第169話 反転した世界15
「フィーがすぐそこにいるというのに、会うことさえ出来ないなんて……」
ロイドは背中を丸め、両手で顔を覆い隠した。
フィーラが倒れたあと、すぐに大聖堂へと駆けつけたロイドたちだったが、そこでは予想通り門前払いを食ってしまった。
その時は大人しく引き下がったが今日また二人は大聖堂へとやってきたのだ。そしてそのまま部屋で待たされている。
対応した灰色の髪の精霊士に、二人がいつ目覚めるかはわからない。それでもよければここで待てと言われ、そのまま二人は二時間以上この部屋で待っていた。
「よほど警戒されているな。まあ、それも仕方ない。俺たちはオリヴィア・コンスタンスの予言に出て来たフィーラと敵対する人間だ」
「……僕がフィーと敵対……するわけないだろうが!」
「俺に言うな。予言をしたのはオリヴィア・コンスタンスだ」
「そうだが……。それにしてもお前。すでに二時間は経っているぞ? いいのか? 王太子が」
「当代と次代の精霊姫が同時に倒れたんだぞ。この緊急事態より優先されることなどないだろう」
「まあ、それはそうか……」
世界の礎とされる精霊姫。その精霊姫の危機は世界の危機も同然だ。
「とはいえ、さすがに毎日こうして通うわけにもいかないな。もし二人がこのまま目覚めないなどと言う事態にでもなれば、早急に精霊教会と大聖堂を交え、聖五か国で協議しなければならない」
「おい! 不吉なことを言う……な……」
サミュエルに反論しようとしたロイドは、サミュエルの様子がおかしいことに気づき、言葉をきる。サミュエルは大きく目を見開き一点を見つめていた。
「おい……サミュエル? どうした?」
「……干渉が解けた」
「は? 今か? なぜ?」
「……わからない。しかし今までのことはすべて覚えている。お前に確認したこともすべてだ」
「どうして突然……」
「……二人が目覚めたのか、あるいは……」
「何だ?」
「もう記憶へ干渉する必要がなくなったか」
「どういうことだ……!」
問い詰めるロイドを無視し、サミュエルはテーブルに置かれた呼び鈴を鳴らす。しばらくして入ってきたのは、ロイドたちをこの部屋へと案内した灰色の髪の精霊士だ。
「どうされましたか?」
「二人が目覚める気配は?」
「……たった今、お二人がお目覚めになりました。ですが、なぜお分かりに?」
灰色の髪の精霊士がわずかに目を瞠る。この部屋へ通された時から今まで貫いていた無表情が崩れていた。
「フィーが目覚めたのか⁉」
「二人に会えないか?」
「……お聞きしてまいります。少々お待ちを」
精霊士が出て行ってから三十分ほど経った後、フィーラとオリヴィアがともに部屋へと入ってきた。
「フィーラ!」
「お兄様!」
扉から入ってきたフィーラの姿を確認した途端、ロイドが座っていたソファから立ち上がった。
「ああ……フィー、良かった。大丈夫そうだね」
ロイドがフィーラの全身を見つめ、安堵のため息を吐く。
「お兄様……お兄様はちゃんといつものお兄様に見えるわね」
ロイドもゲオルグも、フィーラが前世の記憶を取り戻す前からフィーラに甘かったのだから、当然と言えば当然だ。
「当たり前だろ? 僕がフィーとの思い出を忘れるわけがないじゃないか」
「……干渉を受けなかったのですか⁉」
「それは驚いたわね……。なぜかしら? 聖騎士や精霊士でも防げなかったのに……」
オリヴィアの声に、今までフィーラしか目に入っていなかったであろうロイドが、オリヴィアに向かって最敬礼をする。
「精霊姫、オリヴィア・コンスタンス様。お目にかかれて光栄です」
「私も嬉しいわ。フィーラちゃんのお兄様に会えるなんて」
「……フィーラちゃん?」
「親愛を込めてそう呼んでいるわ。それよりも、干渉を受けなかったのはあなただけ?」
「いえ。父も大丈夫でした」
「お父様も……。とすると血……かしら?」
「恐らく。俺もそう思っています。ご無沙汰しております。オリヴィア様」
「サミュエル殿下、お久しぶりね」
「はい」
「……サミュエル殿下は、昔私の話を聞いていたのでしょう?」
「はい。そのことはすでにこちらにいるロイドにも話しました」
「……そう。それなら話が早いわ」
オリヴィアがロイドとサミュエルの向かい側のソファに座るようフィーラに促す。フィーラの前にはロイドが、オリヴィアの前にはサミュエルが座った。
