第151話 精霊祭12
「この世界は異なる世界の神々の遊戯のために作られた世界、か」
ディランがつぶやいた言葉に、フィーラは何とも言えない気分になる。
――なんかそう聞くと、とても壮大な物語の世界に入り込んでしまったような気分になるわ……。
「それで……オリヴィアとお嬢さんはその神々の世界から、この世界に生まれ変わったということか?」
「まあ……そういうことになるのかしら……」
「……そうですわね……」
神々の世界から生まれ変わったことを肯定するということは、自分たちは元は神だと言っているようなものだ。
オリヴィアもフィーラもまっすぐに二人の目を見ることが出来ずに視線を落とした。
――うう。いたたまれない。まさか自分を神とか言う日がわたくしに訪れるなんて……。
実際にはその言葉は言っていないが言ったも同然だ。フィーラは両手で顔を覆い声を出さずに悶絶する。叫び出したい衝動を我慢していたため両手が小刻みに震えてしまった。
「フィーラ……大丈夫?」
そんなフィーラを心配したのだろう。眉根を寄せたサーシャが、気づかわし気に声をかけてきた。
きっと前世の世界を思い出して悲しんでいるとでも思われたのだろう。その誤解は早急に解かなくてはいけない。まったく悲しくないわけではないが、今のは違うのだ。
「ええ、もちろんですわ! 大丈夫です!」
「そう? なら良いけど。でも、驚いたわね。伯母様だけではなく、フィーラも前世の記憶を持っていたなんて……」
「ええ……。でもわたくしの場合詳細は良く覚えていないのです。その世界の常識、共通認識、一般的な知識等は覚えていますし自分の身に起こった出来事なども覚えているのですが、それも恐らくすべてではないでしょう。わたくしがどこの誰であったのか、どんな名前を使い、どんな家族や友人がいたのかなどはまったく覚えていないのです」
「そうなの? それで大丈夫なの? 思い出したくはないの?」
「前世はあくまで前世ですわ。わたくしはこのままでも良いと思っています。それに……」
フィーラは自らの心臓に当たる位置に、そっと手を重ねる。
「自分が自分であるということの認識は、きっとその人間の身分や経歴、はては記憶や名前にすら関係がないのだと思います。わたくしは今はフィーラですが、前世は違う名前でした。そして次に生まれ変わったら、また違う名前を持つはずです。身分に関しても、今は公爵令嬢ですが、前世は平民でした。ですが、それを知ってもなお、わたくしは一貫して、わたくしはわたくしであるという認識を持ち続けています。前世を思い出す以前のわたくしも、今のわたくしの一部。変化する以前のわたくしにすぎません」
「……うん、何か。ごめん、よくわかんないわ」
「……はい。わたくしもちょっとわたくしに対して、意味飽和気味です……」
「何言ってるかわかんないわ」
真面目な表情で、サーシャがじっとフィーラを見つめる。
「意味飽和とはですね……」
「はい、ストップ! 話が進まないわよ」
サーシャに説明しようとしていたフィーラだが、オリヴィアによって止められた。確かにいちいち説明をしていたら話は一向に進まないままだ。
「……すみません」
「いいのよぉ。とにかくね、現状はさっき言ったようにかなりの人たちが記憶に干渉されているの」
「それで、さっきのあいつらの態度なのね」
サーシャが腕を組み、こくこくと頷く。
「記憶への干渉ということは闇の精霊が関係しているのか?」
オリヴィアに問うたディランの言葉に、フィーラは驚く。
オリヴィアから記憶へ干渉されていることは聞いたが、それがどうやって行われていることなのかは聞いていなかった。
――動揺していたとはいえ、我ながら暢気よね……。
「まあ、普通はそうよね」
だがオリヴィアの考えはどうもディランの考えとは違うようだ。
「違うと? だが人に対する記憶への干渉が出来るのは闇以外にないだろ」
「いるわ。すべての精霊の特性を持つ存在が」
「おい……。まさかそれは精霊王のことを言っているんじゃないだろうな?」
「そのまさかよ」
「……は?」
「え?」
「え? え? どういうこと? だって精霊王ってあの精霊王でしょ⁉」
オリヴィアの言葉を聞いた三人が同じように驚きを露にする。
「あの精霊王じゃないのよ、それが」
「はあ? いや、わかんないわよ伯母様! まさかもうひとり精霊王がいるとか言わないでよね?」
「二度目ね……。そのまさかよ」
「ええ⁉」
「どういうことだ」
「実はね……。カナリヤが言うには、あるとき自分を二つにわけたらしいのよ」
あっけらかんとした表情で話すオリヴィアとは対照的に、サーシャとディランの表情は固まっている。フィーラもきっと同じような表情をしているのだろう。
「何でわけるのよ!」
「一応ちゃんと理由はあるのよ?」
怒るサーシャから逃れるように、オリヴィアが身をよじる。
「本当に精霊王は二人いるのか?」
「ええ。今ステラちゃん側には、おそらくカナリヤから分かれたもう一人の精霊王がついているはず」
「……どうして、精霊王は二人に分かれたのですか? 何故そんなことをする必要が?」
「人間を魔から護るため。それと、魔を護るため……ですって」
「どういうことよ……! 魔を護るためって!」
「魔を総べる存在を生み出せば、ある程度魔の統率が取れるじゃない? 精霊王が精霊に対して影響力があるように。そもそもね……みんな魔って何だと思う?」
