第178話 異議あり、ですか?
ディランとステラについて話した二日後、精霊教会を通し大聖堂に一通の連判状が届いた。精霊姫の再選定を望む連判状だ。
差出人はリディアス・テレンス。ウォルク・マクラウド、マークス・フェスタ、リーディア・フォン・セルトナー、そしてステラ・マーチの五人だ。
「はっ……。ふざけたことを」
書状を見たヘンドリックスが連判状を握りつぶす勢いで手に力を籠める。
「落ち着いてください、ヘンドリックスさん。証拠を握りつぶさないでください」
怒りを顕わにするヘンドリックスをクリードが嗜める。
「四日後に面会の申請が上がっています。三日後には精霊教会へのてこ入れをする予定でしたが……これは伸ばした方がいいでしょうね。ここへ来るのはステラ・マーチ、リディアス・テレンスと、マークス・フェスタ。言い分を聞こうではありませんか」
「ディランはその場にいない方がいいだろうな。相手の神経を逆なでしかねない」
カーティスがディランを見ながら言う。
「リディアス殿下にはすっかり嫌われてしまったからな」
「王太子殿下だけじゃありませんよ。ディランさんの話を聞くに、そのステラ・マーチという子はあなたに対して特別な想いを抱いているようですからね」
「そうなのか?」
ヘンドリックスが思いもよらなかったとでも言うように首を傾げる。
「ヘンドリックスさんには恋愛の機微はわからないでしょうが、話を聞いていれば見当がつきますよ」
そうなのだ。ディランから夏季休暇中の件を聞いたフィーラも、ステラはディランに対して特別な想いを抱いているのではないかと思っていた。
――もしかして……もしかしたら。オリヴィア様が言っていた、人気のあったモブキャラって、ディランのことなのかしら?
「いや。むしろステラ・マーチは俺よりもフィーラに対し、特別な想いを抱いている」
ディランの言葉に、全員がフィーラに視線を送る。
「……わたくし?」
「あの子は、君の話題を出すと正気に戻る。それはテレンスで会ったときも、学園で会ったときも同じだった」
「……では、フィーラ様には表に出ないようにしていただきましょうか。いまはまだ連判状を提出した段階です。当代の精霊姫が不届きものどもの相手をする必要はありません」
「でも……」
精霊姫への異議の申し立てを受けているのに、その精霊姫であるフィーラが出ないわけにはいかないと思うのだが。
「今ステラ・マーチが正気に戻ればややこしいことになる。いい加減決着をつけたほうがいい」
「そうだな。では俺と、クリード、カーティスで対応する。あとは精霊士を誰か数人。フィーラ様は今回は外してください」
「……わかったわ」
「まずは……なぜこのような連判状を出したのかお教え願いますかね、リディアス王太子殿下」
ソファの対面上に座るリディアスに、ヘンドリックスは威嚇するように微笑んだ。
「精霊姫に相応しいのはステラだからだよ」
「ほう。正式に先代精霊姫から指名された当代の精霊姫よりも、そちらのお嬢様のほうが精霊姫に相応しいとおっしゃいますか?」
ヘンドリックスはリディアスの隣に座るステラの様子を伺うが、どうにも怯えているように見える。
ディランの話だと操られているということだったが、今の様子は状況に追いつけずただ怯えている年相応の少女にしか見えない。
「そう。これは僕だけの意見じゃないよ? 大聖堂つきの精霊士であり、フェスタ家次期当主であるマークス・フェスタも、ほかの複数の精霊士も僕と同じ意見です。ねえ、マークス」
リディアスの隣に座るマークスが「ええ」と頷く。マークスは最初に部屋に入ってきた時から、にこやかな笑顔を絶やさない。
「メルディア嬢は素晴らしい生徒です。ですがマーチ嬢の方がより精霊姫に相応しい資質を持っている。僕はそう確信しています」
マークスは精霊教会の最上位、精教司であるルディウス・フェスタの次男だ。ゆくゆくはその才能で長男を差し置き、フェスタ家を継ぐ予定の人間だ。
自分が危ない橋を渡っていることぐらい、分からない人間ではないはずなのだが。今のマークスにはその自覚がうかがえない。
