第153話 精霊祭14
三人が外へ出たときには、大聖堂の周りに精霊姫候補たちの姿はなかった。すでに祈りの場へと移動したようだ。
「もうみんないないわね。フィーラ大丈夫? 遅れて入るの勇気いるわよ? 入るのやめる?」
「う……。だ、大丈夫です」
――いえ、本当は大丈夫じゃないかもしれないわ。みんなが集まっているところに遅れて行くなんて……うう。緊張する。
「中まで送るか?」
「いえ……それをされては余計に……」
「そうよ。聖騎士に付き添われての入場なんて、反感買うわよ」
サーシャの言う通りだろう。保護者付きなんて余計に締まらないうえに、聖騎士は普段から人気があるのだ。遅れたあげくの聖騎士を伴っての入場など、考えただけで恐ろしい。
「大丈夫ですわ。行ってまいります」
二人を残し、フィーラは大聖堂へと向かい歩き出した。
祈りの場へと続く扉の前には左右に門番がいた。また止められるのではないかと思ったが、フィーラの姿を上から下まで見下ろした門番は、あっけなく扉を開けてくれた。
――良かった……。また門前払いを喰らうかと思ったわ。
入ってきたフィーラを集まった精霊姫候補たちがちらちらと見つめてくる。そんな中、祭壇の前に立っていた灰色の髪の精霊士が、フィーラを見て眉を顰めた。
この精霊士は普段精霊士が着ている墨色の衣とは異なる白衣を着ている。きっと精霊姫候補たちに合わせているのだろう。
「あなた……ああ、あなたがフィーラ・デル・メルディアですか。事前の集合にも来ずに今また遅刻ですか。さすがは高貴な公爵家のご令嬢、普段から優雅な時間を過ごしていらっしゃるのでしょうね」
「……申し訳ございません」
確かに遅刻をしたフィーラが悪い。この精霊士が嫌味のひとつも言いたくなる気持ちはわからないでもない。精霊士の言葉に同意するかのように周囲からはクスクスと小さな笑い声が聞こえる。
――ええ。わかっていたことだけれど気分のいいものではないわね。
甘んじて批判と嘲笑を受け入れようとしていたフィーラだったが、意外にも助け舟を出す人間がいた。
「まあ、精霊士様? 精霊士様はさきほど少し時間より早いがそろそろ大聖堂へ行きましょうとおっしゃいましたわ。ならばこの方が間に合わなかったのはそのせいではございませんの?」
フィーラは助け船を出してくれた人物を驚きを込めて見つめる。記憶に干渉されているだろう今、まさかフィーラを助けようとしてくれる人間がいるとは思わなかったのだ。
――あの方は……ティオネラ・カヴェナ様。
褐色の髪に褐色の肌、そして菫色の瞳をしている美少女とは、普段教室で話すことはない。
――……彼女は、タッタリアの精霊姫候補よね。
日差しの強い南国であるタッタリアは肌の色が濃い者が多い。エリオットのように金髪碧眼、肌の白い者もいるが、褐色の肌に褐色の髪は多くのタッタリアの民の特徴だ。
――でもハリス殿下は金髪だったわね……。カヴェナ様の菫色の瞳はハリス殿下と似ているわ。……それにしてもカヴェナ様、もしかしてわたくしの噂知らなかったのかしら?
記憶への干渉がフィーラとの記憶を隠し以前のフィーラの噂を浮き彫りにするものだとしたら、もしかしたら、以前の噂を知らない者にはあまり影響が出ないのかもしれない。
「……それでも、彼女が集合時間に来なかったことには変わりありません」
「まあ、そうですわね。それは失礼しました」
精霊士の言う通り、どのみちフィーラは集合には間に合っていなかっただろう。しかし、ティオネラの言葉で風向きが変わり、空気が一気に柔らかくなった。
「フィーラ・デル・メルディア! 早く指定の場所につきなさい!」
「はい! 申し訳ありません」
精霊士に叱られたフィーラが、自分の場所はどこだろうと探していると、途中でこちらを見ているステラと目が合った。
――ステラ様……。
ステラの表情からは真意を読み取ることができない。もとよりステラのフィーラに対する態度はころころと変わりやすい。怯えていたかと思えば、急に親し気に近寄ってくることもある。
――本当に、今回のこともステラ様の意思なのかしら?
