第170話 緊急招集
翌日、精霊教会からの緊急事態の宣言を受け、聖五か国の王が大聖堂へと集まった。
この例を見ない招集に、集まった聖五か国の王たちの間に緊張が走っていた。オリヴィアの後ろに控えているのは現役の聖騎士数人に囲まれた一人の少女だ。
基本聖五か国の王が大聖堂に集まるのは、精霊祭以外では新しい精霊姫が立つときのみだ。
オリヴィアは精霊姫になってからの約四十年間、不必要に聖五か国の王を招集したことは一度もなかった。しかしこの一週間ほどの間に、聖五か国の王たちはすでに二度、精霊姫であるオリヴィアから招集をかけられていた。
議題は精霊姫の交代について。
もちろん、聖五か国の王たちが取り合わなかったのは言うまでもない。三年間という月日を設けておきながら、まだ一年にも満たぬうちに精霊姫の交代など、冗談を言っていると捉えられても仕方ない。
そしてそんな中の三度目の招集。しかも今回は緊急事態と銘打っての招集だ。しかし今回ばかりは王たちの心象はこれまでと異なった。
精霊姫であるオリヴィアが倒れたのが一昨日、その段階ですでに聖五か国の王たちには通達が出されていた。幸いすぐに目を覚ましたが、目覚めたのは昨日で、そして今日の招集だ。
なぜ、これほどに精霊姫の交代を急がせるのか。現時点で考え得ることは、精霊姫オリヴィア・コンスタンスの体調の変化だ。
病を得ているとは聞いていなかったが、突然体調を崩すと言うことは、オリヴィアの年齢を考えれば十分あり得ることだ。
しかし王たちの目の前に現れたオリヴィアは、とても病を得ているとは思えないほどに、若々しく壮健そのものだった。
そして聖五か国の王たちの見守る中、オリヴィアは精霊姫の座を降りると言い出した。
だが、オリヴィアが精霊姫の座を降りると言い出すだろうことは、すでに王たちには想定済みだ。二回の招集の目的は、予定より早い精霊姫の交代を聖五か国の王たちに納得させるためのものだったのだから。
しかし今回、最初に受けた衝撃を上回る衝撃が、王たちを待ち受けていた。
「私は、精霊姫の座を降ります。次の精霊姫の座は彼女に」
衝撃の発言をしたオリヴィアが後ろに控える少女を振り返ると、大聖堂に集まった者たちの間からどよめきが起こった。
「オリヴィア! 何を馬鹿なことを! お前が示した日までには、まだ二年以上ある! 私たちはまだ納得していないぞ!」
フェリツィオはかつての幼馴染に向かって吼えた。オリヴィアが果断に富んだ性格をしていることは昔から知っていた。だが、今回のことはいくらなんでもやり過ぎだ。
フェリツィオ以外の王はみなオリヴィアよりも年少だ。オリヴィアを諫めるのは幼馴染でもある自分の役目だと、フェリツィオは考えていた。だから今も率先して、オリヴィアの意見に反論を述べる。
「状況が変わりました」
「そんなことを認められないと言っているだろう! 精霊姫の選定はまだ終わっていない! しかも精霊姫の交代は精霊祭の本祭に行うのが習わしだ!」
そういって机を叩くのは、タッタリアの王、エルドランだ。
「習わしはあくまで習わしよ。それに彼女の力なら精霊祭とは何の関係もない普通の日だとしても大丈夫。精霊祭に精霊姫交代を行うのは、精霊の力を最大限に高め交代の儀式の成功率を高めるためだもの」
「オリヴィア。たとえ儀式の日程のことがなくとも、その娘に精霊姫が務まると思っているのか? ……そのような評判の悪い娘なぞに」
フェリツィオがオリヴィアを諭すように静かな声で告げる。メルディア公爵家の我儘姫。オリヴィアの後ろに控えているのは癇癪持ちの、我儘放題の娘。フェリツィオもその噂は知っていた。
「まあ、フェリツィオ。あなた、私が昔なんと呼ばれていたか忘れたの? “制御不能のじゃじゃ馬娘“よ?」
オリヴィアの言葉に、フェリツィオが押し黙る。この幼馴染は、確かに昔は手の付けられないおてんば娘だった。そのことを思い出したのだ。
最初こそ、あのオリヴィアに精霊姫など務まるものかと思っていたフェリツィオだったが、今ではオリヴィアを凌ぐ精霊姫などいないと、そう思うまでに傾倒してしまっている。
「テレンスの王よ。噂は噂だ。私はその娘が次代の精霊姫であることに異存はない」
賛成の意を示すフォルディオスの王アルトゥールに、フェリツィオばかりではなく、エルドランも驚愕する。
前回の招集までは反対の立場をとっていたアルトゥールが、なぜかここに来て考えを軟化させていた。