「そうね。まずはあなたたちが今どういう状態か確認しなければ」
オリヴィアが精霊王を信用していないなどと言うことはないだろうが、一応は念のためということだろうか。
「干渉ならすでに解けています」
サミュエルがこともなげにオリヴィアに告げる。
「やっぱりそうなのね。いつ解けたの?」
「お二人がこの部屋に入ってくる三十分ほど前です」
今度はロイドがオリヴィアに向かって告げた。
「そう。こちらが解いたわけではないから、やっぱり向こう側がしたことになるけど……どういうことなのかしら」
「目的を達成したということは?」
「相手の目的はおそらくステラちゃんを精霊姫にすることよ。まだ目的は達成されていないわ。このままフィーラちゃんが精霊姫になれば、永久に達成することはできなくなる」
オリヴィアの核心に迫る言葉を聞いても、ロイドとサミュエルは驚かない。否、わずかに表情が動いたのを見ると、予想はしていた程度のことらしい。
「これからすぐに、聖五か国の王たちに通達を出すわ。精霊姫の交代の儀を行うと」
今度こそ、ロイドとサミュエルの表情にはっきりと驚きが見て取れた。
「必要なことなのですね」
サミュエルからの確認を込めた言葉に、オリヴィアが頷く。
「ええ。私は最初三年の猶予があると通達を出したけれど、あのころとは状況が変わっているわ。数か月前の状況と今の状況はまったくの別物だわ」
「正確には五日前からですね」
「まあ……。いつから干渉を受けていたかまでわかっていたの? あなたといい、トーランド先生といい、さすが優秀な人間揃いね」
オリヴィアは目を瞑り、呼吸を整える。
「いいわ。二人にはもうすべてを話しましょう。いいわよね、フィーラちゃん」
「う。……はい」
あの話をもう一度、今度は兄と従兄の前で話されるかと思うと、少々ではなく気恥しい。
「まあ、大体のことはわかっていると思うけど、私とフィーラちゃんはこことは異なる世界の記憶を持っているわ。この世界は私たちのいた世界で生まれた、数あるなかのひとつの世界として存在していたの」
「貴女たちのいた世界は神々の世界……貴女の話し相手――サーシャ・エーデンはそう言っていましたね」
「そうね。この世界にとってはそのようなものかしら」
――うう。またこのくだり……。
「まあ、なんとなくわかりますね。フィーは昔から人とは考え方も感性も違った。あまりにも純粋すぎて、貴族の世界ではきっと生きていけないだろうと思っていましたよ」
――そんなこと思っていたの? お兄様。それは勘違いも過ぎるというものよ。
フィーラは決して純粋なわけではない。ただ、この世界と前世の世界では考え方や感覚が違うだけだ。
「異なる世界から来た魂。それが精霊姫になる条件、などということは?」
「……わからないけれど、恐らく違うんじゃないかしら?」
「それはこの世界の成り立ちと関係しているからですか?」
「そうね……。この世界のことは、私とフィーラちゃんのいた世界では成り立ちから知られている世界なの。もちろん、未来のことはわからないわ。でも過去については……ある程度はわかるのよ。私以前に、私たちの世界から来た精霊姫はいないでしょうね」
――オリヴィア様……はぐらかすのが上手だわ。でも……。
「……なるほど」
――サミュエル……納得したように頷いているけれど、あの表情は本当には納得していないときの表情だわ。……お兄様もわかっているわね。
頷くサミュエルの様子をロイドが横目で確認したのを、フィーラも確認している。
「納得できないかしら? でもごめんなさい。あまり詳しく言いすぎてしまうと、この世界の根源が揺らいでしまいかねないのよ。それは私もフィーラちゃんも望んでいないわ。私たちはすでにこの世界に生きているの。世界の成り立ちよりも、もっとずっと大切なものが、私たちにはあるのよ」
――オリヴィア様の言うことはよくわかるわ。この世界がいつ創られたのかなんて、大した問題じゃないわ。たとえこの世界がわたくしの見ている夢であったとしても、わたくしはわたくしの家族も、友人も、皆が大好きなのだもの。
「……暴こうなどと思ってはいません。俺は自分がするべきことをするだけです。俺にとっても、この世界の成り立ちなど大した問題じゃない」
「ありがとう……」
