第175話 儀式
「用意は出来たかしらフィーラちゃん?」
「はい。オリヴィア様」
これから交代の儀式に挑もうとしている今、フィーラは青みを帯びた白い布を重ねた裾の長いドレスを纏っていた。質素な作りでレースなどは一切使われていない。しかし布そのものが通常のものより薄く仕上げられており、布の重なり具合によって色の濃さに濃淡が出来ていた。
「その月白色のドレス、似合っているわ。……行きましょうか」
「はい」
控室を出たフィーラは、オリヴィアの後ろについて大聖堂の儀式の間に入る。
今日、大聖堂には聖五か国の王がすべて集まっている。王だけではない、それぞれの王の隣には王太子が座っていた。
ティアベルトの王ジェレマイヤの隣にはサミュエルが、フォルディオスの王エルトゥールの隣にはジークフリートが、テレンスの王フェリツィオの隣にはリディアスが座っている。あとの二国の王の隣にも、それぞれの国の王太子が座っていた。
――壮観だわ……。
このほか今日は聖五か国以外の多くの国も参加している。どの国も王族のほとんどがここに集結していると言っても過言ではない。精霊姫交代の儀式は、世紀の行事だ。この儀式に参加することは子孫に語り継ぐべき名誉となるのだ。
――あら? え……あれってもしかして。
タッタリアの王の隣に座る青年を見て、フィーラは眼を瞠った。濃い肌色、長い蜂蜜色の髪を一つにくくった青年が、こちらを見ている。
――あれって……ハリス殿下? え? あそこって王太子が座る席よね?
第五王子であるハリスが何故王太子が座るべき席に座っているのか。
――もしかしてタッタリアの王太子殿下の都合が悪くてハリス殿下が?
その可能性はまったくないわけではない。誰も出さないのは都合が悪いから、ハリスを座らせたと言う場合も考えられた。
フィーラの動揺を後目に、しかし儀式はどんどんと進んでいく。フィーラと同じ月白色のドレスを纏ったオリヴィアが祭壇の中央に立ち、オリヴィアの跡に続いたフィーラはオリヴィアの前に膝を突いた。
――いけないわ……。今は儀式のことだけ考えましょう。
オリヴィアは己の頭上に輝く王冠をはずし、フィーラの頭上に授ける。オリヴィアが完全に王冠から手を離すと、王冠が一度淡く輝いた。
大聖堂で行われるこの儀式は、いわばパフォーマンスだ。本当の精霊姫としての力の譲渡は、祈りの間で行われる。
だがパフォーマンスは大事だ。精霊姫が代替わりしたことを、衆目の前で見せ、納得させる必要があるからだ。
オリヴィアがフィーラに手を伸ばし、その手に、フィーラが己の手を重ねる。握り合うことはない、軽く手を触れ合わせるだけだ。
上下に合わさった二人の手の間から、眩い光がほとばしった。
光はどんどんと輝きを増し、大聖堂に集う者たちをも照らしつくす。
人々の口から感嘆や驚愕の声が漏れた。
膨れ上がった光は一瞬で弾け、オリヴィアとフィーラの姿を衆目の前に晒した。
周囲は未だ静まり返っている。その静寂を破るように、オリヴィアが声をあげた。
「聖五か国の王よ。今ここに、新しい精霊姫が誕生しました」
オリヴィアの言葉を受け、聖五か国の王たちが一斉に席から立ち上がった。
「古より続く盟約により、聖五か国は新しき精霊姫に忠誠を誓う」
代表として声をあげたのは、ティアベルトの王ジェレマイヤだ。ジェレマイヤの声に追従するように、残りの四か国の王が「忠誠を誓う」と繰り返す。
――これは……聞いていないわ。
ジェレマイヤは先ほど古の盟約と言ったが、そんな盟約があるなどこれまで聞いたことはなかったし、事前の打ち合わせでオリヴィアもそんなことは言っていなかった。
しかも、ジェレマイヤはフィーラにとって伯父にあたるが、それでも仕えるべき主君という印象のほうが強い。そのジェレマイヤに忠誠を誓われると宣言され、フィーラは一瞬目の前が暗くなった。
助けを求める様にオリヴィアを見るが、楽しそうに笑うばかりでフィーラに説明する気はないらしい。
――まあ、今は説明は無理でしょうけれど……。わたくし、何か言葉を返さなくていいのかしら?