ステラから目を逸らし前へ進もうとしたフィーラは、今度はリーディアと目があった。リーディアはフィーラに微笑みかけてきたが、誰に対しても優しく公平なのがリーディアだ。こちらもまた指標にはならない。
「フィーラ・デル・メルディア! 何をしているのです!」
「はいっ!」
――いけない、早く指定の場所を見つけなくちゃ……。
フィーラが辺りを見渡すと、先ほどのティオネラが手を挙げ小さく手招きをした。
フィーラはいそいそとティオネラの隣に腰を下ろす。
「あの……カヴェナ様。ありがとうございます」
「うん。いいのよ。あの精霊士わたし嫌い」
「あ……それは……そうですか」
急に言葉使いを変え、反応しづらいことを言うカヴェナに、フィーラは無難な言葉を返す。
――あの精霊士が嫌いだから助けてくれたのかしら? まあ、助けられたことには変わりはないけれど。
「ねえ。あなたクレメンス・ダートリーと友達?」
ティオネラからの突然の問いにフィーラは内心首を傾げる。なぜここでクレメンスの話題が出るのか。
「え? あ、はい。友人です」
「友人? 本当に友人?」
「……わたくしはそう思っておりますが……相手がどう思っているかは……」
本当に友人かと聞かれて、フィーラは途端に不安になった。確かに最近はクレメンスと話すことはめっきりと減ったし、図書館に誘っても断られることが多くなった。
――まだ友人だと思っているのって……わたくしだけだったりして……。
そして今のこの状態において、クレメンスがフィーラに対しどのような想いを抱いているのかはまったくの未知数だ。しかしクレメンスはフィーラの噂を知っていた。そのことを考えれば、クリードや門番のような態度も考えられないことではない。
――いいえ……。クレメンスは紳士だもの。きっとわたくしのことを嫌いになってしまっていても、あからさまに態度には表さないはず……。
「ふうん。クレメンスはあなたを好きかも知れないということね」
「え? いえ、どこからそういう話に……」
「フィーラ・デル・メルディア! 静かにしなさい。祈りを始めますよ!」
精霊士にまた怒られてしまったフィーラは小さく肩をすくめる。
精霊士はフィーラに怒ったあと、すぐにちりんちりんと手に持つ鈴を鳴らした。
――ああ。中途半端に会話が終わってしまったわ!
しかし祈りの時間は大切だ。もうすぐ真夜中、精霊の力が一番高まる時間だ。候補達は精霊姫と共に祈りはじめ、祈りは約一時間で終わる。
精霊士が手をあげ、もう一度鈴を鳴らし、祈りの時間が始まったことを示す。フィーラは目を閉じ、両手を胸の前で組んだ。
――こういう宗教的な行為は、前世はしたことはなかったわね……。いえ、仏前に手を合わせたり、柏手とかなら打ったことはあるけれど。
周囲もフィーラと同じように頭を垂れ、両手を組み祈り始めた。
――祈りが終わったら、カディナ様の誤解を解かなくては……。
フィーラは数回深呼吸をし、祈りに集中した。
祈りの終了の鈴の音がなり、フィーラはゆっくりと目を開ける。しかし目の前にはフィーラのほかに誰もいなかった。
「え! え? なぜ誰も?」
「それは、あなたがいつまでたっても祈りを止めないからですよ」
終了の合図を鳴らす鈴を片手に持った精霊士の言葉に、フィーラは驚愕する。
「反省の意を表すためにやっているかと思ったら、声をかけても何の反応も返さないなんて……集中力だけは見事なものですね」
――わたくしもしかして……寝てしまっていたんじゃ……。
血の気を失くすフィーラに精霊士が声をかける。
「寝ていたわけではありませんよ。寝ているかどうかの区別くらいつきますから」
