第16話 深夜の集い
フィーラの部屋にいたのは、実はフィーラとロイドだけではなかった。
気配を殺してはいたが、部屋の中にはフィーラ付きの侍女であるアン、ナラ、アルマが。さらに廊下にはロイドの侍従が、さすがにフィーラの私室には入れず控えていたが、ばっちり二人の会話を聞いていた。
くだんの四人は現在、それぞれの主人が私室に戻ったあと、夜更けに使用人用の食堂に集まっていた。
「お嬢さま……お労しい」
アンが目に涙をためて、呟く。アンは少々涙もろいところがあるのだ。
「まさか、フィーラお嬢様があんな扱いを受けていたとはな……」
ロイドの侍従であるクリスが、ため息とともに言葉を紡ぐ。
「お嬢様の以前のあの癇癪……普段からあのようなことを言われていたのだとしたら、致し方ないのかも知れないわね」
アルマが以前のフィーラの行動を冷静に分析する。
「……お嬢様の御髪をぼやけた色などと言った者も、瞳をトガ蛇の鱗の色などと言った者も、その発言がロイド様やゲオルグ様に知れたらどうなるか、ちゃんと分かって言っていたのかしら。馬鹿なのかしら」
一見冷静そうに見えるナラは、ロイド同様笑顔だが、目が笑っていない。
「分かってはいただろうな。だが、お嬢様のお言葉からすると、どうも他の者もそれに便乗していたらしい。どうやらお嬢様がロイド様やゲオルグ様に言いつけたことがないからと、調子に乗っていたんだろう。もし知っていたら、あのお二人が放っておく筈がないからな」
忌々し気にクリスが息を吐く。フィーラをコケにすることは、公爵家をコケにすることと同義だ。そうでなくとも、ゲオルグもロイドもフィーラを可愛がっている。黙っているとは思えない。
「どうするの? ゲオルグ様にご報告する?」
アルマがクリスに確認をとる。アルマが直接ゲオルグに進言することは出来ないが、ロイドの侍従であるクリスならば、ゲオルグと直接話をすることができるからだ。
ゲオルグは公爵という立場の人間にしては気安いほうだが、それでも侍女がほいほい話かけて良い相手ではない。
「いや、ロイド様がお知りになったんだ。ロイド様にお任せしよう。それに、お嬢様ももう気にしていないとおっしゃっていたしな」
「そんなの! いくらお嬢様が気にしていないと言っても、許せませんよ。お嬢様がどれだけ傷ついてきたか……」
アンは今まで耐えてきたであろうフィーラを想い唇を噛んだ。自分でも不思議だったが、この数週間で、すっかりフィーラびいきになってしまっていたのだ。
「ロイド様が知ったのなら、大丈夫じゃないかしら。ロイド様はあと一年はお嬢様と同じ学園に通われるんだもの。その間にきっと奴等に鉄槌を下してくださるわ」
ふふふ、と笑うナラの背後に黒い何かが見えたような気がして、三人はごくりと唾を飲み込む。
「ま、まあ……ゲオルグ様のお耳に入れないのなら、このこともこの四人の間だけの話にしておこう」
眼鏡の縁を指で押し上げ、クリスが話を締めくくった。
筈だったのだが……。
四人の話を影で聞いていた人物がいた。料理人のマルクだ。
食堂と続いている料理室で朝食の下準備をしていたマルクは、急遽食堂を貸してほしいとやってきた四人の顔ぶれを見て、首を傾げた。
アン、ナラ、アルマが一緒にいるところはよく見るが、そこにクリスが加わるのは珍しい。なんとはなしに、普段よりも静かに、なるべく音を立てずに下準備をしていたマルクは、四人の会話の中からフィーラの名を聞き取り、こっそりと食堂の近くへと移動した。 そこで四人の話を聞いてしまったのだ。
フィーラを崇拝しているといっても過言ではないマルクは、四人の「ゲオルグには言わない」という結論には一応納得はしたが、「ここだけの話」には納得がいかなかった。
だから、つい声を出してしまったのだ。
「納得いかん!」
と。
「マルクさん……聞いていたんですか」
クリスが呆れたように、突然姿を現した髭面の大男を見る。
「すまんっ! だがお嬢様のお名前を聞いたら居ても立っても居られず……」
「まあ……しょうがないですね。マルクさんは以前からお嬢様のことを慕ってらっしゃいましたし」
「おお、そうだ! お嬢様は素晴らしい! わずかな味の変化を感じ取る繊細な味覚! かすかな匂いも嗅ぎ分ける鋭い嗅覚! 的確な注意と指示を次々と繰り出すその様は、まるで歴戦の猛者のようだ!」
「猛者ってなんですか、それは自分でしょ? 鬱陶しいですね」
ナラが小声でつぶやくが、マルクにはまったく聞こえていない。
「そんなお嬢様が苦しんでおられたと言うのに、俺は何も知らなかった……」
しょぼんと、大きな身体を小さくして落ち込むマルクに、四人は何も言えなかった。それは自分達も同じだったからだ。
「だから……だから、せめてほかの使用人たちには言ってもいいんじゃないか⁉」
「ですが、ほかの使用人たちに言ってしまえば、すぐにゲオルグ様の耳にも入りますよ?」
マルクの気持ちは分かるが、人の口に戸は立てられないのだ。それが、どれだけ優秀な使用人たちだとしても。それに、目的は以前のフィーラの悪い印象を払拭することなのだ。話が広まらなくては、話す意味がない。
