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前世を思い出したわがまま姫に精霊姫は荷が重い  作者: 星河雷雨


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第162話 反転した世界8



 どれだけ走ったのか、力尽きたステラは地面に膝を突く。勢いがついてしまったまめ、強く膝を打ち付けてしまった。砂利が膝にのめり込む感覚が、より一層ステラを打ちのめした。


「……痛……」


 ステラは自らを抱きしめるように背を丸め、声をあげて泣き出した。


「う……うう。……どうして……どうしてこんなことに」


 自分が今どのような状態にいるのか、それすらステラにはわからない。そして、そのことが何よりも恐ろしい。


 思い出せない前世の自分。ステラの傍からいなくなってしまった精霊。混乱する記憶。

 

 自分のことであるはずなのに、何一つステラの思い通りにならない。自分の心ひとつ、管理することができない。

 わかっているのは、今のステラのこの状態は、きっとリディアスによってもたらされたものだろうということだけ。


「う……ああ、あ」


 今泣いていることさえも一瞬先には忘れてしまうのではないかと思えば、気が狂った方がマシとさえ思う。



「どうしたの? ステラ様」



 泣き叫ぶステラの耳に届いたのは、柔らかく耳朶を打つ、甘い声。立てる音さえ優雅にステラに向かって歩いて来るのは、金茶色の髪を揺らしたリーディアだ。


「リーディア……」


 リーディアはいつも、縋りつきたくなるような優しさを含んだ美しい微笑みを浮かべている。

 いつも、いつも、同じ微笑みだ。


「どうして泣いているの? ステラ様」


「リーディア、私、自分のことがわからないの。自分だけじゃない……もう誰のことも信じられない……」


「私のことも?」


「……リーディア」


 デュ・リエール以来、仲良くなったリーディア。この学園ではじめてできた友人と呼べる存在だ。


「ねえ、ステラ様。あなたはこの世界のこと好き?」


 リーディアが小首をかしげる。まるで子どもがするような可愛らしいその仕草でさえも、リーディアの優雅さは失われない。


「……嫌い。こんな世界嫌い……大嫌い!」


 『姫騎士』は好きだ。だがこの世界は何一つ、ステラの思い通りにならない。この世界に生まれ変わったりしなければ、ステラは今、こんなにも苦しむことはなかった。


「どうして? あなたの望むように変えたのに。みんなフィーラのことを癇癪持ちの我儘娘だと思っているわ。今のフィーラは精霊姫候補には相応しくない」


「でも! 世界を変えたって、結局私は選ばれないじゃない!」


 違う。そうではないのだ。だがその気持ちも嘘ではない。嘘ではないが全てでもない。なのに、ステラの口から出てくる言葉は、ステラの表面的な想いしか掬い取ってはくれない。


「ではどうしましょうか? こうなった元凶は誰?」


「こうなった、元凶……?」


「そう。誰がいなければ、この世界はあなたに微笑むのかしら?」


 リーディアの美しい微笑みがステラの思考を奪っていく。煌めく瞳の群青色は、暮れかけた夕空のように不安と安らぎを同時にステラに与えた。


「誰……誰がいなければ……」


 誰がいなければ、ディランはステラを見てくれるのか。誰がいなければ、皆はステラを認めてくれるのか。誰がいなければ、ステラは精霊姫になれるのか。


「ほんの少し、世界を変えるだけでは駄目なのよ。決定的に変えないと。誰がいなくなれば、この世界は変えられる?」


「フィーラ……フィーラがいなければ……」


 白金色の髪に、青緑の瞳。類まれな美貌に浮かぶ、柔らかな微笑み。彼女がいなくなれば、きっとこの世界は変わる。しかしその後来る世界が、良いものか悪いものかの判断など、今のステラにはきっと出来てはいない。しかし……。


