第191話 揺らがざるもの
精霊士を目指す者は学園に入らない者も多い。精霊士の資格を得れば、すぐに精霊士として働くことができるからだ。
だが古くから続く精霊士の家系であるフェスタ家とローグ家は、家の方針として学園を卒業することを子どもたちに課していた。
例にもれず、マークスとトーランドも同じ年にティアベルト学園に入学した。
しかしその後、マークスはトーランドに二年遅れて精霊教会に入っている。トーランドはティアベルト学園を卒業してすぐに精霊教会へと入ったが、マークスは学園に残ることを選択したからだ。
表向きはもっと精霊学を学びたいということだったが、本音はトーランドと一緒に精霊教会に入ることが嫌だったからだ。
それでも二年後には、マークスは必ず精霊教会に入らなくてはならない。フェスタ家の家督相続は出生順ではない。より精霊士としての才能がある者が家を継ぐのだ。マークスはいずれフェスタ家を継ぐことがすでに決まっていた。
そして二年後、マークスが精霊教会に入ったときには、何故かトーランドが精霊教会からいなくなっていた。
不安要素のなくなったマークスは、そのまま大聖堂つきの精霊士になった。しかしトーランドがいなくなっても、マークスに劣等感は残った。精霊教会にはトーランド以外にも上級精霊と契約した者たちがいたからだ。
精霊教会に入ってすぐにマークスは任された仕事でリディアスに出会った。不可解な事件に遭遇したテレンスの王太子。その事件にはどうやら精霊が関わっているということで、当時精霊教会に入ったばかりのマークスがその調査の担当に当たったのだ。
王族に関する調査だというのになぜ入ったばかりのマークスがあてがわれたのか、それには理由があった。
ひとつはその事件を公にしたくなかったから。その事件には平民の少女が関わっている。王子であるリディアスと、その少女は揃って気を失った。実際に何が起こったのかは調査をしてみなければわからなかったが、何分外聞が悪い。マークスは非公式にその役目を請け負ったのだ。
そしてもうひとつ、それはリディアスの存在が軽く扱われていたからだ。
現王であるリディアスの祖父は、リディアスを大切に想っていた。しかしその息子、リディアスの父はリディアスのことを邪魔に思っていたのだ。
そんなリディアスのために余計な金も労力は使いたくない。それが理由だった。精霊教会の調査は面倒なことが多い。関係者各位に事情を聴取する場合もある。リディアスの父はそれが嫌だったのだろう。
今思えばそれはあり得ない判断だったが、それでもリディアスの外聞を気にした祖父のフェリツィオもその父親の言葉に乗ってしまったのだ。
テレンスへ赴いたマークスが見たのは、妖しく輝く瞳を持った利発そうな少年だった。マークスはすぐにリディアスについている守護精霊が光の精霊だと気づいた。
光と闇の精霊は精霊教会でも契約している者は極めて少ない。しかもその精霊を守護精霊として貸し出すなど普通ではありえなかった。
しかしそれがまかり通った背景に、またしてもリディアスの父の影響があることを知り、マークスはリディアスに同情をしたのだ。
だから、マークスは柄にもなくリディアスの力になろうと、心を砕いた。それはマークスにしては本当に珍しい行為だった。
そしてリディアスは、マークスに対してある提案をしてきたのだ。
リディアスの話を聞いたマークスは、最初は信じられなかった。しかも裏の世界にすることに、マークスにとって何か得があるわけではない。
表の世界でのマークスは特に何か目立ったことを成すわけではなく。それは裏の世界になっても同じだった。
しかし裏の世界で光があたるとされるトーランドは、フェスタ家とローグ家から解放されるらしい。
トーランドがフェスタ家やローグ家から自由になりたいというなら、そうすればいい。マークスから遠ざかってくれた方が、マークスも安心できる。
マークスは裏の世界になったとしても、特に何かを失うわけでもない。表も裏も、マークスにとっては同じだった。トーランドとの距離が離れる分。むしろ裏の世界の方が旨味があるくらいだ。
報酬もくれるということだし、リディアスの境遇にも多少同情できるところがある。マークスはリディアスの提案に乗ることにした。
それからはリディアスの手となり足となり、精霊姫選定に備え、様々なことを準備してきた。
父にはリディアスとの繋がりを明かし、精霊姫選定に関することは逐一報告するように促した。
リーディアの父が金品で候補の座を買おうとしたことを利用し、リーディアもこちら側へ引き込んだ。実質脅迫と同じだったが、泣くでもなく怒るでもないリーディアを多少不気味に思ったが、それでも同じ精霊姫候補に味方がいることは使い勝手が良かった。
