第176話 わたくしが選ぶのですか?
「……え?」
『人間の姿になるのなら、誰かの姿に似せないといけないだろう』
「え? あの、精霊王様自身のお姿などはないのですか?」
『もともとの姿はこれだ。私は人の姿で生まれたわけではない』
「……なるほど」
――それは予想外だわ。いえ、でも言われてみれば当たり前かしら。そうなると別に無理に人間になった姿を見なくても良いわよね。精霊王様オリジナルでの人間の姿を見たかったわけだし……。
『どうする? それとも、このままでもいいか?』
――うう、どうしましょう。球体に話しかけるのって慣れていないせいか何か変な気分なのよね……。でも誰が良いと言われても、誰かの姿を借りた精霊王様と話してもどうしても姿を借りた人と話しているような気がしてしまうでしょうし……。しかも相手の承諾も得ずに勝手に姿を借りても良いものかしら?
『フィーラ?』
「……では、わたくし、の姿で……」
――自分の姿なら誰にも文句は言われないわよね。だって許可を出すのはわたくしだもの。……いえ、それってどんなナルシストよ?
『ふん。人間の考えることはよくわからんな』
精霊王がそういうや否や、光の玉はまた粒子に戻り、今度は違う形に移動し始めた。だんだんと露になってくる形はフィーラのよく見知った形だ。
――ああ。本当に精霊の力というのはすごいわね……。
目の前には自分と寸分違わぬ形をした人間がいた。白金の髪に青緑の瞳。本人と違うのは、その虹彩が虹色だということだけだ。
『これでどうだ?』
「……すごいですわ。精霊王様! わたくしそっくり」
『うむ。ではこれでいこう。フィーラ。身体に何か異変はないか?』
「いえ、今のところそういったことはございません」
『そうか。オリヴィアのときは丸一日は調子が悪そうだったが。……やはりお前の私への適応は素晴らしいな』
「そうなのですか? わたくしにはあまり実感はございませんが……」
――オリヴィア様……もしかしてこの一晩って、身体を休ませるための一晩なのでは?
オリヴィアはフィーラと精霊王の相性を見越したうえであのような言い方をしたのかもしれない。
『普通にしていられるということが、普通ではないのだ』
「そうなのですね……」
そういったきりフィーラは言葉をなくした。一晩一緒にいろと言われても、何を話せばいいのかわからない。
どうしようかと思っていると、さきほどの大聖堂での光景を思い出した。
――そういえば……。
「あの……精霊王様? さきほど大聖堂で聖五か国の王たちが精霊姫に忠誠を誓っておりましたが、古の盟約とは一体なんでしょう? オリヴィア様も事前に何もおっしゃっていなかったですし、わたくしもそんなこと、これまで聞いたことはございませんでしたわ」
『あれか……大したことではない。聖五か国からしか精霊姫が生まれないのはお前も知っているな』
「はい」
『あれは聖五か国の地が精霊姫を育むのに適した地だからだが、なぜ適しているかといえば聖五か国には私が精霊を多く与えているからだ』
「え?」
『より正確に言えば精霊というよりは精霊の核となるべき力の源だが。精霊の多くいる土地は自然が豊かになる。フォルディオスは水が豊富で、カラビナは土が豊かだ。テレンスは良き風が吹き、タッタリアは火の恩恵を受けている。ティアベルトはそのすべてを包括した聖なる地。聖五か国の王たちは精霊姫に忠誠を誓うかわりに、国に私の恩恵を受けているのだ』
「……初めて知りました」
『そうか。まあ、大したことではないからな』
――結構大したことだと思うのだけれど……。ようするに、精霊王と聖五か国の王たちの間で交わされた取引ということよね? 自然が豊かであることはその他の国々に対しての大きなアドバンテージになるわ。国の繁栄にも繋がるし、豊かな国なら戦争も起こりにくい。精霊を多く与え、自然を豊かにする代わりに忠誠を誓えということなのね。聖五か国の間では戦争をしないという協定が結ばれているけれど、これが理由のひとつでもあったのかしら?
