回のことに関わった人間の名は、各国の王たちには知らされているのだ。
マークスは父親であるルディウスと一緒に、今はカラビナの王宮の牢へと入っている。フェスタ家もカラビナ王家から直接、本家の座をローグ家に明け渡すことを要求されたらしい。
そしてリディアス。リディアスは王位継承権を剝奪され、王太子ではなくなった。そして生涯幽閉の身となり、テレンス国が管理する塔の部屋で死ぬまで管理される。
彼らに比べたら、ステラの処罰は軽いと言わざるを得ない。ステラは伯爵家を除名されても、いずれは家に戻ればいいだけだ。すでに両親は事の次第を知っていて、それでもステラに帰ってきてほしいと言ってくれている。
だが、ステラにはさらにもう一つの道が残されていた。
それは誰であろう、フィーラがステラに示してくれた道だ。
フィーラはステラに、ずっと見守ってくれた精霊と契約し、精霊士としてフィーラのそばにいれば良いと言ってくれたのだ。
だが、いくらフィーラがステラのことを許すとは言っても、その言葉に本当に甘えてしまってもいいのかと、その答えがいくら考えても見つからない。
ステラがもう一度ため息をつき膝を抱えてしゃがみ込む。すると背後から名を呼ばれた。
「リゼット。侍女が探していたぞ」
「ジルベルト……」
ステラはすでに平民に戻っているため、名前が変わっている。ステラ・マーチからステラ・リゼットへ。もうマーチとは呼べないし、名で呼ぶほどには親しくない。そのため、ジルベルトはステラのことをリゼット、と姓で呼んでいるのだ。
一方、なぜステラがジルベルトのことを呼び捨てなのかといえば、普段は様を付けて呼ぶよう気を付けていたのだが、ステラが何度も様を忘れて呼んでいたため、もうそれでいいと言われてしまったからだ。
ジルベルトは今、学園の騎士科に通う傍ら、授業終了後や休日には王宮の近衛騎士団に通い訓練を受けている。
最初は王宮でジルベルトに会ったとき、非常に気まずかった。入学当初しつこくし過ぎたせいで、ジルベルトのステラに対する印象は、おそらくあまり良くないだろうと思っていたのだ。
しかし思いのほかジルベルトは、ステラに対し普通に接してくれた。親しく話すわけではなかったが、会えば軽い会話くらいはしてくれるようになったのだ。
「ありがとう……行ってみるね」
「その必要はない。言付けを頼まれた。新しい服が届いたから、クローゼットに入れておくと伝えてくれと」
「服?」
「フィーラからだそうだ。マーチ伯爵家との接触は禁止されているだろう? 王宮で過ごす服に困っているのではないかと、送ってくれたようだな。手紙も入っていたそうだから、後で読めばいい」
「……本当、なんてお人よしなのかしら、あの人」
あまりのフィーラのお人よしぶりに、思わずステラの口元に笑みが浮かぶ。そのステラの様子を見たジルベルトの口元にもかすかな笑みが浮かんだ。
そんなジルベルトの姿を見たステラは、目を見開く。
ジルベルトには嫌われているかもしれない。そう思うと、今までステラは王宮内でジルベルトに会っても、必要以上に話をする勇気を持てなかった。
だが今なら……。
「あの……、ジルベルト……」
それでも、こんな機会はもう二度と来ないかもしれない。そう思ったステラは、勇気を出してジルベルトに切り出した。ステラに名を呼ばれたジルベルトが、まっすぐにステラを見つめる。
「以前はごめんなさい。しつこくしてしまって……」
「……いや。入学から間もない時期だった。きっと君も友人を作りたかったのだろう? こちらも大人げない態度を取ってしまった」
予想もしなかったジルベルトの言葉に、ステラは慌てる。そんな良い捉え方をしてくれるとは思わなかったのだ。
本当はそんな理由で話しかけたのではない。しかし、ジルベルトがこの世界のことを知っているのか否かを、ステラは知らないのだ。迂闊なことは言えない。
あるいはそうやって理屈をつけることで、やはり真実を言うことから逃げているだけかもしれない。
「う、ううん。いいの。私がしつこかったのは本当だもの。本当にごめんなさい」
そうは思っても、やっぱりステラは本当のことを言えなかった。せっかく話せるようになったのだから、これ以上ジルベルトに嫌われたくはないと、恐れているのかもしれない。
「もういい。気にするな」
一旦そこで会話が途切れたため、ステラはもう一度礼を言ってからジルベルトを解放しようと思っていた。だが、めずらしくもジルベルトのほうからまた会話を続けてくれた。
