第192話 改革
「そんな……そんなこと私は知らない……」
「知らなくて当然だな。俺は精霊士としての登録をしていないし、俺のように二体精霊を持っているほかの聖騎士も、あんたには教えていない」
ルディウスの唇が小刻みに震えている。
ルディウスは聖騎士の持つ精霊が上級精霊だろうが、気にはならない。なぜならそれは精霊王から賜ったものであり、聖騎士自身の才能で授かったものではないからだ。
しかしディランが闇の精霊の力を使えるということは純粋な己の才能として闇の精霊と契約したということだ。
光と闇の精霊と契約した者は少ない。しかもその二つの精霊はほとんどが上級精霊だ。意図的に記憶を消すことができるほどの精霊なら上級精霊に間違いない。
精霊教会においてはその二つの精霊と契約をしたと言うだけで、その人間の精霊士としての成功は約束されたも同然だった。
ルディウスの精霊は中級精霊。長い歴史を持つフェスタ家の人間も、そのほとんどの者の契約した精霊は中級精霊だ。そして長く続いてきたからこそ、その事実はフェスタ家の人間にとってある種の引け目にもなっている。
精霊教会の最高位であるルディウスの精霊が中級精霊なのに、それよりも高位の精霊を持つ者たちを、ルディウスは忌み嫌っていた。
「なぜ、なぜだ……そんな。なぜ私がそんな目に……」
「なぜ? 他人にしたことが自分に返ってきただけだろ? 俺だってこの力はあまり使いたくはないんだ。あんたのせいで気分が悪い。あと……当たり前だが俺は精霊王ほどこの力を使いこなせてはいない。今後のあんたの身に何も起きないことを祈るよ」
ルディウスは言葉もなくディランを見つめる。精霊による記憶への干渉は干渉された人間に後遺症を残す場合がある。それは主に精神的なものだったが、過去には狂う者まで出たという話だ。
「ルディウス・フェスタ。あなたの精教司の任を解くと同時に、精霊士としての資格も剥奪します。以後は精霊教会、聖五か国の方針に従い罪を償ってください」
「……そ、んな……」
ルディウスはそれ以上言葉を発することなく、聖騎士や各国から駐屯している騎士たちに捕らえられ連れていかれた。
ルディウスが連れていかれたあとには、静かに、だが確実に動揺が広まっていた。
「お静かに」
だがフィーラの一声で周囲はしんと静まり返る。フィーラの声は声量はないが、よく通る。周囲に響くどのような音とも異なる最上の響きだ。
「今まで精教司を努めたルディウス・フェスタは任を解かれました。今、ここで新たな精教司を任命いたします」
フィーラの言葉に、更なる動揺が広がる。今回のことは一般の精霊士にとってはまるで寝耳に水の話だろう。優秀な組織の頭であるルディウスが高官を、はては王たちを脅していたなど、すぐには信じられない者たちとているはずだ。
「マテオ・ローグ……こちらへ」
フィーラの口から出た名前を聞いた者たちの間から、驚きとともに小さな歓声が上がった。
フェスタ家の分家、ローグ家の当主であるマテオは、ルディウス同様精霊士たちの間で評判が良かった。むしろより多くの人心を集めていたのはマテオのほうだ。
「……はい」
フィーラの招きに応じ、マテオが前に進み出る。マテオはフィーラの前に膝を突き、頭を垂れた。
「マテオ・ローグ。あなたを新しい精教司に任命します」
「……慎んでお受けいたします」
一瞬の空白の後、マテオは新しい精教司になることを承諾した。
マテオがフィーラの近くに控えていたレイザンから精教司としての地位を表す聖衣を渡され、袖を通す。
「マテオ・ローグ。わたくしは未熟で、拙いわ。どうしたってオリヴィア様のようにはなれない。けれど、わたくしはわたくしのすべてをかけて、この世界を護ると誓うわ。どうかわたくしに力を貸してちょうだい」
「はい。全身全霊でお手伝いいたしましょう」
マテオの微笑みは、とても暖かいものだった。まるで幼い娘に微笑みかけるような。そんな笑顔だ。
「ありがとう、マテオ様……」
フィーラの言葉を受けて、マテオの笑みが一層深まった。
