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前世を思い出したわがまま姫に精霊姫は荷が重い  作者: 星河雷雨


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第157話 反転した世界3



「はい。じゃあ、今日の授業はこれで終わり。次は来週だね。ちゃんと予習をしてくるように。特にステラ・マーチ」


 マークスに名指しで暗にもっと勉強をするようにと言われたステラは「はいっ!」と元気に返事をしてから恥ずかしそうに顔を赤らめて下を向いた。


――とても昨日啖呵を切った人には見えないわ……。


 ステラは当初から現在に至るまで、まるで二重人格ではないかと言うくらいにころころとフィーラに対する言動が変わっている。昨日のステラなど、フィーラの知るステラとはすでに別人と言ってもいい。


――不安定……なのかもしれないわ。


 前世とは違う世界に生まれたというだけでもなかなかの衝撃があるだろうに、ここがゲームの中の世界などと知っていたら本人が自覚しなくとも相当なストレスがかかっていた可能性はある。


 ストレスは特別嫌な経験をしなくとも緊張する場面や興奮する場面に出会ったときでもかかるものだ。

 外部からの刺激はそれが良いものであれ悪いものであれ緊張状態を負荷として身体にもたらす。それが緊張を楽しめる程度のものならば問題はないだろう。けれど今のステラの置かれた状態は、それを超えているのではないのだろうか。


 オリヴィアから聞いたこの世界の成り立ち。それでもフィーラは昨日までこの世界の元となっている世界がゲームだということを、あまり意識しては来なかった。しかしステラの言葉を聞いて、遅まきながらようやく実感がわいてきたのだ。


 攻略対象はすべて自分のものだと言っていたステラ。はたしてステラは本当にそんなことを思っているのだろうか。

 これまでステラがロイドやジークフリート、クレメンスなどに接触している姿を、フィーラは目撃していないし、本人たちの口からもきいていない。


――あ……でも。クレメンスとカディナ様がよく話すことをわたくし知らなかったもの。もしかしたら休憩時間や放課後に接触していたのかも。


 ステラが攻略対象と話すことは別に問題ない。それはフィーラがどうこういうべきことではない。しかしステラが攻略対象、あるいはゲームの中のキャラクターとして相手を見てしまうことにストレスを抱えていた可能性はあるとフィーラは思っている。


 フィーラはここまでそれを知らずに来られたからまだ良かった。だがもし、フィーラがこの世界がゲームの中の世界であると知っていて、なおかつ兄であるロイドが攻略対象だと知っていたら、今のような関係を築けてはいなかったかもしれない。


 ステラにしても、相手のことを攻略対象とみてしまうことで相手と深く関わることを無意識に避けてしまう可能性もあっただろう。もちろんすべてフィーラの推測でしかないのだが。




 授業を受けているときのまま前を向いて呆けていたせいか、ふいに教壇から離れ扉へと向かうマークスとフィーラの視線が合った。マークスは一瞬だけわずかに目を大きくしたが、すぐさまフィーラに向かって微笑んだ。蕩けるように細められた黒い瞳はトーランドと同じで、やはりフィーラにとってはなじみ深い。


――マークス先生……。悪い人には見えないのだけど……。


 特別クラスに入った当初、フィーラは本当に特別クラスにいても良いのかと、マークスに相談に乗ってもらっていたのだ。

 嫌な顔ひとつせずにフィーラの話を聞いてくれたマークスは普通に生徒想いの良い先生に思えた。すくなくともフィーラはそう感じた。今ではフィーラのお気に入りの場所となった中庭を教えてくれたのもマークスだったのだ。


 マークスはすぐにフィーラから視線を外し、そのまま教室の外へと出て行った。


――……マークス先生やステラ様と話したほうが良いのかしら……? でも、何を話したらいいのかわからないわ。


 マークスもステラも、そしてリディアスも。本当に世界を自分の思い通りに変えようなどと思っているのだろうか。一度話をしただけのウォルクは食えない人物だと思ったが、それでもやはり悪人には思えなかった。


――悪人ではないのかもしれないわ……。自分の望む世界を手に入れたいという気持ちは、誰にでもあるわ。


 フィーラとて、癇癪持ちで我儘と言われている自分を変えたいと思った。それはそんな自分を恥ずかしいと、嫌だと思ったからだ。そしてそれは結局、周囲の評価を変えたいと思うことと同じではないだろうか。フィーラだって自分を取り巻く環境を、世界を変えたかったのだ。


