第154話 後夜祭
本祭の次の日は、後夜祭が行われる。
本祭が終わると皆一旦は自分の家や宿へと戻るのだが、フィーラは屋敷には戻らなかった。せめて後夜祭が終わるまでは大聖堂にいたほうがいいだろうと、皆の意見が一致したためだ。家への連絡は干渉の解けたヘンドリックスが手配をしてくれた。
祈りの後またしばらくオリヴィアたちと話し合いをしていたフィーラは、話し合いが終わると、そのまま大聖堂内にある客室にサーシャと一緒に泊まった。
昼すぎまで寝たフィーラとサーシャは、後夜祭の始まる夜までオリヴィアと一緒に過ごし、現在は後夜祭へと出るために大聖堂の庭へとやってきていた。精霊姫候補は後夜祭の舞踏会に参加する義務があるのだ。
「サーシャは出ないの?」
フィーラは大聖堂の目の前の敷地に大きな円をつくって踊る人々を見つめる。今は夜だということもあるが、集まった者たちのほとんどが大人で、子どもはちらほらとその円の周りをうろついているくらいだ。
「私踊るのって好きじゃないの」
どこか不貞腐れたような表情でサーシャがそっぽを向く。
「ああ……踊るのは苦手なんだったか?」
ディランの言葉にサーシャが眉を顰めた。美しく踊るのは淑女の嗜みの一つとされている。
「違うわよ! 好きじゃないだけよ! 私はちょっと精霊教会へ行ってくるわ。舞踏会が一旦終わる頃戻ってくるから!」
そういうとサーシャはディランとフィーラ二人を残して行ってしまった。
――サーシャ、やっぱり身体を動かすのが苦手なのね……。
「お嬢さんはどうする?」
後夜祭は、前夜祭と本祭の労いの意味を込めて大舞踏会が開かれるのだ。そして男女入り混じって踊るこの舞踏会は、貴族平民を問わずに踊ることが出来るまたとない機会だ。
精霊の前では、貴族も平民もない。その精霊を讃える精霊祭にあっては、舞踏会もまた貴族平民の隔てはない。
「踊る約束をしている方がいたのですが……」
――今のエルはあの約束、覚えているのかしら?
エルザとは精霊祭前に後夜祭で踊ると約束をしたが、記憶に干渉を受けているであろう今となっては、約束自体を覚えていない可能性が高い。
舞踏会とは言っているが、実際はパーティで踊るような種類の踊りではない。人々が広場で大きな二重の輪を描き、その二つの輪は互いに逆向きに進み相手を入れ替えて踊り続ける。この舞踏会はいわば前世のオクラホマミクサーのようなものだ。
――どうしましょう……ものすごく輪の中に入りづらいわ。もし誰とも踊ってもらえなかったら悲しいどころじゃないもの。でもエルとの約束……もしエルが覚えていたら……。
フィーラは輪の中には入らずに、少し離れた位置で踊る人々を眺めていた。もしエルザがこの輪の中に入っているのなら、一周するまでには見つけられるはずだ。
そのときもしエルザがフィーラに気づいてくれたら、その反応から約束を覚えているかどうかがわかる。
次々に人々が入れ替わる中、長い黒髪の聖騎士候補の服を着たエルザが現われた。エルザは消炭色の髪の白い衣装を着た少女と踊っている。
――あれは……アリシア様ね。
二人が踊る姿をフィーラは見つめる。すると視線を感じたのかエルザがふと顔をあげフィーラに視線を寄こした。しかしエルザの表情にはフィーラに対する何の親しみも感じられない。エルザはそのまますぐ何事もなかったかのように視線をアリシアへと戻してしまった。
――今、確かに目が合ったわよね……。やっぱり覚えていないのね。
わかっていたことだが、なかなか堪える。フィーラがぼうっとエルザの姿を追っていると、輪の中に次々と見知った人たちが現われた。
――エリオットに、テッド……それに、ジルベルト。
三人はそれぞれ少し離れた位置で踊っている。ターンの時にはちょうどフィーラの姿が目に入るはずだが、テッドが僅かに目を瞠った以外、エリオットもジルベルトも、フィーラに対し何の反応も示さなかった。
――テッドは……覚えている訳じゃないかもしれないわ。もともとわたくしの護衛としてわたくしのことを知っていたから……。というか記憶への干渉って、どこまでさかのぼっているのかしら?