「魔? 精霊と対を成す存在。光と闇、正義と悪。でしょ?」
「そうね。でも、もともと精霊と魔は同じ存在なのよ」
「ええ! いや……ええ⁉」
サーシャが大きく目を見開きオリヴィアを見つめる。きっとフィーラも同じ表情をしているのだろう。
「カナリヤが言うには、精霊がある条件を満たしたときに魔へと変わるらしいの」
「その条件とは、何なのですか?」
「だいぶ大まかに言えば精霊自身が、魔となることを選んだとき、かしら。結局は精霊も魔も人間がつけた呼び名よ。人間が生まれる以前は、精霊も魔も区別などされていなかったのよ。ただ望むものが違ったために二つに分かれてしまった。人間でいうところの考え方の違いというやつかしら」
「それは……どうして歴代の精霊姫は、ううん。精霊王はそのことを言わなかったの?」
「それは言えないでしょう。だって精霊と魔が同じ存在だと知られれば、精霊そのものを忌避しだす者が現われるかもしれないわ。もし人間と精霊が敵対するようなことになれば……人間に勝ち目などないわ。精霊に敵対した段階で、人間に未来はないの。だってこの世のすべてを総べるとされる精霊王は、絶対的な人間の味方というわけじゃないのだもの」
「でも……お互い必要以上に関わらないようにすれば……」
「人間と必要以上に関わらなくなったとしても、それでも精霊と魔がこの世界からいなくなるわけじゃないわ。もともと精霊姫が生まれたのが魔から人々を護るためならば、結局は同じことを繰り返すだけだわ。精霊姫という呼び名ではなくとも、いつかまたそれに似た存在は生まれる。しかもそのとき精霊王が人間に味方してくれるとは限らないのよ」
「それに……結局精霊は人間に惹かれるものらしいの。人間側から一方的に関わりを断つことはきっと難しいわ。精霊が人間に惹かれるのなら、元は精霊だった魔も、人間に惹かれるということなのだから」
「……魔と精霊のことはわかった。それで? なぜもう一人の精霊王はステラ・マーチに味方しているんだ? それが一番重要だろう」
ディランの疑問はもっともなのだろうが、フィーラとしてはやはりステラがこの世界の主人公だからなのではないかと思ってしまう。だがオリヴィアの答えは違った。
「多分だけど……。ステラちゃん側の誰かともう一人の精霊王は契約をしているのだと思うわ。契約はある程度精霊の動きを縛ることが出来る。だから精霊王が自らの意思で全面的にステラちゃんの味方をしているわけではないのではないかしら?」
「精霊王と契約? 出来るの?」
「私とカナリヤだって契約しているじゃない」
「それは……でも、伯母様は精霊姫だから……」
「精霊姫は別に特別な人間というわけではないわ。ただ精霊王という最上級の精霊と契約が出来るだけの能力を持っていたというだけ」
「そこが難しいのではないのか? それとも精霊姫と同等の能力のある存在があちらにもいると?」
「必ずしも精霊姫相当の能力がなくてもそれは可能だわ。ただし、能力のない人間が精霊王の力を使うと言うのなら、扱える力にはかなり制限がかかるでしょうし、またかなりの痛手を負うことにはなるでしょうけれど」
「自らを犠牲にして精霊王の力を使っていると言うことか」
「そうね。そもそも精霊王の関心を得られなくては契約も成しえないのだけれど……。あとは精霊王みずからの望みのために手をかしている場合もあるわね」
「すべてを総べるとされる精霊王が望みね……」
「まあ、他にも何か思惑があるのかもしれないけれど……でも精霊王があちらの味方をしていることは確かよ。今回の大規模な人々の記憶への干渉。精霊王がしたことと思えば納得できるわ」
「どうりであんた以外誰も、何も気づかないわけだ。だが、どうしてサーシャは無事なんだ? 聖騎士さえ干渉を受けたんだ、サーシャの精霊では精霊王に対抗するのは無理だろ」
「何よ! というか、あなたこそ何で無事なのよ!」
「俺はおそらく精霊の影響だろう」
「精霊? だったらほかの精霊士や聖騎士は無事なはずじゃ……」
「ほかの精霊では駄目だろうな。クリードも駄目だったんだろう?」
「……そうね。でもあなたの精霊は風の精霊でしょう? 風なら大丈夫なの?」
「そういうわけじゃないんだが……」
「サーシャ。聖騎士の中には稀に二体以上の精霊と契約している者もいるのよ」
困った様子のディランに、オリヴィアが助け舟を出した。
「え? そうなの? 初めて聞いた」
「わたくしも初めて聞きましたわ」
「聖騎士は聖騎士となる際にカナリヤから精霊を直接与えられるけれど、その聖騎士がすでに別の精霊と契約していた場合はそうなるわね」
「あ……なるほど」
――新たな精霊を精霊王から貰ったからといって、以前からいる精霊がいなくなるわけじゃないわよね。
「そう。で、大体二体いるうちの一体は周囲には秘密にしている場合が多いわ。切り札になるから」
「ようするにこれ以上聞くなってことね」
大人しく引き下がったサーシャだが、表情を見るに何かしらの見当はついているらしい。
「そういうことだ」
「話が逸れたけれど、サーシャが無事だったのは相手が記憶への干渉を行った時にフィーラちゃんといたからだと思うのよ。その理由は恐らく精霊王の護りがフィーラちゃんにはついているから。二人ともこれは知っているわよね」
「ああ」
「ええ」
――え? サーシャも知っていたの?
