第193話 贖罪
サーシャが叔母の嫁ぎ先であるマクラウドの家を訪ねたのは、かなり久しぶりだった。幼い頃は頻繁に訪れていたが、ウォルクとの仲が悪くなるにつれ、いつしか足も自然と遠のいてしまったのだ。
久しぶりに会った姪に泣きながら謝る叔母を宥め、サーシャはウォルクの部屋を目指す。だいぶ久しぶりだが、部屋の位置は覚えていた。
サーシャは目的の部屋の前に立ち、部屋の扉を叩き名を告げる。すると、中から入室を促すウォルクの声が聞こえた。
扉を開け、部屋の中へと入ったサーシャは、窓の近くに置いた椅子に座っていたウォルクに声をかける。
「本当。馬鹿なことしたわよね」
「サーシャ……」
サーシャはウォルクを力一杯睨み、そのサーシャの表情を見たウォルクが怯むのをみて、小さく溜息をついた。
「あんたって……本当は泣き虫で気が弱いのよね。思い出したわ」
「そんなことは……あるのかな」
ウォルクが小さく笑いながら、わずかに首を傾げる。もうサーシャに反論する元気すらないようだ。
「そうよ。自分のしていることが間違っているって、わかっていたのでしょう? わかっていたのに……うだうだいらないことを考えて、修正する機会を逃したんだわ」
皆が記憶への干渉を受けていた時にサーシャの前に現れたウォルク。後から思えば、ウォルクの行動はまるで牽制にはなっていない。ただ自分たちのしていることの告白をしにきたようなものだ。
もしかしたら、とサーシャは思う。もしかしたら、ウォルクはサーシャに自分のしていることを止めて欲しかったのではないかと。あるいは罪悪感に苛まれての、罪の告白か。
「うん。そうだね……。挙句の果てに、僕はたいした罰を受けなかった。僕だって、確かにこの世界を歪めた者の一人であるはずなのに……」
だが実際ウォルクは何もしていない。そう結論づけられている。それは精霊の精査を行ったのだから確実だ。
「公式な罰は受けなかったけれど、信頼は失ったでしょ? 叔父様と伯母様はあんたを除籍にするとまで言っているじゃない」
「甘いよ。結果的には当代の精霊姫と先代の精霊姫、二人を危険な目に合わせたんだよ? 二人が目覚めたから良かったものの、もし目覚めなかったとしたら……。一生牢に入っても足りないくらいだ」
「滅多なこと言わないで! 誰かに聞かれたらどうするのよ!」
ウォルクたちのしたことは、世間一般にはあくまで精霊姫に対する虚偽の申し立てだ。ウォルクの家族も、そう信じている。
「二人は気にしてないわ。特にフィーラなんて、大したこととは思っていないわよ」
「……本当にお人よしだね、あの人。性格全然違うじゃないか」
ウォルクは何かを思い出したのだろう、呆れたように小さく溜息をついた。
「感謝しなさいよ。精霊姫に恨まれたら生きていけなかったわよ?」
「恨まないよ。そんな人間じゃないから、精霊姫に選ばれたんだろ? 伯母様と一緒だよ」
精霊姫に選ばれる基準、その基準は明白に知らされてはいないし、オリヴィアの姪であるサーシャとて知らない。しかし、サーシャはきっと魂の美しさで選ばれているのではないかと思っている。
母を亡くしたサーシャに想いの限りを傾けて愛してくれた伯母、自分の命をかけてまでサーシャを助けようとしてくれたフィーラ。同じ世界から来たというあの二人に共通するのは、誰よりも優しいということ。
そのことを考えたとき、サーシャはステラのことを思い出した。ステラもきっとあの二人と同じように、本当は優しい子だったのではないかと。
運命のいたずらでこのようなことになってしまったが、本来なら彼女だって、精霊姫に相応しい魂の持ち主だったのではないかと思ってしまうのだ。
「あとで伯母様にも謝りに行きなさいよ……」
「蟄居中だよ、ぼくは……」
「ずっとじゃないでしょ?……伯母様、あなたに謝りたいって言ってた」
「僕に?」
思い当たることは何もないとでもいうように、ウォルクが首を捻る。