もしかしたらテッドの今の反応も、ただ精霊姫候補を見たことへの反応かもしれない。もしかなり以前まで記憶への干渉が及んでいるとしたら、ロイドやゲオルグまでフィーラのことを忘れている可能性はないだろうか。そう考えると二人に会うことが途端に怖くなる。
――今日は家に連絡を入れてもらって良かったわ。もし家に帰ってお兄様やお父様やみんなに忘れられていたら、きっと立ち直れないもの……。
「知り合いだろ? 行かなくていいのか?」
後ろからかけられたディランの声にはっとして、フィーラは思考に没頭していた意識を取り戻す。
「……出ない方が良いわ。輪の中に入ったら相手が断りづらくなってしまうもの」
「断るって、お嬢さんを?」
「……わたくし元から人気がないうえに、今はさらに精霊王による影響があるのだもの。絶対踊るのを嫌がられてしまうわ」
「……本気で言ってるのか?」
「……だってわたくし、パーティで声をかけられたことなどないもの」
フィーラが出たことのあるパーティはまだ少ない。だが、デュ・リエールのときも、ゴールディ家のパーティのときも、誰もフィーラに踊りの申し込みはしなかった。
不貞腐れた表情のフィーラを見て、眼を瞠ったあと、ディランが笑った。
「……笑い事じゃないわ」
「ああ、ごめん。では、俺と踊ろうか」
「ディラン様と……? でも聖騎士は舞踏会に出られないのではなかったかしら?」
「出られないわけじゃない。出ないだけだ」
「そうなのですか?」
毎年精霊祭には出席していたが、これまで聖騎士の制服を着た人間を見た記憶がなかったから、てっきり聖騎士は職務を優先するため、出られないのかと思っていた。
「まあ、推奨はされていないが禁止されているわけでもない。約束した相手とも、今日はもう踊らないんだろ?」
そういうとディランはフィーラに手を差し出す。フィーラは少しの間躊躇したあと、その手に自分の手を重ねた。
父とも兄とも、サミュエルとも、ジークフリートとも違う、大きく骨ばった手。重ねた自分の手がひどく頼りなく映る。
フィーラたちは輪から外れた位置で踊り始めた。
周囲には同じように輪に入らずに踊っている者たちがいる。そのほとんどが恋人や夫婦だ。二重の輪は相手を次々と変えて踊るためのもの。決まった相手がいる者たちは、あえて輪の中に入らず、自分たちだけの世界に浸っているのだ。
――……ちょっと恥ずかしいわ。なんだか見られているような感じもするし。
気のせいか周囲の視線がフィーラたちに集まっているように感じるのだ。
最初は自分が自意識過剰なせいだと思っていたフィーラだったが、やがて自分が精霊姫候補の証である白いドレスを着ており、自分が踊っている相手が聖騎士であることに思い至った。
「……ああ!」
「何だ……。驚いたな……」
突然声をあげたフィーラに、ディランがわずかに目を大きくする。
「……あの。わたくしたち、もしかしてすごく目立っているのでは?」
「ああ……。まあそうだな。君は精霊姫候補だし、俺は聖騎士だからな」
昨日に引き続き、今日の精霊姫候補たちは昨日とはまた形の異なる白いドレスを着ている。今日白いドレスを着ているのはほとんどが精霊姫候補たちだけなので、目立ってしまっているのだろう。
「どうしましょう……。わたくしと踊っているところなど見られたら、あなたの評判が悪くなってしまうかもしれないわ」
「……そんなに評判が悪かったのか? 以前の君は」
「う……。ど、どうかしら? そこまでではなかったと思いたいけれど」
「信じられないんだよな、それ。何か行き違いでもあったんじゃないのか?」
「……どうでしょうか」
「……そういえば、オリヴィアも若い頃は大層なじゃじゃ馬だったと言っていたな。それは何となく想像ができるが」
「オリヴィア様が……。あんなに上品な方なのに」
「上品というか……取り繕うのが上手いというか」
「でも……オリヴィア様にもそんな時期があったのだと思うと随分と勇気づけられますわ」
お転婆なオリヴィアの姿を想像して、フィーラは口元を緩めた。
「……どうする? もう少し踊るか?」
そろそろ曲が終わりに近づいている。舞踏会は何度かの小休止を挟み、明け方近くまで踊られる。サーシャは一旦終わる頃に戻ると言っていたから、あと三十分くらいは戻ってこないだろう。
輪に加わらずその場で踊っているフィーラはあまり体力も消耗していない。それに繋いだ手と、触れ合うほどに近くにあるディランの気配が心地よく、もうしばらくこのままでいたいという思いもあった。
「……サーシャが戻ってくるまで、よろしいかしら?」
「ああ」
同じ動作を何度も繰り返すだけの単調なこの踊りは、精霊たちへの捧げものでもある。フィーラはサーシャが帰ってくるまで、精霊達への感謝を込めて踊り続けた。