「そうね。彼女がいなければ、きっとあなたは精霊姫になれる。彼女と、それとあともう一人、彼女の味方をする現精霊姫がいなければ……」


 リーディアの甘やかな言葉に、ステラの些細な迷いなど太刀打ちできはしない。


「精霊、姫……?」


「そう。あなたの世界を壊そうとしているのは、フィーラだけじゃないわ。精霊姫が力を貸しているの。だから、あなたのこの世界は崩壊しようとしている」


「……どうすればいいの?」


 もう考えることがつらかった。考えれば考えるほど、己の過ちを突き付けられてしまう。ステラはリーディアの微笑みに縋った。


「簡単よ。フィーラと精霊姫をこの世界から消してしまえばいいの」


「殺すと言うこと……?」


 リーディアの口から出た言葉に、ステラは驚愕する。邪魔だとは思うけれど、さすがに殺したいとは思えない。そんなことを思ったことは一度もない。


「いいえ、違うわ。あなたはそんなことはしなくていい。二人にはちょっとの間この世界から消えていてもらえばいいのよ。あなたの世界が完成するまでの間ね」


「で、でも……ちょっとって……」

 

 リーディアの言うちょっとの間が一体どれほどの期間なのか、ステラはちゃんと聞かなければならない。しかしステラがその答えをリーディアの口から聞くことはなかった。



「ねえ? そうでしょう。精霊王様」






『……相変わらず、こざかしい娘だ』






 ステラの空色の瞳が光をなくし、その口から出た言葉に副音声のように男の声が重なる。それを聞いたリーディアの瞳が嬉しそうに輝いた。



「まあ、精霊王様ったら……。そんなつれないことをおっしゃるなら、あなたがフィーラに懸想していることを皆に教えてしまいますわよ?」


『……』


「それにしても……やはりステラ様は才能がおありだったのね。まあ、当然かしら? 正しい世界ではステラ様が精霊姫になるはずだったのだから」


 今や精霊王自身となっているステラの肩に手を置き、リーディアが興味深そうに、ステラの瞳を観察している。


 ステラの瞳は今、虹彩が虹色に輝いている。人間ではありえない色彩だ。


『……才能などはない。対価を払えば、誰であろうとわたしをその身に降ろすことは可能だ。わかっているだろう。その分この娘の身体は消耗している』


「まあ、それも仕方ありませんわ。この世界を望んだのはステラ様ですもの。なんの犠牲も払わず世界を思い通りにしようなど、それは甘い考えというもの」


『お前たちが望んだ世界でもあるだろう……。ならばお前たちも何らかの犠牲を払うことになるのではないか?』


「ふふ。そうですわね。そうかもしれませんわ。ですがそうなったとしても、わたくしは後悔しませんわ。神の真似事など、普通に生きていては成しえなかったことです。とても有意義な人生を送らせていただいておりますわ」


『そうか……。まあ、それもひとつの生き方だ。せいぜい楽しめ。わたしも最後まで付き合ってやろう』


「ええ。楽しませていただきます」


 リーディアはステラの瞳を見つめ、優雅に微笑んだ。



                    







「ディラン。こんなところで何をしているんだ?」


 己にかけられた馴染みのある声に、ディランが振り返る。


「カーティス……」


 振り返った先には思っていた通り、長年の付き合いである仲間が立っていた。カーティスはすでにオリヴィアによって記憶への干渉を解かれている。オリヴィアから説明されたこの世界のことも今では知っているはずだ。