「自分が不用意に話をしたから、あなたの人生を歪ませてしまったって」
「そんなの……伯母様のせいじゃないよ。現に、同じ話を聞いていたサミュエル殿下や君は、道を間違えたりはしなかった」
「あんたの場合は仕方ないわよ。だって恋だったんでしょう?」
「恋……?」
サーシャの言葉にわずかに目を見開いたウォルク。自分の気持ちをまるで自覚していなかったらしい。
「嘘でしょ? あなた気づいていなかったの? あなたは伯母様の話をきいて、ステラに恋をしたのよ。だからリディアス殿下の誘いに乗ってしまったのでしょう?」
「そう、なのかな? でも、ステラが欲しいとか、そんなんじゃないんだ」
「まあ、理想と現実は違ったと言うことよね。あなたが恋したのは物語の中のステラなのよ。だから、彼女が精霊姫になる姿を見たかった。そうでしょ?」
「……そうか。そうかもしれない。……だったら、本当にステラには悪いことをしたな。僕の勘違いで、巻き込んでしまった」
「ああ、もう、それは良いのよ! あの子だってそれなりの欲望があったんだから! それに、ほとんどのことはあなたではなくリディアス殿下とリーディアがやってるじゃない!」
「そんなのは詭弁だよ。僕だって同罪なんだ」
「だったら死ぬまで償いなさいよ。これからあの子だって大変な人生を送るのよ。精霊士になれたとしても、あの子のしたことはどこかで必ずあの子の人生の邪魔をしてくるわ。そのときはあなたが護ってやりなさい」
「……考えたこともなかったよ。今さら僕がステラを護るなんて、……そんなの良いのかな?」
「良いに決まっているでしょ! というかほかの人間は護ろうとなんてしないわよ!」
「……厳しいね、サーシャ」
「厳しいけど現実よ。まあ、あの子のことを特別に思う誰かが現われれば護ってくれるかもしれないけど、それまではあなたが護ればいいじゃない」
「そうか……うん。そうだね。それが僕の罪滅ぼしだ」
「やっぱ、馬鹿ねあんた。罪滅ぼしだとかどうでもいいのよ。護りたいから護る。それでいいの」
「……うん。ありがとう、サーシャ。ごめんね、意地悪なこと言って」
「本当よ。でももういいわ。人間そんな気分のときもあるわ」
「君たちって……本当にお人よしだよ」
そう言って笑ったウォルクの目じりに光るものを見つけたサーシャは、自分でも泣きそうな気持を堪え、精いっぱいの笑顔をウォルクに返した。
「やあ、フィーラ嬢。来てくれたんだね」
部屋へと向かい入れたフィーラは、リディアスに満面の笑みで迎えられた。
牢へと幽閉されたリディアスを尋ねて、フィーラはテレンスへと転移門を使いやって来ていた。一人で会いに行くことは許されなかったため、護衛にはディランを連れてきている。
大聖堂への異議申し立ての後、リディアスは聞き取り調査をされ、その供述をもとに沙汰を下された。
テレンス国が管理する牢への生涯幽閉。それがリディアスに下された罰だった。
救いはその牢が貴人専用のものだったということだろうか。もちろん、王太子であるリディアスにとっては、たとえ貴人用といえども調度品や食事なども、数段質が落ちるだろう。
それでもリディアスの罪状を鑑みれば、それは破格の対応だった。
「リディアス様。おかけする言葉としてはあまり相応しくない言葉かもしれませんが……お元気そうでなによりですわ」
本当に。リディアスはフィーラが思っていたよりも明るい表情をしている。もっと目に見えて落ち込んでいるかと思っていた。
「はは。本当だね。幽閉された人間に対して言うことじゃないよ」
しかしリディアスの表情は言葉とは裏腹に柔らかい。
考えてみれば、心の内で何を考えていたかはさておき、リディアスはフィーラに対して始終優しく紳士的だった。
フィーラの中では、今でもやはりリディアスに対して否定的な感情は湧いてこない。
――わたくし、いつもそうよね。もしかして前世を思い出す以前に感情出をし過ぎていた反動かしら?