「そこの少女とカラビナの王家は縁が深い。私も特に異論はないな」
続けてカラビナの王であるタロスが表明する。以前、メルディア家に降嫁した王女とカラビナの王家に縁談があったことはフェリツィオも把握していた。だがそのことだけをもって縁があると表現するにはいささか無理がある。それにタロスも前回まではどちらかと言えば早すぎる精霊姫の交代に反対していたはずだ。
二人の王の心変わりを不思議に思っていたフェリツィオは次に発されたオリヴィアの言葉に固唾を飲む。
「あなたはどう? ジェレマイヤ」
オリヴィアの言葉に、四人の王の視線がティアベルトの王ジェレマイヤに注がれた。ジェレマイヤは大聖堂の建つティアベルトの王だ。聖五か国の中で一番発言権が強い。
「……そこにいるのは私の姪だ。私にも異存はない。それに……私たちが何を言ったところで、すでに決めているのだろう?」
「ええ、そうね。これは精霊王が決めたこと。精霊王が彼女を望んだの」
精霊王が望んだ。オリヴィアのその言葉に、反論できるものなど誰もいない。
「フィーラ・デル・メルディア」
オリヴィアが後ろに控える美貌の少女を見つめる。
「私の後継はあなただけ。これはあなたにしか出来ないことよ」
オリヴィアが威厳漂う声で少女に言い放つ。偉大なる精霊姫の言葉を受けた少女は、恐れのためか瞼を伏せた。
「オリヴィア様……」
少女は目を瞑ったまま、オリヴィアの名を呼ぶ。そしてゆっくりと顔をあげ、目の前にいるオリヴィアを見つめ、次の瞬間、嫣然と微笑んだ。
少女の笑みに、大聖堂に集う者たちが一斉に息を飲むのがわかった。フェリツィオもそのあまりの神々しさに、一瞬で毒気を抜かれる。
もとより、美しさに定評のある娘だった。細部にまで気を使い作られた芸術品のように一部の隙もない完璧な美貌は、たとえ噂が本当だったとしても、それを補ってなお余りある。
王たちを見つめるその瞳は湖面のように深く澄み、ゆるやかに流れる髪は大聖堂の天井から漏れる光を受けて金糸のように輝いている。
まるで現実味のないほどに、美しい娘。ともすれば、人だということも忘れてしまうほどに、完全なる美がそこにあった。
「……お任せください、オリヴィア様。あなた様の愛するこの世界を、わたくしは必ず護って御覧に入れますわ」
淑女のようにしどけなく。少女のようにあどけなく。勇者のように力強く。
少女はオリヴィアを見つめて微笑んだ。
先ほどまで反対していたエルドランも、今の少女の姿を見て言葉を失っている。簡素な淡い水色のドレスを纏い、優雅に立つその姿は、まるで女神のように荘厳だ。
「皆さま、彼女はすでに一度精霊王をその身に降ろしております」
オリヴィアから放たれた言葉に、各国の王族からは次々と驚愕の声が漏れる。それはフェリツィオとて同様だ。
「先ほども言いましたように、次代の精霊姫は精霊王によって選ばれました。この決定に異を唱える者は、精霊王の言葉に異を唱えているとお思いください」
今度こそ、誰の口からも言葉はおろか、何の音すら漏れなかった。
「結構簡単に了承を得られたわね」
「そうですわね。もっと反対されるかと思っておりましたわ」
しかも、テレンスとタッタリアを除き、三国の王が皆フィーラのことを認めてくれたことにも驚いた。
――特に陛下なんて……以前のわたくしを知っているのだもの、自国の王とはいえ反対されるのではないかと思っていたくらいよ……。
「反対なんてさせないわよ。フィーラちゃんはカナリヤと私が選んだ正当な後継者なのよ?」
フィーラ、オリヴィア、サーシャの三人は、大聖堂の一角でお茶を嗜んでいる。大聖堂に聖五か国の王が集まったのが昨日のこと。そして今日は六日後に控えた交代の儀について三人で話し合ってたのだ。
「干渉されていた人たちはその間の記憶を持っている人と、持っていない人に分かれているけれど……それって何の差なのかしら?」
クリードやエルザ、サミュエルは干渉されていた間のことを覚えていたけれど、その他の精霊士や聖騎士は覚えていない者がほとんどだった。
「そうねえ、おそらくだけど……干渉される以前にフィーラちゃんとの関わりが深かった人たちが覚えているんじゃないかしら? そもそも、記憶の干渉は学園入学後のフィーラちゃんをよく知っている人たちに対して行われたものだし、思い出すほどのフィーラちゃんとの記憶がなければ……ねえ?」
オリヴィアのフィーラを見る視線がいたたまれない。
――それは……わたくしが……ぼっちだったという証明では……?
