第150話 精霊祭11
「…………わたくし?」
「ええ」
フィーラの問いにオリヴィアが真剣な表情で頷く。
「え……いえ、そんな。……冗談では?」
「いいえ」
オリヴィアの真摯な眼差しは到底冗談を言っているようには見えない。
「……ですが、さきほどゲームの中ではわたくしはステラ様のライバルの悪役令嬢だと……」
――悪役令嬢が次代の精霊姫? そんなことあるの?
「言ったでしょ? この世界はゲームの世界を元にしているけれど、ゲームと全く同じというわけではないのよ」
「あの……それでなぜわたくしが?」
「あなたが一番精霊姫として相応しかったからよ」
「わたくしが?」
「ええ、そうよ」
よもや冗談ではなかろうかと思っていたフィーラだったが、オリヴィアの眼差しは真剣そのものだ。
「そんな……わたくしのどこが……」
「ふふ。ねえ、精霊姫に選ばれる基準って、フィーラちゃんは何だと思う?」
「え? ええと……清く正しく……美しく……」
最後の言葉を言うのは何となく憚られた。それではまるで自分が美しいと言っているようなものではないか。
――もちろん! 清くも正しくもないことはわたくしが一番よく知っていますけれども!
「いやだわぁ、何それ! 前時代のアイドルじゃあるまいし!」
けらけらと声をあげて笑うオリヴィアにフィーラは己の頬が熱くなるのを感じていた。
――うう。だって……わたくしが言ったんじゃないわ! 世間ではそうあるべきだと言われているから……。
「……では何ですか!」
オリヴィアに笑われたことが恥ずかしくて、フィーラはつい声を荒げてしまう。
「うふふ。ごめんなさいね? だって、私は清くも正しくも美しくもないんだもの。精霊姫はマスコットじゃないのよ? 精霊姫に選ばれるには明確な理由があるの」
「理由……ですか?」
「ええ。精霊姫に選ばれる理由。……それは受け皿の大きさね」
「受け皿……」
「精霊姫は魔を抑える。どうやって抑えるか分かる?」
「……いいえ。精霊姫の成す業を、わたくしたちは存じません」
「そうよね。人々の前で魔と戦うのは、常に聖騎士の役目だわ。聖騎士は上級精霊と契約し、その精霊の力をその身に宿す。精霊士とは似て非なるものなの。精霊士は主に下級、中級の精霊と契約できるけれど、力を振るうのはあくまで精霊自身。この違いって何だと思う?」
「精霊の力を精霊の意思に関係なく己自身の力として振るえるか、精霊自身に命じて力を振るわせるかの違いですよね……もしや……精霊との一体化ですか?」
「そう。そして精霊姫は、聖騎士と同じなの」
オリヴィアの瞳が強く妖しく煌めいている。
まるで弟子が師匠に秘伝の技を教わるかのように、フィーラは身を乗り出してオリヴィアの言葉を聞いていた。
「精霊姫が宿すのは、精霊王の力」
何もない中空を見上げるオリヴィアは、まるでこの世ならざる存在を見ているかのようだ。
「精霊姫は精霊王と一体化し、精霊王の力をその身に宿すことができる」
「それは……それは。精霊王を降ろしているときの精霊姫は、精霊王そのものということですか?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言えるわね。私の場合は、カナリヤの力を七割程度しか受け入れられないの。あ……カナリヤって言うのは、精霊王の名前ね? それでも歴代の精霊姫の中では、結構高いほうなのだけれど……。とにかく精霊姫は精霊王の力を宿しこの世界に顕現させることによって、魔に対する抑止力となっているのよ。精霊と魔は磁石のエス極とエヌ極のようなもの。精霊の力が増せば、魔の力が弱まるわ」
オリヴィアがフィーラを見つめ、さらに言葉を紡ぐ。
「ねえ、この世界の精霊って、純粋なエネルギー体よね? 上級精霊ほどになると個としての意思を持ってくるけれど、エネルギーとしての本質は変わらないわ。でも、実は下級、中級の方が、力は弱いけれどエネルギーとしては純粋なの。下級、中級の精霊は、個としてよりも全体としての共通の意識が優先するのよ。種としての本能ともいえるわね。だから、人間と契約はしても、一体化はしない。特に下級精霊なんて、個が弱すぎて一度人間と一体化するともとには戻れなくなってしまうから本能的に拒否するのよ」