ディランについてはすでにフィーラが次の精霊姫だと知っているとオリヴィアが言っていたから納得できる。しかしサーシャまで知っているとは思わなかった。
――あ……そういえば、塔から落ちたときのあの風。あれは精霊王様がつけてくれた護りだったということね。それに気づいたからサーシャの言動がおかしかったのだわ。あら? ということは、もしかしてわたくしが水路に落ちた時のあれも、精霊王様の護りが働いたということかしら?
「サーシャはフィーラちゃんを通して精霊王と繋がったから、無事だったのよ。これはきっと私では無理なことだったわ。精霊王の器としてフィーラちゃんは私よりも優秀よ。フィーラちゃんだから、まだ契約してもいない状態で、精霊王の力をサーシャにまで及ばせることが出来た。運が良かったわよ、サーシャ」
「ほ、本当ね……」
見ればサーシャの顔色はさきほどよりも悪くなっている。一歩間違えば自分も皆と同じように記憶に干渉されていたのかと思えば、無理もないだろう。
「相手もカナリヤや私のことは警戒しているわ。本来だったら、この世界で私だけが正気を保っているはずだったのかもしれない。相手にとってもフィーラちゃんの事は想定外だったはずよ。そしてこの場合の相手とは精霊王を抜かした者たちということね」
「なるほどな。王宮でお嬢さんが精霊王を降ろすところを魔が見ている。向こうの精霊王が魔を総べるというのなら、お嬢さんのことを対処しないわけはないな」
「え? どういうことですか?」
「向こうの精霊王が魔を総べると言うのなら、王宮に出た魔から状況は知れているはずだ。なのに相手側がそれを知らないとなると、精霊王が意図的に隠しているということになる」
「そう。知らないはずがないのよ。だってデュ・リエールに現れた魔こそが精霊王なのだもの」
「は?」
「え?」
「え? そうなの⁉」
「ええ。本体ではなく分身だとは言っていたけれど、カナリヤが言うのだから間違いないと思うわ。私も、あの存在が持つ力はカナリヤと同じものだと思う」
「あれが精霊王なら、なぜゴールディ家の令嬢に憑いたんだ」
「うーん。あれはまあ、普通にサルディナちゃんの強い感情に惹かれただけじゃないかしら? 魔って本来そういうものだし」
「でもサルディナ様はご無事でしたわ」
「精霊王だもの、力の制御くらいは出来るわ」
――そういえば、フォルディオスで会った時も力を制御していると言っていたわ……。
「だとしたら学園に出た魔も、フォルディオスで会った魔も、もう一人の精霊王だと言うことですわよね?」
「フォルディオスで? また会ったの?」
サーシャが驚きに目を瞠る。
「ええ……」
魔に出会った際は、その詳細を精霊教会へと連絡することに決まっている。当然、学園でのこともフォルディオスでのことも精霊教会を通じて大聖堂へは報告されているはずなのだ。
オリヴィアもディランも驚いていないところをみると、とっくに情報は入っているはずだ。いくらサーシャが精霊姫の姪といえ、精霊士でもないただの学生にはそこまでの情報は入らないのだろう。
「それって、完全に貴方が狙われているってことじゃないの?」
「そう、なのでしょうか? でも攻撃されたりはしていないのですが……」
「むしろストーカーよねぇ、それって」
オリヴィアが目を細め、何とも言えない表情でフィーラを見つめる。つられてフィーラも渋い表情になってしまった。
確かにいつも姿を見せる割には、何がしたいのかわからない。案外、会いに来たというのは本当のことだったのかもしれない。
――あの魔がわたくしが次の精霊姫になることを知っていたというのなら、わたくしに興味を持っていた可能性はあるわね。
「ストーカー?」
「ええと、特定の相手に対してつきまとう人のことでしょうか」
「ああ、いるわねそういう人……て、あれ? ……思い出したわよ。私が塔で出会った男! あれもそうなんじゃないの? あの場にはあなたもいたわけだし……。それに人にしては妙な気配を持っているとは思っていたのよ。私とあなたが塔から落ちたのもあの男のせいだし!」