「ステラ・マーチと会っていた。逃げられたけどな」


「ああ。あの子か。何かわかったか?」


 カーティスから聞いた入学当初のステラ・マーチは同じ学年のジルベルト・コアという学生に頻繁に会いにいっていたようだ。


 ジルベルト・コアはオリヴィアの話に出て来た人物だ。


 物語においてステラ・マーチと関係のある人間たちのことは、フィーラには聞かせたくないと言ったオリヴィアが、フィーラとサーシャの寝たあとに教えてくれた。

 みずから接触していたということはステラ自身この世界を物語通りに進めようとしていたということだろう。


 だが今、それをしようとしているのはステラだけではない。むしろ今のステラと入学当初のステラには人格にしても記憶にしてもかなりの隔たりがあるはずだ。


「やはり記憶への干渉を受けているな」


 一見するとそこまでの変化は見受けられないだろう。しかしテレンスでディランと会ったことまで忘れていたことで確信が持てた。


「自分が精霊姫にと推す子だろうに……記憶への干渉は精神に痕を残すんだろう?」


「未熟な者が行えばそうだな……」


 リディアスには確かに精霊士としての素質はあるし、本人も優秀だ。それでも正式に訓練を受けた者とそうでない者では相手に与える影響の差は大きい。普通の精霊ならまだしも、リディアスが使っているのは光の精霊だ。しかしそれだけではない。


「リディアス・テレンスは光の守護精霊のほかに、おそらく闇の精霊も持っているな」


「何だと? 王太子は精霊と契約していたのか?」


「正当な契約ではないな。俺たちと同じようなものだろう」


「俺たちと? どういうことだ?」


「俺たちの精霊は精霊王から賜っている。同じことを相手側の精霊王もしたんだろう。誰に何の精霊を与えているかまではわからないが」


「わからない? 王太子は仲間にも精霊が与えられていることを知らなかったのか?」


「多分、知っている。だが、読み切れなかった。正面からぶつけ合う場合、光とは相性が悪いからという理由もあるが、だから闇の精霊を持っているのだろうと思ったんだ」


「なるほどな……」


「他のやつらに動きはなかったのか?」


「ああ。リディアス・テレンスとマークス・フェスタ、ウォルク・マクラウドの三人に変わった様子はなかった」


「そうか……」


 相手側の行動はある程度は予測していた。


 真意はどうあれ、表向きにはステラ・マーチを精霊姫にすることが相手側の目的だ。ならば自分たち、ひいてはステラ・マーチの評判を落とすようなことはしないはずだとは思っていた。精霊姫選定の基準がわからない以上は、下手な行動もできないだろうと。


「……まあ、こんな不正をした時点ですでに目はないだろうけどな」


「なんだ? 選定のことか? まあな。わかっているのかいないのか、精霊には嘘もごまかしも通じない。俺たちの精霊だけじゃない。精霊はすべて繋がっている。その精霊たちの見たもの聞いたもの、すべて精霊王に伝わると言うことを考えなかったのか? あいつらは」


「相手側にも精霊王がついているからな。わかっていて強気になっているのかもしれない。それに……いくら精霊とて精霊王からの干渉を受ければ、記憶に異変をきたすこともあるからな。あるいはステラ・マーチが精霊姫になれるかどうかなど、本当はどうでもいいのかもな」


「どうなんだろうな。しかし、精霊王といえば、驚いたな。テッドもエリオットもジルベルトも、これまでのあのお嬢さんとの記憶を失くしているんだからな。テッドは学園入学以前のことは覚えているし、唯一エルザ・クロフォードだけは、記憶を失くしてはいるが、また友人になったようだが」


「エルザ・クロフォード……? ああ、あの精霊姫候補から聖騎士候補になった娘か」


「俺もオリヴィア様に干渉を解いてもらわなければ今頃はあいつらと一緒だったと言うことだな。まったく、記憶をいじられていては目の前の現実が虚構か真実かの判断すらつかない。厄介なものだな」


「……そうだな。あまり公に使用するべき力じゃない。……カーティス。俺はこのことをオリヴィアに報告するために一度大聖堂へと戻る」 


「わかった。団長によろしくな」


「ああ」


 ステラ・マーチにはすでに警戒されてしまった。フィーラとサーシャも無事やっているようだし、これ以上学園に残る必要はないだろう。


 カーティスにあとを託し、ディランは大聖堂へと戻った。


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