フィーラがそう思った直後、自らの口から意図しない言葉が聞こえた。
『聖五か国に祝福あれ』
確かにフィーラのものであるはずなのに、まったく異なる印象を耳に残す声。
その声を聞いた聖五か国の王たちが、フィーラに向かって一斉に最敬礼をした。
――ああ、やめて。いたたまれない……。
いっそ気を失ってしまいたい。そう思うフィーラの心とは裏腹に、精霊王は言葉を続ける。
『この娘は私の娘。何人たりとも傷つけることは許さない』
精霊王の言葉に、びくりと震える何人かの聖騎士や精霊士たちの姿が見えた。
「カナリヤ。もう儀式は終わるわ。フィーラちゃんと交代して。それとも祈りの間へ行くまであなたがフィーラちゃんとして役割を果たす?」
フィーラに身を寄せたオリヴィアが、小声で囁く。
『そんな面倒なことをするわけがないだろう』
「ふふ。そうよね」
「え? あ、あれ」
いきなり身体の自由を戻されたフィーラは、驚きの声をあげた。
「おかえりなさい、フィーラちゃん。今度は意識を失わなかったみたいね。やっぱり親和性が高いのね」
「……オリヴィア様」
「黙っていてごめんなさいね。何も聞いていないほうが感動するかと思って」
「いえ、感動というよりは困惑しましたが……」
「あらまあ。ふふ。皆も驚いているようね」
オリヴィアの言葉に周囲を見渡せば、皆少なからず困惑しているのがわかった。しかしなぜ困惑しているのかがわからない。
「なぜでしょうか? わたくし何か間違ったのかしら……?」
「違うわ。フィーラちゃんは完璧よ。皆が驚いているのはカナリヤの声を聞くのが初めてだったからよ」
フィーラの疑問にオリヴィアが答える。
「え? そうなのですか?」
「ええ。私のときは光のみで、カナリヤは喋らなかったわ。すっごく効果的よね」
――確かに……。
カナリヤがフィーラの声を借りて喋る言葉は、フィーラの声であっても明かに別のものであると分かる。今まで一度も聞いたことがないのなら、さぞ驚いたことだろう。
「さあ。祈りの間へ移動しましょう」
動き出すオリヴィアに精霊士たちが付き添う。その周囲を聖騎士たちが囲み、フィーラとオリヴィアは祭壇を降りた。
祈りの間へはこれまでにも何度か行っているが階段を上っていくのは初めてだった。
塔まで続く螺旋階段を目の前にすると、これまで付き添ってくれた精霊士や聖騎士たちはそこで足を止めた。
「ありがとう。私が戻るまで、ここで待っていて頂戴」
オリヴィアの言葉に、ヘンドリックスが黙って目礼をする。この儀式の間中、フィーラとオリヴィア以外は皆一言も口をきいていない。
フィーラはオリヴィアの後に続き螺旋階段を上る。ぐるぐると渦を巻く長い階段を上り切り、塔の最上へと辿りついた。
祈りの間へ続く扉は把手がついていなかった。
――そう。把手がないのよね、この扉。
横から伸びたオリヴィアの手が淡く光る。すると把手がカチャリと音をたて、自動で開いた。
――まあ、電子ロックみたいね。面白いわ。これからわたくしもするのかしら?