学園に教師として派遣されてからは、行動しやすくするために、結界に穴を空けた。簡単には気づかれないよう、根気強く、丁寧に。
もう一人の精霊王の存在を確認した時には、身震いがした。精霊でありながら、魔として忌み嫌われているものたちの王。
きっとほとんどの者が到達しえない、この世界と精霊の秘密の一旦を垣間見たことに、マークスはかつてない興奮と感動を覚えた。
そして、中級精霊との契約者であるマークスにとって、最上級の精霊である精霊王に仕えられることは、この上ない喜びだった。
いつしかマークスはリディアスより、父より、精霊王の意向を重視するようになった。
リディアスと精霊王の望みは異なる。もちろんリーディアやウォルク、アーノルドともだ。
マークスもステラを精霊姫にすることには反対ではない。もっと言えば、精霊姫など誰がなっても良い。なった者が精霊姫だ。精霊姫は結局、精霊王の器でしかないのだ。
自分が中級精霊としか契約できなかったことも、トーランドより精霊士としての能力が劣っていることも、もうどうでも良かった。マークスはもうひとりの精霊王の忠実な第一の臣下であることを自負している。
今はもう、自分自身の望みよりも、精霊王の望みを叶えることが、マークスにとっては一番大切だ。下手な芝居を打つことだって苦にならなかった。
「フェスタ家も落ちたものだな。マークス・フェスタ。沙汰が下るまで、牢で待っていろ」
だから、目の前で己を見据える王からの侮蔑の瞳にも耐えられる。本当の己の使命を見つけたマークスは、もう何に対しても揺らぐことはなかった。
「あとは精霊教会だけだけれど……だいぶ先延ばしになっちゃったわね」
予定外のことに対処する必要があったため、当初の精霊教会へのてこ入れの予定から一月以上のびている。
「オリヴィア様……本当にわたくしがその役目を?」
「何を言っているのよフィーラちゃん。もう精霊姫は交代したのよ?」
山吹色のドレスを着て首飾りを付けているオリヴィア。オリヴィアの緑の瞳に山吹の黄金がよく映えている。
精霊姫であったときはいつも白や白に準ずる淡い色彩の服を着ていたらしく、還俗してからは思い切りお洒落を楽しんでいるのだと言っていた。
「ですが……ここまで来るために力を注いだのはわたくしではなくオリヴィアさまです」
「このときのために、頑張ったのよ。私の最後の仕事はもう終わったわ。あとはあなたの仕事よ、フィーラちゃん」
「オリヴィア様……」
オリヴィアの微笑みはフィーラが思うよりもすっきりとしていた。
フィーラのためにオリヴィアが整えてくれた舞台。これからフィーラたちは精霊教会の改革に手を出すことになる。
精霊姫という存在が生まれたのと同時期に、精霊教会も生まれた。
精霊姫を助け、同じく人々のために尽くそうと心に刻んだ清き魂を持つ求道者。そんな者たちの集まりが精霊教会をつくったのだ。
精霊教会を取り仕切るのは精教司と呼ばれる精霊士の中では最高位となる存在だ。
そして現在の精教司は、ルディウス・フェスタ。カラビナ国の精霊士の一族、フェスタ家の当主だ。
その息子で、フェスタ家の跡取りであるマークス・フェスタは、今はカラビナの王家が管理する牢で沙汰を待っている状態だ。そしてそのことは精霊教会及びフェスタ家にはいまだ知らされていない。
――マークス先生……。やっぱり今でも悪い方には思えないわ……。わたくしの考えが甘いのかもしれないけれど……。
しかしそれを言うならば、リディアスたちとて分かりやすい悪行をしたわけではない。誰かを殺したわけではないし、何かを盗んだわけでもない。
――いえ……脱獄の手助けはしていたわね……。
だが、何より許されざる彼らの行為は、世界の礎とされる精霊姫を危険に晒したことだ。昔あった出来事のように、精霊王の怒りを買い、天変地異などが起きていれば、いったいどれほどの人間に被害が及んだかは想像もつかない。
――まあ、カナリヤがそれをするかどうかは、わたくし今では眉唾ものだと思っているのだけれど……。
ともかく、フィーラがどう思おうとも世間ではそう思われているということが重要なのだ。
前代未聞とも言える行いをした彼らにどんな罰が下されるのかはまだ決定していない。
精霊姫より招集を受け、大聖堂の中には精霊教会に所属する精霊士の大半が集まっている。
今日は新しい精霊姫が誕生してから、はじめての招集だ。新しい精霊姫が精霊教会に来ること自体は、これがはじめてではない。
交代の儀の後、オリヴィアにともなわれ挨拶に来た新しい精霊姫に、ルディウスはすでに挨拶を済ませていた。
オリヴィアよりも美しいが、オリヴィアほどには聡明ではない。新しい精霊姫。