 そして世界は今また以前の世界に戻ろうとしている。そしてフィーラはその世界を良しとせず、さらに反転させようとしている。以前も今もフィーラの望みはきっとステラたちと同じだ。自分が心地よく過ごせる、思う通りの世界を生きたいだけ。


「どうしたのフィーラ?」


 考え事をしていたため、フィーラはサーシャが来たことに気づかなかった。


「いえ……大丈夫よ。ちょっとぼうっとしてしまったわ」


 鼓動が速まる心臓を押さえ、フィーラは一度大きく深呼吸をして心を落ち着けた。


――……やめましょう。自分のことさえ世話できないのに、ステラ様のことまでわたくしの手に負えるとは思えないわ。


「そう? なら良いけど……」


 サーシャは一応納得してくれたようだが、眉根が少々寄っている。


 今日のサーシャはなぜか朝からフィーラを寮へと迎えに来るし、休み時間ごとにこうやって席にやってきては次の授業までの間、ずっとフィーラのそばを離れない。


 責任感のある子なのだろうとは思っていたが、そこまで心配してもらうのは嬉しいと思う反面、少々申し訳なさが先にたってしまう。


「大丈夫よ。サーシャ。そんなに心配しなくても」


「……わかっているんだけど」


「次の授業が始まるわよ、サーシャ」


「ああ、そうね……。じゃ、また授業が終わったらね」

 

 サーシャが去ってから、フィーラは気合を入れ直すために意識的に背筋を伸ばして姿勢を正す。マークスの精霊学のあとは貴族としての一般教養の授業だ。

 すでにほとんど学習し終えている教科だったが、フィーラは余計なことを考えないよう、いつもより真剣に授業を聞いた。








                  



 本日最後の授業である一般教養の授業終了後、帰り支度をすませたフィーラがサーシャの席を見ると、サーシャは教師と何やら話し込んでいた。


 フィーラがしばらくその様子を見ていると、サーシャがその教師に頭を下げた。そしてそそくさと逃げるようにフィーラの元へとやってきた。


「お待たせ、フィーラ」


「サーシャ。もしかして、タウゼント先生に手伝いを頼まれたのではない?」


 サーシャが来るなりフィーラが発した言葉に、サーシャが目を見開く。教師とやけに長く話をしているなとは思っていたが、きっと手伝いか何かを頼まれたのだろう。


 仲良くなる以前も、フィーラはサーシャがよくこの教師の仕事を手伝っているところを見ていた。今まで快く引き受けていたものを急に断ったら、双方にとってあまり思わしくない結果になりかねない。



 一般教養を受け持つタニア・タウゼントは少々神経質気味なところがある。そして教師としてはあまり褒められたことではないが、高位貴族の令嬢令息を嫌っていた。その理由は明確で、高位貴族の令嬢令息はとかく一般教養を軽視しがちだからだ。


 一般教養は高位貴族においてはすでに各家庭で身に着けているものであるため、授業をろくに聞いていない生徒も少なからず存在するのだ。

 

 フィーラも気を付けてはいるが、やはり平民や家庭教師を雇えない低位の貴族とは授業に対する態度が異なるのだろう。タニアには特別嫌われてはいないだろうが、好かれてもいない。


「……ええ、ちょっと。……でも時間がかかりそうだから断ったわ」


「わたくしのことは気にしないでサーシャ。子どもじゃないんだもの。それにここは学園よ?」


「でも、あなたを一人にするのは心配だわ……」


 やはり今日のサーシャにはかなり慎重になっているらしい。フィーラは一瞬、自分もサーシャと一緒にタニアの手伝いをしようかと思ったが、学園ではサーシャがついていてくれるが、寮へと戻ればフィーラは一人なのだ。

 フィーラにしても昨日のステラとのことがあったため、多少心配ではあるが、それを言っていては一人では何もできなくなってしまう。


「大丈夫よ。実際に狙われているというわけではないもの。あっても多少口で何か言われるくらいだわ。それにいつ干渉が解けるかわからないのだもの、わたくしも今の状況に慣れなくてはいけないわ」


「それだって心配だわ……」


「ありがとう、サーシャ。でも恐れてばかりいても事態は好転しないわ。それにいざというときのために、わたくしには護りがついているのでしょう?」


 なおも言い募るフィーラに、サーシャようやく観念した。


「……じゃあ、何かあったら周りの人を呼ぶのよ。女性の助けを無視するような愚か者は、さすがにこの学園にはいないと信じているわ」


「大げさね」


 あまりにもサーシャが心配そうに言うので、ついフィーラは笑ってしまった。それにさすがに人を呼ぶような事態になることはないだろう。

 

