第172話 仕えるべき相手
ジルベルトの言葉を聞き終えたテッドとエリオットはすぐには言葉を発さなかった。
テッドたちは午後には大聖堂へと移動する。そのための準備をしているさなか、ジルベルトに寮の食堂へと呼び出された。
昨日カーティスの元に一人残ったジルベルトが真剣な表情でテッドとエリオットを呼んだとき、テッドには予感があった。嫌な予感程良く当たるのだ。
今日、学園を通して次の精霊姫が決まったことを学園の全生徒が知らされた。
精霊姫の選定は本来ならまだ二年以上残っている。それなのにすでに次の精霊姫が決定したことに、学園中が驚愕し、動揺した。
そして明かされた次代の精霊姫の名を聞いたことで、更なる動揺が広がったのだ。
次期精霊姫の名は、フィーラ・デル・メルディア。テッドが十五の時から仕えて来た、メルディア公爵家の令嬢だ。
しかしテッドはフィーラの名前を聞いたときも、驚いたりはしなかった。ああ、やっぱりと思っただけだ。
三日前、何やら沈んだ面持ちで訓練へ遅れてやってきたエルザから、フィーラが前日に学園で倒れたことを聞かされた。
その時にはすでに自分が何らかの力によって記憶に異変をきたしていたことはわかっていた。それがフィーラに関するものだということも。
今は普通に学園に入学してからのフィーラとの記憶を覚えているが、一時期はそこに靄が掛かったようにすっかり忘れていたのだ。エリオットもジルベルトも、そのことをちゃんと自覚していた。
なぜ、フィーラなのか。なぜ、フィーラとの記憶を消されなければならなかったのか。
その疑問はジルベルトからサミュエルとした会話を聞いたことで氷塊した。
そして現在、フィーラは学園には来ていない。エルザの話では二日前からずっと大聖堂に滞在しているらしい。
だから今日、次の精霊姫がフィーラに決まったと聞いても、テッドもそしてエリオットも驚かなかったのだ。
エリオットとエルザ、そしてジルベルト。これからずっと四人でフィーラを護っていくのだと思っていた矢先の、ジルベルトの聖騎士にはならないという宣言だった。
しばらく考えていたらしいエリオットが、おもむろに口を開いた。
「お前が決めたことだ。きっと悩みに悩んで出した答えだろう? 僕から言うことは何もない。まあ、せいぜい近衛騎士になってからも頑張れ」
エリオットは言葉同様飄々とした態度でジルベルトに対応する。
最初はジルベルトに対し反発するかと思っていたエリオットだったが、意外にもジルベルトのことを気に入っていたらしい。それは傍から見ていてもわかった。
決してジルベルトがいなくなることに清々しての発言などではない。ジルベルトの決定を尊重したのだろう。
「ジルベルト……。俺は、やっぱりお前と一緒に聖騎士になれないのは残念だよ。でもエリオットの言う通り、簡単に決めたことじゃないだろう。……周りに何を言われても気にするなよ」
反対にテッドは残念だと言う感情をそのまま言葉と態度に表した。
模擬戦で一緒に戦ってから、ジルベルトのことをテッドは勝手に相棒のように思っていた。騎士科に来た当初は長年剣から離れていたこともありやはり訓練についていくのに苦戦していたようだが、ひと月経つ頃にはずっと剣を握っていた者たちに比べても遜色はなくなっていた。テッドとて、今のジルベルトと真剣に戦ったなら、勝てるかどうかはわからない。
「ああ……ありがとう」
「で? エルザには言ったのか?」
「……まだだ」
「ああ、エルザは……反対するかもな」
エルザはジルベルトに一目置いている。もちろんテッドやエリオットとて同様だったが、エルザは年季が違った。何しろ幼い頃に見たジルベルトがいかにすごかったかを、ことあるごとにテッドとエリオットに話していたのだ。
「まあ、一度は反対するだろうが、無神経に見えても他人の気持ちには寄り添う奴だ。ちゃんと納得するさ。……気持ちは別だろうがな」
エリオットこそ、その言動から自分勝手に見られがちだが、実はよく人を見ているし相手に対しても気を使う。エリオットが言うからには、きっとエルザも大丈夫だろう。
「……エルザは?」
「今は医務室に行っているよ」
「怪我をしたのか?」
騎士科の生徒は怪我をすることが多いため、頻繁に医務室を使用する。
「先日受けた打ち身がまだ痛むそうだ。骨折はしていなかったが、ひびが入る直前だったようだな」
「骨はどうしても男性よりは弱いからな」