「幽閉されたのはリディアス様が悪いのですから仕方ありません。反省なさってください」
「うん……後悔しているよ」
そう言って俯くリディアスは、本当に反省しているように見える。
「…リディアス様。リディアス様は、本当に、ステラ様のことを想っていたのではありませんか?」
フィーラの言葉に、リディアスが目を見開く。
「……どうして、そう思うんだい?」
「申し訳ありません。大聖堂でのお話、あとでわたくしも聞かせていただいたのです」
あの場にはディランの風の精霊による網がかけられていた。網とは比喩だが、音に関することを得意とする風の精霊は、その場の音を拾い、あとで再生するようなことまで出来るらしい。
まるでボイスレコーダーのようなその仕組みは、昔オリヴィアが言っていたことを参考にしたそうだ。
「リディアス様は、ステラ様が気を使わないよう、わざと嫌われるようなことをおっしゃったのでしょう?」
「ああ……参ったな。バレちゃったのか。恥ずかしいね。それでも僕は本当にステラに嫌われるのが怖くて、中途半端な態度しかとれなかったのに……。ステラが僕の初恋の相手だってことを、もっとはやく思い出していたら、きっと結末はちがったんだろうね」
リディアスの言葉に、フィーラは胸が痛くなる。そもそもは、リディアスが世界を思い通りに変えようと思ったことが、すべての始まりだ。
リディアスが話した内容は書面にされ、それにフィーラも目を通すことになった。リディアスの過去を覗き見てしまったような罪悪感はあったが、それも自分に関わることだったのだから仕方ない。
リディアスのしたことは、許されることではない。だがその最初の動機は純粋なものだったはず。父親に愛されたい。初恋の少女を助けたい。ただそれだけだったのに。
そして精霊たちだって悪くない。ステラの精霊はステラが悲しみ、苦しんでいたから、その記憶を消そうとしただけなのだ。
そのせいでリディアスはステラへの想いを忘れ、愛されたいと願ったことを忘れ、守護精
霊の力によって、父親とこの世界に対する憎しみだけが増幅してしまった。
ステラが愛されたいと、主人公になればもうつらい想いをしなくて済むと思ってしまったように。
未熟な力によってリディアスにまでその干渉が及んでしまったのは不幸な出来事だった
覚えてさえいれば、きっとステラを利用しようとは思わなかったはずだ。
「リディアス様……」
「君にも悪いことをした……。君とクレメンス君とはじめて話した時、僕たちの髪の色が似ていると、まるで兄妹のようだと、言ったことがあっただろう?」
「……ええ」
クレメンスとリディアスの銀色の髪に、フィーラの白金の髪。三人揃うと、遠目なら確かに、兄弟妹に見えることだろう。
「あれは本心だ。僕は王家の色を受け継がなかった。この銀色の髪も、琥珀の瞳も。すべてが忌まわしかった。家族の中で、僕だけ色が違う。いつも思っていたよ。同じ髪色の、いや、せめて似た色を持つ弟妹が欲しいって。馬鹿だよね。たとえこの髪と瞳の色が王家の色をしていたとしても、僕があの家族の一員になんてなれるわけがないのに」
正直に気持ちを吐露するリディアスに、フィーラはなんと言えばいいのかわからない。リディアスの家庭環境はすでに報告を受けたことで知っている。
どれほどフィーラが我儘を言い、癇癪を起しても、父も兄もフィーラを見捨てなかった。愛してくれた。どんな自分であれ、認めてくれる人間がいることは、これからを生きる力になるはずだ。
だから、せめてフィーラ自身はリディアスを恨んでいないことは伝えておきたかった。
「リディアス様……わたくしはあなたを恨んではおりません。あなたといて、嫌な想いをしたことはございません。あなたはいつも、わたくしに対しては紳士的でした。……わたくしの許しなど、リディアス様にとっては、何の救いにもならないかもしれませんが……」
「……いや、僕は大勢の人の運命を狂わせた。特に君と……ステラの運命を。でも君にそう言ってもらえて、僕はあさましくも少しだけ、ほっとしたよ。ほんの少しだけ、罪が軽くなった気がした。それは結局、僕の身勝手な思い込みでしかないけれど……」
「リディアス様。あなたは生涯、この塔から出られないでしょう。ですが、必ず、生き抜いてください。どれほどの苦痛を伴おうと、どれほどの孤独を味わおうと。……それが、あなたの受ける罰ですわ」
フィーラの瞳を、リディアスの瞳が見つめる。琥珀の瞳は淡く輝いてはいるが、以前の人を酔わせるような深みはない。
随分と長く感じる時間、フィーラの瞳を見つめていたリディアスだったが、ふとため息のように言葉を漏らした。
「ああ……フィーラ嬢。本当に僕は馬鹿なことをした。君もステラもいないこの塔で……僕は死ぬまで一人なんだな……」
リディアスがフィーラを見つめ、寂しそうに笑った。