「ではなぜ儀式の前にそのことをお話になられなかったのです。精霊姫の交代が行われてからではどのような意見もただの言いがかりとしかとられないでしょう」
「それは仕方ない。まだ確証がなかったんだ」
「確証とは?」
「そちらの精霊王が偽物だという確証だよ」
リディアスの言葉に、その場にいる全員が息を飲んだのがわかった。精霊姫に物申すのも前代未聞だが、精霊王が偽物などと、なぜそのような言葉がでてくるのか。
だが、ヘンドリックスは嫌な予感を覚える。それは二人の聖騎士も同じだろう。
カナリヤは本物の精霊王だ。しかし精霊王は二人いる。そのことを大半の者が知らないなか、同じ力を備えた精霊王が姿を現せば、どうしたって人々は疑ってしまうだろう。一体どちらの精霊王が本物なのかと。
「……もしその言い分が通るとして、それでもそちらのお嬢様の方がフィーラ様よりも精霊姫に相応しいということにはなりません」
「そうかな?」
「そちらのお嬢様のほうがフィーラ様より精霊姫に相応しいと思われる根拠を提示していただきたい」
「ここで?」
「できませんか?」
「今、ここで精霊王をステラの身に降ろせと言うことかな?」
「精霊王を……」
「すでに決まった精霊姫に対し異を唱えるんだ。もちろん、それくらいは出来るよ」
「では、お願いできますか」
「ヘンドリックスさん……!」
隣に立つクリードが小声でヘンドリックスを嗜める。それをヘンドリックスが手をあげて制した。
「精霊王様……お願いできますか?」
リディアスの声を聞いたステラの瞳が急激に光を失う。そして次にステラの瞳に光が戻った時には虹色の虹彩が輝いていた。
『人間ごときがわたしを好き勝手に呼びつけるとは……』
聞こえて来たのは聞きなれない、しかし、どこかしらカナリヤの声と似た不可思議な声音。
「申し訳ありません、精霊王様。精霊姫に相応しいのはステラだと理解してもらうためには致し方なく……」
『この娘が、精霊姫に相応しいだと?』
「……精霊王様?」
『わたしをすべて降ろすことも出来ぬ。何度その身を借りようと馴染むことも出来ぬこの娘がか?』
「精霊王様!」
リディアスがソファから立ち上がり、ステラを凝視する。ヘンドリックスもリディアスとマークスの様子から、二人の予想していなかったことが起きていることを悟った。
『あの娘をここへ』
「……あの娘とは?」
ヘンドリックスが聞き返す。このもう一人の精霊王がいうあの娘が誰を指すのかはわかり切っているが、素直に言うことを聞くわけにはいかない。
『わたしの娘だ』
「精霊王! あなたの娘はここにいるステラだ!」
マークスが張り付けた笑みを消し、精霊王相手に気色ばむ。
しかしステラの身体を借りた精霊王がマークスに一瞥を送ると、マークスの身体が壁にたたきつけられた。
「マークス!」
『痴れ者が』
「……もしや……精霊王、いや、カナリヤ様ですか?」
ヘンドリックスの言葉に、ステラの唇が弧を描く。
『まだだ。まだわたしはわたしでしかない』
「まだ……一体、何をおっしゃって……」
ヘンドリックスの言葉が終わる前に、ステラの身体から白金色の光があふれだす。
とっさに自身に結界を張ったヘンドリックスだったが、光は一瞬でヘンドリックスたちの身体を突き抜け消えてしまった。
ヘンドリックスは慌てて皆の様子を確認したが、特に怪我をした様子は見受けられない。そのかわりに、リディアスの様子がおかしかった。
「そんな……。僕はどうして……」
リディアスは目を見開き、じっと自分の手の平を見つめている。たった今悪夢から目覚めたとでも言うように、リディアスの顔色は蒼褪めていた。
ヘンドリックスは今や精霊王の依り代となったステラを見つめる。すると、一瞬の後、ステラがその場から姿を消した。
何の呼び動作もなく行われたそれに、その場にいた全員の行動が止まる。
いち早く我に返ったヘンドリックスはクリードとカーティスに向けて叫んだ。
「フィーラ様の元へ!」