「俺のせいで話が逸れてしまいましたが、貴女が以前危惧していたことは、俺もロイドも承知しています。今回のこの記憶に干渉を受けた状態が、貴女が危惧していた事態の前兆、あるいはすでに渦中なんですね」
「ええ。そのことについても、きっとフィーラちゃんが精霊姫になればある程度の決着はつくと思うのよ」
「ある程度?」
「実際はもっと複雑に物事が絡んでいるだろうから、フィーラちゃんが精霊姫になったことですべてに決着がつくわけじゃないわ。でも、それがひとつの、そして重大な分岐点ね」
「ステラ・マーチが精霊姫になるはずだった世界において、精霊姫になることはあり得なかったフィーラが精霊姫となれば、そこで相手方の最大の思惑は崩壊するというわけですか」
「そう思うわ」
「では、さきほど貴女が言ったように、まずはフィーラを精霊姫にしてしまいましょう」
「ええ」
「俺はティアベルトの王太子として、儀式に参加します。タッタリアとカラビナは特に問題はない。ジークフリート殿下は……立太子に間に合えば良いが、たとえ間に合わなくとも参加してもらおう」
「え⁉ ジークフリート様が立太子⁉」
サミュエルの突然の言葉に、フィーラが驚く。
「ん? ああ、まだフィーには言ってなかったか。エドワード殿下が王太子の座を返上したんだよ。あいつはずっと拒んでいたようだが、サミュエルが発破をかけたからいい加減諦めるだろう」
確かにジークフリートの兄であるエドワードはジークフリートのほうが王太子に相応しいというようなことを言ってはいたが、まさか本当に王太子の座を降りるとは思わなかった。
「あとは、テレンスですが……現時点でリディアス殿下は信用できるのですか?」
「いえ……恐らく一連の出来事にリディアス殿下は関わっているわ」
「そうですか。ですが、リディアス殿下は王太子。儀式にも参加します。そこで仕掛けられるということは?」
「ない……とは言い切れないわね。でもその日の護りは万全。儀式には大聖堂中のすべての聖騎士と精霊士が参加するわ。そして精霊王も。相手が何か仕掛けてこようとも、邪魔はできないはずよ。そもそもこんな回りくどい方法を相手がとっているのは、相手側の思惑が一致していないからだと思うの。ステラちゃんを精霊姫にしたがっているのは、おそらくリディアス殿下とウォルクよ。相手側の精霊王自身が望んでいるわけじゃないと思うわ。事実干渉はすでに解かれているもの。これ以上交代の儀式の最中などという土壇場で何かを起こすとは思えないわ」
そこまで大人しくオリヴィアの言葉を聞いていたサミュエルとロイドが、それぞれ何かに気づいたように目を見開く。
「……ちょっと待ってください。相手側の精霊王?」
「……ごめんなさい。そのことは昔サーシャと話をしていた時には出てこなかったわね。……この世界にいる精霊王は一人じゃないの。二人いるのよ。相手側にも精霊王がついているの」
「……なるほど。世界の根源が揺らぐと言った貴女の言葉が、理解できました」
サミュエルが片手を額に当てて唸る。
「その二人の精霊王は、能力はまったく同じなのですか?」
「どうかしら、せめてそうであって欲しいけれど、相手のほうが好き勝手に動ける分こちらより有利かもしれないわ。こちらの精霊王は契約によってさらに力に制限がかかっているから」
「大丈夫なのですか?」
ロイドがオリヴィアに訪ねる。
「フィーラちゃんなら大丈夫。精霊王との相性が抜群に良いのよ。ほかの子だったら難しかったでしょうけれどね」
「……交代の儀式の日、王家からも警護を出しましょう」
「ものものしくなりそうだけれど、しょうがないわね。お願いするわ」
「うちも出せるぞ」
ロイドがサミュエルに視線を送り確認をとる。
「いい。自分たちの屋敷を護れ。フィーラの弱みが集まっている場所だ。狙われないとも限らない」
「え⁉」
フィーラがソファから立ち上がり声をあげる。フィーラの脳裏に、屋敷の使用人たちの姿が浮かんだ。
「大丈夫だ。フィー。一応だよ。追い詰められた獲物は何をするか予想がつかないからね」
「お兄様……」
「フィーラちゃん。これから儀式の日まで、あなたのお兄様とお父様に護りの精霊を付けるわ。そして屋敷にも結界を張りましょう」
「オリヴィア様……」
「さあ! 儀式を成功させるための打ち合わせをしましょう。聖五か国の王たちにいかにフィーラちゃんが次代の精霊姫に相応しいか見せつけてやりましょうね」




