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前世を思い出したわがまま姫に精霊姫は荷が重い  作者: 星河雷雨


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第168話 反転した世界14



 魔の言葉に、フィーラは目を見開く。


「……取引の内容は?」


『わたしに名を付けろ』


 魔は青い瞳で真っすぐにフィーラを見つめている。


「あなたの名を?」


『そうだ』


「それだけであなたの契約者にそむいてわたくしたちをここから出してくれると言うの?」


『そうだ。そうすれば、望むままに、お前にわたしの力を貸そう』


「なぜ……?」


『それをお前に言う必要はない』


「……名をつけることでこちらが不利になるかもしれないわ」


『それはない。約束しよう』


「その約束が叶えられるかどうかなんてわからないじゃない」


『よく考えろ。名をつけることでお前が得る利益はあっても、不利益を被ることはない。取引とはいったが、こちらはだいぶ譲歩している。お前がわたしの要件を飲まなければ、お前たちがここから出ることは叶わない』


「……精霊王様が助けてくれるわ」


『忘れているようだが、わたしも精霊王だ。わたしがいる限りあいつがここへくることはない』


「……」


――そうだったわ……。魔としての印象が強かったから忘れていたけれど、この魔はもう一人の精霊王なのだったわ。


 この魔の言ったことが本当か嘘かはわからないが、はなから精霊王の助けを期待しないほうがいいかもしれない。


『名をつける。それだけだ』


 魔は尚も自らの名をつけろと言い募る。


――オリヴィア様も精霊王様のことをカナリヤと名で呼んでいたけれど……。


 名をつけることがどういった意味を持つのかをフィーラは知らない。精霊との契約に、名をつけることが必要だとは聞いたことがない。精霊に名をつけ親しむ者もいることは、確かに聞いたことがある。だが、それは単に呼びやすいからだ。


「……わかったわ」


――本当に名をつけるだけでここから出してくれると言うのなら、そうしない手はないわ。でももしかしたら裏があるのかも……。ああ、この場にオリヴィア様がいてくれたら……。


 きっと正確な答えを導き出してくれるか、もっと上手く交渉してくれるだろう。しかしフィーラの頭では、いくら考えても正解が見つからない。


――でも……この魔は結局、いつもわたくしに害を与えることはないわ。信じる……しかないのでしょうね、今は。


 フィーラは目の前の魔を見つめる。艶やかな長い黒髪に、どこまでも澄んだ青い瞳。


――やっぱり、どこかで見たことがある。


 しかしどこで見たのかがわからない。色彩だけなら、ヴァルターやクラリッサに似ているが……。


――そうだわ……。クラリッサ様と、ジルベルトに似ているんだわ。でも、どうして……。


 オリヴィアはこの空間ではどのような姿にもなれると言っていた。さきほどこの魔はサルディナの姿になった。おそらくこの姿も誰かの姿を借りているだけだろう。


――ジルベルトのご親戚の方かしら? 今は実体を伴ってはいないでしょうから、その方が魔に憑かれたわけじゃないでしょうけど、問題はどうしてその方の姿をとっているのかということよね?


『なんだ?』


 じっと見つめるフィーラの視線に気づいた魔が、問いかけてくる。


――わたくし、魔と普通に会話しているわね……。今更ながら不思議だわ。


「いえ……その姿ですが、一体どなたの姿を借りたのですか?」


『……昔存在した人間の姿だ。お前は知らない』


 魔からの返答に、フィーラは虚を突かれた。それはほんのわずか、魔の表情が曇ったからだろう。もしかしたら、その人間はこの魔にとって特別な存在だったのかもしれない。


――人間らしい感情もあるのね。魔に言うのも変な話だけれど……。


『名は思いついたか?』


「……ちょっと待ってください」


 フィーラは目を閉じて考える。この魔から連想するもの、それは黒、闇、影など、どこかしら暗さを含んだ言葉たちだ。


――あとは、青。でもいまひとつしっくりこないわね。


 考えるフィーラの頭に、ひとつの言葉が浮かんだ。


「……カナン」


 この言葉が出て来たのは、きっとクラリッサのことを思い出したことで、同時に昔の恋物語のことも思い出したからだろう。フィーラの放った言葉を聞き、魔がわずかに目を見開く。


「……わたくしの一番好きな花ですわ。光栄に思ってちょうだい」


 魔に自らの一番好きな花の名をつけるとは、自分でもお人よし過ぎるのではないかと思う。しかし一度思いついてしまうと、もうそれ以上の名前は考えつきそうになかったため仕方ない。


