第17話 ヒロインと王子の登場です
「うわぁ。すごい。えっ、これが高校……じゃなくて学園? 大きい……」
フィーラは最近気を抜くと、とみに口調が乱れがちになってしまう。これも前世の影響なのだろうか。気を付けなくてはいけない。
今も、初めて目にする学園を前に、ついボロがでてしまった。
「そうだろう? 僕も初めて見た時は驚いたものだよ」
隣にいる兄も、すでにこの一週間ほどでフィーラの口調には慣れきっているため、言葉遣いを正すなどということもしない。
「驚いたと言えば……うちの護衛団から聖騎士候補がでるなんて、それも驚きだよね。しかもまだ十七歳だってさ。僕と同い年だよ」
兄の言葉を聞き、フィーラはあの顔を赤くした青年の姿を思い出した。
――若いと思っていたら、わたくしと二歳しかかわらないんじゃない。
「そうですわね。聖騎士の候補者たちも、この学園の騎士科で学ぶのでしょう? テッドは今日は一緒じゃなくて良かったのかしら」
護衛団や屋敷の使用人は基本住み込みなので、学園に入学するということで、一度実家に帰ったのかも知れない。
「……フィー。君、なんであの護衛のこと、名前で呼んでいるの?」
「えっ。だって、わたくしの護衛ですもの。名前ぐらい覚えています」
「フィーの護衛じゃないよ! たまたま剣の腕が良かったから、護衛についていただけだ。ちゃんとほかのベテランの護衛も一緒にいただろう?」
「? ええ、もちろん。トニーですわよね? 彼の名前も覚えていますわよ」
「……ならいいけど。いや、よくないか……?」
ぶつぶつと独り言を言うロイドを不思議に思ったが、最近の兄は時々意味不明な言動をするのだ。いちいち気にしていたらきりがない。
「お兄様。そろそろ受付に行かなくて大丈夫ですか?」
「ん? ああ、まだ時間はあるけれど、余裕を持って行こうか。道中何があるかわからないからね。さあ、付いてきて」
ロイドの後を追い歩き出そうとした矢先、背後で聞こえた歓声に、フィーラの足が止まった。
「うわあ。すごい。これが高校……じゃなくて『精霊姫と七人の騎士』の舞台、ティルフォニア学園なのね」
振り向いた先には、亜麻色の髪、空色の瞳の可愛らしい美少女がいた。十人いれば九人は振り返るだろうその美貌に、周囲の人間はくぎ付けになっている。
フィーラもその少女から目が離せなかった。しかし、理由は少女に見とれていたからではない。先ほど少女が発した言葉に、意識を奪われたのだ。
――彼女、今『高校』って言ったわよね。この世界に『高校』って言葉、もしかして普通にあるのかしら? それと精霊姫と七人の騎士って、どういうこと? 精霊姫に従う騎士は十人の筈。
フィーラが少女をじっと見ていると、少女もフィーラに気が付いた。
「えっ。もしかしてフィーラ?」
大きな目をさらに大きく見開き、少女はフィーラの名を呼ぶ。
少女の言葉を聞き、ロイドが気色ばんだ。
「君、メルディア家の令嬢を呼び捨てとはどういうことかな?」
「お兄様!」
「うわ。ロイドだ。本物? すごい! 綺麗!」
ロイドの質問を無視し、ぶしつけな言葉を放つ少女に、ロイドの顔に青筋が浮かぶ。
――ちょっと……、あの子何なのかしら? 貴族……なわけないわよね。平民? 誰も貴族に対する礼儀とか教えてあげなかったのかしら? お兄様が滅茶苦茶怒ってるわ……。
「あっ、あの。わたし、ステラと言います。ステラ・マーチ。あの、よろしくお願いします!」
少女が名乗るが、相変わらずロイドの質問には答えていない。自らの犯した失態に気付いてのものというよりは、単に自分を売り込みたかっただけなのだろう。少女の頬は薄っすらと色づき、印象的な空色の瞳で、上目遣いにロイドを見ている。
「……君、僕の話聞いてた? 僕は今、なんで、フィーの名前を呼び捨てにしたのか聞いているんだよ? しかもフィーだけじゃなくて僕の名前まで……」
「えっ、あの、ごめんなさい。でも……」
ステラと名乗った少女は、上目遣いにロイドを見つめたまま、それ以上何も言わない。
先ほどからの対応を見るに、恐らく少女は平民なのだろう。公爵家の人間であるフィーラとロイドの名前を呼び捨てるなど、平民はおろか、貴族とて普通は出来ない。それが出来るのは家族と、家族以外では呼び捨てにすることを許した親しい友人か、メルディア公爵家よりも地位の高い王家くらいだ。
ティルフォニア学園とて、いくら学園内での平等を謳ってはいても、礼儀は問われる。それは平民も同じだ。
学園で学ぶうちに親しくなり、互いの許しを得たうえで、敬称なしで名を呼び合うことはままある。ロイドにも、確か敬称なしで名を呼び合う、子爵家の友人がいたはずだ。しかしそれも私的な場面のみに限られ、公の場では、お互いちゃんと身分を弁えた態度で接している。それはお互いの立場を護るためでもあるのだ。
ただし、初対面の人間の名前を呼び捨てにするのは、身分にかかわらず失礼だ。
――そんなの前世の身分制度のない世界でだって常識だったわ。
青筋を増やしたロイドが口を開こうとするのを制し、フィーラは少女に問いかけた。
「失礼。どこかでお会いしたかしら?ごめんなさいね、覚えていなくて。ステラ様、だったかしら? どうかわたくしの事はフィーラと呼んでくれて構わないわ」
「フィー!」
「良いのよお兄様。せっかくの機会だもの。良い友人になれるかもしれないわ」
「なれるものか。こんな礼儀知らず」
ロイドがまるで虫けらを見る様に、ステラを見やる。侮蔑の籠った視線を受けてなお、少女は相変わらずロイドをうっとりと見つめたままだ。フィーラのことを認識しているのかも怪しい。
――ええ? ちょっと、この子わたくしの言ったこと聞いていなかったのかしら? せっかく助け舟をだしたのに……。
「何事だ?」
フィーラがどうにかこの場を治めようと奮闘していると、威圧的な声とともに、一人の青年が姿を現した。
「ああ、面倒くさい奴がきた」
小声でロイドが放った言葉に、フィーラが反応する。兄が面倒くさい奴という人間は、昔から決まっている。
声の主を見るが、一瞬誰だかわからなかった。前世の記憶と以前のフィーラの記憶が混同したためだ。しかし、それも一瞬で、フィーラはすぐにその青年が何者であったかを思い出した。
「何だ。またお前かフィーラ」
金色の髪に翠玉の瞳。このティアベルト王国の王太子であり、フィーラのかつての婚約者候補。
「ご機嫌麗しゅう。サミュエル殿下。お久しぶりでございます」