「元には戻れない……一体どうなってしまうのですか?」
「エネルギーとして吸収されちゃうのよね、人間に」
「……ええ⁉」
「それはちょっと可哀想じゃない? まあ、もともと個が弱いから精霊自身には悲しみとかの感情はないのだろうけれど」
「それでもちょっと……ええ。無理ですね」
――人間に吸収って……考え方によってはホラーよね……。
「でもカナリヤは精霊の頂点に立つ存在。個としての意識を持ちながらも、全体としての力を好きなように引き出せる。唯一の個を持ちながらも、全体と個の堺があいまいだから、精霊王と一体化するとはいってもその力のすべてを精霊姫は受け入れることはできないの」
「そして精霊王はこの世界のすべてを総べるとは言うけれど、その恩恵をもれなく精霊姫が享受できるかと言えば、そうではないのよね。世間で言われているようなそんな都合のいいものではないの。精霊王も精霊姫も、人々が思うよりは万能ではないわ。だからすべてを見通すことも出来ないし、魔の出現を前もって感知し未然に防ぐことも出来ない。精霊王の知覚できる事象は大きすぎて、焦点をしぼらなければ見境なく情報を受け取ることになってしまうわ」
「だから精霊姫に出来ることはそれほど多くない。せいぜいこの世界が受け入れられるだけの精霊王の力を引き出し、あくまで人の世の理の中で足掻くしかないの。そして先ほども言ったように私では精霊王の力を七割程度しか発揮することができない」
オリヴィアはフィーラから視線を逸らさない。そして、その強い意志の籠った瞳から、フィーラもまた目が離せなかった。
「でもね……フィーラちゃん。あなたは違うの。あなたは完全に、カナリヤの力をこの世界に顕現させることができる」
「わたくしがですか?」
「ふふ。そうよ。とはいえ、全体としてではなく、あくまで個としてのカナリヤという存在だけれどね。あなたの前にも、カナリヤを完全に受け入れられる存在はいたらしいけれど、カナリヤがいうには、本当に昔のことらしいわ。それこそ精霊姫という存在が、この世界に生まれたばかりの頃の事かも知れないわね。でも……この話をカナリヤから聞いた時に思ったのよね。私はこの世界がゲームを元にした世界だと思っているけれど、この世界が生まれたのは、一体いつの事なのかしらって。もしかしたら、私の考えていることとは逆で、ゲームの元になった世界がこの世界なのじゃないのかしらって」
オリヴィアがまるで無邪気なこどものような笑みを見せる。
「だってそうじゃない? カナリヤは私たちが生まれる何百年、何千年、もしかしたら何万年も前からこの世界に存在しているのよ? そのカナリヤ自身の記憶も作られた記憶なのかしら? この世のすべてを総べるとされる存在が、ゲームが生まれた瞬間に、この世界とともに誕生したのかしら? カナリヤがいうには、世界というものはこの世界以外にもたくさんあって、時折触れ合うことがあるらしいの。そんなときに、この世界の成り立ちを、どこかの誰かがキャッチしたのかも知れない。そう、このゲームの原作者のような人間が」
「それは……」
ありえる話かもしれない。小説家のなかには「書かせられた」と表現する人間もいるくらいなのだ。
「この世界の精霊姫や聖騎士、精霊士って、まるで私たちの世界の巫女やシャーマンと呼ばれるような人たちみたいじゃない?」
「言われてみれば……そうですわね」
神や精霊を降ろし託宣をしたり、悪霊を祓い病を治したりするとされているシャーマンや巫女と、精霊姫や聖騎士、精霊士は確かに似ている。
「精霊姫である私にもその適正があるだろうし、あなたもよ、フィーラちゃん。むしろ私よりもずっとね」
「ですが、どうしてわたくしが精霊姫としての適性が高いとわかるのですか?」