「よ、良かった……」
自分が寝ていたわけではないと知り、フィーラは胸をなでおろした。
「……ほかの方はすべて帰りましたよ」
「え? 帰った⁉」
「まあ、帰ったと言っても候補達は朝まで大聖堂に残るのがしきたりです。探せばそこらにいるのでは?」
「あ……ありがとうございます」
「さあ、あなたもいい加減帰っていください。いつまでもあなたが残っていたから私も帰れなかったのですよ」
「それは……申し訳ありませんでした。あの……精霊士様……」
「……私はレイザン・ノトンと言います。精霊姫選定業務における最高責任者といったところでしょうか」
――最高責任者……。これって、わたくしすでに終わってないかしら? 印象が最悪ではない? いくらオリヴィア様の推薦といっても反対されるわよ、きっと……。
最初から最後までこの精霊士には迷惑をかけてしまった。そして祈りが終わったらまた集まる予定だったというのに、結局そちらにも遅れてしまった。
「ノトン様、本当に申し訳ありませんでした。……失礼いたします」
フィーラは急いで大聖堂の扉を開けてもらい、外へと向かった。
「ちょっとフィーラ! 遅いから心配したわよ! ディランが危険はないっていうから大人しく待っていたけど……」
「ごめんなさいサーシャ! わたくし終了の合図を聞き逃して祈っていたらしいの」
「ええ? 熱心ねぇ」
サーシャが呆れたようにフィーラを見つめる。
「ねえ、サーシャ。ティオネラ・カディナ様を知っている?」
「ええ。タッタリアの精霊姫候補でしょ? 彼女がどうかしたの?」
「いえ、あの。どちらへ行ったかわからないかしら?」
「さあ? わからないわ。ディランは?」
「俺も知らないな」
「そうですか……」
「何よ。何かされたの?」
「いえ、むしろ助けていただきました。あと、ちょっと誤解されてしまったので、その誤解を解きたいと……」
「誤解?」
「はい。とても、誤解された相手にとっては不愉快な誤解を……」
「すぐに解いた方がいいの? それ」
そういわれてフィーラは考える。すぐに解かなければならないほどの誤解ではない。ティオネラの様子からその誤解を広めるということもないだろう。
「いえ……おそらく大丈夫です。後夜祭が終わったら、ちゃんと誤解を解きます」
「じゃあ、オリヴィアのところへ戻るぞ」
今後の話をするために三人は大聖堂をあとにしてオリヴィアのいる祈りの間へと帰った。
「お疲れ、レイザン」
祈りの場から外へ出たレイザンは横から声をかけられた。そこに立っていたのは、精霊士仲間の男だ。今日は確かこの扉の門番をしていたはず。
「……お疲れ様です」
「メルディア家の我儘娘、遅れて入っていっただろう?」
「……ええ。それが?」
「大変だよな、あんなのが精霊姫候補だなんて」
男の言いぐさに、レイザンは眉を顰める。彼のご令嬢は確かに遅刻をしてきたが、言い訳をせずに謝っていた。それに、さすがに年頃の娘に対し、あんなのという形容詞はないだろう。
「噂で人を判断していると、あとで痛い目を見ますよ?」
これはレイザンの尊敬する師に言われた言葉だ。否、痛い目を見るとは師は言っていなかった。これはレイザンが付け足した言葉だ。
「……意外だな。お前はああいう人間は嫌いだと思っていたが……」
「嫌うほどには、あの令嬢のことを私は知りません」
「へえ? まさかお前もあの美貌に惑わされたとか……冗談だ……悪かった」
レイザンの鋭い視線を受けた男が素直に謝罪の言葉を口にする。
「明日の後夜祭の準備がありますので、失礼」
まだ何か話し足りなそうな男を残し、レイザンは大聖堂へと向かって歩き出した。