『ほかに何か聞いておきたいことはないか』
「え……と」
――どうしましょう……。特に思い浮かばないわ。
「……他の質問はまた後日と言うことで」
『そうか、お前は今日から精霊姫となった。いくらでも機会はある』
「そうですわね……」
『とりあえず、すぐに筆頭騎士を選ぶことになるだろう。何か要望があるなら考えておけ』
「あ……」
――そうだったわ。精霊姫と同時に筆頭聖騎士も変わるのだったわ。
「あの……筆頭騎士を選ぶ基準てなんなのでしょう?」
『さあな。それは人間側の都合で決めることだ。完全に私を降ろしている時間はそう長くは取れないだろうが、お前と私の適合性なら筆頭騎士がいなくともお前のことは私自身で護れる。そのことは明日オリヴィアとヘンドリックスに相談しろ。そろそろ寝た方がいい。表面的には何事もないように見えても、身体は休めたほうがいい』
「寝てもいいのですか? 一晩話をするのかと思っていました」
『本当に一晩中なわけがないだろう。オリヴィアの冗談だ。お前よりも私のほうが人間の冗談を解すとはな』
「オリヴィア様の冗談はわかりづらいのです……」
――でも、気が抜けたら途端に眠気が襲って来たわ……。
『寝台が奥の部屋に用意されている。そこで休め』
「精霊王様は……?」
『私が睡眠を必要とすると思うのか? 必要な時には私の名を呼べ』
「お名前を……」
『そう。カナリヤと……』
フィーラに向かって微笑むと、精霊王の姿は光の粒子となり、やがて空間に消えていった。傍目にはフィーラが光となって消えたかのように見える。なんとも言えない気分だ。
――早まったかしら……? わたくしの姿をとっていただくの。
でも自分以外の誰の姿を選べばいいのか分からなかった。否、一人思い浮かんだ相手はいた。しかしその姿を精霊王がとってしまえば、フィーラの想いは周囲に筒抜けだ。
――精霊王様には伝わったってしまったかしら?
精霊王はフィーラが口に出していない言葉も聞き取り答えていた。精霊王はすべての精霊の属性を兼ね備えているという。
きっとフィーラの隠された思いも、記憶として残る誰かの姿も、精霊王には気づかれてしまったかもしれない。
――一心同体って、厄介ね。
ふう、と小さく溜息をつき、フィーラは奥にある寝台へと横たわった。
「筆頭騎士ね。どうしましょうか?」
フィーラは翌朝、筆頭騎士のことをオリヴィアに相談した。
「筆頭騎士となる方の基準はあるのですか?」
「そうねえ。まずは強いことかしら。その強さには心技体に加えてどれだけ精霊の力を使いこなせるかということも関わってくるわね」
――どうしましょう。まったく選べる気がしないわ。
「……それはわたくしが選ばないといけないのでしょうか?」
「今までも精霊姫の独断で選んでいるというわけじゃないわよ? でも精霊姫が信頼している相手でないと筆頭騎士は務まらないのも事実なのよね。だって常にそばにいて自分の命を預ける相手だもの。信頼していなければやっていけないわよ」
精霊王は聖騎士がいなくともフィーラを護れるとは言っていたが、そのことを伝えた方がいいのか迷うところだ。だが精霊王がフィーラを護れるというのなら、筆頭騎士を選ぶ基準を変えることができるかもしれない。
「あの……オリヴィア様。精霊王様はわたくしと精霊王様の適合性なら筆頭騎士がいなくともわたくしのことは護れるとおっしゃっていましたが……」
「あらまあ、そうなの? じゃあ、別に強くなくてもフィーラちゃんの信頼を第一に考えて選んでも良いのかしら? どう思う? ヘンドリックス。新人の聖騎士の中にはフィーラちゃんの友達がいるわ。その子たちでは無理?」
――え? いいの? だとしたら嬉しいけれど……。
「ええ、と……そうですね……。精霊王のお力が借りられるのなら新人でもなんとかなりますか。うーん。まあ、そいつらの実力にもよりますが」
ヘンドリックスが太い腕を組んで首を捻る。心なしか表情が暗く見えるのはフィーラの気のせいだろうか。
「フィーラちゃん、新人の中から筆頭騎士に選びたい子はいる?」
そうオリヴィアに聞かれてフィーラは言葉につまる。ただ、傍にいて欲しいと思う人たちならいる。しかし、本当にそれだけなのだ。
「余計なことは考えなくていいわ。誰に傍にいて欲しい?」
――……本当にいいのかしら? わたくしが指名したことでその方たちの迷惑になるかもしれないわ。