精霊姫の選定基準が精霊王を降ろす受け皿の大きさということはわかったが、何をもってしてそれを判断するのだろうか。
「ああそれは……カナリヤにはわかるそうよ。誰が自分にとって一番良い器かということが。それにフィーラちゃんは一度カナリヤを降ろしているもの。より確実よね」
「……え? わたくしですか?」
「ええ」
「……わたくしまったく記憶にないのですが」
「ふふ。サルディナちゃんが魔に憑かれたことがあったでしょう? あの時よ。フィーラちゃんは多分カナリヤを完全に受け入れる代わりに、カナリヤを受け入れている間の意識がなくなってしまうのね。まあ、初めてのことだったでしょうし、これは慣れや訓練で克服できると私は思っているけれど……」
「もしかして……あの時サルディナ様が助かったのは精霊王様のお力添えがあったからということですか?」
「そうよ。でもその時のことを知っているのは数人しかいないわ。……実はフィーラちゃんが次の精霊姫になることを私以外にも知っている人たちはいたのだけれど、今まで秘密にして貰っていたのよ」
「えっ⁉」
「このことを知っているのはあのとき現場にかけつけた聖騎士三人と、ジークフリート君、あと、サルディナちゃんと、私ね」
「ジークフリート君……」
「そこ気になっちゃう?」
「いえ、すみません。ちょっと新鮮で……。ええと、それでなぜ秘密に?」
「うーん。実はあの時点ですでにステラちゃんのことは注視していたのよね。そこへあの魔の出現でしょ? これはサーシャとディラン、二人が揃ったときに言うけれど、そのことが関係あるのよ。それに精霊姫の選定には三年もの期間を設けているわ。あの時点で次の精霊姫が決まっていることを知られるのはさすがにちょっとまずかったのよ」
「それは……そうかも知れませんわね」
デュ・リエールが行われたのは、学園入学からまだ一月ほどしか経っていない時期だ。さすがにその時点で次の精霊姫が決まったなどといったら、それこそ賄賂でも送ったのかと勘繰られてしまう。おそらく反発は相当なものになっただろう。
「ステラ様にも関係があるのですか?」
「そうね。ゲームではフィーラちゃんが精霊姫候補になることが裏ルートに入る条件だったでしょ? でもいくらこの世界でフィーラちゃんが精霊姫候補に戻ったとしても、フィーラちゃんはゲームと違って悪役なんかじゃないし、これからもゲームの通りには進まない。でもそれだとこの世界が裏ルートだと思っているステラちゃんは困るでしょう? だから今回の記憶の干渉になるわけだけど……デュ・リエールに出た魔と、学園に出た魔、そしてフォルディオスに出た魔。これらの魔の出現がすべてステラちゃんの意思によるものだとは思えないのよね」
「それは……確かに。デュ・リエールのときはステラ様も気を失われていましたもの」
「そうね。だからその件に関してはステラちゃんは直接的には関係ないと思うわ。学園のことも、フォルディオスのことも、ステラちゃん自身の関与は疑わしいの。だってゲームではそんな事件は起きていないのよ。ステラちゃんがゲームの通りに進めたいと思っているのだとしたら、そんな余計なことはしないと思うわ」
「はい」
「だからきっとステラちゃんとは別の意思が働いていると思うのよね」
「ステラ様とは、別の意思ですか」
「ええ。きっとステラちゃんの味方をしている人間たちが、いいえ、味方のフリをして好き勝手にしている人間たちがいるはず」
「それは……ステラ様が利用されているということなのでしょうか?」
「その可能性はあると思うわ。この世界を裏ルートにすることを望んだのは、確かにステラちゃんだとは思うの。でもそれにしては起きていることが乱雑すぎるのよ。ゲームに添って事が起きているわけでもなし、攻略対象たちもゲームと同じようには動いているわけでもなし。すべてがステラちゃんのためにしていることだとは到底思えないのよね」
――そうよね……。魔を出現させることがステラ様にとって利益になるというのならわかるけれど。