フィーラの表情を見たであろうサーシャが、あわてて話題を変えた。
「あ……そ、そういうことね。ね……ねえ、伯母様? ステラ・マーチたちのことだけど……。このまま儀式の日まで放っておくの?」
「……しょうがないわ。何も証拠がないのだもの。今の時点ではね。彼らはあくまで人の世の理で裁かなくては」
「そうよね……。それでも伯母様が言えばどうにかなるんでしょうけれど……証拠もないうちに強硬手段に出ては精霊姫に対する信頼が揺らいでしまうかもしれないわ」
「そういうことね」
「大丈夫ですわ、サーシャ。きっと儀式が終われば、ステラ様たちも諦めてくださるわ」
――あちらの目的がステラ様を精霊姫にすることなのだとしたら……いえ、それだけではないとオリヴィア様も言っていたけれど、それでも決まってしまえば、いくらなんでもこれ以上のことは出来ないのではないかしら?
「楽観的ね……あなた」
「取り柄のひとつです」
「あっそ……」
フィーラの言葉に呆れたのか、サーシャが会話をやめ、目の前のお菓子に手を伸ばす。
「それにしても……素晴らしいわ。このお菓子たち……」
フィーラはサーシャが手を伸ばした先、テーブルに用意されたお菓子たちを見つめ、うっとりとため息をついた。
三人の目の前に用意されたのは、マカロン、アップルパイ、フロランタンと、前世の世界でおなじみのものばかりだ。
「でしょ? 伯母様の作るお菓子はとっっても、美味しいのよ?」
そういうとサーシャが、薄緑色のマカロンにかぶりついた。
「……これ! オリヴィア様が作られたのですか⁉」
「そうよぉ。懐かしいでしょう?」
「……っはい!」
カラフルなマカロンにアーモンドたっぷりのフロランタン。そしてアップルパイからはシナモンの香りが漂っている。おまけにクリームパフェまでついている。
「アップルパイ……シナモンの香りが最高です」
「シナモンて何よ?」
「ああ、カツェルのことよ。ふふ。それでもやっぱり前世と同じようにはいかないのだけれどね……。カツェルにしたってわずかに香りが異なるのよ。材料も揃わないし、見かけだけは似せたけれど、味はちょっと違うの。マカロンだって、そこまで綺麗な色は出せなかったし」
確かにマカロンの色は薄いし、アップルパイもおそらく生地が違う。見た目ほどサクサクはしていないだろう。ここにあるお菓子はすべて本物とは味も食感も違うだろうが、しかしこれでも十分だ。
「十分ですわ。オリヴィア様」
贅沢を言っては罰が当たる。
「実はね、学園のカレーライスも当時の学園の料理長に私がレシピを教えたのよ」
オリヴィアの衝撃の告白に、フィーラは大きく目と口を開けて驚く。どうりであの食堂には前世に食べたものばかりあると思っていた。
フィーラとしては自分のほかにも前世の記憶を持つ人間がいたのだと考えたのだが、その考えはあながち間違ってはいなかったのだ。
「え? そうなの?」
驚いているところを見ると、サーシャも知らなかったのだろう。
「もしや、オムライスやナポリタンもですか⁉」
「そうよ。私喫茶メニューが大好きだったの。クリームパフェやプリンは比較的簡単だったし、この世界にも似たようなものがあったからそれほど再現するのに苦労はしなかったのよね。だからそれで満足しちゃっていたんだけど……。このお菓子たちは記憶の彼方からようやくひっぱりだして来た、うろ覚えのレシピで作ったのよ」
「……素晴らしいです、オリヴィア様。ありがとうございます……。本当にありがとうございます!」
フィーラは目に涙を浮かべて、オリヴィアの手をとり礼を言う。
「泣くほどなの? よっぽど好きなのね、カレーライス」
「カレーライスはわたくしたちの国の国民食でしたのよ?」
「え⁉ あれが⁉」
「うーん、まあ。そうと言えなくもないわね。元は違う国の料理だけれど」
「失礼、お三方。六日後の儀式について話し合うために集まったのでは?」
女三人の会話に、傍に控えていたヘンドリックスが口を挟む。
「いいじゃない、ヘンドリックスさん。大目に見てよ。まだ時間はあるでしょう?」