「トーランド先生! 精霊教会に戻ってくださるとお聞きしましたが、本当ですか!」
フィーラは扉をあけ放ち、開口一番に叫んだ。フィーラの後ろには、いつもどおりヘンドリックスがついている。
フィーラは今、精霊教会の精教司の部屋に来ている。ここには今、トーランドが来ているからだ。
トーランドは突然やってきたフィーラに驚き、目を丸くしている。そしてそんなトーランド隣には、その様子を面白そうに観察するマテオがいた。
新たな精教司任命の儀からこちら、精霊教会はあわただしい。
概ねの人間が新たな精教司であるマテオを歓迎したが、古参の精霊士ほど分家が本家を乗っ取ったとわめき、一向に迎合しようとしない。
それでもそれを理由に辞めさせるわけにはいかないため、マテオにはこれから骨を折ってもらわなければならないだろう。
すでにあるものを一度壊し、また新たに作りなおすのは容易ではない。それが大きく強固であればあるほど、かかる苦労は計り知れない。
トーランドがその一助となってくれるのなら、それは精霊教会を取り仕切るマテオの助けにもなる。
「フィーラ嬢……いえ、フィーラ様」
トーランドが普段通りにフィーラを呼ぼうとして、言い直す。
「先生、どうか今まで通りで……。わたくしが精霊姫なんて、まだわたくし自身信じられないのです」
「では慣れていただくためにも、今まで通りというわけにもいきませんね」
「そんな……!」
フィーラのいかにも傷ついたという表情を見て、トーランドとマテオが笑う。
「フィーラ様。あなたも私のことをマテオ様と呼んでいるではないですか」
マテオがフィーラを見て困ったように笑う。叙任式の際にはマテオを呼び捨てにしていたフィーラだったが、すぐに様づけに戻ってしまった。
「でも……わたくしよりも年上ですし」
「ここにいる者の大半はあなたよりも年上です。あなたが敬称を用いるべき相手は、先代の精霊姫だけですよ」
「でも……」
「聖騎士はすでに名前で呼んでいるのでしょう?」
マテオがフィーラの後ろにいるヘンドリックスと視線を合わせ、頷き合う。
「私どもとは接する機会も距離も違いますから仕方ありませんが、どうにも寂しいですね」
「そんな……そんなつもりじゃありませんわ」
決してそのようなつもりではない。しかし護られる立場と護る立場の者とではやはり自然と上下関係のようなものが出来てしまうのだ。
それに、フィーラは候補のときからの友人であるエルザたちのことは、名前で呼んでいる。しかし彼らは筆頭騎士でもあるが、新人でもある。
そうなると、彼らを呼び捨てにしているのに、ほかの聖騎士たちを敬称で呼ぶのも憚られてしまうのだ。ゆえに、必然的に聖騎士たちのことはほぼ全員呼び捨て状態になってしまっている。
「父さん……彼女は真面目なんです。あまりからかわないでください」
「はは。お前と一緒だな。おまけにお前は堅物だ」
「ですが、それが先生の良いところですわ」
トーランドのことは教師として最初に出会った頃から信頼している。フィーラのことを知らなかったということもあるかもしれないが、トーランドは最初からフィーラのことを色眼鏡では見てこなかったからだ。きっとそこにもトーランドの性格が関係しているのだろう。
フィーラの言葉に、にわかにトーランドの頬が赤くなった。その様子を見て、マテオがわずかに目を見開き、次いで苦笑いをした。
「なんとまあ、面倒な……」
「マテオ様?」
――先生の性格が面倒ということかしら? でもマテオ様、どこか嬉しそうだわ。
「いいえ? 何でもありませんよ。まあ、名前で呼んでくださるのは、気長に待ちましょうか」
「……公の場ではちゃんとしますわ」
「それはそれは……公私を使い分けるのは大事ですからね」
にこにこと嬉しそうにフィーラを見つめるマテオは、年に似合わずまるで好々爺のようだ。
――マテオ様……まるで教師みたいね。前世にもいたわ。生徒を孫のように可愛がるお爺ちゃん先生が。まだそんな年ではないでしょうに……。あるいはわたくしが子どもっぽい態度をとってしまうからなのかしら?