 これまで何度か学園内でステラやリディアスと顔を合わせているし、マークスの授業もすでに受けている。しかし特にこれといって変わったことは起きなかったのだ。


――でも、考えてみればそれはそうよね。もし騒ぎ立てでもすれば、おかしいと思われるのは向こうだもの。


「門限前には寮へ戻るわ。わたくしのことは気にしないで」


 将来大聖堂つきの精霊士になりたいと言っていたサーシャだ。学業にも身を入れなくてはならない。今この世界が変わっていることは、他の人間には認知できていないのだ。

 もとよりサーシャはフィーラの事情に巻き込まれているだけなのだ。フィーラを護ろうとするあまり、サーシャの勉学が滞ることは避けたかった。


「……わかった。じゃあ、行ってくるから」


「ええ。いってらっしゃい」


 何度も後ろを振り返るサーシャを見送り、フィーラは一人中庭へと向かった。


 本当は寮へと戻るのが一番安心なのかもしれないが、またステラに会う可能性があることを考えれば、自然と避けてしまう。その点、いつも行く中庭は人気は少ないが、だからこそ避けなければならない人物に会う可能性も低い。


――会うとすれば騎士科の方たち……エルに会えたらいいけれど。


 だが今は授業終了後なので、騎士科の生徒もあまりいないはず。万が一テッドやエリオット、ジルベルトに会ったとしても、サーシャが心配するような事態にはならないだろう。


 テッドもジルベルトもいくら悪い噂のある令嬢といえども、それだけで何かを言うような人間ではない。


――ああ、でも……エリオット様はわからないかしら? 話せばわかる人だけれど、最初の印象があまり良くなかったものね。


 それでも友人として付き合っていくうちに、エリオットは正義感が強くまっすぐ過ぎるほどにまっすぐな性格をしていることはわかったのだ。

 もし噂のためにフィーラを誤解していたとしても、ちゃんと真摯に向き合えば、その気持ちには応えてくれる人だ。


 フィーラは普段座るベンチを通り越し、さらに人気のない奥へと進んだ。精霊祭の前に見つけたのだが、とても静かで、美しい野の花が咲いている場所があるのだ。


――この季節に咲く花は珍しいし、その花シロツメクサに似ているのよね。その花を見ていると何だかとても懐かしくなるのよ。


 木々の間を通り抜けると開けた場所に出た。雑草の合間に点々と咲く白い花が、前世、仕事の昼休みの休憩時、時々息抜きに行っていた小さな公園を思い起こさせた。

 

 公園と言っても本当に素朴な、行政の持っている空き地を公園と銘打っていただけの遊具もなにもない場所だったが、ベンチだけは置いてあった。そこで前世のフィーラはお弁当を食べていたのだ。


――だからかしら? わたくしがこの中庭を好きなのって……。


 フィーラが前世の記憶を思い出す時は、よく映像として記憶が頭の中に浮かんでくる。一瞬の場面を切り取ったものが多いので、その前後に何があったかなどの細かなことはあまり覚えていない。

 ただその場面にともなう感情などは意外とよく覚えていたりする。公園で一人ベンチに座るフィーラは、とても幸せな気持ちでお弁当を頬張っていた。


 フィーラは制服のポケットからハンカチを取り出して地面に広げ、その上に腰を降ろす。


――地面に直接座っているところなんて誰かに見られたら、大変よね。騎士科の生徒が座っているところなら何度か見たことがあるけれど、女性がそれをしているところは見たことがないわ。


 フィーラは膝を抱え、空を仰ぎ見る。この世界の空は、前世の空とまったく同じだ。深い空色はむしろ前世よりも空気が澄んでいることを示しているのかもしれない。


――わたくしはこれからどうなるのかしら? 本当にわたくしが精霊姫になるの? いえ、それはすでに決まっていることだけれど、わたくしに務まるのかしら?