「検討するだけです。そう気負わなくともいい」
ヘンドリックスの言葉で、フィーラはようやく口を開く。
「……エルに、テッド、エリオット、それにジルベルト……」
フィーラの言葉を聞いたヘンドリックスが妙な表情をした。そして恐る恐るといった体で、言葉を紡ぐ。
「あー、あのですね。……フィーラ様。実は……ジルベルトは聖騎士にはなりません……」
ヘンドリックスが言いにくそうに、しかしきっぱりとその言葉を口にした。
「え? そうなの?」
「あらぁ。そうなの?」
「……はい。申し訳ありません。フィーラ様が儀式をつつがなく行えるようにと、後で伝えるはずだったのですが」
――儀式の翌日にはわたくしから聞いてしまったわけね……。
「……ジルベルトは、騎士になること自体を諦めるわけじゃないのよね?」
「はい。近衛騎士になるとのことです」
「そう……。なら、わたくしからは何も言うことはないわ」
ジルベルトは騎士を辞めるわけではないのだ。それなら、フィーラはもうそれでいい。
ヘンドリックスが何か言いたげな表情でフィーラを一瞥したが、すぐに団長としての表情に切り替えた。
「……まあ、ジルベルトは除いて……あとの三人なら何とかなるでしょう。あとは俺の推薦する奴を何人か入れて欲しいんですが……人間的にも信頼できる奴らだから心配はいりません」
「あなたが誰を選ぶかは、まあ、大体はわかるわね。任せても大丈夫だと思うわ、フィーラちゃん」
「ええ。お任せいたします」
――わたくしに選べと言われてもきっと基準がわからないもの。ヘンドリックス様に選んでいただけるなら良かったわ。
「俺が推薦する者たちですが……まずは俺です」
ヘンドリックスが腕を組みながら満面の笑顔で告げる。
「ええ。それは何となくわかっていましたわ」
頷くフィーラを見てヘンドリックスも満足気だ。
「ははは。光栄ですね。あとは、クリード、カーティス、ディランあたりもですかね」
この三人も想定の範囲内だ。筆頭騎士にはフィーラの信頼するものという括りがあるのならなおさらだ。
三人ともフィーラの良く知る人間たちだ。というよりもヘンドリックスを抜かせばフィーラはこの三人以外の聖騎士をよく知らない。
ヘンドリックス自身の推薦とは言ったが、きっとフィーラの気持ちを優先してくれた結果だろう。もちろん、この三人が優秀だということにフィーラも異存はない。
「あとの三人ですが……これから落とします」
「では全員の了解を得た段階で、正式に筆頭騎士として任命しましょう。正式に決まるまでは今の十人を据え置きに。やることは沢山あるけれど、頑張りましょうね。フィーラちゃん」
「はい。オリヴィア様」
フィーラが精霊姫になったのは今の状況を打破するためだ。記憶への干渉は解かれたが、しかし相手側はステラを精霊姫にしたがっていたため、まだ何が起きるはわからない。
フィーラが決意を新たにしていると、精霊姫付きの侍女が声をかけて来た。
「恐れ入ります、フィーラ様。フィーラ様にタッタリアの王太子殿下より面会の要請が来ております。いかがなさいますか?」
「タッタリアの王太子……。あの、それってもしかしてハリス殿下でしょうか?」
「はい。ハリス・トマ・タッタリア王太子殿下でございます」
侍女の言葉を聞いたフィーラはわずかに目を見開いた。
――ハリス殿下……やっぱり王太子殿下なの? 殿下は第五王子なのに……?
それにフィーラが知っているハリスの名前には、国の名は入っていなかったはず。ハリスの姓はアラヒムだ。
フィーラは無自覚に微かに首を傾げた。そんなフィーラの様子を見たオリヴィアがフィーラに近づき、小声で囁く。
「フィーラちゃん……。ハリス殿下はゲームの表ルートでは第五王子だけれど王太子になるのよ。国の事情で王太子であることを隠して学園に入学しているから名前も違うの」
「そうなのですか?」
「ええ。もともと兄弟たちの中でも、ハリス殿下は一番血筋が良いのよ。でも第五王子という身分からも分かる通り、王子は上に四人もいてね。ハリス殿下が王太子だと知られれば命が危ないから、秘密にしているの。でも裏ルートでは王太子にはならずに、自分の好きなことをするはずだったのよね」
――ハリス殿下の好きなこと……精霊士になることかしら? でもハリス殿下は諦めるのはやめると言っていたわ。それなのに王太子になることを承諾したの?