「ステラちゃん以外にこの世界を裏ルートの世界に似せようと動いている者がいるのは確か。でもすべてをゲーム通りに動かそうとしているわけでもない。目的がいまいちわからないのよね。しいて言うなら、この世界を変える。そんな曖昧な動機しか思い浮かばないのよ。だから、もしかしたらステラちゃん側にいる人たちは、皆それぞれの望みに従って動いているのではないかしらと思って。そしてステラちゃんはそのために利用されているのかもしれないわ」
「……もし。もしステラ様が誰かに利用されているのだとしたら……それはあまりにも……」
「ええ、そうね。たとえステラちゃん自身が裏ルートの世界を望んだとしても。その想いを利用して、自分の欲望のために操ろうだなんて許されることではないわ」
「……オリヴィア様」
「でもまだわからないわよ、フィーラちゃん。私たちはちゃんと事を見定めないと。たとえステラちゃんが私たちの同胞だとしても、私たちと同じ考えでいるとは限らない。もしステラちゃんがこの世界をゲームの世界としか、この世界の人間たちをゲームのキャラクターとしか見ていないのだとしたら……私は精霊姫として、どのような結果になろうともステラちゃんを止めなければならないわ」
「……はい。わかっております、オリヴィア様」
「……ありがとう、フィーラちゃん。さて、ではそろそろ扉の外にいる二人を呼びましょうか」
「あ、あの。オリヴィア様。……お二人にはどう説明を?」
「ああ、そうだったわね。実はサーシャにはある程度の事は話してあるの。私もちょっと寂しかったのよね。自分ひとりの胸の中に抱えておくことが、苦しかったのかもしれないわ。……でももちろん、全部話したわけじゃないわ。この世界には私たちの世界にあったようなゲームなんてものもないし、細々としたことを話しても理解はできないでしょうから。でも実はこの世界は創られた世界だってことは理解していると思うわ。……問題は、あの子は私たちの元居た世界が、神々の世界だと思っているってことなのよね」
「え? 神々の世界……ですか?」
「そ。神々が人間を観察するために創造した世界。その理論でいくと、私たちの前世はこの世界の人たちにとっての神様になっちゃうのよね。……そう考えると、ちょっとあれよね。痛いわよね、私たち……。でも、自分たちの存在する世界が遊ぶために作られた世界だと知るよりは、神々に作られた世界だと思っていた方がいくらかマシかと思って、訂正しなかったのよね」
「それは……そうかもしれませんわね」
もし、前世のフィーラが、誰かに自分たちの生きる世界は別の世界の人間が遊ぶために作られた世界などと言われたら、きっと良い気分ではないだろう。ならば、この世界は深淵なる神の観察箱とでも言っておいたほうが、精神衛生上よろしいかもしれない。
「まあ、そんなわけで、さすがに私たちの知っていることすべてを話すことはしないわ。サーシャが勘違いしているとおりに、ちょっと話をぼかして伝えましょう」
オリヴィアが扉の近くに移動し、扉に向かって声をかける。
「二人とも、もう入っていいわよ」
オリヴィアの言葉の数秒後、カチリと音が鳴りゆっくりと扉が開いた。
「入るわよ……」
サーシャがおずおずと扉の外から中を覗き見る。目を細めているので、きっと眩しいのだろう。扉の位置は開かれた窓から一直線だ。もし扉の外が暗いのならば、眼が慣れるまでには少しの時間がかかる。
「あなた……また泣いたの?」
「え? あ、これは……」
サーシャに指摘され、フィーラは指先で眦を押さえる。
「もう、伯母さまったら。これでここにいる全員、フィーラのこと泣かしているじゃない」
「あらあら。そうねぇ。ごめんなさいね、フィーラちゃん」
「いえ、大丈夫です……」
謝られると、何やらとても恥ずかしい。わんわんと泣いた姿をオリヴィアには見られているのだ。今更ながら、二人だけにしてくれたオリヴィアに感謝しなければいけない。
「で、どうなったの?」
サーシャの問いに、フィーラはオリヴィアと顔を見合わせた。
「今から説明するわ」