『そうか……』


 魔は瞼を降ろし、しばらく自らに新しくつけられたその名を噛みしめるかのように佇んでいた。


 そして次に瞼を上げたときには、美しい青い瞳が、自ら光を放つかのように輝いていた。フィーラは我知らずその瞳に視線を吸い寄せられた。


『馴染んだな……』


「え? 何が?」


『約束通り、お前たちをここから出してやろう』


「それは……嬉しいですが……」


『それと、これはお前への贈り物だ』


「え? 何を……」


 フィーラが言い終わる前に、眩い白い光に視界を覆われた。しばらくして目を開けると、目の前にはオリヴィアの姿があった。


「オリヴィア様!」


「え? あら? フィーラちゃん? 今までどこへ?」


「え? オリヴィア様こそ……」


 どこへ行っていたのかと、言いかけたフィーラだったが、何故か言葉の続きが出てこない。フィーラは首を傾げ、自らの記憶を探る。確か急にオリヴィアの姿が見えなくなったと思ったら、すぐまた同じように突然目の間に現れたのだ。


「……あら?」


 だが、つい先ほどまでそこにオリヴィアではない誰かがいたような気がしたが、それが誰だったかが思い出せない。あるいは誰かがいたなどということはフィーラの勘違いだったのかもしれない。


――そんな気がするわ……。わたくし、急に一人になってしまったから気が動転したのかしら?



『待たせたな、二人とも』



 思案していたフィーラの耳に聞こえて来たのは威厳のある、美しい声音。ここへ来る前に聞いた声と同じだ。

 

「……精霊王、様……」


 フィーラの意識はそこでぷつんと途切れた。









「フィーラ!」


 目を開けたフィーラの目の前には、カスタード色の髪と薄茶色の瞳。オリヴィアによく似た眼差しを持つ、フィーラの友人――サーシャがいた。


「……サーシャ」


「大丈夫? 痛いところはない? 苦しいところは?」


 反対側にはエルザが、フィーラを心配そうに見つめている。それによくよく周りをみれば、見慣れぬ聖騎士たちがフィーラを取り囲んでいた。否、中には知っている人間もいた。黄金色の髪に、砂色の髪。ディランとクリードだ。


――ディラン様はいいとして……クリード様は元に戻ったのかしら?


 この場に普通にいるということはきっとそういうことなのだろう。でなければおそらくサーシャが黙ってはいないはずだ。


「ふふ。お二人とも……大丈夫ですわ。わたくし寝ていただけでしてよ?」


「寝ていただけじゃないわよ! 伯母様もフィーラも全然目覚めないし……どれほど心配したと思っているの!……怖かったわ」


 そう言うと、サーシャがフィーラに抱き着いてきた。


「心配をかけてしまったわね……ごめんなさい、サーシャ、エルザ」


 サーシャのカスタード色の髪を、フィーラが撫でる。まるでヒヨコのような触り心地だ。


「フィー……」


 泣きそうな声でフィーラを呼ぶエルザに、フィーラは安心するようにと笑顔を向ける。


「大丈夫よ、エルザ。わたくしは何ともないわ」


「フィー、ごめん。ごめんね……」


 しかし何故かエルザはさらに顔を歪め、フィーラの名を呼び謝罪の言葉を口にする。サーシャも不思議そうにエルザを見つめていた。


「エルザ? 何を……」


 何を言っているのかと、問おうとしたフィーラは、エルザが自分のことを愛称で呼んだことに気が付いた。


――エル……今フィーと呼んだ?


「エル……もしかして干渉が解けたの?」


――どういうこと? どうしていきなり干渉が解けたの? それに、干渉されていた間の記憶があるの?


「フィー……」


 疑問は残るが今はエルザのことが先決だ。こちらを見るエルザの瞳には、涙が溜まっている。


「エル。大丈夫よ。わたくしはまたあなたと友人になれたわ」


 記憶を失っても、エルザはフィーラに優しくしてくれた。友人になってくれた。それはとても素晴らしく、得難いことだと、フィーラは思っている。


「でも私はフィーを忘れた……」


「いいえ、もう一度最初から始めただけよ」


 フィーラは寝台から降り、エルザに近づく。そして俯くエルザの頭を撫で、抱きしめた。


 フィーラはそうやってしばらくエルザを抱きしめ背をなでていたが、エルザの嗚咽が落ち着いた頃合いに、声がかかった。


「失礼、フィーラ様。今からオリヴィア様がこちらにいらっしゃいます」


 クリードがいたわるようにフィーラに声をかけてきた。その口調は精霊祭のときのような棘のあるものではなくなっている。


「クリード様」


「覚えていてくださいましたか。……フィーラ様、いくら正気ではなかったとはいえ、あのような態度をとってしまい申し訳ございませんでした」


――やっぱり……。クリード様も覚えているのね。


 正気に戻った際、記憶に干渉されていたときのことまで覚えているとは思わなかった。だとしたら何と残酷なことなのだろう。はっきりと自分が誰かに操られていたことを自覚させられてしまうのだ。