「それなんだがな……ゲオルグ様は、本当に知らないんだろうか?」
「えっ?」
「だって、あのゲオルグ様だぞ。ティアベルト王国の頭脳と呼ばれるお方で、次期宰相と目されているお方だぞ。知らないわけがないと思わないか」
「……そう言われてみれば、そうですね」
ゲオルグの情報収集能力は高い。屋敷の使用人や護衛団とは別に、子飼いの諜報屋ぐらいは確実にいるだろう。あるいは使用人の誰かが、その役割を担っているのかもしれない。
「きっとご存じだ。だが、フィーラ様が何も言わないのならゲオルグ様だって動かないさ。あのお二人は一本筋が通っているところなどがそっくりだ」
「……はあ、マルクさんが言うんじゃあ、そうなんでしょうね。お嬢様だけではなく、ゲオルグ様のことも幼少期から知っていらっしゃるんですから」
ゲオルグより十歳以上年上のマルクは、まだ幼い頃のゲオルグにせがまれ、遊び相手を務めていた時期もあるくらい、公爵家の者に信頼されている。
マルクは平民出身だったが、子どもの頃に前当主に拾われて以来、ずっとメルディア家の料理人として働いてきた。見習いから始め、今では料理長の地位にまで上り詰めたマルクは、郷里の田舎町では一番の出世頭だ。
前公爵が地方の領地に隠遁する際には自分も着いていくと息巻いていたようだが、前公爵に息子と孫たちを頼むと言い含められ、しぶしぶ王都に残ったらしい。
マルクはこの中の誰よりも、否、公爵家の誰よりもゲオルグのことを知っていると言っても過言ではない。
そのマルクが言うのだから、恐らくゲオルグは知っていると見てもいいだろう。
「それなら、何も心配はいりませんね」
「そうね。なるべく多くの使用人たちに、お嬢様のことを知っていただきましょう」
「そうですね! お嬢様は本当に変わられたと思います。きっと辛いことを乗り越えて、ご成長なさったんだわ」
「これでお嬢様を愚弄した馬鹿者共のことも、使用人たちの情報網であぶり出せるかも知れませんしね」
笑顔で不吉なことを言うナラに、クリスが一応くぎを刺しておく。
「……ナラ。冗談だとは思うけれど、滅多なことはするなよ」
「もちろんですよ。使用人に出来ることなんて限られていますからね。……わたしのはただの憂さ晴らしの妄想ですよ」
「そうか……しかし、君たちが意外とお嬢様のことを慕っていたので驚いたよ。……マルクさんは別として」
フィーラの癇癪と我儘は、メルディア家の使用人の間では有名だった。フィーラ付きの侍女たちなどは、相当な目に合わされているのかと思っていたのだが。
「ああ、そうね。確かにお嬢様は癇癪持ちの我儘だったけれど、何というか、陰険な感じは全くなかったからかしら」
「そうですね。滅茶苦茶なことを言う時もあったけど、出来ないものは出来ないと断り続ければ、最後には悪態をついてどこかへ行ってしまうし」
「お嬢様は癇癪を起こしても、使用人に手をあげられたことは一度だってありませんでしたよ。まるで大きな子どもを相手にしているようでしたから……お嬢様にこれまでのことを謝られた時は、つい泣いちゃいました。立派にご成長なさって、って」
「……そうか。俺はあまり接点がなかったし、お嬢様もロイド様の前では多少は大人しかったしな。世間で言われているほどではないと言うことか」
「世間で言われているって……もしかして学園でも噂になっているの?」
「……ああ。すでにロイド様のお耳にも入っているよ」
鋭いアルマの問いに、しぶしぶといった体でクリスが答える。今の彼女たちに聞かせたら、きっと怒るだろうことはすでに分かっていたからだ。
「どんな噂?」
「……メルディア家の御令嬢は、精霊姫の候補を外された癇癪持ちの我儘姫」
彼女たちの追求からは逃げ切れないと分かっていたので、クリスは正直に答えた。抗議の声を想定していたクリスだったが……。
「ああ……まあ、間違ってはいないですね」
「そうね」
「ですね」
「そうか? フィーラ様ははっきりとご意見を口に出すだけだろう?」
予想に反し、彼女たちはうんうんと頷き、噂を肯定した。異を唱えたのはマルクだけだ。
「……ロイド様とマルクさんの見解が同じことにちょっと複雑な気持ちもあるが……、お二人の方が正解なのかも知れないな」
クリスは、変わる以前のフィーラとはあまり接点がなかった。クリスは常にロイドとともにいたし、ロイドに対してはフィーラの癇癪も、鳴りを潜めていたからだ。ロイドが学園に入学してからは特に。
学園には側仕えや護衛を連れていけないため、クリスは一学生として学園に入学し、ロイドの傍にいる。ロイド同様、フィーラに会うのは、一年に数回しかない。
だが、昨日会ったフィーラは、どこからどうみても癇癪持ちの我儘姫などではなかった。
穏やかな口調に柔らかな表情は、微笑みの貴公子の異名をとるロイドと重なった。今の二人は、ちゃんと兄妹に見える。
以前は二人が持つ色彩の違いに加え、あまりにも異なる印象から兄妹には到底見えなかったものだ。
「せっかくお嬢様が変わられたんだ。俺たちも何か少しでも応援出来ればいいな」
クリスの言葉に、今度こそ全員が頷いた。