剣の技術は周りの男子生徒に引けを取らないエルザだったが、やはり骨や筋肉は女性のものだ。打撃には弱いため普段から気を付けてはいるが、いつも無事でいられるとは限らない。
「……行ってみる」
そう言うと、ジルベルトはテッドとエリオットを残して医務室へと去っていった。
「……あいつほど聖騎士として将来有望なやつもいないだろうに。世の中はわからないな」
ジルベルトは生来の剣の才能に加えて、おそらくは精霊との相性もいい。しかもいくら両方の才能があるからと言って、実際に魔と闘ってそれを破ることは並大抵のことではない。
しかしジルベルトはそれをやってのけたのだ。
「そういえば、コア家はあれだけの才能揃いなのに聖騎士になった奴はいないんだったか?」
「そうだな。コア家からは聖騎士はでていないはずだ」
実際はジルベルトの母方の家系からは、聖騎士が出ている。ジルベルトの精霊との相性の良さは、その血筋のせいなのかもしれない。しかし何となくそのことをエリオットに言う気分にはなれなかった。
「まあ、あいつがいなくとも僕たちのやることは変わらない。僕たちはフィーラを護る。それだけだ」
「ああ……それだけだ。……だが、エリオット。前から聞きたかったんだけど、お前なんでお嬢様のことを呼び捨てにしているんだ?」
「は? 今更か?」
エリオットがテッドに向かって眉を顰める。
「というか、どうやって呼び捨てにすることになったんだ! 俺なんて、いまだにお嬢様呼びなのに……!」
「お前はそれでいいんじゃないか? 今更フィーラのことを名前で呼べるのか?」
「う……。そ、それは」
「お前はずっとフィーラの護衛だ。それでいいだろ。お前あの男に敵うと思っているのか?」
エリオットの言うあの男とは、ディランのことだ。テッドを聖騎士候補として推薦した男でもある。
干渉されていた間の記憶はちゃんと残っている。後夜祭の舞踏会で、輪に入らず踊る二人の姿も、ちゃんと覚えているのだ。
その時の自分の気持ちを、テッドは信じられない気持ちで思い出していた。
寄り添い踊る二人を見て、驚きはしたが、妬いたりはしなかった。とてもお似合いだと、そう思って見ていたのだ。
ディランが平民だと言うことは、護衛団の団長から聞いていた。そしてフィーラは名のある公爵家の令嬢だ。
生まれも育ちも、何もかも違うはずの二人なのに、寄り添う姿がどうしてあれほど自然なのか。
そしてフィーラが見せたあの表情。まるで全幅の信頼を寄せているかのような、すべてをゆだねているかのようなあんな表情は、父であるゲオルグや兄であるロイドに対してさえも見せたことはない。
すくなくとも、護衛として身近に接する頻度が多かったテッドだが、一度も見たことがなかった。
いくらフィーラへの気持ちを忘れていたとしても、あのときの自分のことが、テッドは信じられなかった。二人を見てお似合いだなどと思うなど、そんなのは負けを認めたようなものではないか。
「か、適うかどうかは問題じゃ……」
「別にお前が良いならいいさ。でも報われない恋にかまけている間に、新しい恋を逃す羽目になっても知らないけどな」
「ぐっ……! お前だって……!」
「僕? 僕は別にフィーラを恋人にしたいわけじゃないからな。僕はフィーラが自分が仕えるべき主君であることに感謝しているよ。命を懸けて護りたいと思える相手には、そうそう出会えるものじゃない」
「……」
エリオットの言葉が真実かどうかは、テッドにはわからない。しかしエリオットとてあの場面は見ているはず。だから「適うと思うのか」という言葉が出て来たのだ。
「……きっとジルベルトもそうなんだろうな」
「……何が?」
「ジルベルトが仕えたい相手は、きっとフィーラじゃないんだ」
「え?」
エリオットの言葉に驚くテッドに、エリオットが珍しくも邪気のない微笑みを向ける。
「騎士は仕えるべき主君を自分で選ぶ。テッドは騎士というよりは護衛だからな」
「何だよ……」
「別に貶している訳じゃないぞ。騎士なんて面倒な生き方、わざわざするまでもない」
「意外だな……お前は騎士としての自分に誇りを持っているかと思っていた」
エリオットの言葉に、テッドは目を見開いた。
「誇りは持っているさ。でも面倒な生き方だとも思っているだけだ。……騎士にとっては主君の想いが最優先だ。……自分の想いよりもな」
あいつもきっと同じだ。そう言ったエリオットの微笑みは、誇らしさと悲しさがないまぜになった複雑なものだった。