ゆっくりと開かれる扉の向こうから漏れる眩い光が、フィーラの瞳を射した。光による暗闇にだんだんと慣れてくると、祈りの間が見えてくる。
しかし、以前に来た部屋とは様相が異なっていた。
祈りの間からはティアベルトの王都が一望できた。
反対側を見れば海原が広がり、まさに今、沈もうとしている日が海原を黄金色に染めている。
――以前来た時は壁があったのに……。
今その壁は一部無くなっており、四方に大きな窓が開いているような状態だ。
フィーラが驚いていると、オリヴィアがフィーラと向き合うように、フィーラの目の前に立った。
「驚いた? ここの壁は精霊の力によって自在に形を変えられるのよ」
「なるほど。それで……」
「さあ、フィーラちゃん。私の手を取って」
オリヴィアに言われるまま、フィーラは差し出された手を握る。
「目を瞑って。私の呼吸に合わせて。……そう。そのまま」
フィーラは目を瞑りオリヴィアの呼吸と合わせる。特定の感覚で繰り返される呼吸は、フィーラを深い瞑想状態へと導いた。
「カナリヤ。契約を」
『娘。我が器となれ』
「……はい。カナリヤ様」
フィーラが精霊王に返事をした瞬間、繋がれたオリヴィアの手から暖かいものが流れてきた。そしてその暖かいものは、一瞬でフィーラの体中に広がっていった。
手から入り一気に頭頂部まで駆け抜けたそれは、フィーラの身体内外を完全に満たしていた。まるでもうひとつ、別の誰かの身体が重なっているかのようだ。
「わかる? フィーラちゃん。あなたに流れる精霊王の力が」
「……はい。とても暖かいです」
「ふふ。そう。私には最初熱くて仕方なかったのよ。やっぱり相性が良いのねえ。……さあ。目を開けて」
オリヴィアに促され目を開けたフィーラは、すでにオリヴィアがフィーラの手を離していることに気が付いた。
「もうカナリヤとの契約は完全にあなたに移ったわ」
「……今ので」
「あなたの細胞のひとつひとつに、精霊王の力が満ちたわ。これでちょっとした怪我ならすぐに治っちゃうのよ? ま、細胞なんて言っても私たち以外には通用しないけれどね」
「ふふ。そうですわね」
「……何か変わったことはある?」
「いいえ、特には」
――むしろあまりにも変わらな過ぎてちょっと不安だわ……。
「大丈夫よ。譲渡は完全に成功したわ」
不安が顔にでていたのだろう。オリヴィアはフィーラを安心させようとしてくれているようだ。
「フィーラちゃんにはこれから一晩、ここで過ごしてもらうわ。カナリヤと仲良くしてね」
「え?」
想像もしていなかったオリヴィアの言葉に、フィーラは口を開けて呆ける。
「お互いを良く知るための一晩よ?」
「え? そういうシステムですか? え⁉ というか何を頑張れば……」
「じゃ、頑張ってね」
何を頑張るのかについては触れずに、じゃあね、と言ってオリヴィアは塔から出て行ってしまった。
「……え? 本当に?」
残されたフィーラは急激に不安になってきた。フィーラにはいまだ精霊姫となった実感がないのだ。もしやオリヴィアの勘違いで、フィーラと精霊王の契約は失敗だったのではあるまいかとすら思う。
――やっぱり失敗……だったのでは?
『失敗ではない』
「……精霊王様!」
「あの……今どちらに?」
今のフィーラは完全に己の身体の主導権を握っている。聞こえて来た声も、フィーラの声というよりは音として直接脳に響いているような感じだ。
『お前と重なる領域にいる。姿を見せたほうがいいか?』
「できるのですか……?」
フィーラの目の前に淡い光の粒子が現われた。その粒子は次第に集まり今まで見たこともないような大きさの光の玉となった。
『これで良いか?』
「……個別のお姿を取ることも可能なのですね」
聖騎士や精霊姫の精霊の力の使用方法は精霊士とは違う。精霊との一体化の場合、個別の姿を見せることはないのだと思っていた。
――聖騎士の方の精霊って見た事なかったものね。
『そう長くない時間なら可能だ』
「……そうなのですね」
『どうした? 何か不満か?』
眉を下げるフィーラに、精霊王が問いかける。
「い、いえ……不満というわけでは」
決して不満というわけではない。しかし多少がっかりした感も否めない。
――精霊王クラスになっても、やっぱりただの球体なのね……。
精霊王の球体はほかの球体よりもだいぶ大きい。だが形態はまるで一緒だ。
「……あの、精霊王様」
『なんだ』
「精霊は、いつも球体で現れますが、それ以外の姿は取らないのですか?」
『それ以外の姿か? たとえば?』
「えっと……、人間の姿を模したりとか……」
『ああ……出来ないこともない』
「え! そうなのですか?」
『ああ。あまり必要がないからやらないだけで、何度か人間の姿になったことはある』
「あ、あの。それを見せていただくわけにはいかないでしょうか?」
『人間になった姿をか?』
「はい!」
『いいぞ。誰にする』