これからはもっとやりやすくなる。ルディウスは新しい精霊姫に満足していた。
大聖堂の扉が開き、筆頭騎士に付き添われたフィーラが入ってくる。白金色の輝く髪に、青緑色の瞳。居並ぶ精霊士たちの脇を通り抜けたフィーラは、祭壇にあがり、その中央で足を止めた。
天井のガラス越しに降り注ぐ光を受けたフィーラの姿は、まるで神代の世界の女神のように美しい。
ルディウスは精教司としてフィーラの前に進み出る。
フィーラの圧倒的な美貌に見据えられ、ルディウスは身震いをする。美しく、清廉な、名門公爵家の令嬢。
この少女を支え、仕えることが、フェスタ家に生まれたルディウスの役目なのだ。この少女のためと思えば、面倒な派閥の取りまとめすら意義のあることに思えてくる。
うっとりとフィーラを眺めるルディウスに、フィーラの形の良い唇から言葉が放たれる。
「ルディウス・フェスタ。今日この時をもって、あなたを精教司の任から外します」
ルディウスがその言葉の意味を理解するまでには、たっぷりとした時間を要した。
「……フィーラ様……申し訳ありません。どうやらあなた様のお言葉を、聞き間違えたらしく……」
震える声と唇で、どうにかそれだけを言ったルディウスに、フィーラの追い打ちの言葉がかかる。
「いいえ。聞き間違えてはおりません。あなたは精教司の任を解かれるのです」
ルディウスは唇を震わせ、大きく目を見開きながらフィーラに詰め寄ろうとして、傍に控えるカーティスとクリードによって制圧された。
「……フィーラ様! 私は……私どもフェスタ一族はこの精霊教会が発足した当初よりあなたたちに仕えて来た! 精霊王を祀り、人と精霊の架け橋となるべく精進してきたのです! それを……なぜ! なぜ、そのような無慈悲を!」
「……ルディウス・フェスタ。あなたは精霊教会の最高位、精教司です。組織の腐敗は頭から生じる。精霊教会の腐敗はあなたから始まっているのですよ。ルディウス」
「私のどこが! 腐敗しているというのです! この清廉なる組織のどこが腐敗していると!」
「それがわからないから駄目だといっているのよ」
オリヴィアの声が大聖堂に響いた。ドレスと同色の山吹色の帽子をかぶり、オリヴィアが大聖堂の扉から入ってくる。長年ルディウスが仕えた先代の精霊姫だ。
「ああ、オリヴィア様……! あなた様まで……」
ルディウスの瞳に絶望の色が浮かぶ。しかし瞬時にその色は怒りと傲慢の色に変わった。
「……精教司の解任は聖五か国の王全員の承諾がいるはず! あなたお一人の声だけで私を解任することは出来ない!」
「ええ……。もちろん、すべての王の許可はとっております」
ルディウスの叫びに反し、冷静なフィーラの声が大聖堂中に響く。数百人を数える精霊士たちは皆一様に口を噤み、茫然と、あるいは震えながらこの事態を見守っていた。
「……そんな……」
「クリード。王たちからの書簡を」
クリードが王たちからの書簡をルディウスの前にかざす。その書簡には聖五か国の王それぞれの署名と印象が押されていた。
「そんな……そんな、馬鹿な……」
ルディウスはフェスタ家の息のかかったテナトア派の精霊士を間者として使い、それぞれの国の高官たちの弱みを握っていた。中には秘密を握られたため、ルディウスに与していた各国の王族もいたらしい。
その弱みがある限り、ルディウスの地位、ひいてはフェスタ家は盤石だったはずだ。それをオリヴィアが自身で育てた精霊士と聖騎士たちの協力を得て暴いたのだ。
「ああ……ちなみにあんたが知っている高官たちの弱みとやらは、あんたの頭の中から消しといた」
「……ディラン・コルディオ。……何を言っている。弱みとは、何のこと……」
ルディウスがそこで言葉を切り、一瞬呆けた後、驚愕に目を見開く。わなわなと蠢く口元に手をやり、身体は震えている。
「そんな……なぜ……なぜ……」
「覚えていないだろ? すべて消しといたからな」
ディランがルディウスに顔を近づけ囁く。その言葉を聞いたルディウスの顔が、一気に血の気を失くした。
「消した……? まさか……闇の精霊……」
「さすが腐っても精教司。闇の精霊の特性を知っていたか。ああ、そもそもあんたは一連の事件にも関わっていたか。知っていて当然だな」
ディランが皮肉を込めた言葉を、弧を描いた唇から放つ。だがルディウスの怒りに触れたのは皮肉られたことではなく、別のことだった。
「なぜだ! お前の精霊は風だったはず! なぜお前が闇の力を持っている!」
聖騎士としてのディランが契約した精霊は風の精霊だ。精教司の地位にいるルディウスには精霊姫同様にすべての聖騎士の持つ精霊が知らされる。知らされているはずだった。
「聖騎士になる前に契約したからに決まってるだろ」