ここへ来てからというもの、周囲は皆年上ばかりの環境なせいか、フィーラはついつい子供じみた言動をしてしまうことがある。
――今更ですわね。成人も済ませたし、来年には二学年になろうというのに……。
来年の春にはフィーラは十六歳になる。前世の世界でも結婚が出来る年だったし、この世界ではすでに立派な大人と言ってもいい年齢だ。
「困ったわ、マテオ様。わたくし、もしかして子ども返りしているのかもしれないわ」
「気にすることはありませんよ。父にかかると皆自分が子どもになったように錯覚するらしいですから」
「まあ、そうなのですか? 良かったわ。わたくしどうもここへ来てから皆様に甘えてしまっている気がして……」
「あなたはもう少し他人に甘えても良いと思いますよ? あなたは自分が思っているよりも、周囲に気を使い、自らを律して生きています。公爵令嬢として生まれたあなたにはそれは当たり前のことなのでしょうが、これからはすべて自分で背負わなくても大丈夫です」
「そう……でしょうか? わたくし結構甘やかされて育ってきたと自負しておりましたが……」
「それは表面的なことだけでしょう? あなたはすでに精神的には自立している。とても学生とは思えないくらいですよ」
トーランドの言葉に、フィーラは内心ギクリとする。フィーラは前世、大人といえる年まで生きている。そしてまた今回、この年まで生きているのだ。実際の年齢よりも大人びていて当然だ。むしろまったくそうは思われなかったらそれはそれで悲しい。
――でも、実際これからのわたくしは何も知らないことばかりの世界で生きていくのだもの。先生の言う通り、他人の胸を借りるくらいの気持ちでいたほうが気が楽になるかもしれないわ。
「先生、確かに先生のおっしゃる通りです。……いざとなったら先生の胸をお借りしたいのですが、よろしいでしょうか?」
フィーラの視線と言葉を受けて、トーランドが固まった。同じくマテオも言葉をなくしている。
――え? なんでそこで固まるの? もしやわたくし根性を試されてただけ? 誘いに乗ったら突き放すとか酷くない⁉
「お気になさらず、お二方。これはいざとなったらちゃんと弱音を吐くからその時には助けて欲しいというフィー独特の言い回しです」
「お兄様!」
――お兄様、いつも突然現れるのね。気配を消すのが上手いわ。
後ろを振り返るとクリードに付き添われたロイドが立っていた。
「……なるほど。そういう意味でしたか。オリヴィア様もたまに聞きなれない言い回しをすることがありましたし、精霊姫になる方は感性がほかの方とは違うということでしょうかね」
なぜかマテオは緊張を解いたあとのような表情で納得している。
「お兄様、今日はなぜこちらに?」
「ああ、フィーに報告があってね。本当なら本人が来られれば良かったんだけど、今は忙しいから」
「何かあったのですか?」
「父様が正式に宰相になることが決まったよ」
「お父様が!」
「うん。宰相がフィーも精霊姫になったことだし祝いだとかいいだして、父様に宰相の座を譲ることになったんだよ」
「……そんな理由で宰相が交代していいいのですか?」
「まあ、いい加減宰相もお年だったからね。頃合いだったんだろう。今度家でパーティを開くから、そのときにはフィーも出られるかな?」
「ええ。もちろん出ますわ!」
「父様も喜ぶよ」
フィーラの答えを聞いて、ロイドが嬉しそうに笑った。