「まあ、そうですがね……。明日には聖五か国にも学園にも正式に通達を出さなければなりません。フィーラ様の身の振り方を考えなければ」
儀式は六日後に行うが、すでにフィーラが次の精霊姫だということは、聖五か国の王たちは知っている。フィーラも昨日のうちに一度家へ戻り、ゲオルグに話をした。
大層驚くかと思いきや、ゲオルグがさも当然と言わんばかりに頷いていたのは親馬鹿にもほどがあるというものだ。
「そうねえ。フィーラちゃんは学園、卒業したい?」
「え、と。そうですわね。出来れば卒業したいとは思っておりましたが、精霊姫の業務と学業を同時にこなせるほどわたくしは器用ではありません。それに……ほとんどの候補の方たちは学園に残るでしょうし、わたくしはいないほうが良いのかもしれませんわ」
競っていたつもりはフィーラにはないが、結局選ばれた者以外は選ばれなかった者なのだ。その両者がともに過ごすのは、双方やりづらいのではないだろうか。
「そうね。聖騎士も決まったら学園をやめるのでしょう?」
「そうなりますね。聖騎士に決まった段階で、学園から聖騎士団へと身柄を移すことになります」
「精霊姫が学園に通っていたら、聖騎士たちも困るんじゃない?」
「そうですわよね。まさか聖騎士の方々を学園に通わせるわけにもまいりませんでしょうし」
「できなくはないですよ。新たに聖騎士となる者はそのまま学園に据え置き、こちらからはカーティスのように教師として何人か派遣することは可能です」
「え、そうなのですか?」
「ですが、精霊姫としての職務はちゃんとこなしていただくことになりますから、多くの授業を休むことになるでしょうね」
「……ですわよね」
精霊姫としての職務。それは毎日の祈りが主なものだ。しかしただ祈っているだけかと思えば、その間、精霊王を通して世界中の精霊のもたらす情報を読み取っている。そしてその中から重要な事柄を精霊士に伝え、世の中のために役立てているのだという。
あとは大聖堂および精霊教会に属する者たちへの采配を最終的に下すのが精霊姫の役目らしい。
――何かすごく曖昧な仕事だけれど、それだけセンスが問われるということかしら? 統括という点では前世社長だったオリヴィア様にはうってつけの役だったわね。
「わたくし学園は辞めますわ。どのみち学園を卒業したかどうかは、わたくしにはもう関係のないことですもの」
「そうよね。ティルフォニア学園を卒業することは貴族の世界で生きていくためには必要な強みだったけれど、フィーラにはもう関係ないわね」
すでに精霊姫になることが決まっているフィーラには、学園を卒業したというステータスは必要がないのだ。
「では明日、学園にはそのように伝えましょう。あとは、聖騎士の選定ですが……」
精霊姫選定とともに行われるのが聖騎士の選定だ。精霊姫が決まったのなら、当然新しい聖騎士も決まる。
「現在の聖騎士候補は十二人。その中から六人を選びます」
「もう決まっているの?」
サーシャの質問にヘンドリックスが笑って答える。
「ええ」
「聞いてもいいのかしら?」
「まあ、サーシャが余計ですが……いいでしょう」
「余計ってなによ」
「本来なら内部機密だ。誰にも言うなよ。まずはジルベルト・コア。テッド・バーク。エリオット・ミュラ―。レスト・ダンカン。クレイグ・アロー。……そして、エルザ・クロフォード」
「エルザも⁉」
「……本当に、エルを聖騎士に?」
「ええ。一度訓練を見に行きましたが、あれはなかなか使えます」
「あら? いつ行ったの?」
「彼女が騎士科に入った直後に。フィーラ様と仲がよろしかったですからね。一応偵察です。もちろん、変装して行ったからばれてはいないはずですよ」
「エルは聖騎士になれるのね……」
「はい。……複雑ですか?」
「……いいえ。わたくしはエルを応援すると決めたわ」
「……彼らにも今日カーティスから通達が行くことになっています。六日後の交代の儀、彼らにも警備として出てもらうことになる。彼らにもすぐに学園を辞めてもらうことになるでしょう」