 サーシャは周りの手を借りろというが、それだけで良いというわけではない。


 自分が精霊姫になるのだと聞いても、動揺したのは最初のうちだけだ。自分で思っていたよりも動揺も恐縮もしていないことをなぜだろうと考えたが、きっとまだ実感が湧かないのだろうという結論に至った。


 まるで夢の中にいるような、とてもふわふわとした覚束ない心地なのだ。


――大丈夫なのかしら? わたくし……。


 フィーラは大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐き出しだ。もうじき冬の季節が始まる。肺を満たす空気はすでに冷たい。


――体育座り、疲れたわ。もう寝転んでしまってもいいかしら? いいわよね。地面に座っている段階でもう淑女の面目なんて丸つぶれだし……。


 フィーラは一度後ろを振り返り、何もないことを確認してからゆっくりと身体を横たえた。一瞬遅れて花の香りがふわりと鼻腔に届く。


――甘い香り……。蜂蜜のような、純粋な甘さね。


 フィーラの目の前に広がるのはただ広い空のみ。しばらく空を眺めていたフィーラは、そのまま目を瞑った。空気は冷たいが、陽の光が肌にあたるととても心地が良い。


――このまま眠ってしまいそうだわ。それはさすがに、まずいわね……。


 図書館で机につっぷして眠る方がまだましだろう。


 それでも心地よさにあらがえずうとうとしていたフィーラの顔に、突然影が差した。



「おい! 大丈夫か⁉」



 どこかで聞いたことがあるような、しかし聞きなれない美しい響きを持つ声に、フィーラは一瞬で意識が覚醒し飛び起き、


「……ぐっ!」


「痛っった……!」


 そして覗き込んでいた相手とぶつかった。


 相手は顔を抑え、うずくまっている。


「申し訳ありません!」


 フィーラはおでこをぶつけただけだが、相手は恐らく鼻か口をぶつけている。もしかしたら鼻血がでている可能性もあった。


「あの……大丈夫ですか⁉ 鼻血などは出ておりませんか⁉」


 フィーラは慌てるあまり、その人物の頬に手を伸ばしていた。しかし、その手は頬に触れる前に当の本人に掴まれる。

 顔を覆っていた手が離れたことで、その人物の顔がはっきりとわかった。


――ハリス殿下……。どうしてここに。


 この庭園ではあまり騎士科の生徒以外の姿を見かけることはない。しかも王族であるハリスとこの庭園で会うことなどまったく想定していなかった。


「……鼻血は出ていない。それより、お前。こんな人気のないところで何をしているんだ。誰かに襲われて倒れているかと思っただろう」


「なるほど……そう思われる可能性は考えませんでした」


 淑女らしくない行為だとばかり思っていたが、倒れていると思われる可能性もあったのだ。


――でもまさか人が来るとは思っていなかったのだもの。


 この場所は人気のない庭園の中でもさらに人気がない。


「まさか、ただ寝転んでいただけなのか? 淑女のすることじゃないな」


「……すみません。あの……ハリス殿下は何故ここに?」


「お前を探していた」


「え? わたくしを?」


「ああ。お前がよくこの中庭にいることは把握していたからな」


「? 何故わたくしを?」


「クレメンス・ダートリーに紹介してほしい」


「クレメンスに?」


「そうだ」


――わたくしを介さずとも、直接お声をかければよろしいのに……。


「……えっと。紹介するのは構いませんが、一体クレメンスに何の御用でしょう?」


「お前に言う必要があるのか?」


 ハリスの菫色の瞳がすがめられる。人に命令しなれているだけに、きっとその命令に疑問を呈されるとは思わなかったのだろう。


「ありますわ。相手の目的もわからないまま友人を紹介するわけにはまいりません。ましてやハリス殿下は王族です。クレメンスが断れないようなことを願い出ないとはいえませんでしょう? もちろん、私的なことで、詳細を他人には知られたくないと言うことでしたら詳しくは聞きませんわ。ただ友人を紹介するに足る安心材料が欲しいのです」


「ふん。なるほどな。王族相手に言うじゃないか。安心しろ、クレメンス・ダートリーが不利になるようなことではない」


「そうは言いましても……」


 それはハリスが言っているだけで本当にクレメンスにとって不利になるようなことではないとは判断できない。


「話したとして、ダートリーにとって不利となるか利益となるか、お前に判断が出来るのか?」


「……そう言われますと、その通りですが」


「心配ならダートリーと話をする際、お前も一緒にいればいい」


「わたくしがいてもよろしいのですか?」


「友人が心配なのだろう? 聞かれて困ることでもないからな」


 ハリスがフィーラを見据えにやりと笑う。


「ではさっそく行こう」


 そういうとハリスは掴んだままだったフィーラの手を握り直し、立ち上がらせた。


「今からですか⁉」


 フィーラは地面に敷いていたハンカチをさっと握り締める。


「逃げられるかもしれないからな」


――それはクレメンスに? それともわたくしに? どちらにしろ性急な方ね。


「さあ、行こう」


 どんどんと歩き出すハリスの後ろを、フィーラは慌てふためきながらついていった



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