「……リゼット。フィーラに精霊士にならないかと、誘われているんだろう?」
「知ってたの……?」
「いくら精霊姫からの誘いといえど、今の君の身柄は国に属している。サミュエル殿下に話を通さないわけにはいかないからな」
「……」
国に属している。それは言い換えればステラの身柄は国の監視下にあるといえる。
「もし、君が自分は許されないとそう思っているのなら、これから償えばいい。そもそも君は利用されたんだ。本気でフィーラをどうにかしようとしたわけじゃないだろう。むしろ君はフィーラのことを好いているように俺には思える。フィーラだって君を許すと言ったそうじゃないか」
「でも、でも私は……あれだけのことをしておいて……」
彼女にしたことを思えば、償いたいなど、そう思う気持ちすら許されないのではないかと思ってしまうのだ。
「君がこのことを知っているかはわからないが……俺は兄の腕を壊した。たとえ兄が仕組んだとはいえ、俺が兄の腕を壊したことには変わりない。今はもう兄はいないけれど、君の理屈で行くと、俺が兄に償いたいと思う気持ちは、許されないことなのだろうか?」
「……そんなことない!」
ジルベルトと次兄にあったことは、ゲームの内容にあったことなので、ステラも知っている。そして今回の件の関係者として、ステラにも一部始終が知らされている。自分のしたことを直視するためだ。
ジルベルトの葛藤は、今のステラにはよくわかる。けれど、以前のステラは攻略対象にありがちなトラウマとしか思っていなかった。
「君はきっと弱い……でも、同時にその弱さと向き合える強さも持っていると、俺は思う。俺も弱い。でも強くありたいと思っている。俺と君と同じだ」
「……ジルベルトっ」
ジルベルトの言葉に、ステラの堪えていた涙が溢れだす。ジルベルトの言葉が、嬉しかった。とても、嬉しかったのだ。
あれだけ優しくしてくれたリディアスも、リーディアも、結局はステラを駒としてしか見ていなかった。
それにひきかえ、最初からジルベルトはステラに厳しかった。鬱陶しいと、そう思うその気持ちをステラに隠しもしなかった。でも、それはその分、ステラに対して常に誠実でいてくれたのだと言ってもいい。
そして今。ジルベルトはそのときのことを謝ってくれた。どうしようもなく弱い自分を嫌いになりそうだったステラに、強さを持っていると、そう言ってくれた。
それだけのことなのに、ステラは報われた気がしたのだ。この世界に生まれて、生きて来た本当のステラが、報われた気がした。
ディランに対する気持ちとも、リディアスに対する気持ちとも違う。けれど暖かな感情が、ステラの胸に溢れて来た。
自分は何て馬鹿なのだと、あらためてステラはそう思う。こんなときなのに、否、こんなときだからこそなのか。自分が今ジルベルトに恋に落ちたことに、ステラは気づいてしまった。
だが、この恋には未来がないことを、ステラは知っている。
いつか振り向いてくれると、そう信じることが出来たなら良かった。けれど、ステラにはもう、そのいつかを待つことはできないかもしれない。
精霊士としての資質のないリーディアが魔の力を使って命を縮めたように、精霊姫としての資質のないステラが精霊王をその身に降ろし、力を行使した事実は、確実に身体と精神を蝕んでいる。
全身に及ぶ痺れに、痛む節々。いつも疲れやすく、自分を保つことすら難しい時がある。下された刑は軽かったけれど、ステラは今己のしたことの代償を払っている最中なのだ。
この恋はきっと実らない。そもそも、聖騎士にならなかったとはいえ、ジルベルトがフィーラを好きなことには変わりがないのだ。
それでも、ジルベルトを好きになれたことがステラには嬉しかった。もう一度、誰かを好きになれたことが嬉しかった。偽りの想いしか抱けないと思っていたのに、そういう人間なのだと思っていたのに。
ただ好きだと思える。それだけで、こんなに幸せな気持ちになるなんて思いもしなかった。
もしかしたら懲りていないだけなのかもしれないが、きっとフィーラにこのことを話したら、ステラ以上に喜んでくれそうな気がするのだ。そんな姿がありありと目に浮かぶ。
「……ありがとう、ジルベルト」
ステラの微笑みに、ジルベルトもまた微笑みを返す。その笑顔をずっと覚えていられるようにと、ステラはジルベルトの姿を瞳に焼き付けた。