「まあ、表も裏もやっぱりこの世界では関係ないということね。王太子としての運命を受け入れたのは、あくまでハリス殿下自身だわ」
「そうなのですね……。わかりましたわ。お会いします」
フィーラの言葉を聞いた侍女が部屋を出て行った。
――この間のことがあるから、少し会うのは怖いけれど……。断る理由もないものね。
「やあ、フィーラ嬢。素晴らしい儀式だった。さすがは俺の妃になる女性だ」
開口一番ハリスの発した言葉に、フィーラは吹き出しそうになった。この場にいるのはフィーラだけではない。オリヴィアも、ヘンドリックスも、侍女たちもいるのだ。
「あら……。それはどういうことかしら? ハリス殿下」
オリヴィアがどこか面白そうに、しかし表面上は面白くないというフリをしながらハリスに問いただす。
――オリヴィア様、絶対面白がっているわね……。
「これはオリヴィア様、長年に渡り世界の安寧のためご尽力いただきましたこと、心よりお礼申し上げます」
ハリスがオリヴィアの前に膝を突き、頭を垂れる。
「まあ、ありがとう。それで? 先ほどの言葉は一体どういう意味かしら?」
「言葉のままですよ。フィーラ嬢には将来私の妻に、ひいてはタッタリアの国母となっていただきたいと思っております」
「だそうだけれど、そうなの? フィーラちゃん」
こちらを振り返ったオリヴィアに、フィーラはぶんぶんと首を振る。
「今はまだ仕方ありません。フィーラ嬢には想い人がいるようですからね。しかし私がフィーラ嬢を想うこと、振り向かせるために努力することは自由です」
ハリスの言葉に、いよいよフィーラはこの場から逃げ出したくなった。今ハリスははっきりとフィーラには想い人がいると言い切ってしまった。
――ああ……それってクレメンスのことよね? 違うの! でも本当のことは言えないし、いないと言ってしまえばそれは嘘になるし……。
「あら? フィーラちゃん好きな人がいるの?」
追い打ちをかけるようにオリヴィアがフィーラに聞いた。フィーラは何も答えることができずに、あたふたとするばかりだ。
「相手は子爵家、今の世において身分差などというものはあってなきがごとしだが、それでも苦労することはあるだろう」
さすがにハリスの言うことは極端な意見だ。さすがにあってなきがごとしなどというわけにはいかない。
「あらぁ? それは暗に王太子である自分にしておいた方がいいと言っているのかしら?」
「身分を笠に着るのは好むやり方ではありませんが、フィーラ嬢を手に入れるためなら使えるものはすべて使うと決めていますので」
「確かに身分違いは大変なこともあるけれど、一番大切なのは愛よ? そもそもフィーラちゃんは精霊姫だもの。身分などという無粋なものからは外れた存在だわ」
先ほどからフィーラを置き去りにしてハリスとオリヴィアで話しを進めてしまっている。
口を挟む機会も度胸もないフィーラは、ただ二人のやりとりを黙って見つめていた。
「いやあ、オリヴィア様、すっかり母親の気分になっておりますね。ご子息お二人しかいないものだから、余計なのでしょうね」
「それは……ありがたいことですが」
そもそもフィーラが好きな人は子爵家ではない。
――いえ……平民出身と言っていたから、身分差的には子爵家以上かしら? でも聖騎士なんだから、精霊姫同様元の身分は関係ないはずよね?
さきほどオリヴィアは精霊姫のことを身分からは外れた存在だと言ったが、それは聖騎士にも当てはまる。
「それで、フィーラ様。相手はどこの子爵家ですか?」
にこやかに聞くヘンドリックスのこめかみに微かに浮かぶ青筋を発見し、フィーラはついに我慢しきれなくなった。すでに泣きそうだ。
「ご、誤解なんです……! ハリス殿下は誤解をしているんです!」
「この間もそう言っていたな。だがお前とダートリーは見つめ合っていたではないか」
「ハリス殿下の誤解をどう解いたらいいのかと、お互い顔を見合わせて途方に暮れていただけです……」
「そうか。ではお前に想い人はいないと言うことだな? では俺の妃になるのに何の支障もないというわけか」
――そう言うと思ったから……! 誤解のままにしておいたのに……!
フィーラの表情から何かを察したらしいオリヴィアが助け船を出した。
「ああ……と、あのね、ハリス殿下。フィーラちゃんはまだ精霊姫になったばかりなの。自分のことで精一杯なのよ。妃云々のことはしばらくの間フィーラちゃんのために忘れてくれないかしら?」
「そうか。たしかにオリヴィア様の言う通りかもしれないな。俺としてもフィーラ嬢を困らせたいわけじゃない。わかった。しばらくはまだ友人のままで我慢しよう」
――もう十分困っているのだけれど……。
満足げに頷くハリスを見つめ、フィーラは何とも言えない気持ちになった。