――干渉されていたときのことを覚えていたのなら、その間はむしろわたくしとは関わらない方が良かったのかもしれないわ。そうすれば、わたくしを傷つけたかもしれないなどと、思うこともなかったでしょうに……。


 家に帰らなかったのは正解かもしれない。幸いと言っても良いのか、この期間中に関わらなかった人間は多い。ジークフリート、テッド、エリオット、ジルベルト。


 フィーラと関わらなかった人間の記憶がどのような回復を見せるのかは分からないが、せめて自分のせいでフィーラを苦しめたなどとは思ってほしくはない。


「……いいえ、クリード様。お気になさらないで。それよりも、デュ・リエールではありがとうございました」


「いいえ。私たちは何もしておりません。あの場を収めたのは、あなた様と、精霊王です。……驚かないところを見ると、すでにお聞きになりましたか」


「クリード。鎌をかけるのはおよしなさい。彼女が聞いていなかったらどうするつもりだったの? まあ、言い忘れた私も悪いけれど」



 部屋の扉が開き、フィーラたちの目の前にオリヴィアと黒髪の大男、そしてメリンダが現われた。


「オリヴィア様……」


「おはよう、フィーラちゃん。気分はどう?」


「ええ、上々ですわ。オリヴィア様」


「ふふ。それは良かったわ」


「伯母様……!」


「心配をかけたわね、サーシャ」


 サーシャがオリヴィアに駆け寄り抱き着く姿を、エルザが唖然として見つめている。


「エルザ、大丈夫?」


「ああ……うん。聞いてはいたけど、驚くよね。サーシャが精霊姫の姪だったなんて」


「そうね。わたくしもはじめて聞いたときは驚いたわ」


 自分を見つめる視線に気づいたのか、オリヴィアがエルザを見て微笑む。エルザはそこで我に返り、その場に跪いた。本来精霊姫は王よりも尊い存在とされているのだ。


「エルザ・クロフォードと申します。お目にかかれて光栄です、オリヴィア様」


「よろしく、エルザちゃん」


「オリヴィア様……どうやらエルの干渉が解けているようなのです」


「そうみたいね……。カナリヤに確認したけれどおそらくすべての干渉は解かれているわ。相手側に何かあったということかしら?」


「仲間割れとかでしょうか?」


「……わからないわね。私たちが同時に倒れたことと関係があるのかもしれないけれど、何か意図があるのかもしれないわ」


「本当に全員の干渉が解けたのでしょうか? 精霊王様が言うのだから確かだとは思うのですが……」


 それでも実際に目にするまでは信じられないのだ。


「それを確認する絶好の機会が用意されているぞ。お嬢さんに客人だ」


 ディランの言葉に、フィーラは首を傾げる。


「客人?」


「サミュエル殿下とフィーラ様の兄上様がお待ちです」


「お兄様とサミュエル殿下が?」


「フィーラ様は学園で倒れられましたので……」


――ああ、それは心配をかけてしまったわよね。


「フィーラちゃん。私も一緒に行くわ」


「オリヴィア様……よろしいのですか?」


「ここらで答え合わせをしましょうか。二人とも当事者でもあるのだしね」


――でも二人とも攻略対象だけれど……どこまで話すのかしら?


「オリヴィア様……二人にはどこまで話すのですか?」


「あなたのお兄さんはともかく、サミュエル殿下はおそらく知っているわ、フィーラちゃん」


「え?」


「幼い頃は、サミュエル殿下もよくこの大聖堂で見かけたもの」


――そういえば、サミュエルも幼い頃はよく大聖堂へ行っていたわよね。ティアベルトは大聖堂が建つ国だから、その結びつきは昔から強いはずだわ。もしかして……だからサミュエルはステラ様を気にかけていたのかしら?


「とりあえず、話してみましょう?」


「はい」


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